書籍詳細
絶対零度の国王陛下に花嫁志願!〜想定以上の溺愛に淫れる蜜月〜
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2019/11/29 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
◇1章 絶対零度の国王陛下
「——もうこの方法しかないでしょうね」
男の思いつめた低い声が、その場に響きわたる。
ノシュワール王国・アルシュタイン城……その使用人が住まう塔の一室で、国王の側近である宰相オーギュスト・バイヤールが険しい表情を浮かべていた。
彼は使用人を取(と)り纏(まと)める責任者でもある。彼が最も信用する使用人数名がその場に呼び出されていたのだが、普段は冷静な彼の切迫した様子に、全員が当惑した表情を浮かべていた。
「この方法、とは?」
使用人の一人が尋ねると、
「幼少の頃のような笑顔を……とまではいいませんが、なんとか女性に対する態度を改めていただければ」
と、オーギュストは先ほどから疼(とう)痛(つう)を感じているこめかみを押さえながら、深々とため息をつく。
「これではいつまでも陛下は妃(きさき)を迎えることができません。世継ぎの問題もありますが、何より、もう二十七、今年でもう二十八歳になられます。婚約者の一人くらいいなければ、王として示しがつきません」
彼の手には婚約者候補を記した用紙があるのだが、何十人という名前の上に二重で削除の線が引かれていた。
「陛下がお断りした数よりも、断られた数の方が問題なのですよ」
オーギュストのその言葉を皮切りに、どよめきがその場に広がる。
あれほど立派な君主が断られる……見目麗しく、才気溢れる、若き国王であるというのに。
「もっと言及すれば、陛下が断るように仕向けている、状況です」
彼は言って、またこめかみをぎゅっと押さえつけた。
なるほど、それは由々しき問題。どうやら一筋縄ではいかなそうである。
(陛下の笑顔……本当に誰も見たことがないのかしら?)
呼び出された使用人の一人、国王の侍女として仕えるリリアーヌ・クレージュは事情を聞いて、密やかに疑問に思う。
この部屋にも愛らしい笑顔を咲かせた少年の肖像画が、飾られている。現国王陛下レオンス・アンドレ・フォン・ベルトゥルクの幼少の頃のものだ。
たしかにこれほどの笑顔を見たことはないが、やさしく微笑んでいるレオンスを、リリアーヌは見ているのだ。
(冷たい御方ではないわ、ぜったいに)
とすると、単に女性嫌い……ということになるが、侍女として八年余り仕えていて、辛(しん)辣(らつ)にされた覚えはない。むしろ彼は紳士な方である。
(ひょっとして、どうしても結婚したい御方がいて、叶わないことを悟っていらっしゃるとか)
読書好きで、中でも恋物語が大好きなリリアーヌの妄想は大きく膨らんで、綻(ほころ)んだ薔薇のように広がっていくばかり。
「リリアーヌ」
(きっと、普段は冷たいように見える人ほど、実は情熱的だったりするんだわ。陛下は、恋わずらいをしていて、誰かを密かに想っているのかも……)
「リリアーヌ! 聞こえているんですか」
大きく声を荒らげられ、リリアーヌはハッとする。
こちらをじっとりとした目で睨んでいる宰相オーギュストを見て、慌てて頭を下げた。
「私ったら。申し訳ありません」
小柄なリリアーヌがぴょこんぴょこんと頭を下げる姿は白兎のように愛らしく映ったらしく、オーギュストは毒気を抜かれたようである。
「まったく、何を考えていたのですか」
と、彼は呆れたように額に手を当てた。
「陛下のことを色々案じておりました」
「ならば結構です。陛下のご様子を今以上に観察し、何か気づいたことがあれば報告しなさい。わかりましたね」
「はい。かしこまりました」
リリアーヌが身を引き締める一方、隣にいたクロエ・フォルジュがつんつんと肘で突いてきた。
「……私的には、オーギュスト様が、リリィに辛辣なのも気になりますけれど、好きの裏返し的な要素を感じませんこと?」
と、クロエが小声で言うと、即座にオーギュストの咳払いが飛んでくる。
「何か言いましたか、クロエ」
「い、いいえ。なんでもありません」
彼は人一倍、地獄耳である。その件については使用人たち皆が心得ているのだが、クロエはすぐに忘れてうっかりそんなことを口走ってしまうことがある。
鋭い視線に牽(けん)制(せい)され、リリアーヌもクロエと一緒にそろって肩を竦めた。
「さ、話は以上です。各々持ち場に戻りなさい」
オーギュストがそう言って手を鳴らすと、蜘蛛の子をちらしたように使用人たちはそれぞれが仕事場へと戻っていった。
リリアーヌは国王レオンスのことを思い浮かべながら、お茶の準備をはじめる。
(——何か気づいたことがあれば報告しなさい)
オーギュストから命令されたことを胸に留め、さっそくレオンスの執務室へと向かうのだった。
***
「失礼します」
リリアーヌが執務室を尋ねると、すぐに「入れ」と返事があった。
ドア前で警護していた近衛兵にドアを開けてもらい、茶器と菓子を乗せた台車をゆっくりと手で押しながら部屋の中に入る。執務室の中央に構えられたデスクの前に、国王レオンスの姿があった。
斥(せっ)候(こう)からの報告、大臣からの相談、騎士団からの市街地の調査結果など、忙しく対応する国王レオンスの姿を見て、リリアーヌは出入り口付近で少しの間待機し、打ち合わせが終わり、誰もいなくなってからティーカップに紅茶を注いだ。
ふんわりと芳しい香りが漂うと、レオンスは忙しい合間に少しだけリリアーヌの方に意識を向けてくれる。その瞬間が、リリアーヌは好きだった。
「お茶をどうぞ」
「ああ。そこに置いてくれ」
低く通る彼の声は痺れるくらいに素敵だ。
リリアーヌは胸を高鳴らせながら、レオンスの横顔をこっそり見つめる。
冬の夜空に舞う結晶のように美しい銀の髪からのぞく睫毛(まつげ)の長いこと、サファイヤのような青い瞳は伏せられていても輝いている。引き締まった唇、細面の輪郭、その端正で美しい涼し気な面差しは、顔は彫像のようである。白地の軍服にロイヤルブルーのマントがとても似合っている。彼こそが、ノシュワール王国の若き国王……レオンス・アンドレ・フォン・ベルトゥルクである。
日頃から無愛想で冷徹で、次々に諸国の城を落とし、領土を思うままに手中に収め、そうして勢力を広げてきたノシュワール王国の君主について、諸国は「絶対零度の王」と揶(や)揄(ゆ)し、かつ彼の残虐さを恐れている。それ故か近年はめったに仕掛けてくる敵はおらず、国内は平和に保たれていた。
だが、その弊害もある。国民もまた彼をおそろしい象徴として捉えているところだ。軍事や公務以外に、めったに国民の前に姿を現さない彼は、おそろしく冷たい人間だと誤解されているところがある。レオンス自身も国民から怖がられていることを知って、敬遠されていると思いこんでしまっているらしい。
だが、王宮に仕える近しい侍従ならば、本来のレオンスがそうではないことをわかっているはずだ。だからこそ、国王の右腕であるオーギュストは花嫁が決まらないことに頭を悩ませ、現状を歯がゆく感じているのだろう。
要約すると、レオンスの良さを見つけること、結婚についての意思、彼の本音を探ること、それらが国王の側付きの侍女であるリリアーヌの課題ということになる。
紅茶のおかわりを求められるのを待って、リリアーヌが待機していると、レオンスは彼女の方を見て言った。
「来客はしばらくない。いったん私室に戻るが……おまえも一緒に来るといい」
レオンスが執務室の隣の部屋に移動するのに、リリアーヌも彼のあとに続いた。普段は施錠されているが、執務室の中から行き来できるようになっているのだ。
レオンスが私室のバルコニーを開けると、二羽の白い鳥が、見計らったように飛んできた。
「わぁ」
と、リリアーヌは思わず声をあげてしまった。
おそらく番(つがい)なのだろう。以前にも、背中に青と灰色がまだらに入った濃淡模様の鳥を見たことがある。
「お気に入りの場所になったんでしょうか」
「ああ。そのようだ」
二羽のうち一羽は、絶対零度と呼ばれる王であることなんかお構いなしに、肩にちょこんと乗って憩(いこ)い、もう一羽は彼の手の甲に止まって餌を待っていた。数ヶ月前にやってきた番の鳥は警戒心があるのか、なかなか近づいてこなかったが、何回か姿を現すうちに、すっかり懐(なつ)いたようだ。
刹那、レオンスが目を細め、かすかに笑みをこぼした。その姿を見て、リリアーヌは瞳を輝かせ、つられたように頬を緩ませる。オーギュストに報告するとしたら、こういった一面だろう。他の人にももっと知ってほしいとリリアーヌは思った。
侍女が国王と一緒にいられるのは、身の回りのお世話が必要なときだけだ。だからこそリリアーヌにとって、レオンスから許されたこの時間がとても幸せだった。
しかし、侍女として任された仕事を放置するわけにもいかない。あれこれ考えたが、やはり素直にここは聞いたほうがよさそうだとリリアーヌは思った。
「なぜ、陛下は……ご結婚を、拒まれるのですか? こんなふうに誰かと和やかな時間を過ごされるのは、ご結婚相手とご一緒であれば尚、陛下にとっても喜ばしいことではないでしょうか」
リリアーヌはなるべく穏やかに問いかけたつもりだが、レオンスは瞬く間に表情を強(こわ)張(ば)らせてしまった。
「気が進まぬ。ただそれだけだ。心配しなくとも、継承者については考えがある。オーギュストには何度も言っているのだがな。業(ごう)を煮やしたのか、おまえにまで何かを言いつけたか」
さっきまで懐いていた鳥たちが慌てて飛び去っていく。鳥たちはレオンスの気持ちの変化に畏怖を感じたように見えた。と同時に、レオンスが傷ついて見えて、リリアーヌはいたたまれない気持ちになる。
空へと旅立った番の鳥を見送ったあと、レオンスはため息をつく。その横顔が、とても苦しそうだった。
「申し訳ありません」
リリアーヌはしゅんとして謝った。
「気にするな。おまえが謝ることではない」
強張ったレオンスの様子を見て、リリアーヌはあることを閃いた。
(そうだわ。こうしたら……どうかしら)
「戻るぞ」
と、マントを翻(ひるがえ)すレオンスの手を、リリアーヌはとっさに握ってしまった。
「っ……」
刹那、レオンスは驚いたように目を見開いた。冷たい氷のような青い瞳が揺れる。絶対零度などと恐れられている彼の手に初めて触れた。彼の手は、想像していた以上にあたたかかった。こんなあたたかなぬくもりを持つ彼が、番の鳥をやさしく愛でていた彼が、根っから心を凍らせているはずがない。彼の心には何か檻(おり)に閉じ込めなければならない蟠(わだかま)りがあるのだろうか。自分と同じように……と、リリアーヌは過去に想いを馳せた。
「なんのつもりだ、リリアーヌ」
手を振り払わないまでも、彼の視線に咎(とが)められ、リリアーヌはハッと我に返る。
「あっ……不敬をどうかお許しください。でも、陛下が、苦しんでおられるように感じて……」
リリアーヌはとっさにそう言いながらも、レオンスの手を離さなかった。否、できることならば、離したくなかった。
うまく説明できないけれど、離してはいけない気がしたのだ。
「手を」
命じられても、リリアーヌは、その手を握ったまま、レオンスを見上げた。
「あの、私の話を少しだけこのまま聞いていただけませんか?」
「……なんだ。言えばよい」
戸惑ったように、レオンスは言った。彼はそれでも彼女の手を振り払うようなことはしなかった。
「人はぬくもりに抱かれながら生まれ、そのぬくもりに安(あん)堵(ど)を覚えるのです。お茶の時間、あたたかいお飲み物で癒やされるのも、同じことが言えます。ささくれた心もやわらぎます。よろしければ、御手をそのままに、私に少しお時間をください。手をもみほぐすと、疲労回復にもよいそうですから」
断られるのを覚悟の上で、リリアーヌは申し出た。だが、意外な返事が戻ってくる。
「……わかった。おまえの好きにしてみればよい」
レオンスがリラックスしているのが見え、リリアーヌは嬉しくなった。
「ありがとうございます……!」
「だが、不快に感じれば、すぐに止めてもらうからな」
困惑したように、彼は言った。怒っているのではない、初めて見る、照れた表情だった。
やはり彼はただ人に対して不器用なだけなのだろう。リリアーヌはそう思う。
「はい、それはもちろんです」
すぐに返事をして、リリアーヌはレオンスの手を両手で支え、親指を使って丁寧にもみほぐしはじめる。
大きくて生命力の強そうな手のひらだ。節くれだった指は男らしいが、しかし男性にしてはしなやかで色気を纏った美しい造形だ。
意識すると落ち着かないので、指圧の施術に集中しなければ、と、リリアーヌは自分を言い聞かせた。
「どう、でしょうか?」
「……ああ、悪くはないが……少し……近い、のでは、ないか」
レオンスが戸惑いの声を上げる。足元を見れば、たしかにつま先が重なってしまっていた。
「ひゃっ。申し訳ありません。度々の不敬をお許しください」
リリアーヌは慌てて身を離し、距離を適切に直した。手は離さずにそのまま、指一本ずつをほぐすように触れていく。だんだんと温まってきたのか汗ばんできているようである。レオンスは何か文句をいうわけでもなく、黙ったまま、されるがままになっていた。さすがに彼女も不安になってくる。
「よくは……ありませんか?」
「いや。とても疲れが取れた」
リリアーヌが顔をあげると、やさしく見下ろす瞳と視線が交わり、ドキッとする。
レオンスはすぐに視線を逸(そら)したが、やはり彼の頬が赤い。
もしかして照れているのだろうか。
彼の見たことのない一面に触れたら、なぜか胸の奥がきゅっと甘く締め付けられるのを感じ、リリアーヌも視線を逸らす。
自分からはじめておきながら、言葉を交わすのにも気まずい空気が流れ、どうしていいかわからなくなってしまった。
「も、もう、いいだろう。そろそろ戻らなくてはならぬ」
先に切り出したのは、レオンスの方だった。
「は、はい。お時間をとらせてしまい、申し訳ありません」
リリアーヌはようやくレオンスの手を離し、頭を下げた。
「なぜ謝る……おまえの言うとおり心までもほぐれるようだったぞ」
「え?」
「感謝する。リリアーヌ」
そう言うレオンスの表情こそ硬いけれど、目元はやさしく綻んでいた。
嬉しくなって、リリアーヌは、花が綻んだように笑顔になった。
「ありがとうございます! 私でよければ、これからも、いつでもお呼びつけください」
リリアーヌが張り切って言うと、レオンスは何か考え込んでいるような顔をして、口を開いた。
「ならば……」
「はい、なんでしょう?」
目を輝かせて待っているリリアーヌを尻目に、レオンスは言葉を詰まらせる。何か言いづらいことのようだ。
「いや。いい」
彼はそう言い、呑み込んでしまう。
「私に遠慮は要りません、陛下」
リリアーヌは言い募るのだが、
「またにする。今度こそ戻るぞ」
そう言って、背を向けてしまった。
気にかかるが、執務室の方へと戻るレオンスのあとを、リリアーヌも追いかける。
「——陛下、こちらにおいででしたか。おや……」
オーギュストが訪ねてきていた。彼はレオンスのうしろにリリアーヌの姿を見つけ、目を丸くする。
「ちょっとした休憩だ」
「もう、よろしいので?」
「ああ。用件を話せ」
既にレオンスはいつもの表情に戻り、元の椅子に腰を下ろした。
まるでさっきのことなど夢であったかのように、リリアーヌの存在は見えていないかのように。
それが、少しだけ寂しく感じられた。
「私はこれで失礼いたします」
リリアーヌは丁寧に挨拶をし、その部屋を出ようとしたのだが……。
刹那、オーギュストと目が合った。彼は何かを彼女に言いたそうにしていた。
(勝手なことまでして、あとで叱られるかしら……)
リリアーヌは胸の高鳴りを抑えるようにそっと、自分の左胸に手を添えた。
まだドキドキしている。それに身体が熱い。レオンスの手や、指の感触が、まだ残っている。
あたためてあげたかったのに、熱をもらったのはリリアーヌの方だった。
もっと、陛下の疲れを癒やしたい。陛下のためならなんでもして差し上げたい。
今まで以上に、リリアーヌはそう思うようになっていた。
(それに、私は、この国に感謝しているもの)
がんばらなくちゃ、とリリアーヌはよりいっそう気合をいれるのだった。
***
(……参った)
身体にまとわりつく甘い薔薇のような香りに酩(めい)酊(てい)しそうになる。移り香……彼女自身から漂う匂いだ。
手のひらから伝った華奢な指の感触、微かなぬくもり、甘い匂い、真剣な表情をしていた彼女のことが、ぱっと綻んだ花のような笑顔が……レオンスの心に説明のつかないやわらかな感傷を与えていた。
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