書籍詳細
黒衣の騎士は臆病な歌姫を逃がさない
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2021/05/28 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
「行くぞ。とりあえず建物を探してみよう」
ジャレッドはゆっくり建物に向かって歩き始める。
そのあとを引っぱられるようにして歩きながら、メラニーの心臓はさっそくどきどきと高鳴りはじめていた。
なぜだろう。舞踏会のとき、青年たちに無理やり引っぱって行かれたときは、身震いするほどの嫌悪感と恐怖で、胸が凍りついたというのに……
(今は……こうして連れ出してもらえるのが、すごく頼もしく感じるわ……)
彼の大きな背中をそっと見つめて、メラニーはなんとも言えない甘酸っぱい気持ちを抱えることになった。
そうこうしているうち、白鳥の館と呼ばれる三階建ての建物に到着する。敷地内にはたくさんの尖塔を持つ王城を中心として、この館のような独立した建物もいくつか点在していた。
外国から客人を招いたときにはゲストハウスとして使われるが、普段は音楽会やお茶会を開くときに使用されることが多いらしい。
メラニーたちのほかにも、何組かのペアがおしゃべりしながら館へ入っていく。はじめて入る建物にどきどきしながら、メラニーもジャレッドに連れられ中に入った。
「わぁ……」
先日訪れた王城の広間も豪華絢爛だと思ったものだが、白鳥の館もすばらしい建物だった。
壁にはいくつもの絵画がかけられ、天井にも神話をモチーフにした絵が描かれている。真っ白な柱も床も大理石造りで、ぴかぴかに磨き抜かれていた。
「せっかくだから少し見物していくか」
目を輝かせるメラニーをちらりと見やって、ジャレッドは急(せ)かすことなくゆっくり歩き始めた。
「絵が好きなのか?」
「見るのは……。でも、絵を描くのはあまり得意ではなくて」
ジャレッドは絵筆を握るのが趣味のひとだろうか? だとしたら気分を害してしまうかも……と危惧したが、彼はあっさり「おれもだ」とうなずいた。
「おれの場合は見る目もないな。こういう細密画だったら、はっきり上手いか下手かがわかるが、抽象画となるとどうも駄目だ。なにがすばらしいのかまるでわからない」
「あっ……! わ、わたしも、抽象画はあまり、ぱっと見て価値がわからなくて……」
彼も同じなのだとわかったことが嬉しくて、メラニーは少し大きな声を出していた。
「気が合うな。文学や詩作なんかはどうだ?」
「……お、お恥ずかしいのですが……どちらもあまり……」
「ますます気が合う。おれもからっきしだ。本は軍法や兵法ばかり好むものだから、頭まで軍人気質にならなくていいと、母にはよく嘆かれる」
とはいえ、ジャレッド本人は特に気にしていないらしい。
気兼ねない会話のおかげで、胸のどきどきや緊張も徐々に落ち着いてきた。メラニーは思いきって口を開く。
「あ、あの、では、ジャレッド様は、どういった芸術の趣味をお持ちなのですか?」
「そうだな。たとえば——」
彼は近くの扉を何気なしに開ける。そこは広々としたサロンになっていて、奥にピアノと、いくつかの楽器が置かれていた。
「ちょうどいい。おれの特技を披露しようか」
ジャレッドは楽器のほうへ歩いて行き、ケースを開けてヴァイオリンを取り出した。
「か、勝手に使ってしまって、大丈夫でしょうか……?」
「怒られたら謝ればいい」
なんとも簡潔な答えだ。そして彼は慣れた様子でヴァイオリンを構えると、弓を緩やかに動かしはじめる。指を慣らすように、ゆっくりと。
「まぁ……!」
響いてきた音を聞いただけで、メラニーは彼がそうとうの腕前であることを確信する。
ジャレッドはにやりと笑うと、春の昼下がりにふさわしい明るい曲を弾き始めた。
室内楽の中でも有名な曲だ。明るく可愛らしい音色が連なる曲は、音楽会でもよく扱われる。ただピアノとの二重奏で披露されるのが普通なので、ヴァイオリンだけだとやはりもの足りない。
彼もそう思ったのか、目線でピアノを弾いてくれと言ってきた。
メラニーはあわてて黒光りするピアノの前に座り、鍵盤のふたを押し上げる。彼のヴァイオリンの音色を聴きながら、指をなめらかに踊らせた。
期せずして、温かなサロンにヴァイオリンとピアノの音色が広がっていく。
家族や親戚と音を合わせることはあったが、会って間もない相手——それも若い男性と合わせたのは初めてのことだ。
演奏には奏者それぞれの癖が出るので、即興だと音がずれることもままあるのだが……ジャレッドの音は不思議なほど、メラニーのピアノの音にぴったりと合っていた。
おかげで最初こそ緊張していたメラニーは、途中からはただ気持ちよく演奏に没頭することができた。
(この曲、こんなに可愛らしくて素敵な曲だったのね)
有名な曲だけに、多くの演奏会で奏でられるのをメラニーも耳にしてきたが、今自分たちが弾いているこの曲ほど、心躍るものはなかったかもしれない。
そう思っているうち、最後の音がゆっくりと尾を引いて、空気に溶けていった。
「——なかなかの腕だな。ピアノも上手いとは知らなかった」
ヴァイオリンを下ろしたジャレッドが、驚きと賞賛混じりの視線を向けてくる。
メラニーは急に気恥ずかしくなって、鍵盤からぱっと指を離した。
「い、いえ、わたし、あの……お、お粗末様でした」
真っ赤になってうつむく彼女に、ジャレッドは小さく苦笑した。
「お粗末なもんか。褒めているんだから、そこは素直にありがとうと言ってほしいところだな」
メラニーははっと息を呑み、いっそううろたえる。
「あ、あ、すみません、わたし……あの、ジャレッド様の言葉を否定したいわけではなくて、そのぅ……っ」
言いながら、どうして自分は素直に「ありがとう」と言えないのだろうと悲しくなってくる。
なにかあるとすぐに緊張して、頭がかーっと熱くなってしまう性格のせいだろうか。せっかく褒められても、嬉しいと感じる前に、恥ずかしくていたたまれない気持ちで、身体中がぎゅうっとこわばってしまうのだ。
おかげで好意を素直に受け止められずに、相手の気分を害してしまうことが何度もあった。
ジャレッドも同じように不快な気持ちになってしまったかもしれない。
ピアノを弾いているときはあんなに楽しかったのに、彼にあきれられたら、しらけた顔をされたら……と思うだけで、メラニーは顔も上げられなくなってしまった。
しかし、ジャレッドの反応は、メラニーが予想したどれとも違っていた。
「ひとまず落ち着け。ほら、深呼吸。すぐに答えようとしなくていい。一度呼吸を整えてからでいいんだ」
そう言って背中をなでられて、メラニーはびっくりする。そろそろと顔を上げると、ジャレッドは優しくほほ笑んでいた。
そのほほ笑みに励まされて、メラニーは王妃に教わった呼吸法を思い出し、すーはーと何度か息を整える。そうすると『とにかくなにか答えなくちゃ』という、強迫観念に似たあせりが徐々に落ち着いてきて、顔のほてりも引いていった。
「す、すみません。もう大丈夫です……」
「謝らなくていい。礼はほしいけどな」
ジャレッドがおどけた口調で肩をすくめる。メラニーはまたはっとして、たどたどしく頭を下げた。
「あ、ありがとう、ございます……」
「ああ。人間、謝罪されるより礼を言われたほうが気分はよくなる。それに、おまえのピアノが上手いと思ったのは本当だ」
「す、すみませ……あ、いえ、ありがとうございます」
あわてて言い直したメラニーに、ジャレッドは「よし」とうなずいた。
「そんなに自分を卑下することはない。おれもこんなに音が合う合奏は初めてで、楽しかった」
「……っ」
メラニーは大きく目を見開く。自分が思っていたことを、彼もまた思ってくれていたなんて……
(嬉しすぎて……なんだか胸がいっぱいだわ)
あせったりあわてたり、不安になったり嬉しくなったり。感情の振り幅が大きすぎてめまぐるしいほどだ。
真っ赤になりながらうつむいてしまうが、一方でふとあることが気になった。
(さっき、ジャレッド様は『ピアノも上手い』とおっしゃっていたわ。ピアノ以外に習ってきたのは声楽だけど、わたしは人前で歌を披露したことはないのに……)
ピアノはなんとか、家族か親族が相手なら披露することができたが、歌は本当に恥ずかしくて無理なのだ。緊張で声が喉に張りついてしまい、冷や汗ばかりが噴きだすし、ひどいときは目を回して倒れ込んでしまう。
最近はもっぱら、双子の弟妹にせがまれて童謡を歌うくらいだったから、会って間もない彼がメラニーの歌など、知るはずがないと思うのだが……
「どうせだから、もう一曲くらい合わせようか?」
ジャレッドが弓をひょいっと持ち上げながら尋ねてくる。
うなずきかけたメラニーだが、王妃が掲げていたゲームをはっと思いだした。
「でも、あの、卵を探さないと……」
「そういえば、そのために館に入ったんだったな。それじゃあ、またあとでピアノを聴かせてくれ」
ジャレッドはそう言って、ヴァイオリンをケースに戻した。
「この部屋に隠されているのでしょうか……?」
「さあな。探してみるか」
楽器から離れたふたりは、そこここに置かれた長椅子の下や、出窓のカーテンの陰などをひとつひとつ確認していく。だがそれらしいものは置いていなかった。
「上の階は全部客間だから、そっちのほうが隠し場所は多いかもな」
ということで、ふたりは一度サロンを出て、右手にあった階段を上って二階へ上がった。
「まぁ、二階もすごいわ」
いくつかの扉が連なる二階だったが、館のちょうど中心に位置するところは、三階までの吹き抜けのホールになっていた。中央にはピアノが置かれ、先ほどふたりがしていたように、演奏を楽しむ男女の姿も見受けられる。
みな宝探しをするかたわら、のんびりとこの時間を楽しんでいるのだろう。
「あんな小さい卵だから、そうそう見つからないと判断して、デートを楽しむ奴らも多いってことだな。——おれたちもそうするか?」
「えっ!?」
耳元でいたずらっぽくささやかれて、メラニーはひっくり返った声を上げた。
「デ、デ、デートなんてっ、そんなっ、め、めっそうもありません!」
「おれが相手じゃ不満か?」
「そ、そそそ、そういうわけでは、なくて……! わ、わたし、あの……きゃあっ!」
ぶんぶん首を振りながらあとずさっていたメラニーは、足をもつれさせうしろに倒れそうになった。
「危ない!」
ジャレッドがすかさず手を伸ばして、よろけたメラニーをしっかり受け止めてくれる。
「……っ」
彼の腕のたくましさに、メラニーは声もなく目を見開いた。
「大丈夫か?」
「は、はい……」
どきどきと駆け足になってきた胸の鼓動を感じながら、メラニーはぎこちなくうなずく。
驚きすぎてすぐに動けないメラニーを、ジャレッドはいやがることなく、しっかり支えてくれた。それどころか「あんまり大丈夫って顔色していないな」と言いながら、彼女の肩を優しく抱いてくる。
(わあああっ……!)
思わず心の中で叫びながら、メラニーはあわてて踏ん張った。
「あ、あああっ、あの! も、もうひとりで立てますので……!」
「本当だな? いや、心配だな。しばらくおれの腕に寄りかかっているといい」
「ひぃや……!」
ジャレッドはメラニーの手を自分の腕にしっかりかけさせる。抱き留められたときほどではないとはいえ、お互いの身体の位置がぐっと近くなり、メラニーは真っ赤になった。
一方のジャレッドもぷっと小さく噴きだす。
「今の、すごい声だったな。うわずっていて可愛い」
「かっ……!」
可愛い、なんて。みっともなくて見苦しいと言われることのほうが多かっただけに、驚きすぎて思わず固まってしまった。
そんなメラニーにジャレッドは小さく苦笑する。
「勘違いするなよ、褒め言葉だからな? ほら、ちゃんと掴まって」
自分の腕を掴むメラニーの手に、大きな手を重ねて、ジャレッドがほほ笑みかける。
至近距離から向けられた笑顔に、メラニーの心臓はどきんっと大きく跳ねた。
(そ、そんな笑顔を浮かべるなんて反則よ……!)
思わずそう思ってしまうくらい、メラニーを見つめる彼の瞳は優しい色に満ちている。
騎士という職業柄もあるのか、時折ちょっと言葉がきつかったり、意地悪に見えるジャレッドだが、根は優しいひとなのかもしれない……
(いいえ、優しいひとに決まっているわ。だからこそ、舞踏会でわたしを助けてくれたのだし)
それに、彼が弾くヴァイオリンの音色にも、優しさがあふれていた。
演奏はときに言葉以上に、そのひとの内面や性格をまざまざと映し出す。
彼の奏でる音は、メラニーの手に重ねられた大きな手のように、頼もしく、力強く、そして温かさに満ちていた。
「こっちはもうひとがいそうだから、もう一階上に上がってみるか」
ジャレッドが三階へ続く階段を見やってそう提案する。ぼうっと彼の手を見つめていたメラニーははっとして「そ、そうですね」とうなずいた。
そうして足を踏み入れた三階は、本当に客間のみが連なっていた。こちらはあまりひとの気配も感じない。しらみつぶしに端から見ていくかと言われ、メラニーもぎこちなくうなずいた。
とりあえず手近の扉を開けてみる。中は居間と寝室の二間続きだ。
ただの客間なのに素敵な絵がいくつも飾ってあるわ、と感心しながら、気を取り直したメラニーはあちこちをのぞいて卵がないか探していく。ジャレッドも同じように暖炉の中や戸棚をのぞいていた。
「こっちにはなさそうだな。寝室ものぞくか?」
「はい」
寝室に移動したあとも、寝台の下や鏡台の周りを探すが、なにもない。
別の部屋だろうか、と思ったとき、ジャレッドが「おっ」と小さく声を漏らした。
「こんなところに隠し扉があったぞ」
寝台のすぐ近くの壁を押すと、がこん、とずれるようになっていた。その向こうは小部屋になっており、奥に小さな机と丸椅子が置かれている。
その机の上にちょこんと金の卵が置かれていて、メラニーは目を丸くした。
「まぁ、こんなところに」
「これはそうそう見つからないな」
扉自体が壁の模様にまぎれて隠されていたので、教えてもらわなければとてもわからなかっただろう。
狭い入り口をくぐるようにして入ったメラニーは、金の卵を手にほっと息をついた。
「しかし狭いな」
メラニーに続いて小部屋に入ったジャレッドは眉を寄せる。
部屋の狭さもさることながら、天井も低いので、背の高いジャレッドはまっすぐ立っているだけでも圧迫感を覚えるようだ。
彼と思いがけず密着することになったメラニーも、どぎまぎせずにはいられない。
「き、きっと、物置として作られた部屋なのでしょうね。誰かが滞在中は替えのリネンを置いておいたり、とか……」
「そうだろうな。……いや、だがこんなところに——」
そう、ジャレッドがなにか言いかけたときだ。ばんっ、と居間のほうで扉が開かれる音が響く。
ジャレッドはなにを思ってか、開けっぱなしだった物置の扉をがこんっと閉じた。
「え、えっ……!? ど、どうして閉めるのですかっ」
「すまん。なんとなく」
ジャレッドはしれっと答える。だが狭い物置小屋で彼と密着することになったメラニーは、当然落ち着いてなどいられない。
幸い、天井近くに明かり取りの小窓があったので、扉を閉めても真っ暗にはならなかったが……薄暗いところで男性とくっついたまま動けないというのは、どうしたって緊張せずにはいられない事態だ。
先ほど抱き留められたときのどきどき感も一気に戻ってきて、メラニーの心拍数は急激に跳ね上がってしまう。
(ていうか、手! ジャレッド様の手が、腰を抱いてきている——!)
しかし真っ赤になって大汗をかくメラニーと対照的に、ジャレッドは涼しい顔で「へぇ、これはおもしろいな」と、楽しげにつぶやいていた。
「ど、どこが……っ」
「ほら、ここ。細い格子みたいに隙間が空いているだろ? おかげで部屋の様子がよく見えるようになってる」
「え……」
ジャレッドの言うとおり、先ほど閉めた隠し扉のちょうど上のところに、細い切れ込みのようなものがいくつか取られていた。背伸びして向こうをのぞいてみれば、確かに客間の様子がはっきり見えた。
「寝室から見ていたときは気づきませんでした……」
「案外、物置小屋じゃなくて、こういうのぞきのために作られた隠し部屋なのかもしれないぞ、ここ」
「ええっ? な、なんのために……」
メラニーは心の底から問いかけるが、ジャレッドも肩をすくめるばかりだ。
「お偉い王族が考えることだからな、一貴族に理解できるもんじゃないさ」
そして彼は新たに入ってきた男女を興味深げに観察した。
「ずいぶん盛り上がっているな、あのふたり……。お、こっちにくるぞ」
「えっ」
ジャレッドの言うとおり、若い男女が笑い声を上げながら寝室にやってきた。彼らは寝台の前でひしと抱きしめ合うと——なんと、その場で熱烈な口づけをはじめたではないか!
「……っ」
「お熱いことだな」
ジャレッドはにやりとしたが、メラニーは恥ずかしさと衝撃のあまり、声もなく口をぱくぱくさせてしまう。
王妃のパーティーに参加しているということは、どちらも未婚のはずだが……彼らは迷うことなくお互いの服に手を伸ばし、口づけ合ったままどんどん脱がせていく。
その手慣れた様子と、お互いが交わす視線の熱っぽさにあてられて、メラニーはなんだかくらくらしてきてしまった。
「おっと。腰を抜かして倒れるなよ。物音を立てると気づかれる」
ふらついたメラニーの腰をしっかり抱き寄せ、ジャレッドがささやいてくる。
その声にも、密着している状態にも、メラニーは内心で(きゃああああ!)と悲鳴を上げていた。
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