書籍詳細
オオカミ騎士は悪役令嬢を手なずけたい
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2019/04/26 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
◇一章 花嫁脱走
空気いっぱいに花の甘い香りが混じり、柔らかな風が頬を撫でる、そんな穏やかな日和。
レアドラ国は今もっとも花が咲き乱れ、森林の緑も生き生きと葉を伸ばす季節だ。
レアドラに住む民は、この時期にここぞとばかりに一日かけて結婚式を行うことが多い。晴れが多くて気温も暖かく、自然までもが祝福してくれているように感じられるからだ。
そしてここウィルウォルフ領でも、結婚式が執(と)り行われる。
新郎は領主であるウィルウォルフ家の次男エイデン。
新婦は隣の領地を治めるフィロウ家の娘レイナ。
新婦レイナは新郎より二つ年上だが、エイデンが十八になり成人を迎えるのを待って、このたびようやく婚姻を結ぶこととなった。
だが——肝心の教会では、厳かな雰囲気など塵(ちり)のごとく吹き飛んだ騒ぎである。
「花嫁がいない! 逃げたぞ!!」
「急いで探せ! 捕まえて連れ戻すんだ!」
レイナの父が顔を真っ赤にして怒鳴り、家臣達に命じている。
横ではレイナの母が、真っ青な顔で今にも倒れそうな風情である。
「……なまじ魔力があって、黒魔術が使えるから」
と、ウィルウォルフ家特有の金色の目で遠くを見つめているのは、新郎の父であるウィルウォルフ伯ゲオルグである。
「恐らく姿を消す魔術でしょうね。しかし、そこまで出来るとは……」
感心したように呟くのは、新郎の兄であるルドルフだ。
ウィルウォルフ家の者達は式で一悶着が起きるだろうと予測していたが、まさか式直前に逃げるとは思わず、今のこの事態にむしろ感心していた。
新婦のレイナは、エイデンとの結婚を拒絶し続けていた。
エイデンの方が年下だからではない。彼女が、幼い頃に一目ぼれした彼の兄、ルドルフを今でも想い続けているという理由からだ。
思い込んだら一筋、ということは悪いことではない。
だが、レイナの行動は全て悪い方向に走っていく。
初めての出会い以来、彼女はルドルフにストーカー紛(まが)いのアプローチを繰り返し、様々な伝手(つて)を辿っては何度も見合いを申し込み、王宮仕えの彼を追ってメイドになった挙句、仕事そっちのけで追い回したということで解雇されている。
ついには、レアドラ国王女クレアと結婚したルドルフが怪我をして倒れているところを連れ去り、黒魔術で洗脳して自分のものにしようと目論(もくろ)んだ。
降嫁(こうか)したとはいえ王女の配偶者に対し、狡猾(こうかつ)で卑劣な罪を犯したとして、レアドラ国王はフィロウ家から爵位、領地とも取り上げお家断絶することも考えたが、そこを救ったのは被害者であるウィルウォルフ家の次男、当時十五歳のエイデンであった。
『一生、僕が彼女を監視しましょう』
——要するに、結婚して妻にする。
ということだ。
エイデンはルドルフ同様、レイナとは小さな頃からの顔見知りだ。一緒に遊んだこともたびたびあるので、幼馴染みといってもいいかもしれない。
家同士の釣り合いもとれており、良縁と言っていいだろう。
ただし、本来一人娘で、婿を取って家名を継ぐはずだったレイナがウィルウォルフ家に嫁入りすることにより、将来的にはフィロウ家はウィルウォルフ家に吸収されることになる。
フィロウ家にしてみれば結局は家名が途絶えることになるが、これを受けなくては王の処罰を受け、今すぐ爵位も領地も失い、路頭に迷うのだ。
いずれウィルウォルフ家のものになるとはいえ、領地はこのままフィロウ家が管理していいというのだからありがたい話だ。
これ以上ない恩情にフィロウ家は感涙したが——当の本人レイナ一人だけが納得していなかったのだ。
『い、いやよ! エイデンだけはいや!』
と、ごねること何と三年。
その間、家を飛び出してはフィロウ家の人々とエイデンに捕まって連れ戻される、ということを繰り返していた。
そんな調子だったから、この式もただでは終わらないということは、両家の面々だけでなく関係者全員が予想していた。
フィロウ家では数日前から花嫁を軟禁の上、屈強な騎士に監視させるという対策までとっていたと聞いている。
その包囲網をかいくぐって脱走したと聞かされたウィルウォルフ家の面々は、その脱出術を聞きたいとさえ思っていた。
「エイデン、どうする? レイナ嬢が連れ戻されるまで、このまましばらく待つか? それとも延期するか?」
ゲオルグがエイデンに尋ねるも、祭壇近くに立っているはずの彼はいなかった。傍(そば)には脱ぎ捨てられた花婿の衣装が無造作に重ねられている。
「貴方(あなた)、エイデンはとっくにレイナ様捜索に行っていてよ?」
と妻のテレザ。
「あ、そうか。じゃあ、戻るまで食事でもしていようか」
「じきに連れ戻してきますしね」
ルドルフも、取り澄ました顔を崩さずに口を開いた。
ゲオルグは、青くなったり赤くなったりと忙しいレイナの父に声をかける。
「連れ戻されるまで待つしかありませんよ。ここはもう宴会でもしていましょう。用意した食事がもったいない」
そう言って、にこやかな表情を見せた。
「ここまで逃げれば……!」
レイナは自分の姿を消していた魔術を解くと、最高級の生地で仕立てられた白のウェディングドレスの裾を、躊躇(ためら)いもなく破り捨てる。引きずるほど長い裾は走って逃げている間に泥だらけだ。しかし、無理矢理決行されそうになった結婚式のドレスに未練はない。
それから軽やかに風に靡(なび)いていたベールを外す。背中の真ん中ほどまである赤みがかった金髪はキッチリと結わえたままにしておく。髪を振り乱しながら逃亡したくはない。
彼女が今いるフィロウ領とウィルウォルフ領の狭間にある森林では、鞍(くら)をつけた一頭の馬が樹木にくくりつけられていた。
馬にはしばらく生活できるだけの資金と衣服、それに食料をくくりつけてある。
軟禁される数日前に、黒魔術を使える元執事の若者に頼んでおいたのだ。
彼は三年前、レイナの命によりルドルフに怪しげな薬をかがせて意識を混濁させ、連れ去ったという罪で捕らえられるはずだった。が、「全てレイナの指示で逆らえなかった」ということで恩情を与えられ、解雇だけで済んだのだった。
それからフィロウ領の町中でひっそりと魔術を頼りに生計を立てていたところ、またレイナに押しかけられ、「ここに馬と食料と着替えにお金を置いとけばいいから!」と、強引に言いくるめられて渋々言う通りにしたらしい。
数え切れないほどの脱走劇の中、逃走の要領を身につけたレイナの手際は、玄人(くろうと)の域に達していた。
(早く他の領地に入らなくては……!)
馬の手綱(たづな)に手を伸ばした瞬間だった。
先に手綱を取った者がいて、レイナはギョッと目を見開いたまま後ろへ下がる。
してやったりといった不敵な笑みを浮かべ、自分を見つめる青年——本日自分の夫となるはずだったエイデンだった。
「エ、エイデン……」
「いけない人ですね、レイナは。これから挙式だというのに、逃げ出した上にせっかくのドレスを破って。これ結構な値打ちの品だったと思いますよ?」
そう言いながらレイナの手に自らの手を重ねる。
金色の目を細め微笑む彼は、婚約したばかりのまだ無邪気な少年だった頃に比べ、大人びた柔らかな表情を出すようになった。
ルドルフと兄弟なだけあってよく似ているが、一つ一つの造作は違う。
通った鼻筋も口元も目元も、野性味がありながら色気を感じさせるルドルフとは対照的で、弟の彼は爽やかで品のいい印象を醸し出している。
また艶(つや)やかな黒髪を持つ兄と違い、エイデンは銀髪で、肌がやや小麦色。どうやら父親の血が濃いらしい。
それでもオオカミの姿を象(かたど)る聖獣ディアラオスの血脈の証である金の目は、彼にも受け継がれていて、さらには兄同様、すらりとした体躯(たいく)をオオカミの姿に変えることができる。
「オオカミの姿になって鼻で追ってきたのね。……今日なら油断すると思っていたのに」
悔しさにレイナは唇を噛みしめる。
「毎回思うのですけど、レイナは聖獣の血を引く者達の鼻を見くびりすぎです。学習しないと」
暗に『おつむが足りない』と言われ、レイナは屈辱に顔を歪ませる。
そんな感情を表に出せば出すほど、彼の思う壺なのに。
レイナが動けばエイデンはその上を行く行動をとる。
こうして彼に捕まって、結局手玉に取られていることに気付き、悔しさと怒りに赤くなった顔を歪めて地団駄(じたんだ)を踏むのが通例になっていた。
そんなレイナを見てエイデンは、
「その屈辱を噛みしめるレイナの表情はなんて可愛(かわい)い……! 大人の女性になってもそこは変わってなくて、僕は嬉しいです!」
と、破顔する。
嬉しさにほんのりと頬を染めて極上の笑顔を見せてくる彼に対し、レイナの心はときめくどころかムカムカしていく。本人はその気はなくても、馬鹿にされているとしか思えない台詞(せりふ)にまず腹が立つ。
何より、エイデンが自分に惚れている理由がおかしい。
(私の屈辱に歪む顔が可愛い! とか、思い通りにいかなくて唇を噛みしめて涙を堪(こら)える姿が美しい! とかで惚れるなんておかしいわよ!)
もう何度目かの胸の内の叫び。
思えば三年前のこと。なし崩しに婚約者になったので、お披露目も何もないということで、
『婚約披露パーティでもしますか?』
とエイデンに尋ねられた際、
『冗談じゃないわ。世間に広めて名実ともに婚約者扱いされたら、一生エイデンを恨むわよ』
そう厳しい口調で睨み、告げた——その時。
『……そんな顔してくれるなら、恨まれても婚約披露しようかな……』
と恥じらうよう頬を染め、金色の瞳を宝石のようにキラキラと輝かされた。
(すっっごく拒絶の顔をしたはずなのに、どうしてそんな嬉しそうなの!?)
恋するルドルフの弟とはいえ、エイデンは単なる幼馴染み。自分にとっても弟としか思えない。そんな彼と婚約者として付き合うのがどうしても我慢できなくて、何度も逃げては捕まり、そのたびにぶすったれた顔や、怒った顔をしてみせてもウットリとされるだけ。
『思い通りにいかなくてレイナがその傲慢(ごうまん)な顔を歪ませる一瞬が輝いていて……ゾクゾクするんです!』
——エイデンぐらいだ、歪んだ顔が輝いて見えるなんて。
それを口に出しても、彼は傷付くどころか「その通り」と開き直り、ますますおかしな愛の言葉をささやいてくるのだから、手に負えない。
『確かに僕のレイナへのこの「悔しくて地団駄を踏みながら泣き叫ぶ顔がたまらない」とか、「嫌悪の感情を隠すことなくぶつけてくるところがゾクゾクする」とかいう感情はどこかおかしいと思いますが、そんな負の籠(こ)もったどうしようもない表情が見たくてしょうがないんです、僕は』
あまりの愛の告白に寒気がして、冷ややかな目で彼を見つめたら見つめたで、
『そんな目で見るより蔑(さげす)んだ目で見てほしいです……』
と恥ずかしがる始末。
——見目麗しいオオカミの少年は、変態だった。
こんなことを三年も繰り返していたら、いい加減『こんな跳ねっ返りな上に我儘(わがまま)な娘、こちらからお断りだ』と婚約破棄になってもおかしくないのに、エイデンはますますレイナに固執する。
だから——エイデンが怖い。
拒絶しても嫌っても、悪態をついても何をしても「可愛い」と言ってくる。
逃げても逃げても追いかけてきて必ずレイナを捕まえる。
自分を上回る粘着質。
今だって、彼は簡単にふりほどけるほどに軽く手を握っているだけなのに、レイナは恐怖心で払いのけることができない。
こうして笑みを浮かべて自分を見つめてくる瞳には、愛情ではない、何か違う感情が含まれているように思える。
「い、いや……!」
彼に捕らわれたくないレイナは、勇気を振り絞りエイデンの手を払う。
「『いや』じゃありませんよ。教会でどれだけの人を待たせていると思っているんです? それにその後のお披露目の席だって、王太子殿下ご夫妻もお呼びしているんですよ?」
そう真摯(しんし)に言ってくるが、レイナにとって彼のそんな態度ほど信用ならないものはない。
それに——。
「いつまで裸でいるのよ!! 早く服着て!」
そう、彼は肌着一枚も着てない、生まれたままの姿だった。
そんなエイデンに怒鳴り、レイナは顔をそむける。
「えー、だって。オオカミの姿で追うのに服は邪魔になるじゃないですか」
「ならオオカミのままでいればいいでしょう!」
「せっかくレイナを捕まえて二人きりになれたのに、それはつまらないでしょ? でも、とりあえず服を着ようかな。ちょっと、そこの君! 服を脱いで貸してくれませんか? 背丈が同じようですし」
(え? 誰と話しているの?)
レイナがエイデンの裸を直視しないよう恐る恐る振り向くと、木陰から手足を縛られた元執事が彼に服をはぎ取られているところだった。
「エイデン! 何てことをするの、やめて!」
「早く服を着てほしいんでしょう? 男物の服が見あたらない以上、彼から服を借りるしかないじゃないですか?」
「貴方がやっていることは追い剥ぎよ! オオカミのままでいればいいのよ!」
「オオカミの姿でいるのなら、レイナの首根っこを咥(くわ)えて連れ戻さなくては……」
それでも良いのなら? と問われ、レイナは黙るしかなかった。
結局、身包み剥がされた元執事は「もうレイナ様に関わるのはまっぴらだ!」と前を隠し、泣きながら逃げ帰っていった。
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