書籍詳細
宰相公爵の策略〜君と結婚したいので決闘を申し込みます〜
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2020/02/28 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
第一章 公爵閣下は求婚者
エリノア・ダンヴァーズに求婚するためには、国内最強の武人三人を倒さなければならない。
「儂(わし)より強い男にしか、娘はやらん!」
「妹に求婚するなら、まず俺を倒してからにしろ!」
「僕より強い男じゃないと、姉様は任せられないですね」
ダンヴァーズ将軍家の〝三筋肉〟と呼ばれる彼らが、殺気をまき散らしながら公言しているおかげで、エリノアは今夜も壁の花である。
せっかくの舞踏会だというのに、彼女をダンスに誘う勇気ある青年はどこにもいない。父と兄弟たちが、一人娘を溺愛し、エリノアに声をかけてきた男性をすぐに威(い)嚇(かく)するせいだ。
時々、兄の友人と話すことくらいはあるが、ダンスを踊ろうものなら、すぐに〝三筋肉〟の誰かが飛んでくる。兄のような軍人ならばまだいいが、一般人はダンヴァーズの男たちに軽くにらまれただけで、エリノアに近づくのをやめる。
求婚者の条件が示された当初は、力試しのつもりなのか無謀な挑戦者が多くいたのだが、最近はめっきりだった。それもこれも、父と兄が挑戦者を冗談では済まされないほど痛めつけたせいだ。
今までの挑戦者がどうなったのかを知ってもなお、名乗りを上げる者がいたとしたら、その人物は被虐(ひぎゃく)趣味の変態かもしれない。だとしたら、エリノアは遠慮したかった。
ぼんやりと壁際に立っているだけの舞踏会など退屈だった。だから彼女は、こういった華やかな場にはほとんど顔を出さない。
今夜は数少ない例外だった。エリノアの友人が結婚をしたばかりで、その嫁ぎ先の屋敷で行われる舞踏会なのだ。新婚夫婦のお披露目(ひろめ)を兼ねているので、祝いのために参加した。
エスコート役の兄は、酒を飲みながら軍の同僚と剣術や身体の鍛え方について熱く語り合っている。エリノアはその隙を狙い、彼のもとを離れて一人になった。
結婚したばかりの友人は、招待客全員に挨拶をして回らなければならず、忙しそうにしている。
わずかな時間、彼女と談笑し祝福の言葉を述べただけで、今夜しなければならないことは終わってしまう。
幸せそうにほほえむ友人が、ほんの少しだけうらやましかった。
エリノアは十九歳である。この国の貴族ならば、すでに結婚していても不思議ではない。
特別好いた男性がいるわけでもないため、社交の場で積極的にはなれないエリノアだが、焦りはある。
彼女は将軍家唯一の常識人だ。早く結婚をしたいというよりも、行き遅れと呼ばれる年齢になってしまうのを懸(け)念(ねん)していた。
家族以外の男性とほぼ縁がないからこそ、いつか素敵な紳士と出会いたいという、年頃の娘らしい夢も抱いている。だから、ダンスにすら誘われないこの状況は、彼女の望むものではなかった。
美しく長い金髪に、青い瞳。早世した母親似で儚(はかな)げな美人。あのダンヴァーズ将軍家の男たちと血縁関係にあるとは思えないほど麗しい。――それが彼女の評判だが、エリノアとしては、かなり盛られている気がしていた。
彼女の隣には常に鎧(よろい)のような筋肉をまとった大男が立っている。生命力がありあまる将軍家の男が比較対象なら、誰でも儚げに見えるだろう。
とは言うものの、醜(みにく)いわけではないのは確かだ。結婚適齢期で、国内でそれなりに有名な家の娘だというのに、やはり声をかけてくる異性は、今夜もいなかった。
ふぅ、とため息をついてから、彼女は静かな場所を求めて、バルコニーに向かった。
舞踏室から一歩踏み出しただけで、室内の喧騒(けんそう)が嘘のように静かな世界が広がる。猫の爪のような控えめな月のおかげで、夜空にはたくさんの星が散りばめられているのが見えた。
美しい星空を愛(め)でるだけでも、ここに来た意味は十分にある。
「エリノア殿……」
ふいに背後から声がかけられる。よく響くテノールは、なぜだか彼女の胸をチクリと刺激する。声の主は、ゆっくりと近づき彼女の隣に立った。
エリノアはチラリと隣を覗き見る。彼女の名を呼んだのが予想どおりの人物だとわかると、聞こえないふりをした。
それから、彼のいない方向になにか気になるものを見つけてしまったことにして、そちらに一歩踏み出した。
二歩、三歩、自然に遠ざかってから、上手く距離を取れたとほっとして、小さく息を吐く。
「エリノア殿」
一度目よりもはっきりと。さすがにこれでは無視できない。エリノアは仕方なく、ゆっくり声の主のほうを向く。
黒の正装に身を包んだ、黒髪の青年だ。まっすぐな髪を頭の後ろで束(たば)ねている。瞳の色は髪の色に近いダークグレー。夜の闇の中では漆黒に見える。
彫りは深く、背は高い。スラリとしていて、大人の余裕と知性が感じられる人物だ。
「……これは、ルズブリッジ公爵閣下。お久しぶりでございます」
ドレスの裾をちょこんと摘まみ、エリノアは淑女(しゅくじょ)らしく挨拶をする。
ルズブリッジ公爵アレクシス――。年齢は三十歳。この国の中枢(ちゅうすう)を担う文官であり、王太子の側近でもある。
「いや、君が避けているだけだろう。私は時々、君を見かけていたが?」
「避けられる理由に心当たりがおありでしょう?」
エリノアは冷たく言い放つ。
彼女の家、ダンヴァーズ家とルズブリッジ公爵家はすこぶる仲が悪かった。父や、兄のランドルは、職務上アレクシスと頻繁に顔を合わせるという。
そして毎日のように諍(いさか)いを起こし、それを屋敷で愚痴(ぐち)るのが常だ。父は、「公爵のせいで、軍の予算が削られた!」「国防のなんたるかを知らん若造が!」と憤(いきどお)る。兄も「いっつも涼しい顔で、護衛部隊をこき使いやがって!」などと言っている。
ただし、エリノアが彼を避ける一番の理由は、家同士の関係とは別にある。個人的に彼が嫌いであることが大部分を占めている。
「踊らないか?」
それは唐突な誘いだった。ゆっくりとエリノアの前に手が差し出された。
彼は小娘の嫌みなど取り合わないのだろうか。彼女としては、かなり露(ろ)骨(こつ)に拒絶をしたつもりだったというのに、まったく気にする素振りがない。
「どういうおつもりですか?」
「この場では、ダンスを踊ることよりも、踊らないことのほうに理由がいる」
今夜は舞踏会だ。確かにエリノアのように特別な事情でもない限り、ダンスをするのが当たり前だった。
「だとしても、公爵閣下とダンヴァーズ将軍家の娘がダンスを楽しむには……やはり理由が必要です」
エリノアはそう言って、差し出された手を無視して顔を背ける。令嬢にあるまじき、可愛げのない態度を取ってしまうのは、すべてこの男のせいだ。
ところが、アレクシスは急に距離を詰めて、彼女が油断している隙に、サッと手を取った。
ダンヴァーズの男たちと比べれば、非力な文官のはずなのに、エリノアは彼から逃れられない。
「……君に話がある」
その表情があまりにも真剣で、いくら避けたい相手だとしても、エリノアはその手を振り払うことができなかった。
そのまま彼にエスコートされて、バルコニーから舞踏室へと戻ると、ちょうど次の曲がはじまるところだった。
二人で手を取り合い、舞踏室の中央まで歩み出る。
めずらしい組み合わせに、周囲がざわついた。公爵家と将軍家の不仲は貴族の皆が知っているのだから、その反応は当然だ。
好奇心旺盛(おうせい)な貴族たちが、今夜の二人を見てどんな噂を広めるのか、考えただけでも気が重くなる。
そんなエリノアの心情をよそに、奏でられたワルツは軽やかだった。
「……それで、お話というのは?」
彼に手を取られ、腰を支えられている状況は、非常に落ち着かない。過保護な〝三筋肉〟のせいで、彼女は今まで家族としかダンスを踊ってこなかったからだ。
向かい合わせで近い距離になってはじめて、アレクシスがわずかに香水をつけていることに気がついた。
おそらく柑橘(かんきつ)系――ベルガモットだろうか。爽やかで好ましい香りだった。
「エリノア殿は普段踊らないのに、ダンスが上手だ」
美(び)辞(じ)麗(れい)句(く)より、用件を。エリノアはそう思うのに、彼はなかなか本題に入ってくれない。
それに彼女はダンスが苦手だった。兄と踊ってもこんなに上手くステップを踏めたことはない。きっとアレクシスのリードが上手く、彼に踊らされているだけ。
これは彼女の実力ではないのに、油断すると目的を忘れ、このひとときを楽しんでしまいそうになる。
「光栄です。公爵閣下も……いろいろな女性とダンスを踊っていらっしゃるだけあって、とてもお上手です」
流されまいとまた嫌みを口にしても、アレクシスは小さく笑って受け流すだけだった。
その余裕のせいで、子供っぽい感情に支配されている自分に気がついて、エリノアは恥ずかしくなった。
「早く、用件を……」
エリノアが急(せ)かすと、アレクシスが視線を逸らす。
「どうやら君の兄君に気づかれてしまったようだ」
エリノアは先ほどからターンをするたびに、やたらと肩幅の広い青年が二人をじっとにらみつけているのを感じていた。
眉(み)間(けん)にしわを寄せ、周囲にいた者たちが殺気のせいで捌(は)けていく状況だ。
「私たちが一緒にいたら、目立つでしょうから」
さすがにそろそろ身を固める必要がありそうな年齢のアレクシスと、家族のせいでなにかと注目を集めるエリノア。
先ほど、バルコニーから二人でこの場に戻ってきた時点で、周囲はざわついていた。彼女の兄が気がつかないはずはない。
舞踏室に漂う異様な雰囲気のせいで、なんだかよくわからないうちに曲が終わる。
結局アレクシスがなにを話したかったのか、聞けずじまいだった。
エリノアは、この場にふさわしくない殺気をまき散らす兄をどうにかするために、原因であるアレクシスから離れようとした。
踊ってくれた相手に礼をするため、一歩下がろうと試みる。
ところが、腰に回された手はそのままだ。
「公爵閣下?」
「まだ、話をしていない」
このままもう一曲。そういう意味だった。
アレクシスは慎重に行動をする人物だ。特定の女性と続けて踊れば、周囲がどんなふうに解釈するか、当然知っているはずだ。
もっと話をしたい。親密な関係になりたい。そう望んでいるのだと誤解を与える愚かな行為だ。
彼は王太子の側近としての職務が忙しいせいか、特定の相手を作らず、誰かと噂になりそうな行動もしない。
エリノアの認識では、人嫌いではないが、かなり慎重な人物のはずだった。
先ほど彼に「いろいろな女性とダンスを踊っていらっしゃる」と言い放ったが、あれは異性と広く浅い付き合いしかしないからそう見えるのだ。
「困ります……!」
エリノアが語気を強めると、アレクシスは肩をすくめてダンスの輪から離れるように促す。
相変わらず、手はしっかりと握られたままだ。
殺気を放つ兄がいる場所からあえて距離を取り、アレクシスは壁際の椅子へと彼女を導き、座らせた。
それから突然膝をついて、目線の高さを座っているエリノアに合わせた。
「以前にも話しただろう? 私は将軍家との対立を望んでいない」
両家の不仲は、この国にとって不利益でしかない。エリノアは三年ほど前に一度、アレクシスからその話を聞いていた。
そうだとしても、将軍家の娘と踊ったくらいで、両家の仲が改善するはずもないのだが。
そして、その話を聞いた直後に発生した事件により、彼女はアレクシスを嫌い、避けるようになったのだ。彼といると今でも嫌な気持ちがこみ上げてくる。
早く離れるべきなのに、ダークグレーの瞳は彼女を捕らえ、動けなくさせた。
「エリノア・ダンヴァーズ殿。この私、アレクシス・レズリー・ブロードベントの妻となってくれないか?」
彼は爵位名ではなく、フルネームを名乗り、ゆっくりとエリノアの手の甲に唇を近づける。
「……は?」
エリノアは呆然として、キスをしようとする彼の様子を眺めることしかできなかった。込められている力は弱く、逃れようという気があれば容易(たやす)いはずだった。
それなのに彼女は、驚きすぎて動けなかった。
「気安く妹に触れないでもらおうか!」
そのとき、エリノアの手にやたらと大きな手が重ねられ、アレクシスの行動は阻まれた。
野太い声と大きな手の持ち主は、エリノアの五つ年上の兄・ランドルだ。
「もう少し、違う止め方をしてくれないか? 危なく男の手にキスしてしまうところだったじゃないか」
アレクシスが立ち上がり、二人の男の視線が交わる。一方は怒気をはらみ、もう一方は冷ややかに。
アレクシスは先ほど、両家の仲を改善したいと言っていたのに、すでに矛盾している。
「改めまして、ごきげんよう。ランドル殿」
「ごきげんなわけあるか! それより、聞き間違いでないとしたら、貴様……エリノアに求婚していなかったか?」
「あぁ。まだ答えを聞いていないから、邪魔しないでもらえないか?」
アレクシスが再びエリノアに向き直る。真(しん)摯(し)なまなざしで、冗談を言っているようには思えない。
エリノアの心臓がドクン、と音を立てた。なにか言わなければ。アレクシスのことは苦手としているのだから、断ればいい――そう思っても言葉は声にならなかった。
「……待て。ダンヴァーズ将軍家の決まりを知らないとは言わせない。エリノアに求婚したいのなら、まずは俺たちを倒してからにしてもらおうか」
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