書籍詳細
こじらせ騎士が鎧を脱がない理由
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2021/07/16 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
プロローグ 甲冑(かっちゅう)騎士に身を委ねる
彼がわずかに動くたび、カチャ、カチャ、と金属がぶつかり合う音が響く。
戦場でもないのに全身を甲冑(プレートアーマー)で覆い隠し顔すら見えないという、異様な姿の青年――ランドルフという名前しかわからない騎士に、クラリスは素肌をさらけ出していた。
「瞳がペリドットのような澄んだグリーンなのはさっき見えたが、髪は何色だ……? 暗くてよくわからない」
シスターだったクラリスの髪は、いつもベールで隠されていた。ランドルフの膝の上に座り、せり上がる快楽に耐えきれず暴れたせいで、いつの間にか髪があらわになっていた。
「茶色……薄い茶色です……」
髪の色などどうでもいい――もっと強く触れてほしい。頂まで導いてほしい。そんな欲求でいっぱいになり、思考にもやがかかる。
「光の下ならば、さぞ美しいのだろうな」
柔らかく、落ち着いた声で囁(ささや)きながら、ランドルフがクラリスの髪を弄(もてあそ)ぶ。消えてしまいそうな自我が、彼の存在に励まされてなんとか踏みとどまっている。そんな状態だ。
人通りのない道から逸(そ)れた雑木林の中。わずかな月明かりしか届かない野外で、クラリスは硬く冷えた鋼に寄りかかっていた。彼は決して純潔は散らさないと誓って、クラリスの敏感な場所に触れ、熱を逃がす手伝いをしてくれている。
彼がいなかったら、クラリスはどうなっていただろうか。
自分ではどうにもできず、悶(もだ)え苦しんでいたかもしれない。もしくは、くるおしいほどの欲求に耐えきれず、男性を誘っていたかもしれない。
「……わた、し……もうこれまでと同じではいられない……んですね? ……こんな身体になって……はしたなくて……もう明日からどうしたらいいのかわからない……」
言葉にするとより強く自覚して、胸が締めつけられた。
彼女の身体は今、媚薬に侵されているのだ。都から駆けつけたランドルフの到着が少しでも遅かったら、クラリスは間違いなく卑劣な者の手によって穢(けが)されていただろう。けれど、媚薬は彼女の身体を苛(さいな)んだまま、飲まされた事実は消せない。
今、甲冑の騎士としているのは、間違いなく戒律で禁止されている行為だ。クラリスに薬がもたらす甘い誘いをはね除(の)けるほどの強い心があればよかったのに、そうはならなかった。
シスターとして神に仕え、併設の孤児院で子供たちの世話をしながら暮らしていたはずなのに。その資格を失った気がした。
油断すると、そんな喪失感よりも心地よさが勝ってくる。身体の内側から蜜が生まれ、それがランドルフの指を濡らしているのがわかった。
「大丈夫、はしたなくなどない」
「隊長さん?」
「明日からのことは、今は考えないほうがいい。まだつらそうだ……私に任せて、すべて忘れてしまうんだ……ほら、先ほども言っただろう? 顔が見えないのだし、私のことは道具だと思っていればいい、と」
誰にも触れられたことのなかった秘部の浅い場所を無骨な指が這(は)う。媚薬に侵された身体はとにかく敏感だった。覚えたばかりの快感がせり上がってくる。
「あ……うっ、はぁ。隊長さんの指……善(よ)いの……」
「そうだ。今は心地よさだけ感じていればいい」
「あぁ、あぁっ、また……すぐに……」
冷たい甲冑にしがみついて、快楽を貪る。身を預けてもびくともしない鋼鉄の胸。包み込む硬い腕――先ほど出会ったばかりの人だというのに、クラリスはすっかり彼を信頼し、甘えていた。鎧(よろい)で姿を隠していても、クラリスの瞳には彼の周囲に漂う金色の光が映っている。暖かく、穏やかな気配をまとっているように見えるのだ。きっと本当の姿は、勇ましくも凜々(りり)しい騎士に違いない。
水音を立てながらランドルフが花園の浅い部分を撫でて、充血した花芽を押しつぶす。
自然と腰が揺れてしまうのがはしたないのに、やめられない。果てが近いことなど、自分が一番よくわかっている。
「あ……、あぁ……っ、もう……だめ。ああぁぁっ」
絶頂を迎えているときだけ、もどかしさから解放された。けれど、それで終わらないことは彼女自身が嫌になるほど自覚していた。
乱れた呼吸が整うと、欲張りな身体がもう一度、もう一度、と急(せ)かしてくる。
「もっと、ほしい……指……もっと……」
「あぁ、いくらでも」
顔のわからない騎士は、どこまでもクラリスを肯定してくれる。彼が痴態を咎(とが)めないせいで、彼女の理性はもはや消失寸前だった。
クラリスは冷たい甲冑にしがみついて、快楽を貪った。
ランドルフはクラリスの媚薬の効果が薄まるまで根気よく彼女に付き合ってくれた。
「これでいい」、「君のせいではない」、「淫らなんかじゃない」、彼女が不安になるたびに、そんな言葉でなぐさめてくれる。
何度目かの絶頂のあと、クラリスは意識を失った。
目を覚ましたクラリスは、窓の外の明るさや子供たちの声で、寝坊してしまったことを知った。本来ならば、とっくに起きて子供たちの世話をしなければいけない時間だ。
「……あっ、喉が……」
喉がピリッ、と痛むのは昨晩嬌声を上げ続けたからだ。泣きじゃくったせいで目の下は腫れぼったいし、頭も痛い。その痛みが昨晩の出来事が夢ではなかったと教えてくれる。いっそ、記憶を奪ってくれればいいのに、あの忌ま忌ましい薬にはそういう効果はなかったらしい。
どうやって私室まで帰ってきたのか定かではない。助けてくれたランドルフが今どこにいるのか、気になった。会ってお礼を言うべきなのに、凜々しい甲冑騎士の姿を思い出すだけで心臓の音がうるさくなった。
(隊長さん……)
ひとまず着替えを済ませ、いつものようにベールをかぶる。
「目が覚めたか? 入室の許可がほしい」
「はいっ! どうぞお入りください」
起きた気配を察してくれたのか、外から呼びかけがあった。ランドルフかもしれないと思ったクラリスは、うわずった声で返事をし、入室の許可を出す。
「失礼する」
開け放たれた扉の前には一人の美しい女性の姿があった。
「……え、どちら様ですか……?」
束ねているのがもったいないと思ってしまうくらいにまっすぐな金髪が、朝の光を浴びて輝く。瞳の色は深い青。まつげが長く、スーッと通った鼻筋に小さめの顔……完璧な容姿をしている人物だ。
「おはようございます」
「……あぁ。さ、……昨夜は……」
クラリスが笑顔で声をかけるが、女性騎士は素っ気なく、あからさまに視線を逸らす。
頬がほんのり赤くなっているから、嫌っているというより照れている印象だ。人見知りをするタイプなのかもしれない。
背はクラリスよりも少し高い。無表情だと近寄りがたいのに、なんだか可愛らしい人だった。
「都からいらっしゃった騎士の方ですよね? 安心しました、女性の騎士様がいらっしゃるなんて心強いです!」
恐ろしい目に遭ったばかりのクラリスにとって、女性騎士の存在はありがたかった。もちろん昨晩の言動からして、ランドルフが束ねている隊の隊員ならば、性別に関係なくクラリスに危害を加えることはないとわかってはいるのだが。
クラリスは思わず彼女に近寄って、挨拶代わりに手を握った。
「はぁぁ!?」
美しい顔が歪(ゆが)む。彼女を怒らせるようなことを言ったつもりのないクラリスは戸惑った。そして、違和感を覚えた。
「……あれ?」
違和感の正体は声と握った手だ。声は女性としては低めだし、手はゴツゴツとしていてやたらと大きかった。
「俺のどこが女に見えるんだ!」
クラリスは改めて若い騎士の顔をまじまじと見つめた。サラサラの金髪、長いまつげ、ひげなど一本も生えてこなそうな顎(あご)、薔薇(ばら)色の唇。女性にしか見えなかった。
けれどどうやらクラリスは、初対面の騎士に対し、とてつもなく失礼な勘違いをしてしまったらしい。鋭い視線が、それを教えてくれた。
第一章 聖女候補はいきなりピンチです
クラリスの人生が一変することとなった出来事は三日前に起こった。
その日、クラリスは修道服の上にフード付きの外套(がいとう)を羽織って、山道を歩いていた。
季節は冬の終わり。外に出たときは外套がちょうどよかったのだが、早足で歩いていると身体が温かくなって、一枚多く着込んでしまったかもしれないと後悔する。そんな陽気だった。
手にしたかごの中には焼きたてのフィッシュパイと果物が入っている。道の先から幌(ほろ)付きの荷馬車が下ってくる。道が狭いため、クラリスは山側に寄って、馬車が通りすぎるのを待つ。
「よう、シスター! 新人に差し入れかい?」
御者台に座る男性が、すれ違いざまに声をかけてくる。鉱山の関係者だ。
「ええ、ひと月前に巣立った子がいるから心配なの」
「食べなきゃ一人前の男になれないからな!」
そう言って、男性は立派な力こぶをクラリスに見せつけながら、ニカッと笑い、山道を下っていった。
クラリスは二十二歳のシスターである。金鉱山で栄える地方都市ティリッチで生まれ、教会に併設された孤児院で子供たちの世話をしながら暮らしている。
彼女自身も子供の頃に両親を亡くした孤児だった。
今は、巣立ったばかりの十四歳の少年・サムの様子を見に、彼の職場である鉱山に向かっている途中だった。
鉱山での仕事はかなり過酷だ。最初の頃は倒れずに一日過ごすだけで精一杯だという。
疲れ果ててまともな食事をする気を失うと、いつまで経(た)っても体力はつかない。体力がなければ病気に繋(つな)がる。
過酷な職場に送り出した者として、孤児院を出たばかりの少年の健康に気を配る必要がある。
もうまもなく坑道の入り口が見えてくるという場所にたどり着いたとき、突然ドーンという地響きが聞こえた。腹に響くような不快な振動だった。
「まさか、坑道でなにか?」
山の二合目付近に、現在採掘が行われている横穴がある。その周囲には働く者たちの休憩所があり、荷物の積み下ろしをする作業場にもなっている。
クラリスは全力で走ってそこまでたどり着いた。
「崩落だ!」
「……こいつはまずい!」
鉱山の入り口付近にいた誰かが叫ぶ。
鉱山で起こりうる代表的な事故は、岩盤の崩落に働き手が巻き込まれる事態。それと、可燃性ガスによる爆発だ。
鉱山の横穴からは、怪我をした人たちが自力で逃げてきた。
足を引きずり、肩を押さえ、血を流している者もいた。ひらけた場所までやってくると、何人かがその場に倒れた。
「サム! 嘘でしょう!?」
鉱山から這い出てきた者の中に、よく知っている少年の姿があった。十四歳になったばかりのサムは、自力では歩けず、青年二人に抱えられていた。
木陰に寝かされるが、状況がよくないのは一目でわかる。
「……ゴホッ! ガッ、ゴホッ!」
目立った外傷はない。けれど彼は、口から大量の血を吐いた。黄ばんだシャツが真っ赤に染まり、口の端からこぼれた血液が地面にも落ちた。
「これはひどいな。……内臓をやられている」
手当ての心得がある者がすぐにやってきてくれたが、患部が身体の内側では手の施しようがない。吐いた血液が呼吸を妨げないように、横向きに寝かせてやることしかできなかった。
クラリスが近づくと、手当てをしていた男性が「シスター、そばにいてやれ……」とだけつぶやいてその場を離れた。
「あぁ……クラリス姉ちゃん……。約束守ってくれたんだ」
好物のフィッシュパイを昼休憩の前までに持っていくと約束していたのだ。約束の時間――休憩の時間まであと少しだった。
崩落がほんの数分遅ければ、もしくは別の場所で作業をしていたら、彼は怪我をせずに済んだはずなのに。
怪我をするかしないかの違いは、もしかしたらたった一歩の距離だったかもしれないのに。そう思うとやるせない。
「サム……! しゃべってはだめ」
大丈夫、しっかりして――そんな言葉をかけたくても声にならなかった。手当てすらしてもらえないほどの重傷で、もう見切られてしまったのだから。
できる限り穏やかな死を迎えられるように寄り添うのは、神に仕えるシスターの仕事なのかもしれない。クラリスが一番したくなかった役目だ。
「姉ちゃん……手を……握って……くれないかな……? 昔から姉ちゃんの『痛いの痛いの飛んでゆけ』……って、なんか効くん……ゴホッ!」
「サム……」
クラリスは寝かされているサムのすぐそばにしゃがみ、伸ばされた手を取った。
震えて、すでに体温を失った頼りない手だった。
「あぁ……やっぱりあったかい。姉ちゃんに触ってもらうとホッとするんだ……」
「……ずっと、こうしているね……? 怖くないよ……」
彼を不安にさせたくなくて、涙をこらえる。
手を握り、泣かずにいることしかできないなんて、姉としてもシスターとしても不甲斐なかった。
きっとすぐに治る――やはり、そんな無責任な希望は決して言えなかった。
(私が孤児院から送り出した子が……、私……なんで、なにもできないの!)
サムが温かいと言ってくれるから、クラリスは血の気を失ってさらに冷えていく彼の手が少しでも体温を取り戻せるように祈った。
不思議なことに、やがて本当に自分の身体が発熱したような感覚になる。
「……? ね、姉ちゃん……、なにしてるの? ……身体が熱い、なんで……?」
サムが目を見開く。
クラリスの中で、なにかが湧き出して、それが弾けた気がした。
「おい、なんか光ってるぞ!」
周囲の者がそう指摘するが、クラリスにはもうどうでもよかった。
なぜか彼女の中には、感情の赴くままに行動すべきだという確信がある。懐かしい、忘れていたものをすべて思い出したような――そんな感覚に身を委ねた。
身体の中から力が溢(あふ)れ出しているのがわかっていた。
それで正しいのだと魂が理解している。これはクラリスがずっと身体の奥深くに隠し持っていたものだ。
「痛くない……痛くない……! なんで? 嘘だろう……聖女様? クラリス姉ちゃんが……光ってる!」
光っているのはサムや周囲の人たちも同じだった。少なくともクラリスにはそう見える。
サムはつい先ほどまで輝きを失いかけていて、とくに胸のあたりの光が消失寸前だった。
クラリスはただ、自分の身体の中から湧き出る光で、彼の欠けている部分を補ってやっただけだ。
「聖女様……? 私、どうして……」
〝聖女〟または〝癒やしの聖女〟というのは、この国――ブレナークの王侯貴族の中に稀(まれ)に生まれる不思議な力を持つ女性のことだ。
同じ時代に十人もいないという特別な存在で、クラリスのようなシスターとは根本的に違う。
だが、誰よりも強く、小さな光の粒が自分を取り囲んでいるのは、クラリスにも見えている。これがなんなのか不明だが、考えている余裕はなかった。
サムが半身を起こす。動けるはずのない瀕死の重傷を負った者の変化に、皆が驚き、どよめいた。
「……重傷者を……ほかの重傷者も連れてきてっ!」
なにもかもがはじめてだ。この研ぎ澄まされたような感覚がどれくらい続くのかわからない。だからクラリスは自分の内側に存在している力を捉え続けることだけに集中した。
すぐに五名の重傷者が運ばれてきた。
二人目、三人目まではよかったが、四人目からは油断すれば気を失いそうなほど身体から力が失われていくのを感じた。
五人目になると目が霞(かす)んで、自分がなにをしているのかも曖昧になってくる。
「こいつで最後だ、頑張れシスター」
誰かの励ましが聞こえた。
周囲に集まる者たちも、クラリスの顔色が悪いのを察している。皆の声に耳を傾けなんとか気絶しないように気を保つ。
胸を押さえていた重傷者の呼吸が穏やかになる。
世界が白く染まって、直後に暗転する。クラリスは意識を手放した。
◇ ◇ ◇
クラリスはその後、孤児院に運ばれて丸一日昏睡(こんすい)状態にあった。
目が覚めても頭が割れるように痛く、身体に力が入らなかった。
孤児の少女がスープを作ってくれたが、スプーンを持つ手すら震えてしまうほどだ。けれど空腹感はあって、クラリスは時間をかけて、スープを残さず飲み干した。
食事が終わってしばらく横になっていると、孤児院の院長がやってきた。
院長は六十代で、クラリスと同じく教会に所属するシスターだ。
「サムは? 怪我をした人は……無事なんですかっ?」
眠っているあいだ、クラリスはずっと悪い夢を見ていたような気がした。恐ろしい記憶だけが真実で、奇跡のような出来事は現実逃避の夢だったのではないかと不安になった。
「大丈夫ですよ。怪我をした方はたくさんいますが、誰も命を落とさずに済みました。あなたが治療したからです。……大変でしたね」
幸いにして崩落事故は規模の大きなものではなかった。院長の言葉で安心したクラリスは冷静になり、自分があのときなにをしたのか真剣に考えはじめた。
「それ……夢ではなかったんですね……?」
あのときのクラリスは、無我夢中だった。確かに湧き上がってくる力を感じたような気がしたが、目が覚めてからは夢だったのではないか? と本人ですら半信半疑だ。
理論的に考えて、平民のクラリスが癒やしの力を持っているはずはないのだから。
「ええ。サムやあの場にいた多くの者がそう証言しています。……クラリスは癒やしの聖女に違いないと。もう町中で大騒ぎですよ」
「ですが! 聖女様って王族の方か、王族と血縁関係にある貴族からしか生まれないはずでは?」
聖女は、物語に出てくるような不思議な力を使えるこの国の宝だ。その力はブレナーク国に生まれた者であれば、誰もが知っている建国の神話に由来する。
初代国王は女神のお告げにより、この地を治めるために剣を取った。女神は自らの娘を初代国王に遣わした。
やがて初代国王と女神の娘は愛し合うようになり、統一された平和な国で幸せに暮らした。――そんな物語だ。
これはただの神話ではない。実際に女神の血を受け継いだ子孫の中に、他者の怪我を治せる特別な女性が生まれているのだ。ただし、同じ時代に十人もいない貴重な存在である。ブレナークでは女神の血を尊び、王家の血を引く女性の婚姻を厳重に管理している。
だから女神の血が庶民にまで広がることなどあり得ない。
「でも、私の父は猟師で、母はティリッチの町娘のはずです」
クラリスの母は身体が弱く、クラリスを産み落としてまもなく天国に旅立ったという。
そして父もクラリスが九歳のときに病で亡くなってしまった。
「ええ……、まぁ……そうなんだけれど……」
院長も首を傾(かし)げている。
両親がどこの誰なのかわからない孤児であれば、じつは貴族の血を引いているという可能性も考えられたかもしれない。けれど両親が何者なのかわかっているクラリスには当てはまらない。
「やっぱりなにかの間違いでは?」
サムや鉱山で働く人たちが助かったのは嬉しい。けれど、自分が聖女であったところで、無邪気に喜べるはずはない。王侯貴族と同じ力が使えることは、危険だからだ。
平民の、しかも孤児だった者が貴族の中でも神聖視されている聖女と似たような力を使ったら、身分の高い者からなんと思われるか。
「間違いであったほうが楽だったかもしれないわね……。けれど、あなたが癒やしの力を使ったところを目撃した者は多いのだから、事実は消せないわ。あなたが眠っているあいだ、中央教会に使いを出しておいたの。今はその返事を待ちましょう」
「中央教会だなんて……そんな大ごとに……?」
中央教会は国中の教会を統括する総本山で、都にあるブレナーク城の敷地内にある。聖女たちが所属している神聖な場所だ。
城内にあるため、当然身分の高い者しかその場で祈りを捧げることは許されない。
女神の血を引いている高貴な者と平民では、同じ神に仕えていても恩恵に差があるのは当然なのかもしれない。平凡なシスターであるクラリスにとっては、一生足を踏み入れる可能性のない、縁遠い場所だった。
院長は聖女たちが所属する中央教会に手紙を出し、クラリスの扱いについて判断を仰ぐつもりのようだ。結局、院長もクラリスも、身分の高い者の決定に従うしかないのだ。
「院長先生! クラリスお姉ちゃん、大変よ!」
そのとき、突然孤児の少女が階段を駆け上がり、二階にあるクラリスの部屋の扉を勢いよく開いた。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「小麦に、肉……果物まで! すごいのよ、お姉ちゃん」
少女は鼻息を荒くしながら瞳を輝かせていた。悪い知らせでないことは、その様子からすぐに察せられた。
「肉? 果物……?」
「領主様のお使いの方がね! 食べ物をいっぱい持ってきてくれたのよ。お姉ちゃんに会いたいんだって」
まだベッドから起き上がることが困難なクラリスに代わり、領主の使いへの対応は院長がしてくれた。
それによれば、領主は今回のクラリスの活躍に感謝し、褒美を与えるつもりなのだという。それでさっそく、孤児院に必要なものを届けてくれたのだ。
子供たちは大はしゃぎだった。限られた予算で運営している孤児院では、子供たちにひもじい思いをさせてはいないが、高級な食材とは縁遠い。
牛肉に鴨肉、めずらしい果物などは、いつもの孤児院の食卓には決して並ぶことのない食材だ。小麦粉など、日々の食事に欠かせない品もあるという。
「よかった……。子供たちが喜んでくれて」
「それからクラリス。体調が改善したら、あなたは領主様に会いに行きなさい。直接労(ねぎら)いたいとおっしゃっているそうよ。本当にありがたいわね」
そう言って、院長はクラリスに手紙を見せてくれた。
それは領主からで、まずは見舞いの品として食材を手配したこと。そして、クラリスとは今後について相談する必要があるため、直接会って話がしたいということが書かれていた。
「領主様が直接? ……そうですね、孤児院への支援についてもお礼を言わなければならないでしょうし……。失礼のないよう頑張りますね!」
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