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この恋は放送禁止です! 〜イケメンアナウンサーは、甘い味に落とされる〜

橘柚葉 / 著
ODEKO / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2021/07/30

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内容紹介

今夜は覚悟してって言っただろう?
亡き両親から受け継いだ定食屋で店主を勤める小羽は、朝の情報番組の看板アナウンサー尾上柊也の甘いマスクと美声が元気の源だ。ある日小羽の店に柊也がやってきて、しかも女性関係に疲弊してる柊也がこの店を逃げ場として毎日来店してくることに!? 画面越しの憧れだった柊也に戸惑うものの距離が近づき、小羽にしか見せない笑顔や甘い眼差しに幸せを感じていた。ふと触れる指先に思いをあふれさせるが、週刊誌に柊也の熱愛スキャンダルが掲載されて——。クールな看板アナウンサー×初心な天真爛漫女子のシークレットラブ!

立ち読み

プロローグ


『時刻は、四時五十五分です。おはようございます、八月三十日、月曜日。モーニングJです』
 爽やかな早朝にピッタリなオープニングテーマソングが流れ、男性アナウンサーの心地よい声が響く。
『夏休みも残り二日の学校が多いかもしれません。今日は一日とてもいい天気になる予報が出ているんですよね? 気象予報士の北(きた)野(の)さん――』
 テレビから流れてくるその声を聞きながら窓の外を見れば、空はうっすらと明るくなりつつある。
 日の出までは、あと十分ほどといったところだろうか。
 ウェーブが緩くかかっているダークブラウンの髪をシュシュで一つに纏(まと)めながら、洗面台へと向かう。
 手早く歯磨きをし、冷たい水で顔をジャブジャブと洗った。
 化粧水と乳液をつけたあと、BBクリームを顔につけていく。
 パウダーを軽く叩(はた)いたあと、手早く眉を描いてリップを塗る。そして、テレビへと視線を向けた。
 完全に覚醒していないが、一言一句聞き逃さないように耳を澄ませる。
 市場に行く前のこの時間、必ずテレビを点(つ)ける習慣ができていた。
 全国ネットのモーニングJは、月曜から金曜の週五日、朝四時五十五分から八時まで放映されている、かなり早朝から始まるニュース番組だ。
 基本六時までは前日のニュースを、そのあとは朝刊の内容を盛り込んでいく。
 その合間に天気予報や話題のトレンド、エンタメ情報などを挟んでいくような朝の時間にピッタリなニュース番組である。
 八時からの情報番組にはコメンテーターや芸能人が出演しているが、このモーニングJは局アナだけで進行していく。
 なんの変哲もない、ごくごく普通のニュース番組だ。
 他局でも似たようなニュース番組が編成されているのだが、このモーニングJは他の局の追随を許さないほどの人気があるのだ。その理由は――。
「今日も素敵だなぁ……」
 尾(お)上(がみ)柊(しゅう)也(や)。テレビTKのアナウンサーだ。
 彼がこの早朝番組のメインキャスターになってから、〝モーニングJ〟を欠かさず見るようになった。
 モーニングJが早朝番組という視聴率をあまり稼げない時間帯に放映されていても、話題になる理由。それは、彼の存在だ。
 今、もっとも勢いがある男性アナウンサーだと言っても過言ではない。
 昨年の局アナ人気ランキングでは、堂々の一位に輝いていた。
 彼のファン層は、二十代のOLを始めとする女性たちだ。
 彼女たちは、わざわざ早起きをしてこの番組を見ているほどなのである。
 もちろん、ここで眠たい目を擦りながらテレビを凝視している朝(あさ)岡(おか)小(こ)羽(はね)もその中の一人と言えるだろう。
「今日も一日頑張れる! よし、行くぞ」
 まだ番組は続いている。だが、そろそろ市場に仕入れに行かないと開店に間に合わなくなってしまう。
 後ろ髪を引かれながらテレビの電源を切り、小羽は二階にある自室から階段を下りて軽バンに乗り込む。
 シートベルトを締めながらも、先程まで聞いていた美声を思い出しウットリとしてしまう。
「素敵だよね……尾上さん」
 彼の職業はアナウンサーだが、これほど人気があるとアイドルや俳優と同じ括(くく)りでもいいように思う。
 どちらにしても、住む世界が違う人であることに違いない。
 自分の人生に関わってくることは、万が一にもないだろう。そういうものだ。
 テレビの向こう側の人となんて、一生話さずに終わる。それが普通だ。だけど――。

 朝一番から素敵なお顔を拝めたことで、小羽の心はウキウキしている。
 だが、今日は金曜日。彼の顔を拝むことができるのは、三日後の月曜日だ。
 長いなぁ、と小さく呟きながら、軽バンのエンジンをかけた。




1 ご飯は、口実の一つとして


「いらっしゃいませ」
「今日のおまかせを二つね。メインはどっちも鰹の刺身!」
「はーい! 奥の席へどうぞ」
 正午を過ぎ、〝定食や朝岡〟にはサラリーマンたちがやって来ている。
午前十時から午後二時までの昼営業のみをしている、祖父母の代から続いている定食屋で、一階は店舗で、二階は自宅だ。
 祖父母から小羽の両親にバトンタッチされていたのだが、小羽が高校三年のとき、両親は仕入れの途中に事故に巻き込まれて亡くなってしまった。
 両親が健在のときは大学進学を検討していたのだが、その事故により人生が一変。
 両親が愛したこの店を、このまま閉店させたくない。すぐには無理でも、近い将来きちんとした形で継ぎたい。
 そう思った小羽は、進路を急遽変更。調理師専門学校に行くことを決めたのだ。
 二年間勉学に励んで調理師免許を取得後、再び定食や朝岡をオープンさせた。
 祖父から料理を習っていたし、両親に代が移ってからも手伝いは欠かさずしていたため、先々代の頃から味は変わっていない。
 何もかもが順調に進んだ、とは言えないが、それでも昔なじみの客たちが足しげく通ってくれ、口コミで広げてくれたからこそ今があるのだ。 
 朝十時の開店時には近くにある青果市場にやってきた人や市場勤めの人たちが、昼時分にはオフィス街のサラリーマンが来店する。
 行列ができることもあり、本当にありがたい限りだ。
 この店の店主である朝岡小羽は、客に声をかけながらも料理の手を止めはしない。
 身長百五十二センチで小柄な小羽だが、そんな小さな身体に似合わずパワフルだ。
 大きな鍋やフライパンを細腕で振るうし、十キロの米袋を二つ両脇に抱えて運ぶほど。
 彼女を形成しているパーツすべてが小さくてハムスターやリスのような小動物系に見えるが、力持ちの一面を見せると誰もが目を剥(む)く。
 どこからそんな力が出てくるのか、と常連客にはよく首を傾げられた。
 胸の辺りまで伸びたダークブラウンの髪は緩くウェーブがかかっていて、店を切り盛りしているときはシュシュでひと纏めにしている。
 黒のコンプレッションウェアに白の半袖Tシャツ、黒のパンツ。その上に黒エプロンを着用するのが小羽のユニフォームだ。
 仕事中は動きやすくスポーティーな格好をしているが、ひとたびオフになるとフェミニン系のきれいめファッションを好む。
 そのギャップが凄まじい、と友人知人に言われている。
 一見物静かな雰囲気があるらしく、男性からしたら守ってあげたい女性に見えるらしい。
 だが、昔なじみの客たちからは、正反対の性格で芯は強い方だと分析されている。
 でも、弱みを見せることができないからこそ誰かに甘えたい。甘えさせてほしい。
 そんなふうに、こっそりと思っていることは内緒だ。
 だが、残念ながら小羽を甘えさせてくれる男性の登場は今のところない。
 九月上旬の金曜日。まだまだ残暑厳しく、食欲も落ち込み気味のサラリーマンが多い。
 先程注文が入った鰹の刺身は、脂の乗った戻り鰹が手に入ったので今日のメニューに入れ込んだ。それは正解だったらしく、すでに売り切れそうである。
 この店のメニューは、『今日のおまかせ』のみ。
 主菜、ご飯、小鉢、赤だし、香の物、だし巻き玉子というラインナップだ。
 主菜となるメイン料理は日替わりで二つあり、どちらかをチョイスしてもらうシステムである。
 店のウリは、ご飯。定食で出しているご飯は、米どころとして有名な産地の物だ。
 こちらの米は小羽の従兄(いとこ)家族から格安に仕入れることができるのだが、とても美味しいので客の間では評判になっている。店の看板でもあるのだ。
 このご飯目当てで来店する客もいるほどである。
 あとは、だし巻き玉子。これは先々代、小羽の祖父のレシピを忠実に再現している。
 昔なじみの客には、特に好評だ。
 そんな〝定食や朝岡〟だが、それなりに繁盛している店なので小羽一人ではさすがに切り盛りできない。
 そこで、亡き母親の親友で近所に住む水(みず)野(の)成(なる)美(み)が手伝ってくれているのだ。
 母と成美は大学で知り合い意気投合。それから、ずっと付き合いが続いていた。母の死後、小羽が店を再開させるときに『私に手伝わせて!』と彼女の方から声をかけてくれて、今こうして店で働いてもらっている。
「二番さん、お願いします」
「はいね!」
 成美は威勢のいい返事をして、二つのお膳を持って二番テーブルに料理を持っていく。
 彼女も小羽と同様で小柄なのだが、こちらも腕力がある。
 ひょいひょいとお膳を持っては運び、片付けなどもこなしてレジも請け負ってくれる。
 この店に、なくてはならない人だ。
 彼女がいなかったら、今頃どうなっていただろうか。きっと、うまく店を回せていなかったと思う。
 だからこそ手伝うと名乗り出てくれた成美には、感謝の気持ちでいっぱいだ。
 なんとか必死に店を営業しているのだが、ごく一部の男性は若い女が切り盛りしていることを揶揄(やゆ)してくる。
 それを、肝っ玉母さんである成美が窘めてくれるのである。
 本来なら、店主である小羽が自分で切り抜けなければならない試練なのかもしれない。
 だが、基本男性への対応が下手くそなので、なかなかそれが難しく……。
 そんな小羽を、成美がカバーしてくれるのである。本当にありがたい。
『小羽ちゃんは、私の娘同然よ。じゃんじゃん頼りなさい!』
 そんなふうに言ってくれる彼女には、足を向けて眠ることなど絶対にできないだろう。
 出来たての料理をお膳にセッティングし、それを成美に運んでもらっていると、また客が入ってきた。
 ひっきりなしに客が来ることは本当にありがたいが、もう少しで今日分にと用意していた食材がなくなってしまう。
 チラリと時計に視線を向ければ、午後一時になろうとしている。いつもなら、ここからは客足が落ち着くはず。
 来店した客すべてに食べていってほしいので、なんとか数が保(も)つといいのだが……。
 午後一時半になろうとしたときには店内にいた客がすべて捌(は)けた。早じまいにしてもいいかもしれない。
 とはいえ、あと二人分ならなんとかなるとは思うが……。どうしようか。
 あれこれ考えていると、引き戸がカラカラと音を立てて開く。
 いらっしゃいませ、と声をかけながら慌てて顔を上げると、そこには常連客である真(ま)下(した)がにこやかに手を振っていた。
「真下さん、いらっしゃいませ! お久しぶりですね」
 顔を綻ばせて招き入れると、彼は頭を掻きつつ眉を下げた。
「こんにちは、小羽ちゃん。ごめんね、もっと頻繁に顔を見に来たいんだけど」
「いえいえ、いつも気に掛けてくださってありがとうございます」
 ニッコリとほほ笑むと、真下は目尻にたっぷり皺を寄せ表情を柔らかく緩めた。
「もしかして、店を閉めるところだったかな? まだ大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
 二食分あるので、まだ大丈夫だ。
 大きく頷くと、彼はホッとしたように息を吐き出し、そしてカウンター席に腰かける。
「この店が繁盛しているのは知っているからね。この時間だと、もう品切れになっているかもしれないと思ってドキドキしていたんだよ」
「真下さんの読み、正しいです。あと二食分だけなんですよ」
「おお! 僕はラッキーだったってことだね」
「はい!」
 ピースサインを送ると、彼も同じように返してきた。
 ノリがいいのは、昔から。そんなお茶目な真下に満面の笑みを向けると、彼は不安そうに聞いてきた。
「あとでもう一人来るんだけど、いいかな? 小羽ちゃん」
「はい、大丈夫です」
 そんな会話をしていると、「じゃあ、暖(の)簾(れん)下げてくるわね」と成美が声をかけてきた。
 彼女にお願いしたあと、再び真下に視線を向ける。
 スラリとした容姿でスタイリッシュな眼鏡をかけている彼は、五十代とは思えないほどスタイルがいい。その上、とてもハンサムだ。
 年々渋さを増し、魅力が溢れているオジサマである。
 彼は、祖父の代からの常連客だ。
 父が亡くなってからは、特に小羽の相談に乗ってくれたりして気に掛けてくれている。
 彼は一駅先にある会社に勤めていて、開店と同時に来店することが多い。
 仕事が深夜になることが多く、帰宅は午前中が多いようで、開店直後の時間に寄ってくれるのが常だった。
 だから、彼がこの時間に来ることは珍しい。
「そう、それでね――」
 真下が何かを話そうとしたとき、店の引き戸が開く。
「スミマセン、こちらで待ち合わせを――」
 申し訳なさそうに声をかけてきた人物を見て、小羽は目を見開いた。そこに立っていた男性に見覚えがあったからだ。
 暖簾を外し、本日終了の立て看板を置いていたので店に入ってくるのを躊(ちゅう)躇(ちょ)したのだろう。長身の身体が所在なさげに見えた。
 だが、問題はそこではない。その人は――小羽が毎朝元気をもらっている男性、テレビTKのアナウンサーである尾上だったのだ。
 尾上柊也、三十歳。キー局であるテレビTKの人気アナウンサー。
 早朝の情報番組〝モーニングJ〟のメインキャスターで、世の女性たちから絶大な人気を誇っている。
 基本真面目な表情が多いのだが、たまに笑みが零れることがあり、そのギャップが堪らない。
 身長百八十センチぐらいのスラリとした容姿。甘いマスク。
 清潔感溢れる短髪の黒髪。ラフなネオ七三分けというところが、少々堅い雰囲気がある彼にピッタリ合っていると思う。
 番組内ではタイトなシルエットのスーツが多く、今朝はダークグレーのテーラードジャケットにネイビーとイエローのストライプ柄のネクタイ。サックスブルーのドビーシャツ、ブラックの革靴という装いだった。恐らくだが、局のスタイリストが用意しているスーツだろう。
 だが、今の彼の装いは彼自身が選んだ物ではないかと推測される。
 リネン地の七分袖テーラードジャケットはネイビーで涼やかさを演出し、インナーはアイボリーのVネックカットソー。グレーのトラウザーズを合わせている。
 ジャケパンスタイルでカジュアルな着こなしだ。
 爽やかなマリンテイストによって、アナウンサーのときとは違った魅力が溢れている。
 目の前で起きた出来事が信じられなくて唖然としたままその人物を見つめていると、真下が尾上に声をかけた。
「ああ、尾上くん。どうぞ」
「あの……お店は閉まっているようですが?」
「大丈夫。店主の小羽ちゃんがOK出してくれたしね。それに、ラスト二食だったらしいよ。僕たちはラッキーだ」
「は、はぁ……」
「小羽ちゃん、今日の主菜は何かな?」
 真下に尋ねられ、ようやく我に返った。
 慌てて視線を真下に戻し、戸惑いながらも返事をする。
「えっと……。鰹の刺身かミルフィーユカツで。一つずつしかご用意できないんですけど」
 彼に答えながらも、扉の前に突っ立ったままの尾上に視線を向ける。
 尾上は小羽と視線が合うと、困ったように頭を少し下げてきた。
 それに応える形で会釈をしていると、真下はフンフンと楽しげに鼻歌を歌う。
「ほら、尾上くん。こっち」
 真下は隣の席をポンポンと叩いて、尾上を促す。
「失礼します」
 そう声をかけたあと、尾上はようやく腰を下ろした。
 一方の小羽は、もう調理どころではなくなってしまっている。心臓がドキドキしすぎて息苦しいほどだ。
 視線はずっと尾上に向けたまま固まってしまい、手を動かすことができない。
 そんな様子を見て、成美が苦笑して肘で突いてくる。
「ほら、小羽ちゃん。手が止まっているわよ」
「あ、はい! スミマセン。今すぐに」
 ハッと我に返ったことにより、意識を調理に向けることができた。
 だが、漫(そぞ)ろ心になってしまう。そんな自分に活を入れつつ、ミルフィーユカツを揚げ始める。
 パチパチと油が跳ねる音を聞きながら、お膳を用意していく。
 その間も、尾上のことが気になってしまう。チラチラと真下に視線を送って説明をしてほしいと促しているのに、彼は小羽の手元をニコニコと朗らかな様子で見ているだけで彼の紹介をしてくれる様子はない。
 真下と尾上は知り合いなのだろう。それも、親密に見える。
 二人はどんな関係なのだろうか。全然想像がつかない。
 真下に視線を向けて再び訴えかけるのだが、素知らぬふりをされてしまった。
 小羽が色々と聞きたくてソワソワしていることに、真下は気がついている。
 気がついていて、わざと小羽の視線を無視しているのだ。ちょっぴり意地悪だと思う。
 とはいえ、こちらからガツガツと聞くこともできず……。
 小さく息を吐き出したあと、作業のピッチを速めた。
 もうすぐでカツが揚がるというタイミングで、鰹の刺身を皿に盛ってお膳を仕上げる。
 そのあとに、包丁で切り分けていく。
 サクッサクッという小気味よい音に、「うーん、いいねぇ。美味しそう」と真下は目を輝かせている。
 ミルフィーユカツもお膳に載せ、これで二食分が完成した。
 小羽は、目を爛々(らんらん)とさせている真下に聞く。
「出来上がりましたけど、どうなさいます?」
 鰹の刺身かミルフィーユカツか。二つのお膳を見て、真下は唸る。かなり悩んでいる様子だ。
 小羽は小さく笑いながら、鰹の刺身を指差す。
「こちらは今日市場で見つけて、どうしてもメニューに入れたいと惚れ込んだ鰹です」
「ほほぅ」
「この時期の鰹は戻り鰹と言って、脂が乗っていてとても美味しいんですよ。で、こちらは……」
 ミルフィーユカツが載っているお膳を指差す。
「豚のバラ肉を何層にも重ねているカツです。間にはシソと梅肉が挟んであって食欲がなくてもさっぱりいただけるようになっています」
 どちらのお膳にも視線を向けて再び唸ったあと、真下は隣に座る尾上に声をかける。
「君はどちらが食べたい? 決めてくれ」
「いや、真下さんが選んでください」
「それができないから頼んでいるんだよ。ちなみに、ここの料理にハズレなし。期待していいよ」
 自分のことのように胸を張ってくれる真下を見て、小羽は嬉しくなる。
 尾上は少し考えたのち、ミルフィーユカツを指差した。
「このカツをいただいてもいいですか?」
「ああ、いいよ。じゃあ、僕は鰹をいただこうかな」
 ようやく決まったようなので、それぞれのお膳を彼らの前に置く。
 いただきます、と手を合わせたあと真下は箸を取り、鰹にネギと生姜を載せてからたまり醤油にくぐらせる。
 それを口に運び、噛みしめるように眉を下げた。
「うーん、小羽ちゃんの言う通りだ。脂が乗っていて美味しいよ」
「そうでしょう? 戻り鰹は旬のものですしね。お客さんにどうしても食べてもらいたくて!」
 真下が喜んでご飯を頬張っているのを見たあと、今度はその隣に座る尾上に視線を向ける。
 今、人気ナンバーワンであるアナウンサーが目の前にいる。それに、小羽は彼のファンだ。
 テレビの中にいる人となんて、一生話す機会など巡ってこないと思っていた。
 それも尾上と話をするなんて、対面できるなんて夢のまた夢。
 実在している人物だということはわかっているのだが、どうしても二次元のキャラなのではないかと思ってしまうほどだ。
 だが、これは夢ではない。現実だ。
 小羽の目の前には、憧れの尾上柊也がいる。その事実を噛みしめ、倒れてしまいそうなほど興奮してしまっていた。
 テレビを通して見ていても、彼の素敵さは滲み出ている。
 ホンモノを目の前にして思うのは、実物はそれ以上に魅力的だということ。
 思わず感嘆の声をあげてしまいそうになるのを抑え、見守る。
 まず彼の箸が向いたのは、だし巻き玉子だ。それを一口大に切り分けたあとに口に運ぶ。
 祈るような気持ちで見つめていると、彼の目が一気に見開く。
 かなり驚いているようだ。美味しくなかったのかもしれない。ギュッと胸が締めつけられる。
 だが、次の瞬間。硬かった表情が一変。ふんわりと柔らかい表情になり、頬が緩んでいた。
 そんな彼の表情を見て胸を撫で下ろしていると、次は揚げたてのミルフィーユカツに箸を伸ばす。そして、サクッという美味しそうな音を立てて頬張った。
 ゴクン、と喉が鳴ってしまう。息を呑んで見守っているのだが、特にコメントはなし。
 ただ、箸が止まっていないところを見ると、及第点は貰えたのだろう。
 彼を見て一喜一憂していると、真下はニヤニヤと意地悪く笑ってくる。
「小羽ちゃん、彼のこと知っている? うちの番組、見てくれているのかな?」
「も、もちろん……です! って、うちの番組って?」
 真下の勤め先については聞いたことがなかった。一つ先の駅にはテレビ局があるが、もしかして――。
「小羽ちゃんに話したことなかったかぁ。僕は、テレビTKに勤めているんだよ。今はモーニングJのエグゼクティブプロデューサーをしているんだ」
「テレビ業界にお勤めでしたか……」
 不規則な勤務をしていることは知っていたが、まさかテレビ局勤務だったとは。
 目を丸くして驚くと、彼はより笑みを深いものにした。
「小羽ちゃんも、ご存じの通り。うちの番組、モーニングJのメインキャスターである尾上柊也くんだ」
 今度は尾上を見て、小羽の紹介をする。
「尾上くん。こちら、定食や朝岡の店主、小羽ちゃんだよ」
「店主ですか……」
 尾上は小羽のことをジッと見つめてくる。それだけで、顔が熱くなってしまう。
 彼が、自分を見つめているなんて。そう思うと、もうダメだ。ドキドキしすぎてどうにかなってしまいそう。
 挙動不審になっている小羽を余所(よそ)に、真下は紹介を続けていく。
「ああ、そうだよ。すごく若く見えるかもしれないけど、二十六歳のお嬢さんだ。五年前からこの店を切り盛りしている。立派なもんだろう? 二十一歳から一人で頑張っているんだから」
 尾上の目は、小羽に再び向けられた。そのことに気がついて、ドキンと心臓が一際高く鳴ってしまう。
 真下は水を飲んだあと、話を続けていく。
「この店、本当に人気があるんだよ? 今日、もしかしたら品切れで食べられなかったかもしれないぐらいだし。ねぇ、小羽ちゃん」
「えっと、あ……はい」
 慌てて返事をすると、真下は柔らかくほほ笑んで目尻を下げる。
「若い頃、ここの店のファンになってね。それからは、こうして遠い親戚のおじさんみたいに彼女の成長を見守っているんだよ」
 涙ぐみそうになってしまう。キュッとエプロンを握りしめながら、小羽は首を横に振る。
「真下さんは、私の親戚よりよっぽど親身になってくれていますよ。いつもありがとうございます」
「いやいや、僕は見守るだけしかできないけどね」
 しんみりした雰囲気になった店内。その空気を払拭するように、尾上は箸を置いて小羽に頭を下げてきた。
「尾上です」
「朝岡です」
 お互い頭を下げて挨拶をしていると、真下は噴き出した。
「なんだか二人とも、お見合いの席で初めて会った男女って感じだねぇ」
「な、な……何を!」
 慌てすぎて口ごもる小羽を見て、それまで片付けをしていた成美が口を挟んできた。
「あら、いいじゃない。お見合い。小羽ちゃん、男の影はさっぱりなんだし」
「成美さん!」
 彼女の口を押さえようとしたのだが、ヒラリとそれを躱(かわ)されてしまう。
 そして、彼女は真下に向かって大げさにため息をついて見せた。
「仕入れが朝早いでしょ? だから、小羽ちゃんは夜早めに寝ちゃうのよ。そうすると、普通のサラリーマンとは違うライフスタイルになるでしょう? なかなか彼氏が見つからないのよねぇ。そろそろ結婚とか考えてもいいのに」
 言い返したいのだが、言い返すことができない。すべて本当のことだからだ。
 二年ほど前に年上のサラリーマンと付き合ったことがあるが、ライフスタイルのズレのせいで破局を迎えたぐらいだ。
 その彼は、真面目でしっかりした人だった。結婚を前提に付き合ってほしいと告白してきてくれたぐらいだ。
 だが、普通のサラリーマンと結婚するとなると、結局はライフスタイルを変えなければならない。
 その上、この店をやめて家庭に入ってほしい。そう懇願されてしまい、別れることを決断した。
 定食や朝岡は、祖父の代から続いている小羽にとって大事な店だ。
 家族は皆いなくなってしまったが、この店だけは残しておきたい。その気持ちが強くて、お別れを決意した。
 結局、私は彼より店を取ったということだ。
 当時の彼にそう伝えたとき、『そんなことを言っているようでは、誰とも結婚できないかもよ』と言われた。
 同じライフスタイルの人はいるし、なにかしら工夫をすれば結婚しながらも店を継続することができるかもしれない。
 だけど、あれこれ可能性を探ることもなく彼より店を取ることを即決する小羽では、確かに結婚には向かないだろう。
 結婚相手を優先したいと考えられない自分では、相手も迷惑だ。そんな結論を導きだした。
 それ以降、小羽は男性とお付き合いすることを諦めている。
 付き合い始めれば、いずれ恋愛か仕事かで悩むときがくるはずだ。
 今の小羽は、この店のことで頭がいっぱいで自分の幸せは店が繫盛することだと言い切ってしまうほど。恋愛や結婚を取ろうという考えがない。
 でも、それでいいと思っている。
 しかし、真下と成美は小羽の今後が心配で仕方がないようだ。彼らは顔を見合わせて心配そうにしている。
 早くこの話題が終わらないかな。そう願いながら無言を貫いているのだが、真下と成美は話題を変えるつもりはないようだ。
「そうかぁ、小羽ちゃんも二十六歳だもんなぁ。恋愛の一つや二つ、していてもおかしくないんだけどねぇ。相手がいないのかぁ」
 小羽の成長を感慨深く感じたのだろう。真下は「僕も年を取るはずだねぇ」としみじみ言ったあとに赤だしを啜(すす)る。
 成美はそんな真下から視線を動かし、彼の隣に座る尾上を見つめた。
「お客さん。テレビTKのアナウンサー、尾上さんでしょう? 小羽ちゃん、貴方(あなた)の大ファンなのよ」
「成美さん!」
 顔が一気に熱くなる。まさか、本人を目の前にして暴露されるとは思っていなかった。
 大いに慌てるのだが、成美は素知らぬふりで続ける。


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