書籍詳細
恋い慕う白薔薇〜ひきこもり姫は不器用な騎士に愛される〜
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2019/06/28 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
プロローグ ひきこもりの王妹
オールテア王国の都は、勝利で沸き立っていた。
王宮からまっすぐに伸びる目抜き通りでは、東方の蛮族(ばんぞく)を追い払った勇敢な騎士たちを一目見ようと、都(みやこ)中から人々が押し寄せている。
民衆はオールテアの国旗をはためかせ、帰還した者たちへ歓声を送る。通り沿いの建物の上層階からは絶え間なく紙吹雪が投げられて、騎士たちに降り注ぐ。楽団による演奏も町中から聞こえてくる。皆がそれぞれの方法で英雄たちを讃(たた)えているのだ。
若き国王の異母妹であるレイラは、通りを見渡せる王宮の一室から凱旋(がいせん)パレードの様子を眺めていた。
あの一団が王宮に到着すれば、戦勝記念の式典がはじまる。彼女はそれに出席するため、久々の正装に身を包んで、堂々たる騎士たちの凱旋をそこから静かに見守っていたのだ。
灰色の髪とブルーグレーの瞳はめずらしい色合いだが、少々地味な印象を受ける。顔立ちもごく平凡で、十八歳という年齢にしては多少幼く見えるほかは、なんの特徴もない人物だ。
だからこそ、滅多に外出をしないせいですっかり白くなってしまった肌だけが際立っている。
レイラは〝ひきこもり姫〟または〝庶民姫〟と呼ばれていた。
二年前から、必要最低限の公務を除き、王宮内の私室から出ないため〝ひきこもり姫〟。そして、母親が平民で、レイラ自身も十四歳まで市(し)井(せい)で暮らしていたので〝庶民姫〟だ。
そんな彼女は、祝賀行事にふさわしくない憂いを帯びた表情を浮かべていた。久々に公の場へ出ることになり、緊張しているのだろう。
パレードの一行(いっこう)が、王宮に近づくにつれ、歓声の音も大きくなっていく。
やがて扉がノックされ、王妹付きの侍女が移動をうながした。まもなく、式典がはじまるのだ。
レイラは窓際から離れると、丸くなりがちな背をスッと伸ばしてから、壁際の大きな鏡にその身を映した。
それから自分自身を鼓舞するように両手の平で頬を打つ。一瞬顔をしかめ、笑顔を作った。
今日は無理をしてでも、王妹としての正しい立ち振る舞いをするべき日だ。
帰還した騎士の中には、レイラにとって、とても大切な人がいる。
その人に会うために、レイラは一歩足を踏み出した。
第一章 突然の婚約
二百人の騎士、そして名だたる貴族が集まる王宮の大広間。少し前まで談笑をするざわざわという声がしていたが、いよいよ国王が到着するという時間になり、今は無音だ。
正確には無音ではない。時々、許された者が腰につけている剣が、カチャカチャとなる音だけが響く。
レイラは異母兄である国王ライナスや王妃エルフリーデとともに、王族の席まで進む。
大広間から五段ほど上がった部分に造られた玉座。中央には金色に輝く王のための椅子があり、正面から見て左隣に王妃、反対側にレイラが腰を下ろす。
ライナスとエルフリーデのあいだには子供がいないので、王家を構成するのはこの三人だ。
ライナスの母親である前王妃は存命だが、現在は都を離れ、修道院で隠居生活をしている。
国王が騎士たちに賞賛と慰労の言葉を述べたあと、褒(ほう)賞(しょう)の授与がはじまる。
ここに集まっている騎士は、今回の東方での戦で手柄を立てた者たちの中でも、比較的身分の高い者――――正騎士と呼ばれる者ばかりだ。
下は一代限りの身分を与えられた騎士階級。騎士として最も身分の高い人物は、クロムウェル伯爵アルノルドで、今回の総大将として全軍の指揮を任されていた。
最前列に立つアルノルドは精悍(せいかん)な顔立ちの黒髪の青年で、歳は二十八歳。漆黒の隊服に瞳の色と似ている青いマントを羽織っていた。
十歳年上のこの人物を、かつてのレイラは兄のように慕っていた。
本当の兄が冷徹で、レイラにとっては近寄りがたい人物なので〝兄のように〟というのはおかしいかもしれない。それにいつからか、自身の抱いている気持ちが敬愛でも家族に向ける愛情でもなく、ただの恋心になっていたという自覚がしっかりあった。
そしてアルノルド自身は、本当の兄よりもずっと兄らしく、彼女に接してくれていた優しい青年だった。
最後に言葉を交わしたのは二年前。そのときとあまり変わらない様子のアルノルドを見て、彼女は安堵する。
彼の青い瞳が国王ではなく、自分に向けられているような気がして、レイラはなんとなく視線を泳がせた。
下位の者から順番に、名前と褒賞の内容が読み上げられる。最初はただそれだけだ。特に功績の大きかった者のみ、国王から直接勲章(くんしょう)が授与された。
最後に、アルノルドの名前が呼ばれる。低く落ち着いた声で返事をした彼が、レイラのすぐ近く、国王の前まで歩み出て、騎士の礼をとる。
すると突然、勲章を持った国王がレイラのほうに、それを差し出した。
「レイラ、そなたの手でクロムウェル伯爵につけてやりなさい。そのほうが伯爵も喜ぶ」
「……はい」
国王の突然の命令を心の中で不服に思いながら、彼女はおとなしく従った。すでに何人かの功労者に対し、ライナスが自ら勲章を授与している。それなのに最大の功労者に対し格下のレイラがそれを行うのは失礼ではないか。
そう思っても、公の場で、王命に逆らうことなどありえない。レイラは気持ちを顔に出さないように注意しながら、アルノルドの前まで進む。
「オールテアを守るために、勇敢に戦った者を讃え、感謝を表します」
兄王の意図がわからないまま、レイラは背の高いアルノルドの胸に新たな勲章をつける。
「クロムウェル伯爵には、褒賞としてフォルトン地方を与え、さらに我が妹レイラの降(こう)嫁(か)を許す」
「はっ、ありがたき幸せ!」
突然の兄の宣言に、レイラは言葉を失う。
王の宣言で、集まった騎士や国の重鎮たちが沸き立ち、拍手と祝福の言葉が投げかけられる。
「尊い姫君の伴侶となれる栄誉に与(あずか)れましたこと、これ以上の褒美はございませぬ。……王妹殿下、貴女のお手に触れることをお許しいただけますか?」
レイラはついていけない事態にただ呆然としていた。気がついたときには、アルノルドがレイラの前にひざまずき、優しく手を取っていた。
取り返しのつかない事態になっているのだと、彼女もわかっていたが、どうにもできない。ここでレイラがアルノルドの手を振り払いでもしたら、彼に恥をかかせてしまう。
「ゆ、許し、ます」
震える声で、なんとかその言葉を絞り出すと、彼はひざまずいたまま嬉しそうにほほえみ、爪の先にくちづけをした。
(どうして、アルが……?)
クロムウェル伯爵アルノルド。彼はかつてレイラ付きの近衛騎士だった人物で、ひきこもりの原因となった出来事に深く関わっている。
レイラにとって再会を待ち望んでいた人物であるのと同時に、過去の後悔を否応なしに思い起こさせる存在だった。
――――けれどたった今、彼はレイラの婚約者になったという。
動揺して口の端を引きつらせながら、なんとか見た目だけ平静を保っているレイラとは違い、アルノルドは堂々とした姿で、鳴り止まぬ祝福に応え続けた。
◇ ◇ ◇
式典が終わり退座したレイラは、ふらつきながら回廊を歩いていた。
(なんで……? どうして? 兄上の嫌がらせではないの?)
兄は厳しいが、異母妹に嫌がらせをする人物でもない。そんなことは十分にわかっているレイラだが、それ以外にアルノルドと婚約する理由が思いつかなかった。
先ほどまで触れられていた指先がまだ熱を帯びている。その感覚が気になって思考が鈍くなっているのだろう。いくら考えても疑問ばかりが生まれていく。
「殿下、しっかりしてください」
レイラ付きの近衛騎士メルヴィン・パーセルが、おぼつかない足取りの主人(あるじ)を指先で小突いた。
「パーセル殿、無礼ですよ! 私はあなたの主人なのに。……一応」
彼はレイラが王宮で暮らすようになった四年前から、ずっと仕えてくれる気心の知れた騎士だ。
明るい亜麻色の髪に、いつも人好きのする笑みを浮かべている青年で、人脈は広い。けれどなんとなく軽薄な印象で、残念な男でもある。
近衛騎士は上流階級の出身者から選ばれる。若い騎士の名誉職的な意味合いもあるが、護衛としても優秀な能力を持っている。パーセルもその一人であるはずだが、騎士の威厳やプライドのようなものがあまりない。彼にとってそれは短所でもあり、長所でもあった。
母親の身分が低く他者から見下されがちなレイラにとっては、気安く、けれど蔑(さげす)むことをしない彼は、ありがたい存在だ。
「どうなさったんです? 大勢の前に出るのが久々すぎて、人酔いでもしましたか?」
「違います。まさか聞いていなかったのですか?」
予告なく自身の婚約が発表されたのだ。動揺する理由など決まっていた。四年も仕えているのだからすぐに察してほしいと、レイラは頬を膨らませる。
「なるほど、クロムウェル伯爵の件でしたか」
「当たり前です! 急に、あんなことを言われても……」
彼女がつい声を荒らげると、近くにいた貴族たちの視線が突き刺さる。久々に姿を見せた王妹は、彼らの話の種になってしまうだろう。
「パーセル殿、庭園を通って行きましょう? きっと、ここより静かでしょうから」
悪意、興味、哀れみ――それらが入り交じった視線に耐えられず、レイラは人混みを避けるように回廊から逸れて、庭園へ向かった。
「殿下はクロムウェル伯爵に懐いていたじゃないですか? だったら、どこに問題が? いいじゃないですか、結婚しちゃえば。……ははっ!」
以前のレイラとアルノルドの関係をよく知っているパーセルは、からかい混じりに笑った。
「全然、まったく、よくありません!」
レイラにとってアルノルドは特別な人だ。懐いていたというのは事実で、素直な彼女の気持ちなど周囲の大人たちは皆知っていた。
だからこそ、彼女は納得できないでいた。
「どうして今になって……? 兄上はなにをお考えなのでしょう」
兄王は過去に一度、レイラの降嫁先としてクロムウェル伯爵家の可能性を提示していた。けれどそのときは、レイラ自身が拒否をして、兄王もそれ以上降嫁の話を押し進めようとはしなかった。
「だから今回の功績でしょう? 王族の降嫁というのは貴族にとってこれ以上ないくらいの栄誉ですから」
一般的にはそうだろう。王族の降嫁は、王家の血を分け与えるという意味になる。国王がその家に感謝の意を表す方法としては、在位中何度も使えない特別なものだ。
「それはただの建前ですよ。私とクロムウェル伯爵では釣り合いが取れません」
「爵位をお持ちですし、いずれはすべての騎士を束ねる立場になるのだから、殿下が降嫁なさっても問題なさそうですが?」
パーセルは、王族であるレイラの相手としては、伯爵位でもまだ不足だという意味に受け取ったようだ。実際に、直近で王族の姫が降嫁したのは侯爵家だった。それ以外だと他国の王族に嫁ぐのが慣例となっているので、彼がそう勘違いしたのも頷ける。
「逆ですよ。……私のほうがふさわしくないんです。褒美だなんて……伯爵にとっては迷惑に決まっています」
レイラは先王の庶子で、母親は平民だ。王妹として扱われることそのものが、分不相応だった。特に美人でもなければ、教養も必要最低限といったところだ。この二年間は兄王の命がなければ、私室にひきこもっていたのだから尚悪い。
そんななんの役にも立っていない名ばかりの王族では、アルノルドとは不釣り合いだ。
アルノルドはすでに一つの師団を束ねる将である。そしてゆくゆくはすべての騎士のトップに立つ存在となるのが、ほぼ決定している。
現在その役割にあるのはアルノルドの父親だが、単なる世襲ではないのだと、今回の戦果で十分に証明されていた。
騎士の中の騎士、東の紛争を収めた英雄――そんな彼に対し、なんの取り柄も後ろ盾もない王妹が与えられる。もはや褒美ではなく、押しつけられたとしか思えなかった。
そして最大の問題は、釣り合いが取れないという件ではなかった。
二年半ほど前、レイラの十六歳の誕生日に起こった出来事により、彼女はアルノルドを望む権利を失っているはずだった。政治的な思惑による国王の勅命(ちょくめい)で、アルノルドもそれを受け入れたのだとしても、許されない気がした。
「やっぱりだめ……。なんとか破談にしなきゃ」
近くにいるパーセルにすら聞こえない声で、レイラは決意を口にした。
大広間から王族の私邸まではかなりの距離がある。建物のあいだには、人の視線を遮る高さの生け垣が迷路のように植えられた、広い空間が広がっていた。王宮の中にいくつか存在する庭園の中でも、一番広く、出仕している者たちに解放されている憩(いこ)いの場だ。
レイラの予想どおり、興奮冷めやらぬ様子の出席者が談笑をしている回廊よりも、この場所は人の気配がない。
極力誰にも会いたくない彼女にとっては好都合だった。ところが――――。
「聞きまして? 王妹殿下とクロムウェル伯爵のご婚約のお話……」
これから曲がろうとしている角の先から女性の声が聞こえ、レイラは思わず立ち止まった。
草木の隙間から、曲がった先にある東屋(あずまや)のあたりに数名の令嬢たちの姿が見え隠れしている。後ろ姿ではっきりと顔は見えないが、その声には聞き覚えがあった。
王家の血を引く、レイラのいとこである侯爵令嬢テリーサほか、何度か顔を合わせたことのある令嬢たちのものだ。
「ええ、驚きました。まさか〝ひきこもり姫〟がご婚約だなんて。もうお部屋から出てもよろしいのかしら?」
お腹の奥から嫌な感覚がせり上がってくる。立ち聞きなどほめられた行為ではない。聞いても嫌な思いをするだけだと、彼女は重々承知していた。
それでも一度止まってしまった足は、なかなか動かない。
「お身体(からだ)が悪いのでしょう? 肌が透き通るように真っ白……いいえ、とても不健康そうでしたわ」
二年以上前から、レイラは必要最低限の場にその姿を見せるだけになっていた。
たとえば、国王の在位を祝う行事や年始の催し物など。それすら国王夫妻の横で黙って座っていただけなので、彼女に関する噂(うわさ)話は、真実に近いものからでたらめまで両手の指で数え切れないほど存在している。
ライナスが異母妹について多くを語らないため、噂が一人歩きをしている状況だ。
レイラは健康体で、王宮で暮らすようになってから風邪すら引いたこともない。肌の色がやけに白いのは、単純に日の光を浴びる機会が少ないというだけだ。
活発に出歩いていた過去の王妹を知っている者ならば、病を患(わずら)っているのだと誤解するのだろう。
「私が聞いた話では、国王陛下が〝庶民姫〟の立ち振る舞いが完璧になるまで、極力社交界に出ないように命じたのだと……」
「あらあら、それでは一生社交界から遠ざかったままですわ」
クスクス、と笑い声が響く。彼女たちは、十四歳まで庶民として暮らしてきたレイラが、自分たちと同等になる日など永遠に来ないと、決めつけているのだ。
パーセルが小さな声で「ここから離れましょう」と言って歩みをうながすが、レイラは動けなかった。
「わたくしは、クロムウェル伯爵が第一師団に移られたことに腹を立てて、お部屋から出なくなったのだと思っておりました」
「まぁ! ではもしかしたら今回の件、王妹殿下が国王陛下におねだりでもしたのかしら?」
「昔から、独占したくて仕方がない様子でしたもの」
また甲高い笑い声が響く。
レイラは、この国の女性たちの中で、王妃エルフリーデと隠居している前王妃に次いで高い位を持っている。それが、口さがない者たちの悪意を含んだ噂話に、反論すらできないのだ。
やはり立ち聞きなどするべきではなかったと後悔したあとに、先ほどまで動かなかった身体が嘘のように自由になった。
これ以上彼女たちの噂話を聞いて、平気でいられる強さなど持っていなかった。もっと人(ひと)気(け)のない、庭園の端のほうを通って私室に戻ろうと、レイラは踵(きびす)を返す。
誰かに見られたら、それでまた評判を落としそうなほどの早足だ。うつむいて、それでも泣かないことだけが、彼女のプライドだった。
すると突然視界が暗くなり、直後に誰かとぶつかった。
「……すみませ……ん」
黒い衣装をまとった相手に受け止められ、レイラは顔すら見ないまま慌てて謝罪をした。黒い隊服に金のボタンは騎士のものだ。
「姫、どうされたのですか? お急ぎのご様子ですが」
低く、それでいて柔らかい声だった。よく知っている男性の声に驚いて、レイラは顔を上げた。
「ア……クロムウェル伯爵。なんでもありません……ご、きげんよう」
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