書籍詳細
孤高の魔法使いは初恋の新妻を手放せない
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2021/06/25 |
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内容紹介
立ち読み
プロローグ 破られた誓い
「ジーク様!」
草花が風に揺れる小高い丘の上。サファイアブルーの瞳を煌(きら)めかせ、レーナがこちらへ向かって駆けてくる。
彼女の瞳には、ジークハルトしか映っていない。
少しは足元を見ないと転んでしまう。はらはらしながら見守るジークハルトの腕の中に、レーナは飛び込んできた。
「会いたかった……。いったい、どこへ行っていたの?」
彼女の顔に浮かんだ純粋な思慕の表情に、胸を突かれる。
自分がどう答えたのかは、分からない。何も言わなかったのかもしれないし、現実のジークハルトなら絶対に口にしない甘ったるい台詞(せりふ)を囁(ささや)いたのかもしれない。
ここに来て、今目にしている光景は夢なのだと、ジークハルトは理解した。
理解した瞬間、気づかなければよかった、と後悔する。
夢だと自覚しなければ、もっとレーナを見ていられた。
案の定、彼女の声が聞こえなくなる。
それでもなお、彼女は無邪気な様子で、ジークハルトに話しかけていた。
嬉(うれ)しそうな明るい笑み、こちらを信頼し切った眼差し——半年前に自ら手放したそれを、食い入るように見つめる。
目覚めが近いのか、いつの間にか腕に感じていたはずの温もりが消えている。
ジークハルトはたまらず、両腕に力を込めた。
次の瞬間、レーナの姿はふっとかき消える。
喪失感と呼ぶには生ぬるい闇が、底の見えない深い闇が、胸の中に広がった。
『もう二度とあんな風には笑ってもらえないのに、健気(けなげ)なことだ』
——嘲(あざけ)るような声がどこかから聞こえてくる。
『それでいい』
ジークハルトは拳を握り締め、低く呟く。
『嘘だ。本当は欲しくてたまらないくせに』
『泣かせようが苦しませようが、傍(そば)に置いておきたいくせに』
誘惑に満ちた声が次第に大きくなる。
ぐらりと揺らいだジークハルトの脳裏に、肖像画に描かれた母と、母の絵を見つめたまま立ち尽くす男の姿が浮かんだ。
愛という名の身勝手な感情を免罪符に、母を不幸のまま死に追いやった男を思い出せば、迷う心はいつも正しい方向を指して定まる。
ジークハルトはおそらく、生涯レーナを忘れることはない。
彼女と過ごした日々を大切に抱き締め、時々こうして面影を夢に見る。
運がよければ、現実の彼女を遠目に眺めることも出来る。
それで充分だ、と何度も自分に言い聞かせた。
彼女が幸せに生きてさえいれば、ジークハルトは自分を消し去りたいほど憎まずに済む。
◇ ◇ ◇
明け方見た、かつての婚約者の夢は、何かの予兆だったのだろうか。
「——……っ!?」
背中から巨大な杭を打ち込まれたかのような衝撃を受け、レヴェルト王国の第三王子・ジークハルトは、濃紺の瞳を大きく見開き、その場に両膝をついた。
ここは、ジークハルトが住まう宮殿の中。現在、彼以外の人の気配はない。
何者かに襲われたわけではない、と頭の隅で判断しながら、胸元をきつく押さえる。
胸部全体が焼けるように痛む。
鼓動はこれ以上ないほど速まり、そのせいで上手(うま)く呼吸を整えられない。
鋭く激しい痛みに耐える為、蹲(うずくま)って背中を丸めた。
ジークハルトに発作を起こすような持病はない。
これは、【精霊を通して成された誓いが、損なわれた印】なのだとすぐに分かった。
ジークハルトがまだ分別のついていない子どもだった頃、精霊の誓いに纏(まつ)わる伝承が真実か知りたくなり、ささやかな誓いを立ててわざと破ったことがある。
あの時とは比べ物にならない激しさだが、痛みの種類はそっくりだ。
ジークハルトが現在、立てている誓約は一つだけ。
それは、かつての婚約者の安全を守ること。
額にじわりと脂汗(あぶらあせ)が浮かぶ。
(レーナに、何があった。彼女は、無事なのか!?)
最悪の想像が脳裏を過(よ)ぎる。
一秒でも早く、彼女の安否を確認しなければ——気は逸(はや)るものの、今なお断続的な痛みの波に晒(さら)されている身体(からだ)は思うように動かない。
歯噛みするジークハルトの目前で、空間がぐにゃりと歪(ゆが)んだ。
淡く発光する歪みの向こうから突き出されたのは、水晶に似た長い爪だ。鋭く煌めく爪は、そのまままっすぐ空間を切り裂いていく。
やがて裂け目から姿を現した爪の持ち主は、人間の女の身体を模していた。
ぶわりと舞い上がった長い髪は淡い緑色をしており、まるで別の生き物のように好き勝手動いている。先ほどまで長く尖っていた爪は、しゅるりと音を立てて短くなった。
ほっそりとした小柄な体を空中に浮かせたまま、それは口を開く。
「あなたたちの誓いは破られたわよ、ジークハルト」
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