書籍詳細
残り物には福がある。
ISBNコード | 978-4-86669-140-4 |
---|---|
定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2018/08/27 |
ジャンル | フェアリーキスピンク |
お取り扱い店
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
沈みかけた夕陽を背に馬車は走る。
横に座る旦那様の精悍な横顔をちらりと盗み見て悶える。いやいかん、意識していないと顔がだらしなくにやけてしまう。
実はあの後もちょこちょこ来てくれた他の騎士さん達にもお願いして、情報収集に勤しんでいたのだ。
お仕事中の格好良さはユアンさんに聞いていたけど、意外にお酒に弱いとか、豆スープが苦手だとかレアで可愛いらしい一面も聞けて大満足。もう格好良くて渋い上に可愛いとかわたしを萌え殺す気ですか旦那様。
あああ、いつか一緒にお酒を飲んで酔い潰して差し上げたい。その後はもちろんマメマメしく看病しますよ、介護じゃなくてね!
近いに違いない未来を妄想……いやいや想像していると、やはり笑いが抑えきれていなかったのか、旦那様は苦笑して問いかけてきた。
「何かいいことでもありましたか?」
「……え? いえ……えっと、楽しかったので」
慌てて首を振る。
いや、さすがに旦那様の痴態を想像してニヤニヤしていました、なんて言えないし。
「気になる者はいましたか」
「え?」
同じ口調で何気なく問われて、一瞬反応が遅れた。
何、今の聞き間違い?
気になる者って誰のこと? 今日はリンさんとあのセクハラ王と騎士さん達しか会ってないよね?
何のことだろう、と首を傾げて戸惑う。旦那様は沈黙をどうとったのか穏やかな笑みを浮かべたまま顔を正面に戻して言葉を続けた。
「ユアンと随分と仲良くお喋りしていましたね。年齢も近くて二人で並んでいると、とてもお似合いでした」
……ユアン、さん?
年齢が近くて、似合い? ……わたしと? だってわたしは、旦那様のお嫁さんとして。
頭に浮かんでは消えていく疑問を口にしようとするのに、唇がボンドで張りついたように開かなくて音にすらならない。
何言ってるんですか。
助けを求めるように旦那様を見た。いつもと同じ。年輪が刻まれた横顔、表情は穏やかなままで——動かない。
——なんで?
さっきまでの楽しい気持ちが一瞬にして?き消えた。胸から喉元まで何かを詰められたような息苦しさを感じる。
掠れた吐息。うまく、呼吸ができない。
ガタンと、と車輪が石に乗り上げた音がどこか遠くに聞こえた。
「ユアンも貴女を気に入っているようだ。……あのように女性に振る舞う姿は初めて見ました。平民ですが優秀なので後見したいという貴族もいるでしょうから、貴女が苦労されることはないでしょう」
外から遠慮がちな御者の謝罪が聞こえて旦那様は「問題ない」と答える。近いのに遠い。声も、心も、見えない何かに阻まれて。
——なんで?
わたしと旦那様は、結婚するんじゃないの。
「それともユアンではなく、ヘンリーでしょうか? 騎士団の中では一番見目がいい。外交にもよく使われていてリオネル陛下の覚えもいい出世株です。一番大柄なクラークもなかなか見所のある男で、見た目に反して穏やかな性格をしています。きっと貴女を大事にしてくれるでしょう」
仕切り直すように旦那様が再び口を開く。
それは鍛錬場に着くなり紹介された三人の騎士さん達の名前だった。
……ああ、そっか、そうなんだ。
ようやく納得した。
考えてみれば鍛錬場にだって侍女さんの一人や二人いる。騎士さんがわざわざ鍛錬の手を止めて、給仕紛いのことをするわけがないのだ。それに護衛だってこんな場所なのに、って不思議に思ったじゃない。しかも不自然なほど、甲斐甲斐しかった。
旦那様がお城に誘ってくれたのも、きっと最初からわたしと釣り合いそうな騎士さん達と会わせるつもりだったのだろう。
ああ、なんだこれ、あれだ。お見合いだ。
……やっぱりわたしは、旦那様の奥さんには相応しくないの。
鼻の奥がつんと痛んできゅっと唇を?み締める。堪えるように俯いて旦那様の瞳と同じ色のスカートをぎゅっと握り込んだ。だってそうしないと今にもみっともなく泣き喚いてしまいそうだった。
「最後に挨拶をした赤髪の男は? 男爵家と位は低いですがなかなか見込みの——」
「旦那様」
それ以上聞きたくなくて、遮って強く名前を呼んだ。
言いたくない。でも。
「わたしが邪魔ならそう言って下さい」
みっともないほど、声が震えて、言葉尻は低く掠れた。
こんな回りくどい方法で誰かに押しつけなくても、言ってくれたらよかったのに。
……わたしは馬鹿だ。旦那様に誘われたことに舞い上がって、迷惑だって思われていることにも気づけなかった。
我慢していた涙が溢れて、ぽたぽたと涙がスカートにこぼれ落ち、濃い染みを作る。
そんなわたしに旦那様が動揺したように身じろぎしたのが分かった。
「ナコ嬢……どうか泣かないで。貴女を邪魔だなんて思ったことはありません」
?だ。じゃあなんで。
俯いたまま頭をぶんぶんと振れば、膝の上で固く握り締めたままだった拳を、旦那様の手がふわりと覆った。大好きな手だけど今はその温かさが痛い。
でも、ふりほどけない。少しでも旦那様と?がっていたいから。
「……旦那様は、わたしのことが嫌いになってしまったんですか……っ」
「そんなはずありません。大事なのです。だからこそ幸せになって欲しい。貴女は若くて健康で美しくて……こんな老いぼれには勿体ない。私が後見人になればどんな家に嫁いでも問題ないでしょう。だから、ナコ嬢」
どこか苦しそうに旦那様は、わたしの名前を呼んだ。
「……私と一緒になっても共に過ごせる時間は短い。白い結婚を貫くにしても、世間には口さがない人間もいます。その後の長い人生を送る貴女はきっとまた恋をするでしょう。その時に私との結婚は枷になり傷となる。辛い想いをさせたくないのです。どうか聞き入れて下さい」
一語ずつゆっくりと、まるで幼い子供に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
超えられない年齢差。
そんなの分かっている。旦那様といられるのは長くても二十年はないのかもしれない。
それでも。どんなに短くても。
「旦那様と一緒にいられる時間は……っ、一秒一秒が、わ、わたしの一生分の幸せなんです!」
旦那様が一瞬息を呑んだ気配がした。
一方的な想いを押しつけるなんて、まるで子供の癇癪だ。昔の……冷めた自分なら、みっともないと笑ったかもしれない。
「っわたしは!」
顔を上げて旦那様を睨むように見つめる。潤んだ視界の中、旦那様は驚いたように目を見開いていた。
「……たし、は……、わたしは、旦那様が、好きなんです。旦那様だけでいいんです。奥さんが駄目なら、っ愛人でも下働きでもいいから側に置いて下さい……っ」
迷惑に思われても側にいたい。旦那様の都合とか迷惑を分かって願うわたしは、救いようのない馬鹿なのだろう。でも潔くなんて身を引けない。だって、この人だけだから、わたしのたった一人だから。
一気に言い放って唇を?む。そうしないと、今度こそ本当に小さい子供みたいに泣き喚いてしまいそうだった。
痛いほどの沈黙が落ちる。
いつのまにか馬車は止まっている。あれだけ大きな声を出したのだ。御者さんの耳にも届いていたのだろう。……ああ、旦那様に恥を?かせている。諦めたくない、でも謝らなくては、今度こそ嫌われてしまうかもしれない。
「ナコ嬢」
けれど重い口を開く前に、旦那様がわたしの名前を呼んだ。
おそるおそる顔を上げる。そこにあったのは気遣いとはまた違う感情を乗せたコバルトブルーの瞳。深海のような静けさを湛えて、旦那様は柔らかく微笑んでいた。
「だんな、さま……?」
「——申し訳ありませんでした。貴女を悲しませるつもりも、ましてや愛人だなんて貶めるつもりもありません」
「わたしこそ、謝らなきゃ、旦那様が謝ることなんて……っ」
「いえ聞いて下さい。……私はね、日に日に美しく成長する貴女を見て不安になったのです。いつかこの愛らしい笑顔を手放せなくなるのではないかと」
わたしの成長が不安?
笑顔を手放せなくなる?
それは。
「……女性に先に告白させるなんて、男としては情けない限りだ」
とろり、と蕩けそうな艶やかな微笑み。
甘い期待にさっきとは違う意味で胸が震える。
「旦那様」
「ナコ嬢、私も愛しています。ずっと側にいて下さい」
まっすぐに見つめられて、瞳の中にびっくりしているわたしが映る。
今すぐ?を抓って夢じゃないか確かめたい。だって旦那様は何十回もわたしのことを「可愛い」と褒めてくれたけど、「愛している」なんて言ってくれたことはなかった。
しかも、ずっと、側にって。
「だ、旦那様……っ絶対ですよ!? 取り消しは利きませんからね!」
クーリングオフもナシです!
逃がしたくない一心で、勢いよく抱きつくと旦那様は危なげなく受け止めてくれた。大きな胸。優しい匂い。……ああ好きだ、大好き……! 嬉しい、どうしよう。涙がまた出てくる。
ガタン、と控えめながらも馬車が動き出す。
……おそらくタイミングを狙っていたのだろう、動き出した馬車に気づいて恥ずかしくなる。
きっと聞こえちゃっていただろうな。もしかしたらちゃんとしっかり話し合えるように待っていてくれた? 王城からお屋敷まではかなり近く、急げば十五分ほどで着いてしまうから。
今日の御者は門番の一人でそれほど接点はなかったはずなのに気を遣ってくれた。
恥ずかしいけど馬車から降りたらお礼ちゃんと言おう……!
旦那様も突然動き出した馬車に思うものがあったらしい。こほん、と咳払いしてそっとわたしの身体を離そうとした……が、離したくない!
素早く背中に手を回せば困ったように眉尻を下げた旦那様が、ぽんぽんと子供をあやすように背中を撫でてきた。だが断る。あともう少しだけこうしていたい。
「本当に貴女は……」
少し嬉しそうな旦那様の声に、わたしはますます調子に乗って縋りついた手にぎゅうっと力を込めた。
厚い胸元からいつもの甘く苦い香りに交じる微かな汗の匂い。だけど決して嫌じゃない。それどころかその男らしいフェロモンにくらくらする感じ。もう旦那様ならわたし、なんでもイケる気がする。
あれだけ動いていたのだ。そりゃ汗だって?かなきゃ人間じゃない。
息を乱すことなく騎士さん達に稽古をつけていた旦那様を思い出してそう思う。
そうだ。忘れない内にお願いしておこう……!
「今日の旦那様も、ものすごく格好良かったです……! あの、また見に行ってもいいですか?」
てっきりすぐに「いいですよ」って言ってもらえると思ったのに、いつまで経っても答えはなく、背中を撫でていた手も止まっていた。
「旦那様?」
不思議に思って旦那様の顔を見上げれば、眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。
「そうですね……。次はもう少し落ち着いてからにしましょうか」
珍しくはっきりしない口調で、そう返事をした旦那様。首を傾げれば旦那様は苦虫を三つも四つも?み潰したような顔をして口元を撫でた。そして言いにくそうに少しくぐもった声で呟く。
「失礼。随分ユアンと仲が良くなったように見えたので……、あまり会わせたくないな、と思ってしまいました」
「え?」
思ってもみない言葉に思わず驚いて、旦那様の顔を覗き込む。どことなく気まずそうな表情、何だか失敗した、みたいな後悔が下がった眉尻に表れていた。
「……もしかして嫉妬しました?」
言われた言葉を反芻しておそるおそる尋ねれば、今度はきゅっと眉が顰められる。今日の旦那様は表情豊かだ。それがすごく珍しい……!
「黙りなさい」
きゅぅううん、と胸が何かに鷲?みされる。キタコレ旦那様の命令形なんて! いっつも敬語でわたしに話しかけてくれるから超レアだ。普段の口調も紳士そのもので大事にされていることが分かるから大好きだけど、たまにはこんなちょっとSっぽいのもいい……! 旦那様がSならわたしMでもSでもリバーシブルだって対応します!
鼓膜に録音機能が欲しい……! 恒例となったいつものないもの強請りをしてから、これ以上はご機嫌を損ねないように、お口を噤んでイイコにする。
それでもうっかりにやにやしてしまい、そんなわたしを見た旦那様はちょっと恨めしげな目をしたかと思うと、何か思いついたように口の端を上げてわたしの左手を取った。
「こちらの手でしたね」
目線まで持ち上げられたかと思うと、丁寧に指を分けて中指に触れる。何のことだろう、と思っていたら、その指先でちゅっと軽いリップ音がした。
ふぁ……っ!? と焦ったのも束の間、旦那様の唇がその指を辿って、手の甲にやんわりと歯が当たる。
「だ、っ………んな、さま!……?」
おそらく真っ赤になっているわたしを上目遣いで見てから目を眇めた。
そのまま口の端を吊り上げて意地悪く笑う。それがまた壮絶に色っぽくて腰が砕けるかと思った……!
「旦那、様っ?」
驚きと衝撃で上擦る声。
なになにどうしたんですか——!
そう心の中で呻く。そしてわたしの手の甲に赤い舌を這わせたかと思ったその瞬間、?みつかれていた。
「え、ひゃ、……っぅあ!」
ちょっと痛いくらいだけど、それよりも旦那様に?まれたという衝撃の方が大きい。
少し赤くなった手の甲から視線を上げれば、旦那様は未だじっとわたしを見つめていて、目が合う。
そんな旦那様から醸し出される空気というか雰囲気みたいなものに、肌がぞわわと粟立ってくる。
色っぽいだけじゃなくて、なんだ、これ。なんていうんだろう。
わたしの混乱をよそに旦那様は、また軽いリップ音をさせてから唇を離した。
だけど手は解放されずそのままするすると指を撫でて握り込まれる。あの、ほら俗にいう恋人?ぎという奴だ。?まれた場所が外気に触れて少しだけ冷たくて、夢じゃないことを証明してくれる。
そしてふわりと苦く甘い匂いが一段と強くなったかと思うと、旦那様の顔が近づいて来て少し傾く。思わず目を瞑れば耳元に掠れた吐息がくすぐったく触れて首を竦めた。そしてそっと囁かれる。
「ひゃっ……っ」
「消毒です」
くすぐった……! いや、それより消毒、なんで!? 別にばっちいの触ってな……。
混乱の中頭を巡らせて思いつく。そういえばユアンさんにチューされた……!
だから、だからなの!? 旦那様!?
じゃあ、それって……
「や、やっぱり嫉妬じ、ゃない、っす……!?」
なんか体育会系みたいな喋り方になったのは、旦那様が途中で首筋をかぷ、って?んだからだ。こっちは痛いよりもくすぐったい方が勝る。
「意地悪なことを言う唇は塞いでしまいましょう」
頭が理解する前に顔が近づいてくる。一センチも、ない。至近距離で旦那様の目が柔らかく細まったのが分かった。
チューし、た……! 違う、してるぅ!
突然豹変した旦那様に戸惑いつつも、それよりも嬉しさが込み上げる。いやだってチューしたかったんだもん!
思っていたより柔らかい……なんてことを思ったら今更ながら恥ずかしくなった。
優しく咥内を探られ、最後は下唇を?むようにして離れた唇に、はふ、と息を吐く。……念願のちゅーと呼ぶには、あまりにも大人のキス。叶った嬉しさに興奮している顔を隠すべく旦那様の肩に顔を埋める。そんなわたしの背中を優しく撫でながら、旦那様はそっと耳に息を吹き込んだ。
や、やっぱりくすぐったい……!
あ! でも、旦那様の誤解は解いておかねば……鍛錬場で心配になったみたいに誰にでも愛想がいいとか思われたくないし、なにより旦那様を悲しませたくない。
「旦那様、わたし、騎士さん達に旦那様のことを聞いていたんです!」
「……私のことですか?」
「お城の中での旦那様の様子が知りたくて……ユアンさんには、稽古をつけるようになったきっかけとか酔っぱらいを改心させたこととか、意外に甘党とか……他の騎士さんには、お酒があまり強くないとか豆が苦手とか……たくさん、たくさん聞いたんです。楽しそうに見えたならきっとそれは旦那様の話だったからです!」
むしろ旦那様の話しかしていない。
旦那様の不埒な悪戯にも負けずにそう言い切れば、旦那様が少し驚いたように目を瞠ったのが分かった。そして表情を緩め——最後に喉の奥で笑った。
「それはそれは……見送ってくれたユアンの生温い視線の意味がようやく分かりました。たくさんの者に聞いて回ったならもう貴女には逃げ道はありませんね」
どういう意味だろう? と首を傾げれば、旦那様は?にかかったわたしの髪を、指で耳の後ろへと梳った。
「今頃面白おかしく噂されてしまっているでしょう。そんな状態ではもう貴女に求婚しようなんていう男は現れない」
一瞬むっとして?を膨らませる。求婚なんて受けないし、そもそもされないから!
そう意志を込めて睨んだわたしに、旦那様は優しく微笑んで耳朶を指で擦るように触れる。
「んっ」
お腹の奥がぞわっとして思わず反ってしまった背中を、旦那様はあやすように撫でた。
「——私はね、覚悟を決めたら即行動することにしています」
続けられた言葉は耳に吹き込まれる息のせいで、なかなか頭で理解できない。
「若い頃から戦場に立っていたせいか生来のものなのか——私はきっと独占欲が強いのでしょう。手に入れた幸福は一秒でも早く自分のものにしておかないと安心できない。貴女が心から望んでくれたのならばもう逃がしてあげません」
普段の穏やかさからは想像できない熱さえ感じさせるような言葉が耳から入って、頭で理解した途端、ぶわっと顔が噴火した。
旦那様がわたしのことを『自分のものにしたい』って言った……!
聞きようによってはひどく理不尽で勝手な言葉なのに、旦那様から発せられた言葉は、優しく甘くて鼓膜がぐずぐずに溶けてしまいそう。
だけどどうにか返事をしなくては、と必死に頭を捻る。「喜んで!」はどっかの居酒屋みたいだし、もっと素敵な気の利いた言葉を返したい!
少し迷って背中に回した手にぎゅっと力を込める。
「……っ旦那様、もわたしのもの、です……っ」
自分が嬉しかった言葉——即ち旦那様の言葉を真似して必死でそう言えば、旦那様は覗き込んできた目元を柔らかく細めて一番綺麗な微笑みをくれた。
「……なんて可愛らしいのでしょうか」
吐息交じりにそう呟いていっそう強く手を握り込んでくる。そして顔を上げたかと思うと今度は?みつくように口づけられた。
びっくりして一瞬腰を引けば、それに気づいたらしい旦那様は一旦口を離し、今度は軽くあやすようなキスを繰り返す。腰に伸びた手がわたしの身体をぐっと引き寄せて、額、耳朶、?と唇が辿っていき最後に再びわたしの唇を捉えた。
びくん、っと震えた拍子に侵入した舌が、また口の中をゆっくりと弄り始める。苦しくはないけど、歯列に至るまで丁寧に舐められる。
「は……っ、……む、……ん」
口づけの合間にこぼれた声は、俗にいう喘ぎ声そのもので耳を押さえたい衝動に駆られた。だけど舌で上顎を撫でられるたびに、とろりと頭の芯が痺れて身体の力が抜けていく。
突然の未知の感覚に思考がついていかず、だからこそいつのまにか馬車が止まっていたことにも気づかなかった。
長い口づけを終え離れた旦那様はわたしの頭を撫でてくれる。そう……子供扱いって分かっているけど、実はわたしは頭を撫でられるのがとても好きらしい。
少し熱い唇に触れて、キスの余韻にぼうっとしているわたしを、無言で見つめた旦那様は、ぽそりと呟いた。
「その顔を屋敷の者に見せるのは悩ましいですね……」
「ふ……っ……え?」
蕩けた頭を胸の中に抱え込まれてそのまま身体が持ち上げられる。視界が塞がれているけれど、お姫様抱っこで馬車から降ろされたのが分かった。
え、いつのまに着いてたの!?
「お帰りなさいませ。ナコ様はどうかされたのですか」
いつものように出迎えてくれたのだろうアルノルドさんの声に顔を上げようとしたら、ぎゅむっと顔を胸に押しつけられる。なんか今日コレ多くない?
「……旦那様?」
次いで聞こえたマーサさん達の声を一度無視してから、最後に「明日の朝まで誰も取り次がないように」と言い渡す声が耳に飛び込んできた。
この続きは「残り物には福がある。」でお楽しみください♪