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オオカミ社長がところかまわず(がうがう)求愛してきます

あさぎ千夜春 / 著
壱也 / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2021/08/13

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内容紹介

俺には『ずっと』お前だけだ
「俺の恋人になってくれ」ゲーム内チャットで仲良くなったアランから、婚約話を断るために恋人のふりを頼まれた小麦。よくウカツだと言われることを忘れ、彼のためならと引き受ける。しかし後日、勤め先の玩具メーカーでアランと再会。なんと彼は、世界的人気を誇るゲームの作り手かつゲーム会社社長の宇佐美亜蘭だった! 両親を亡くしてまだ小学生の弟を養わなければならない、一介のOLの自分に恋人役は荷が重い。断ろうと思った小麦だが…。「今はなによりお前を食いたい」執着強めのオオカミに、尽くされまくって甘やかされる、無上の溺愛オフィスラブ!

立ち読み

一話「ネトゲ友達はきれいなお姉さんじゃなくてお兄さんでした」


「あのっ……私、初めてなんですけど……」
「心配するな。俺もだ」
 まさかこんなことが自分の身に起こるなんて——。
 小(こ)麦(むぎ)は自分にのしかかる、宝石のように美しい琥(こ)珀(はく)色の目を持つ男を茫然(ぼうぜん)と見上げていた。


 秋(あき)葉(は)原(ばら)駅の電気街改札前。
 季節はちょうど夏に差し掛かろうとしている七月上旬だ。つい先日梅雨が明けて空は青く、路地の木々は濃く生い茂り、アスファルトに影を落としている。
 土曜日の昼間ということもあって目の前を多くの人が行き交っていたが、自分ひとりが異世界に迷い込んだような、妙な緊張感があった。
(はぁ〜〜! ドキドキする〜!)
 駅構内の家族連れや友人同士、恋人らしい集団を横目に、中郷(なかごう)小麦はスマホを手に体を強張らせている。
(久しぶりにノースリーブのワンピースなんか着ちゃったけど、変じゃないよね……。アズもいいじゃんって言ってくれたし)
 バッグの中には薄手のカーディガンも入れているが、日陰とはいえやはり暑い。ハンカチで手のひらににじむ汗をぬぐいながら、目を伏せる。
 アズ——というのは小麦の小学六年生の弟・安寿樹(あずき)のことで、陰キャでオタクな自分とは違い明るく友達も多い、文武両道なミラクル美少年だ。
 いつもはスウェットで休日を過ごす姉が、いそいそとワンピースに着替えて出かけるところを見て、
「ねーちゃんも現実に友達がいたんだな!」
 と悪気なく言い放ち、見事に姉を撃沈させてくれた。ちょっぴり落ち込みながら電車に乗ったのは小一時間ほど前の話だ。
(いやいや、アズはああ言うけどネットの世界だって現実だし! しかもこうやって会うんだから、もう友達って言っていいはずだし!)
 そう、小麦は今日初めて、オンラインゲームで仲良くなった【うーさん】と大好きな漫画のコラボカフェに行く予定なのである。
(うーさん、私のひとつ年上って言ってたな。海外出張も多いって言ってたし、きっとキャリアウーマンってやつだ。カッコいいなぁ〜! きっとおしゃれで美人さんだよ〜!)
 今までのチャットのイメージから、小麦の頭の中では、彼女に対してすっかりキャリアウーマンのイメージが出来上がっている。
 約束の時間は十一時だ。もうすぐ会えると思うと全身に力が入る。だがこれは、緊張と期待と不安がごちゃ混ぜになったような感覚だ。嫌な感じではない。
 小麦はそわそわしながら周囲を見回すが、今のところそれらしい人はいないようだ。

 うーさんと出会ったのは、小麦が長年遊んでいる中華風ファンタジーゲームのオンライン上でのことだった。
 小麦は余暇の時間のみソロプレイを楽しみ、オンライン上では男のふりをしているライトゲーマーだ。なぜ男のふりをしているかというと、女だとバレると面倒なことが多いから、その一点に尽きる。
 すべての男性がそうとは言わないが、若い女とわかると年齢や住んでいる場所を聞いてきたり、オフラインで会おうとしつこく迫ってくるプレイヤーが後を絶たない。
 しかも——これは小麦自身ではどうしようもないのだが、小麦の声が信じられないくらい『かわいすぎる』のである。
 これは小麦にとって長年の悩みだった。
 小麦の容姿はいたって平凡だ。髪は肩に届く程度、スタイルは中肉中背。目元だけはくりくりと大きくかわいく見えなくもないが、それ以外のパーツはすべてちんまりとしていて地味だった。社会人になって覚えたメイクもそれほどうまくないし、おしゃれもしたことがない。最低限、マナーとしての身支度は覚えたが、それだけだ。
 基本、休日は着慣れたスウェットだし、女の子らしい趣味もない。男子にウケるような女子力は皆無だという自信がある。
 なのに他人が言うには『声がとびっきり愛くるしく、魅力的』らしい。たとえて言うならアニメのヒロインのような地声をしている。仕事場でも電話をとれば相手に勝手に美女を想像され、会ってみて『想像と違った』と失礼なことを言われたのは、一度や二度ではない。
 しかも同僚から『こびてる』とか『男意識しすぎ』などと言われたことがあり、気が付けば意識して低い声を出すようになっていた。
 そんなこんなで、地声でゲーム内でボイスチャットをすれば、勝手に美少女を想像されて会おうとしつこくされるのは当然のことで、小麦は現状ボイスチャットはしない。そして使用キャラはゴリゴリの筋肉美を誇る格闘キャラだ。気が付けばここ最近女性だと思われることは、ほぼなくなっていた。
 だが一年ほど前に、小麦はゲーム内であからさまに困っている女の子と出会った。
 彼女は明らかに初期装備でレベルも低く、しかもクエストを受注するわけでもなく、小麦もいる広場のあたりをうろうろしているだけだった。
 誰か友達とオンライン上で待ち合わせでもしているのかな、となんとなく遠目に見ていたのだが、結局彼女はなにもしないまま、立ち尽くしていた。
 もしかしたら遊び方がわからない、初心者なのかもしれない。
(声をかけたら、怖がられるかな?)
 中身は女でも外見はゴリゴリマッチョのいかついキャラクターだ。気持ち悪いと思われたら悲しいと思いつつ、最初は見て見ぬふりをしていたのだが——。
 なぜだろう。彼女に『見られている』気がした。もちろんゲーム内のことだし、たまたまキャラクターが見ている先に自分が立っていただけだとは思うのだが、それもあって結局小麦は自ら声をかけることにしたのだ。
 もし気持ち悪がられたら、謝って去ればいい。
『なにかわからないことでもあるんですか? お手伝いしましょうか?』
 ボイスチャットは使わない、いつものように文字だけだ。
 だがその瞬間、彼女はパーッと笑顔のアクションを起こしたあと、同じく文字だけのチャットで、
『ありがとう、よろしくお願いします!』
 と返してきたのだ。
 それが小麦こと【ごっさん】と、彼女【うーさん】の出会いのきっかけである。
 そして気が付けばうーさんとはオンラインゲーム仲間になり、一緒にゲームを遊ぶようになってから、ちょっとした愚痴(ぐち)をチャットで聞いてもらうくらい親しくなっていた。

ごっさん『セクハラってほどじゃないんだけど、もっと若い女はおしゃれしたほうがいいとか言われるんだ。ちゃんとマナーとしてメイクもしてるのに、私服のことまで言われるのつらい』
うーさん『なにそれ! それは普通にセクハラだよ!』
ごっさん『そうかなぁ。セクハラなんて言うとお前ごときが、って思われる気がしてあまり言い返せないんだよね。うーさんはそういう経験ある?』
うーさん『正直言えば、ある。容姿のことすごく言われる。目の色がちょっと変わってるからカラコン入れてるのか、とか。入れてないんだけど、あれこれ聞かれるのがすごく嫌だよ』
ごっさん『それは確かに嫌だねぇ。ほんと仕事に関係ないことは、ほっといてほしいよね!』

 おそらく【うーさん】は目立つ容姿をしているのだろう。自分とは立場が違うはずだが、それでも毎回親身になって、『働かない同僚』や『それを注意しない上司』などの話を聞いてくれた。
 小麦が勤めている『トイボックス』はいわゆる玩具メーカーで、国内ではトップスリーに入る大手である。小さなお子様向けの玩具からカードゲームやカプセルトイ、そしてゲーム事業も手掛けている。どこで働いているということは当然秘密にしつつも、職場に親しい友人らしい友人もいなかった小麦にとって、一年も経てば彼女はなくてはならない人になっていた。
 そんな日々の中、つい先週、うーさんに『悩みがあって最近よく眠れないんだ』と打ち明けられた。
 いつも自分の話を聞いてもらうばかりだった小麦は、やっとうーさんに恩返しができると、
『自分でよければ話を聞きます!』
 と提案し、こうしてリアルで会うことになったのだ。
 普段は職場と自宅の往復しかしておらず、引っ込み思案の小麦からしたらこれは結構な大冒険なのだが、あれよあれよと話がまとまり、小麦の好きな漫画のコラボカフェに遊びに行こうということになったのである。
(バリキャリでかわいいもの好き……どんな人だろう)
 小麦はそわそわしながらうーさんのことを考える。
 彼女のアバターは、ゲーム内でも人気のウサギ族で、簡単に言ってしまえば長いウサミミの美少女キャラだ。だから小麦は、この時点で勝手に『かわいいものが大好きなバリキャリお姉さん』と想像してしまっていた。
 自分だって、二十六歳のOLのくせして『ゴリゴリの筋肉格闘系キャラクター』を使っているというのに——。

「あの、ごっさん……ですか」
 うーさんの到着を今か今かと待ちわびていると、自分の頭よりはるかに高いところからおそろしく低い声がした。
「はい……? ヒッ……」
 声のしたほうに顔を上げて、小麦は硬直する。
 身長は百八十五センチ近くあるのではないだろうか。夏らしいベージュの麻のジャケットに白いU首のカットソー、ストレッチパンツにスニーカーというきれいめのカジュアルだが、明らかに筋肉質で、どこからどう見ても『男性』だった。
 百六十センチの小麦からすると見上げるだけで首が痛くなりそうだし、サングラスをしていて迫力がある。正直言ってハチャメチャに怖い。
「やっ……いや、そのぅ……」
 衝撃の展開に体が強張り、声が震える。
【ごっさん】なんて知りませんと、思わず嘘をついて逃げ出したくなった小麦だが、
「ああ、やっぱりそうだ!」
 目の前の男は、スマホを握りしめたまま硬直する小麦の手元を見て、ホッとしたように微(ほほ)笑(え)んだ。
「ほら、俺も!」
 そしてスマホを持ち上げて、きらびやかなうーさんのストラップを掲げる。ぶら下がっているキャラクターを見て、小麦はあっと声をあげた。
「限定色仕様のうーさん……!」
「そうそう。この装備の限定色取るために、ふたりでクエスト死ぬほどこなしたよな」
 目を輝かせる小麦に向かって、目の前のサングラス男がにこやかに微笑む。
(ほんとに彼が【うーさん】なの?)
 小麦は茫然としつつ、うーさんの顔を見上げた。
 今日、お互いが一目でわかるように、ゲームで使っているキャラクターのストラップをスマホにつけようと約束をしていた。
 当然、小麦のスマホには上半身裸の武闘派キャラである【ごっさん】がぶら下がっている。ゲーム上の自分のアバターを、そのままキャラクターストラップにして購入できるというサービスを利用したため、同じものはふたつとない、はずだ。
 ちなみに、間違いなくお互いが【うーさん】と【ごっさん】だとわかるよう、ストラップをつけて目印にしようと持ち掛けてきたのは、うーさんのほうだった。
(私は連絡先を交換してもいいと思ったんだけど……会ってもいいと思ったくらいだし)
 だがうーさんの提案はちょっとゲームっぽくて面白いなと、小麦も思ったのだ。
 だから連絡先も交換しないまま、待ち合わせとなったのだが——。
 どうやら目の前の大男は、本当にうーさんらしい。
(かわいいもの好きなキャリアウーマンだと思っていたのに……)
 勝手にどういう人かを想像していたこっちが悪いのだが、なんだかキツネにつままれたような気分になる。
「じゃ、行くか。予約時間になるし」
「あ、え、はいっ……」
 うーさんが腕時計に目を落として、それからごく自然に小麦の右手を取って歩き始める。
(えっ、えっ、えええっ!?)
 気が付けば小麦は、うーさんと手を繋いで秋葉原の雑踏の中へ足を踏み入れていた。
「あ、あのっ……これは?」
 そもそも身内以外の男性と手を繋いだのは、高校のフォークダンス以来だ。緊張で、繋いだ手に汗をかいているのが自分でもわかる。
 うーさんはなにか勘違いしているのではないだろうか。戸惑いつつも、指先に力を込め振り払おうとしたところで、
「人が多いから、迷うだろ」
 と、うーさんが笑って答えて、さらにぎゅっと手を握りしめられてしまった。
(ひぃぃぃぃ〜!!)
 瞬時に頭が真っ白になる。
 こうなると、男性に免疫のない小麦はなにもできなくなってしまう。
(うーさんが、男って……! しかもデカいし……! サングラスしてるけどわかる、この人は絶対に陽キャ! クラスでもイケてるグループの頂点!)
 そう、うーさんの顔立ちはまるで彫刻のように整っていた。
 すらりと高い鼻筋に、形のいい唇。シャープな頬のライン。横顔がこんなに美しい人を、三次元で見たのは初めてだった。
(神の作画だよ……!)
 そもそも小麦は男に慣れていない。
 いや、正直に言おう。生まれて二十六年、男性と付き合ったこともないしキスもしたことがない。ピカピカの処女だった。告白されたことは奇跡的に数回あるのだが、うまくいったためしはない。それは小麦の家庭環境が大いに影響しているが、今ここでは関係のない話だ。
 なのに今、明らかに自分とは真逆な、上等な男とふたりきりになろうとしている。
 汗がどっと噴き出して止まらないし、眩暈(めまい)を起こして倒れそうだった。
 そんな小麦をよそに、
「ああ、すごいな……!」
 部屋に入った途端、うーさんが驚いたようにあたりを見回す。
「ほら、天井には映画版のポスターが貼ってある!」
 彼は小麦の緊張などまったく気づいていないらしく、終始ニコニコしていた。
「あ……うん、そうですねっ……!」
 コラボカフェはチェーンのカラオケ店での開催ということで個室なのだが、壁に貼られているコラボポスターや装飾はかなり豪華だった。いつもの小麦なら狂喜乱舞して写真を撮りまくっているはずだ。
 だが、もはやコラボがどうのなんて頭からふっ飛んでいた。
 そうですねとうなずきはしたが、なにひとつ頭に入っていかない。棒立ちになっているだけだ。
(絶対、こんなのなにかの間違いだよ!)
 家を出る時は『うーさんに会える!』とワクワクしていたというのに、まさかのイケメン疑惑に、違った意味で動悸が激しい。
(脳みその処理速度、完全に落ちてしまった……)
「あ、あの……」
 もう室内だ。手を離してもいいはずだ。勘弁してほしいと思いつつ手を引いたのだが、
「え? あー、立ちっぱなしってのも変だな。座ろうか」
 ソファーにふたり仲良く並んで、腰を下ろしてしまった。相変わらず手は繋がれたままで、どのタイミングで振り払ったらいいのかわからない。
(タスケテ……)
 心臓がドッドッと音を立てている。カチンコチンに緊張していると、
「いらっしゃいませえ〜!」
 女性店員が元気よく入ってきて、ふたりの前にずらずらと大量のメニューを広げる。
「こちらコラボメニューになりまーす。ドリンクをひとつ頼むごとにコースターを差し上げます。フードメニューは限定になっておりましてぇ〜」
「えっと、とりあえずドリンクは全部で……あと、フードはこれと、これ。お願いします」
「あっ」
 うーさんが指さしたメニューを見て、小麦は目を丸くする。
「ごめん、好き嫌いとかアレルギーあった?」
 店員が出ていったところで、うーさんが心配そうに小麦の顔を覗き込んでくる。
「あ、いや違うの。大丈夫。その……フードメニュー、私の好きなキャラのやつ選んでくれたんだなって……」
 ごにょごにょと口にしたところで、うーさんはかけていたサングラスを外しながら、苦笑する。
「なんだよ、当たり前だろ。そのために来たんだから」
 サングラスの下から、琥珀色の目がキラキラと輝きながら現れて、
(ひっ……! まぶしっ!)
 小麦は思わず目を細めてしまった。室内なのに、後光が差して見えた気がした。
 うーさんは大変な美形だった。きっとイケてるんだろうと予想していたが、想像以上だ。
 緩いくせのある黒髪の奥から覗く、クッキリとした二重まぶたと長いまつ毛に囲まれた琥珀色の瞳は、さながら宝石のようにキラキラと輝いている。すっと通った鼻筋に口角が自然と持ち上がった唇は品がいい。
(そういえばチャットで目の色のこと言われるって、言ってたっけ……)
 彫りの深い顔立ちや瞳の色からして外国の血が入っているのは一(いち)目(もく)瞭(りょう)然(ぜん)で、日本人離れしたスタイルのよさも納得だが、なにより三次元にこの造形があり得るのかと、わが目を疑いたくなる美貌に動悸がおさまらない。
 犬系でも猫系でもない。
 たとえて言うなら『狼(おおかみ)』だ。
 手足は長くしなやかで、その顔立ちは美しくどこかセクシーで、色っぽい。
(あまり人の顔をじろじろ見るなんて、いけないのに……目が逸らせない……)
 彼の琥珀色の目の輝きは、とても同じ人類とは思えない光を放っていた。
 そこで「失礼しまぁす! ドリンクお持ちしましたぁ!」と店員が入ってきて、テーブルの上にてきぱきとドリンクを並べ始める。部屋の中の空気が変わっていく。
 一瞬のことなのに、なんだか長い夢を見ていたような気分になる。
「ありがとうございます」
 ようやくうーさんは繋いだ手を離し、トレイの上のドリンクをふたりの目の前に並べて、にこやかに微笑むと、グラスを手に取り掲げるように持ち上げた。
「乾杯」
「かっ……乾杯……」
 カラフルな液体が注がれた、グラス越しに見える彼の容貌が、照明に輝いている。
「会うまで緊張してたから、すげえ喉カラカラだ」
 うーさんはそう言ってストローをくわえつつ、隣の小麦の顔を見てやんわりと目を細める。
「へへ……そうですか……へへ……」
 小麦はドリンクを飲みながら、強(こわ)張(ば)った愛想笑いを返すしかない。
(やだもー! へへってなんなの……! アホな返答しかできない……! 無理……顔がよすぎて怖い……!)
 今日は自分なりにおしゃれをしたし、メイクだって頑張ったのだ。だがそんなことが馬鹿らしくなるくらい目の前の彼は圧倒的だった。
(こんな不平等な世界ある……? これだけ姿かたちがよかったら人生楽しいだろうな〜! 楽勝だろうな〜!)
 昔から人は見た目が九割と言う。容姿のいい人はそうでない人に比べて、性別かかわらず生涯年収が圧倒的に高くなるのだとか。
 幼いころから他人に大事にされたら自信がつくし、自己肯定感も強くなるだろう。美しい人は男女問わずそのように扱われて、そしてさらに高いところへと昇っていくのだ。
 声だけがやたらかわいい自分とは全然違う。
(別にそういう仲じゃないのに、がっかりされてたらどうしようって思っちゃう……)
 圧倒的な麗人を前にして、ちょっとばかり卑屈になってしまっていた小麦は、二杯目のカラフルなドリンクを飲みながら、相変わらず小麦を見てニコニコしているうーさんを目の端で、チラ見する。
(いやでも……ちょっと待って……あれ? どこかで見たような……)
 そう、なぜか目の前の超美形に見覚えがある気がする。だが小麦のインドアな日々の生活に、こんな美形は存在しない。
(読モ……? 有名インフルエンサー……とか?)
 ぼんやり考えていたら、先にうーさんが口を開いた。
「あのさ……ちょっと聞いてもいいか。ごっさんのネトゲ歴って何年くらい?」
 質問に、ぼんやりしていた思考が中断される。
「えっと……十三の時からだから、十三年くらいですね。父がおさがりのパソコンをくれて、それで当時すっごく流行(はや)ってたオンラインゲームを始めて……。キャラクターがかわいくて」
「もしかしてそのゲームって、アースガルズオンライン?」
 小麦の返事を聞いて、うーさんがパッと表情を明るくした。どうやら彼も知っているゲームらしい。
「ええ、そうです。フィールドは3Dで、キャラクターはドット絵でかわいかったですよね」
 彼から好きなゲームの話題を振ってくれたおかげで、少し肩から力が抜けた。
 小麦はふふっと笑いながら、首をかしげる。
「もしかしてうーさんもやられてました?」
「ああ、やってた。その時も俺はウサギキャラで【うーさん】って名乗ってたけど……」
「そうなんだぁ……」
 なるほどと相槌を打つ小麦を、彼はじっと見つめる。
「君は……その、ハンドルネームはやっぱり【ごっさん】だった?」
「いえ。当時はネットの常識も知らず、無謀にも本名でやってましたね。人間種族で銀の長髪の剣士で……名前は【コムギ】でした。ビジュアルと名前が一致してないですけど、リアル厨二病だったので仕方ないですよね」
 当時を思い出しながら、小麦はクスクスと笑う。
「銀髪の剣士で、コムギ……」
 うーさんがかすれた声でささやく。
 本名を名乗ってしまったことよりも、なぜか彼の目が少し濡れたように輝いた気がして、そっちのほうに、ドキッとしてしまった。
(それにしても本当にきれいな顔……)
 あまり見ては失礼だとは思いつつ、つい見とれている自分に気が付いて、小麦は無性に恥ずかしくなり、ごまかすように目の前に置いてあるグラスに手を伸ばす。
「どのくらい続けてたんだ?」
「アースガルズオンラインは、ちょうど……父が亡くなってプレイをやめてしまったので、実質一年くらいだと思います。弟も生まれたばかりだったし、ゲームどころじゃなくなってしまって。実はオンラインゲームを再開したのは、生活が落ち着いた大学生になってからなんですよ」
「そ……そうだったのか。悲しいことを思い出させたよな。悪い……」
 小麦の言葉を聞いて、うーさんはいけないことを聞いてしまったといわんばかりに、頭を下げる。
 だが小麦が父を中学生で亡くしていたことなど、知らなくて当然だし、うーさんには関係のない話だ。
「気にしないでください。父が結構ゲーム好きだったんですよ。だから……一緒にゲームをしたりして、楽しい思い出もたくさんあるんです」
 そう、小麦にとって悪いことばかりではないのだ。なにより今は、趣味として十分楽しんでいるのだから。
 だがそこでうーさんは、なぜか唐突に決意に満ちた表情になる。
 居住まいをただすようにソファーに座りなおし、小麦と見つめ合った。
「それで今からその……本題に入りたいんだが……。いいだろうか」
 真剣な様子に小麦も居住まいをただす。
「あ、悩みのことですね。でも、本当に私でいいんですか?」
 今日はそのために来たのだ。だが同じ女性ならではの悩みだと勝手に想像していたので、果たして彼の役に立てるのかどうか、急に不安になってしまった。
「い、いやっ、小麦じゃないとだめだ」
 うーさんは少し言いよどみつつも、じっと小麦の顔を覗き込んでくる。
 いきなり小麦と名前を呼ばれてドキッとしたが、コミュニケーション能力が高いイケメンというのはこういうものなのかもしれない。
 ハラハラしつつ、なにを言われるのかと彼の顔をじっと見つめる。
「俺の恋人になってくれ」
「——はい?」
 彼の声が若干かすれていたせいか、なにを言われたかわからなかった。
(恋人って聞こえたような……まさかね)
 そう小麦が自分に言い聞かせる一方で、うーさんは渋い表情のまま言葉を続けた。
「その……実は……社長の娘さんとの婚約話が持ち上がっていて……断ったんだが、しつこくて……。このままじゃ本当に婚約させられそうで……困ってる」
「なるほど……それを悩んでいたと……」
「ああ」
 うーさんは真面目な顔でしっかりとうなずく。
「でも小麦が俺の恋人になってくれたら……付き合っている人がいるから無理だと、はっきり言えるだろ?」
「——えっ……ええっ!?」
 聞き間違いではなかった。
 だとするとどう考えてもおかしい。
(どうして私に……?)


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