書籍詳細
オオカミ将軍はぽちゃ奥様がますますお好き 夫婦そろって赤ちゃんに振り回されて!?
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2020/06/26 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
◇プロローグ
明けの明星が見える時刻、新しい生命は大きな産声を上げた。
それに弾かれるようにルドルフは椅子から腰を上げ、ある部屋に向かう。
妻であるクレアが産気づき、籠もっている部屋だ。
クレアの侍女であるミアが扉を開け、全身から喜びを溢れさせルドルフに告げる。
「ルドルフ様! お産まれになりました! 立派な男のお子様ですよ!」
「そうか。元気な声だ。それでクレアの方は? 問題ないか?」
オオカミの姿を象(かたど)った『聖獣ディアラオス』を祖に持つルドルフとは異なり、クレアは生粋の人間だ。
代々このレアドラ国の将軍職を受け継ぐウィルウォルフ家に嫁いだレアドラの王女。
だが、王族の血を引くとはいえ、一人の人間。そんな彼女が聖獣の血を持った子を腹に宿したのだ。それが原因で愛(いと)しい妻の身体(からだ)に異変が起きはしないかと、ルドルフは気がかりで仕方なかった。
妊娠中は幸い、つわりがきついのと、胃が押されて一度に食事が摂(と)れないことに困らされたぐらいで、『妊婦によくあること』で収まっていた。
しかし、普通の出産でさえ命を落とすこともままあるのだ。
しかも——クレアはその身に余るほどの『強い血』を宿した。代を重ねても未だにオオカミに姿を変えることのできるウィルウォルフ家当主の血を。
ルドルフにとってたとえ子供が無事に産まれたとしても、妻がいなくなってしまうのは己(おのれ)の死よりも怖いことだった。
「はい。母子ともに健康です。会いに行ってくださいな」
正直者のミアがそう言ってくれたことにルドルフは安堵(あんど)し、美麗な顔にようやく喜びの色を見せた。
「クレア!」
朝日が昇ってくる。
眩しい輝きに照らされたクレアは多少疲れている様子だが、やりきったとばかりに誇らしげな顔をルドルフに向けた。
生まれた我が子は産湯(うぶゆ)に浸(つ)かっている最中だろう。この場にいなかった。
「ルドルフ、男の子よ。見に行って」
「その前にクレア、貴女(あなた)をねぎらいたい——よく耐えましたね。お疲れさまでした」
ルドルフはそう言いながら、横たわるクレアの額に何度も口づけを落とす。
普段、鉄仮面と言っても差し支えないほど無表情な彼が、満面の笑みで喜びを露(あら)わにしている。
そんな風に彼がとても喜んでくれていることが、クレアにとっては何よりの褒美だった。
「貴方(あなた)似よ。きっと立派なウィルウォルフ家の跡取りになるわ」
そう彼に微笑(ほほえ)んだ。
男の子は『オルヴァ』と命名された。
クレアは乳母を頼まず、自らの母乳で育てることを宣言していた。
母である王妃には「降嫁しても王族なのに」と不満をこぼされたが、ルドルフと相談して考えたことだ。
それに自分の胸に抱いた我が子に乳を与えることに、クレア自身が夢を持っていたのもある。
実際やってみると、くすぐったかったり痛かったりとしたが、小さな命が母の体内から懸命(けんめい)に生きる源を得ようとする姿は、涙が溢れてくるほど愛おしい。やってよかったと心から思う。
ただ——問題が二つほどあった。
それは母乳の時間とルドルフがいる時間がかち合った時、彼がジーッとその様子を見続けていることだ。
最初は「我が子が乳を飲む姿が可愛(かわい)いのね」と、ほのぼのとした気分で彼のことも乳児ともども見守っていたが、そうではなかった。
「いつになったら『それ』が私のもとに返ってくるんでしょうか?」
「それ?」
と聞き返すと、ルドルフはクレアの胸を指さす。
『それ』——クレアの胸のことだったのだ。
(『それ』とは何? 私の胸は物?)
「元々、私の胸は私のものなんですけど! 勝手に自分のものにしないでちょうだい!」
クレアは喧嘩(けんか)腰(ごし)でルドルフを叱る。
「自分の血を引くとはいえ、腹が立ってくるんですが」
同性ゆえのライバル心なのだろうか?
明らかに不満そうなルドルフの口調に、メイド達ともども溜息を吐(つ)いたり苦笑いをしたりという楽しくて慌ただしい日々。
そしてもう一つの問題というのは——。
とにかく乳児に乳を与えると、クレアがすぐ空腹になるということだった。
自身の栄養を乳に変えて子に与えるのだから、お腹(なか)が空くのは当たり前。
一日数回の授乳の後、クレアは空腹に任せて食事を摂る。
元々ぽっちゃりだったクレアだが、痩せた方が子はできやすいとの医師の助言で、結婚後は痩身に励んだ。
その結果、見事に妊娠し、そしてお腹が大きくなるにつれて胃が圧迫されて一度にたくさん食べられなくなり、少量を数回に分けてなんとか食べるという日々を送っていた。
そのせいで、出産後は更に痩せていることに気づいたのだ。すると、
「消化がよく、栄養価の高いものを」
とのルドルフの指示で、クレア用の食事が作られる。
胃が圧迫されなくなったら食欲も戻ってきたし、子に与える乳のために栄養を摂らなくてはならないしと、クレアはありがたくモリモリ食べた。
「痩せたし、子供のために栄養を摂らなくちゃね!」
『過ぎたるは及ばざるが如し』という言葉を、当時のクレアはすっかり忘れていた。
結果——三ヶ月後。
「ああ……必要以上に栄養摂りすぎて、妊娠前のぽちゃぶりに戻っちゃった……」
全身鏡を見てクレアは呆然とした。
出産後に見た、鏡の向こうの貴婦人はいったいどこへ?
遠い目で過去の自分を思い、ガクリ、と項垂(うなだ)れた。
(自分で言うのもなんだけど『なかなかの美人さんじゃない?』なんて一人ニヤニヤしていたのに……)
落ち着いたらドレスも新調して、新しい髪型に挑戦してみようとか色々計画を練っていた。
自分の食欲には悪魔でも憑(つ)いているのだろうか? と本気で悪魔払いを依頼したくなったクレアだった。
?
◇一章 夫婦の悩み 母の悩み
オルヴァを出産して四ヶ月が経(た)った。
逆戻り(リバウンド)のショックからクレアもようやく立ち直り、オルヴァへの母乳も離乳食へと徐々に切り替えが始まっていた。
「特に異常もありません。オルヴァ様はさすがに聖獣様の血を受け継いでいるだけありますね。普通のお子様より成長が早い」
定期検診に来た医師に太鼓判を捺(お)されたが、クレアは憂いを帯びた表情を浮かべた。
「クレア様、如何(いかが)しました? 何か心配事でもおありかな?」
「い、いえ……あ、あの私、急にこんなに太ってしまったので……」
「そうですなぁ……確かにこれからの健康のことを考えたら、また頑張るしかないでしょうな」
別の悩みがあるのに誤魔化(ごまか)すように話題を逸らすクレアに、医師は優しく告げる。
「まあ今は、オルヴァ様のことで頭がいっぱいでしょう。落ち着いたらじっくり計画を練るといいんじゃないでしょうか? ……これは余計なことを申しました」
さすが、長くクレアの主治医を務めてきただけある。
クレアの憂いが自身の体型でなく、別にあることに気づいた。
「いいえ、かえって気遣いをいただいて……」
「オルヴァ様の聖獣の血を引く者としてのご成長に関して、何か私も助言ができればいいのですが、そちらのことについてはよく存じ上げず、申し訳ない。しかし、オルヴァ様は『人として』とても健やかに育っておりますから、ご安心ください」
——『人として』。
「そうですよね。……贅沢な悩みだと思います」
クレアはそう返し、小さく微笑んだ。
「オルヴァ様って成長が早いですよね。やっぱり聖獣の血のせいなんですか?」
定期検診の後、義妹のレイナが泊まりがけで遊びに来た。
過去にルドルフをしつこく追い回し、あまつさえ彼の意識を混濁(こんだく)させて自分のものにしようと目論(もくろ)んだ彼女も、今はルドルフの弟エイデンの妻である。
我儘(わがまま)でどうしようもなかった彼女だったが、エイデンと真剣に向き合ってからは随分と矯正された。
現在は単身赴任しているエイデンを待ちながら、黒魔術の勉強に励んでいる。
たまにこうして、ルドルフとクレアの住んでいる王宮内の邸(やしき)を訪問して、オルヴァの面倒を見てくれるのだ。
「ええ、そうみたい」
四ヶ月のオルヴァは既にハイハイはするし、お座りまでしている。
しかも離乳食の切り替えの時期であるはずなのに「もっと固めの食事でもいいでしょう」と医師に言われてしまった。
仕方がない。離乳食では物足りないらしく、ルドルフやクレアの食事に襲いかかってくるのだから。
ベビーチェアからテーブルへ飛び乗り、素早い動きで卓上をハイハイしてパンを強奪したのだ。
ガツガツ食べているオルヴァを慌てて抱き上げて、口の中のパンを取ろうとしたが、オルヴァは全力で嫌がり、なおもパンを口に入れようとする。
ルドルフも加勢したが噛みつかれて、そこで歯も生えていることが判明したのだ。
『……確かに私達も離乳食は早かったそうですが、ここまで食に貪欲だったかどうか……』
ルドルフとエイデンの赤子の頃の話を聞くに、テーブルをハイハイするまで食べ物を欲しがったということはなかったらしい。
思い出して、ふぅと溜息を吐(つ)く。
艶(つや)やかな黒髪に金色の瞳。顔立ちはもうルドルフの小型だと言っても過言ではない。
これだけ『ルドルフの要素しか見えない』といった顔立ちのオルヴァなのに。
オオカミの形を象った聖獣ディアラオスの血を引く者らしく、成長だってオオカミのように早い。
「……確かに、私の血も引いているわ」
——それが、食欲だけでなく、悪い方向にも現れてしまうなんて。
どうやらオルヴァは人間としての血が濃いらしい。一向にオオカミの姿にならない。
聞くところによると、ウィルウォルフ家直系の赤子は大体オオカミの姿で生まれてきたり、乳児の段階でオオカミに変化したりするらしいのに、オルヴァには生まれて四ヶ月も経った今もその兆候すら見えないのだ。
「お二人の子なんですから、クレア様の血を引いているのは当たり前ではないですか? 大丈夫ですよ、まだ四ヶ月なんですし。皆、同じようには成長しませんって。平均的な成長速度から外れる赤ちゃんも大勢いるって聞いてますよ」
以前のレイナだったら「だから私と結婚するべきだったんだわ」とか「私だったらルドルフ様の理想の子を産める!」とか豪語していただろう。
けれど今はクレアの口に出せない悩みを察してこうして励ましてくれるようになった。本当に成長したなと思う。
真っ直ぐに自分に向かってハイハイしてくるオルヴァに、クレアは手を差し伸べる。
オルヴァは「キャッキャ」と楽しげに声を上げながら、一心に向かってきた。
傍まで来て『抱っこ』と言うように万歳してくるオルヴァを、クレアは愛しく思い抱き上げる。
「そうよね。いずれオルヴァだってオオカミの姿になれるわよね。ウィルウォルフ家の血を引いてるんですもの」
明るく前向きに考えよう。
オルヴァのためにも。
ルドルフのためにも。
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