書籍詳細
竜が来りて恋びより
ISBNコード | 978-486669-184-8 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2019/01/28 |
ジャンル | フェアリーキスピュア |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
「――うわっ、うそ!? また雨が降ってる!!」
人工河川のおかげで水不足に悩まされなくなり、竜神に雨乞いをすることもなくなったとはいえ、シャルベリ辺境伯領が雨の少ない地域であることは今も変わりはない。
それなのに、黒い軍用犬に雨宿りをさせた翌日、二日連続でいきなり降り出した雨に、アミィは大慌てで屋上に駆け上がった。
三階建てのリンドマン洗濯店は、一階が店舗、二階が一家の生活スペース、三階が風通しのいい乾燥室、そして屋上が洗濯物を干す場所となっている。
天気のいい日ならば、客は朝の出勤前に洗濯物を預けておけば、洗って乾かし綺麗に畳まれたものを夕方の帰宅時に受け取ることができる寸法だ。
その他には、愛人や風俗店の女性に付けられた痕跡を妻にばれないよう落としてほしい、なんていう超特急かつ秘密厳守な部分洗いの依頼なんかもあり、おかげでアミィの男性を見る目は冷める一方だった。
最初はぽつぽつだった雨は、アミィが洗濯物を取り込み終わった頃にはざあざあ降りになっていた。
幸い洗濯物はすでに乾いていたので、全て一階の作業台まで持ってきて、必要な物にはアイロンをかけてから丁寧に畳む。
ハンナはこの日もまた安楽椅子に座って縫い物をしていた。
一通り作業の目処が立ったアミィが、お茶でも淹れて一息つこうかと彼女に声をかけようとした、その時である。
「――あれ?」
ふと窓に吸い寄せられたアミィの目が、雨に濡れるガラスの向こうに黒い影を見つけた。
それは、前日に出会った黒い毛並み――ロイと名が刻まれた鑑札を首からぶら下げていた、あの軍用犬を彷彿とさせる。
昨日は雨が上がるや否や帰っていく後ろ姿を見送ったのに、また雨の中を彷徨い出てしまったのだろうか。それともまさか、本当は彼にはもう帰る場所がなかったのか。
雨足はいよいよ強まって、どうどうと滝が流れるような音が屋内まで響いてくる。居ても立ってもいられなくなったアミィは、急いでカウンターを潜ると、大通りへ飛び出さんばかりの勢いで扉を押し開けて叫んだ。
「――ロイっ!!」
カランカランカラン! と、扉の上部でアイアンベルが荒々しく鳴る。
その音に驚いたのか、あるいは突然顔を出したアミィに驚いたのか――もしくは、彼女の口から飛び出した名前に驚いたのか。とにかく、リンドマン洗濯店の軒下にしゃがんでいた黒い影は、とたんにぱっと弾かれたようにアミィの方に顔を向けた。
「……っ!?」
アミィはひゅっと息を呑む。
というのも、そこにいたのは昨日彼女が出会ったロイどころか、そもそも犬でさえなかったのだ。
「あ、あれ……?」
「……」
リンドマン洗濯店の軒下で雨宿りをしていた黒い影の正体は、人間の男だった。歳はおそらく、アミィよりも幾つか上だろう。
男の髪は少しだけ癖のある黒髪だった。窓越しにちらりと覗いたそれを、アミィは昨日出会った軍用犬ロイの毛並みと見間違えたらしい。
目が合ってしまった手前、何も言わずに店に引っ込むのは憚られる。とてつもなく気まずかった。
「あー……ええっと……こ、こんにちは。生憎のお天気ですね?」
「……」
アミィは愛想笑いを浮かべて挨拶をしたが、男が言葉を返してくる気配はなく、ただただ茫然と彼女を見つめている。
とたん、アミィは天を仰ぎたい気分になった。
長めの前髪の隙間から見え隠れする男の双眼が、雨ではないもので濡れているのに気付いてしまったからだ。
(ああ、しまった……見るんじゃなかった!)
男は、羽織った黒い外套の裾が地面に付いて汚れるのも構わず、リンドマン洗濯店の軒下に踞るようにして静かに涙を流していた。
心底面倒くさい予感がするので極力関わりたくない、というのがアミィの本音だ。
だが、髪から雨を滴らせて泣き濡れる男の姿は行き場を無くした迷子のようで、濡れそぼった昨日の黒い犬をどうしても彷彿とさせる。
それなのに、何も見なかったふりをして扉を閉められるほど、アミィは薄情な人間ではない。
アミィは大きく一つため息を吐くと、軒下で踞る男に駆け寄った。
そんな彼女の行動が予想外だったのか、男はとたんに目を丸くして固まったが、アミィは彼の手を摑んで有無を言わさず引っ張る。
「ほら立って。こんなところにいたら風邪引いちゃう。うちで雨宿りしていきなよ」
昨日の黒い犬に対するのと同じ口調になったのは無意識だった。
男はあっけにとられた様子でアミィをまじまじと見上げていたが、彼女がもう一度立つように促して強く引っ張ると、とたんに顔を強張らせて摑まれた手を振り払った。
そうしてそのまま、アミィを――あるいは何もかもを拒むように膝を抱えて俯いてしまう。
「ちょっ、ちょっと? えええ……」
雨模様の空そのものみたいな鬱々とした相手に、アミィは心底面倒くさい気持ちになる。それに、親切心を無下にされたようで、ちょっとばかりカチンともきた。
なら、勝手にすれば? ――そう吐き捨てて、男を放って店に戻ってもよかった。だが……。
「あああー! もおおーっ!!」
「……っ!?」
突然、雨音にも負けないくらいの声を上げて地団駄を踏んだアミィに、男がビクリと震える。
アミィは奉仕の精神に溢れた聖人君子ではない。自分の厚意を拒んだ相手に、何度も手を差し伸べてやれるほど出来た人間ではないのだ。
しかしながら、薄情でもなかったし、自分の仕事にそれなりに誇りを持っている。
だから、地面に付いた男の外套の裾が泥水を吸い上げていく様を目にしてしまうと、プロの洗濯屋としてはどうしても放ってはおけなかった。
アミィはもう一度彼の手を摑むと、振り解かれる前に素早く口を開いた。
「さっさと立って。私まで濡れちゃうでしょ。そのせいで風邪でも引いて寝込むことにでもなったらどうしてくれるの?」
「……っ!」
はっとしたように膝から顔を上げた男を睨め付け、アミィは高圧的に畳み掛ける。
「私が働かなければうちの店は立ち行かないのよ? 売上げが落ちて生活に困窮したら、あなたどうやって責任とってくれるの!?」
「……っ!!」
理不尽にも思える脅し文句に、男は今度は手を振り解くのも忘れ、まじまじと彼女を見上げる。
すると、アミィはここにきて一転。にっこりと愛想の良い笑みを浮かべて続けた。
「――なんて、言われても困るでしょ? ここは大人しく、うちで雨宿りしていくのが得策だと思わない? 私だったら絶対そうする。温かいもの飲んでいきなよ、ね?」
◇◇◇◇◇
「こんなのってないわ……」
とある一室で、アミィは独りため息を吐いていた。
ここまで彼女を案内してきたのは、心底申し訳なさそうな顔をしたトロイア家の老執事だった。
いつもマークの洗濯代の支払いにリンドマン洗濯店を訪れていた、あの白髪の紳士である。
女の子なら一度は憧れる天蓋付きの大きなベッドやエレガントな花柄のソファなど、豪華な調度に囲まれていても少しも気分が晴れない。
それもこれも、予想外の事ばかりが起こるからだ。
アミィは老執事が出ていった扉――外から鍵がかかった扉を睨みつけて、ここに至るまでの経緯を思い出した。
「――マ、マーク!? これはいったいどういうことだっ!?」
いきなり女と赤子を連れて帰ってきたマークに、老執事とともに一階の書斎にいたトロイア卿はたいそう驚いた顔をした。
マークは馬車の中で思いついたらしい茶番を演じようとしたが、アミィはそれを遮って、事の真相を早口で捲し立てる。もちろん、マークは慌てて彼女の口を力ずくで塞ごうとしたが、乱暴な真似はトロイア卿が許さなかった。
アミィの訴えを最後まで聞いたトロイア卿は、息子の所業に大いにショックを受けたらしく、今にも倒れそうなほど真っ青な顔になった。ふらふらとその場に崩れ落ちそうになった彼を、老執事が慌てて支える。
トロイア卿は、髪の薄くなった頭頂を晒して深々と項垂れた。
「なんということを……息子が馬鹿な真似をしてすまない。なんとお詫びを申し上げればよいか……」
「いえ、トロイア卿に謝っていただかなくても結構です。ただ、この子の親がきっととても心配しているでしょうから、一刻も早く家に帰らせてください」
マークの人格破綻の責任は親であるトロイア卿にもあるだろうが、アミィには別段彼を糾弾するつもりはない。
今後トロイア家がどうなろうと、はっきり言って知ったことではないからだ。
アミィはともかく、自分とクリフをすぐに家に帰すのは当然のことながら、今後マークが一切自分達と関わらないように、トロイア卿が責任を持って彼を管理することを要求した。
そして、この要求を呑むならば今回の件は不問にするとアミィが告げれば、トロイア卿と老執事はあからさまにほっとした顔になってすぐに頷こうとした。ところがである。
「――嫌だ! いやだいやだ、嫌だっ!!」
突如マークが叫んだと思ったら、彼は癇癪を起こす子供みたいに大きな声で喚き出したのだ。
「僕は……僕はアミィが好きなんだ! 彼女と一緒になれるなら、父さんの仕事を手伝ったっていい! 真面目に働けって言うなら働くさ! だから、どうか僕からアミィを取り上げないでくれっ!」
「マ、マーク……」
アミィもトロイア卿も老執事も、ただただ啞然とする。
マークはそんな三人の表情になど構うこともなく、ひたすら自分の主張を繰り返した。
「やめて、やめてくれ! 母さんだって僕から取り上げたじゃないか。父さんは、アミィまで僕から奪うのかっ!!」
マークの母は、彼の言う通りアレニウス王家の傍系で、名家の娘だった。
トロイア卿との結婚は親同士が決めたものだったが、都会的で気位の高い彼女の肌には辺境の地シャルベリの空気は合わなかったのだろう。
彼女ときちんとした関係を築けず、それゆえマークが母を知らずに育つ結果となってしまったことに、トロイア卿はずっと負い目を感じていたらしい。
トロイア卿は喚く息子を痛ましそうに見ていたが、やがてアミィに向き直って困ったように微笑んだ。
「やり方は悪かったかもしれないが、こんなに君を慕っているんだ。一度だけでも、息子に挽回の機会を与えてやってはもらえまいか」
「嫌です」
「どうか、そう頑なにならず……そうだ、きっと急なことで混乱しているんだね。お茶でも飲んで、ゆっくりしてはどうだい?」
「結構です! 早く家に帰してくださいって言ってるじゃないですか!」
アミィはこの時、心底嫌な予感を覚えた。
硬くなったアミィの声に反応したように、クリフがまたぎゃーと泣き出す。
するとそれを聞きつけて、あらあら! まあまあ! 大変大変! と集まってきたのはベテラン揃いの女中達。
子育ての経験も豊富そうな彼女達は、やれミルクだおしめだと騒いで、アミィの手から強引にクリフを奪っていってしまった。
慌てて追い縋ろうとするアミィの肩を、すかさずトロイア卿の手ががっちりと摑み……。
「じい、このお嬢さんを一番良い客室に案内しなさい」
こうして、またも心底申し訳なさそうな顔をしたトロイア家の老執事に案内され、アミィは客室で独りため息を吐いていたわけである。
「親馬鹿にもほどがあるでしょ……」
トロイア卿のマークに対する態度はまさしく、馬鹿な子ほど可愛い、というやつだ。
母親のいる次男が堅実に人生を歩んでいるのに対し、堕落するばかりのマークが愚かと思いつつも不憫で仕方がないのだろう。
アミィに言わせれば、放蕩三昧の兄ばかり気にかける父親を持った次男の方がよっぽど気の毒だ。
ともかく、トロイア家の歪んだ親子愛に巻き込まれてしまった彼女が今すべきことは、いかにしてこの状況を打破するか、これに尽きる。
重度の親馬鹿以外では、トロイア卿は世間の評判通りに人格者に見えたので、クリフの安否を心配する必要はなさそうだが、一刻も早く親元に帰さなくてはならない。
廊下に面した扉はしっかりと施錠されていて、アミィが押しても引いても開かなかった。ドンドンと叩いてみたが、誰かが開けてくれる気配もない。
次にアミィは大きな掃き出し窓を開けてバルコニーに出た。
なるほど、当主たるトロイア卿が〝一番良い客室〟と称した通り、屋敷の正面に面したこの部屋のバルコニーからは、見事な庭園を見下ろすことができた。
しかし、頭上を覆うのは一面の真っ黒い雲だ。その狭間では、ゴロゴロとやはり雷が唸っている。
今にもざっと雨が降ってきそうなその雰囲気に、アミィは屋上に干してきた洗濯物に思いを馳せてそわそわした。
この客室は三階で、バルコニーから地面までは随分と高さがある。あちこち身を乗り出して探ってみたが、伝って下りられそうな足場も見当たらなかった。
どうしたものか、とアミィが途方に暮れかけた時である。
眼下に広がる庭園のずっと向こう、さっき馬車が潜った門の前で何やら騒ぎが起きているのに気が付いた。
よくよく目を凝らして見てみれば、鋳鉄製の門を摑んで、中にいる門番相手に必死に何かを訴えているのはロイである。
その隣では、コック服のまま駆け付けたらしいラルフが同じく門番に食ってかかっていた。
「ロイ……ラルフ……!」
二人の姿を目にしたアミィは、少しだけ気持ちが解れた。
しかしながら、トロイア家の門番は頑なに門を閉ざしているようだ。
さもありなん。門番にとってロイ達は、いきなりやってきて騒ぎ出した見知らぬ若者二人組。
主人の許可もなく彼らを門の中に招き入れることなどできようはずもない。
それに、アミィを屋敷に留めようと考えた親馬鹿なトロイア卿が、誰かが迎えに来ても拒否するようにと門番に命じている可能性だってある。
やがて、執拗に開門を迫るロイとクリフが鬱陶しくなったらしい門番が、槍みたいな武器の先を格子門の向こうへ突き出そうとした。
「あ、危ないっ……!!」
思わずアミィが叫んだのと、それを避けようとしたロイとラルフが後退ったのと――それから、空がカッと強烈な光を発したのは同時だった。
刹那、青白い稲妻が地上へと駆け下りる。
その姿はまさしく、荒ぶる竜神が降臨したようだった。
ドーン!! と凄まじい音が耳をつんざき、ビリビリと大気が震えた。
アミィはきゃっと悲鳴を上げ、バルコニーの欄干を握り締めてその場にしゃがみ込む。
落雷の衝撃でトロイア家の屋敷も大きく揺れ、庭園の木々からは驚いた鳥達が一斉に飛び立った。
腰が抜けたようにその場に座り込んだまま、アミィは恐る恐る欄干の隙間から雷が落ちた場所――トロイア家の門の辺りを見る。
先ほどまで堅く閉ざされていた門扉は、無惨に大破し見る影もない。その手前の地面には、門番が大の字になって倒れていた。
落雷の原因は、トロイア家の門扉が鋳鉄製であったためか、それとも門番がロイやラルフ相手に突き出した武器の先が鉄の刃であったためか――あるいは、ロイが怒り狂っていたためか。
それを判ずる術はアミィにはない。ただ阻むもののなくなったトロイア家の敷地内へと真っ先に飛び込んでくるロイの姿を頼もしいと感じた。
◇◇◇◇◇
「やめて、やめてやめて……」
連中は本当に結託して、ロイの泳ぎを邪魔することにしたのだろう。
ロイを水に引っ張り込んだ男に見覚えはないが、彼と同じくらいかそれ以上に泳ぎに長けた人物なのは間違いない。
にもかかわらず、ロイと競うのではなく妨害することを選んだのは、アミィ狙いの連中の仲間だからか、あるいは金で雇われたのか。
どちらにせよ、他人の泳ぎを妨害するなんて前代未聞の反則だ。
即座に祭りは中止となり、下手人はもとより依頼者も辺境伯軍に連行されるだろう。
そうしてアミィには、竜神祭の歴史に泥を塗る原因となった少女という、不名誉なレッテルが一生付き纏うことになる。
しかし、アミィはこの時、己の立場などどうでもよかった。
それよりも、水に引っ張り込まれたまま上がってこないロイにぞっとする。
湖岸の主催者から祭りの中断が告げられるが、必死に泳いでいる男達には聞こえていないらしい。
ロイの足を引っ張った男の仲間以外は、彼が沈んでいることだって知らないのだ。
もう間もなく、最初の人物が小島に到着しようとしていたが、アミィはそれに構っている余裕などなかった。
生け贄の乙女役として着せられた真っ白いローブを脱ぎ捨て、ロイの救出に向かおうとする。しかし、焦りのあまり、留め具を外そうとする手が震えて上手くいかない。
「ロイッ! ロイロイッ、いやだ、いやだいやだっ……!!」
いつの間にか、ロイが沈んだ場所の湖面に空気の泡も上がってこなくなっていた。
恐ろしい予感に、アミィはついにローブを着たまま貯水湖に飛び込もうとする。
こんな長ったらしい衣装を身に着けて泳げるはずがないなんて冷静な判断は、この時の彼女には不可能だった。
「ロイッ……!!」
その時である。
ゴーッと凄まじい音とともに、突如アミィの目の前に巨大な滝が出現した。
いや、滝ではない。雨だ。
激しい雨が、まるで滝のようになって空から湖面へと降り注いでいたのである。
「なに……これ……」
アミィは茫然として後退る。そして、周囲を見渡してまさしく仰天した。
篠突くような雨は、神殿のある小島だけを避けている。それを降らしている黒い雲にぽっかりと穴が空き、場違いなまでの青い空がアミィの頭上にだけ見えていた。
あまりに予期せぬ状況に、アミィは湖に飛び込もうとしていた理由を危うく忘れそうになった、まさにその瞬間――水のカーテンのようになった豪雨の向こうから、にゅっと一本の手が出てきた。
「きゃっ……!?」
驚いたアミィは悲鳴を上げて尻餅をつく。
そこへ、ザッと雨を搔き分けて、腕の主が全身を現した。
アミィはその場にへたり込んだまま、相手の顔を見上げて叫んだ。
「ロ、ロイッ……!?」
全身ずぶ濡れになりながら――いや、そもそもここに来るには湖を泳いで来なければいけないので、雨が降ろうと降るまいとずぶ濡れになるのだが――一番乗りで小島に上陸してきたのはロイだった。
アミィは慌てて立ち上がり、水が滴る前髪を搔き上げていた彼に飛び付く。
ロイは驚いた様子だったが、アミィを難なく抱きとめて笑った。
「はは……アミィ、濡れるぞ。このローブ、濡らすと叱られないか?」
「濡れるくらい、何よ。文句を言われたら、うちで洗濯してやるわ。っていうか、ロイ! 何笑ってるの!?」
「いや、何だかひどい目にあったけど、ちゃんと一番にアミィを迎えに来れたみたいでよかったな、と思って」
「ひどい目って……」
ロイはやはり、後続の見知らぬ男から妨害を受けたらしい。
片足を摑まれて水の中に引っ張り込まれたが、もう片方の足で相手を蹴って逃れた。
ただならぬ悪意を感じたロイは、とっさの判断で潜水したまま場所を移動し、最初とは違う方向からアミィのいる小島を目指していたのだという。
「お、溺れちゃったのかと思ったんだよ? 全然浮いてこないから、助けに行こうかとっ……」
「そんな格好のまま水に入ったら、それこそ溺れるぞ。アミィが無茶する前に辿り着けてよかった。しかし――」
そこで言葉を切ったロイが、辺りを見回す。
雨はいまだ滝のようだ。隙間なく降り落ち、一寸先の景色も見えない。
貯水湖を泳いでいたロイ以外の男達の行く末は?
湖岸を囲んでいた観客達――ハンナやメイデン一家、それにロイの大応援団もこの土砂降りの雨を浴びているのだろうか?
そして、明らかにロイの身を案じて湖岸から身を乗り出そうとしていたシャルベリ辺境伯は、今頃どうしているのだろうか?
いつやむとも知れない雨に不安になったアミィは、自然とロイの方に身を寄せた。
さっきはローブが濡れることを気にしていたロイの腕も彼女の背に回る。
二人が異変を感じたのは、その直後だった。
すぐ先の景色も見えないほどにどうどうと降り続く雨の中、ゆらりと何かが動く気配がした。
その何かは、上空にぽっかりと青空が覗く小島を取り囲んで、ぐるぐると周りを回っているみたいだ。
さらには、何かにじっと見つめられているような感覚を覚え、アミィとロイは全身に鳥肌が立った。
「な、何? 何か、いる……?」
「……いるな。何だろう」
異様な雰囲気に身を竦ませるアミィを抱き寄せ、ロイは雨の向こうを睨みつけている。
彼の濡れて冷たい素肌の奥から聞こえる鼓動も、アミィ自身のそれも、ドッドッドッと忙しない。
やがて二人は、巨大な丸太のようなものが自分達を取り囲んでいることに気付いた。
時折、キラッキラッと光る様子は、渓流を遡るニジマスの鱗を彷彿とさせる。
アミィはふと、亡き祖父から聞いた話を思い出した。
商工会の会合の帰りに『それ』を目撃したらしい彼が言うには、胴体は蛇のように長くてびっしりと虹色の鱗に覆われていたとのこと。
今まさに目の前にあるものと特徴が合致する。
「「――まさか」」
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