書籍詳細
カタブツ騎士団長の初めての純愛 〜バージン・ママとベビーを最強の愛で守ります!〜
定価 | 1,320円(税込) |
---|---|
発売日 | 2021/08/13 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
序章
セドリック・フォンテーヌ伯爵はひどく不機嫌であった。
彼は、ルシヨン国の国王直属の騎士団の中でも、ひときわ武勲を立てた王の信頼も篤い第五騎士団の騎士団長である。
歳は三十歳の男盛り。上背のあるガッチリと鍛え上げられた肉体。短く刈り上げた茶髪に切れ長の青い目、研ぎ澄まされた野性味を帯びた美貌。剣を持てばその技量はひときわ優れ、武闘で彼にかなう者は国内外に一人もいないだろうと言われている。性格は一本気で質実剛健、国王フランソワ三世に心からの忠義を誓い、誠心誠意仕えている。
その彼に先年、国王からの直命が下った。
一人の乙女を探し出し、護衛せよと言うのである。
かつて、側仕えをしていたその娘と国王は一夜の契りを結んだという。だが、その現場を嫉妬深い王妃に暴露されてしまう。王妃の命により娘は側仕えの職を解かれ、城の隅の馬小屋掃除係に追いやられた。
その娘がある日、城を無言で去ってしまったのだ。だが、一介の下働きの娘の行方(ゆくえ)など誰も気にしなかった。
しかし、一年ほど後、同じ馬小屋掃除の侍女がうっかり口を滑らせたのだ。
娘は妊娠していたのだと。
その噂(うわさ)が国王の耳に入った。
娘には他に浮いた噂はなかった。国王は自分の子どもを身(み)籠(ごも)ったのだと確信する。
そこで、セドリックが密かに呼び出されたのだ。
嫉妬深い王妃に悟られぬよう、秘密裏に行方不明の娘を探し出し、すでに生まれているであろう子ども共々護衛に当たれと。
国王夫妻はいまだ子宝に恵まれず、国王は唯一の血の繋(つな)がった我が子を守りたい気持ちがあったのだろう。
国王の意向であれば、セドリックはたとえ火の中水の中にでも飛び込む覚悟であった。
だが、この命令ばかりは内心不満であった。
有り体に言えば、国王の火遊びの後始末をさせられるようなものだ。
数々の戦場で獅子奮迅の働きをし手柄を立てたセドリックにとっては、あまりにも物足りない。
それでも、義に篤いセドリックは、腹心の部下ジェローム兵長を引き連れ、一人の少女を探す旅に出たのである。
娘の名前はヴィクトリア。
現在十八歳だという。金髪に緑の瞳を持つ色白の美しい乙女だと国王から聞かされた。
だが、彼女が城に雇われる際に示した身上書は、偽りであった。住所は架空のもので、郊外の商家の出身だとされていて、くまなく当たってみたが該当する娘は見つからなかった。
生真面目なセドリックは、ヴィクトリアの人相と名前だけを頼りに、城の周辺からこつこつと目撃者を探し、娘の行方を追った。
ヴィクトリアのわずかな足跡を、セドリックは何か月もかけて追跡した。
そして――。
遂に、オージュストという田舎町の没落したオードラン男爵家に、当該の娘らしき人物が住んでいるということを突き止めた。
一年以上前に、その屋敷に娘が戻ってきていて、外見も年齢も一致している上、噂では、幼い赤子もいるという。
目的の娘に違いない。
初夏の風が心地よいその日。
セドリックは田舎の沿道を、オージュスト町を目指して馬を飛ばしていた。
背後にぴったりと騎馬でついてくる部下のジェロームが、弾んだ声を出す。
「騎士団長、とうとうご苦労が報われる時が参りましたね」
セドリックは馬を急(せ)き立てながら、背中越しに投げつけるように答える。
「報われるかどうか――小娘の護衛など、誉れある騎士団員のする仕事などではない」
普段、どんな任務でも愚痴などこぼしたことのないセドリックだが、長年の付き合いで気心のしれたジェロームには、つい本音が出た。
「しかし――もしほんとうに当該の彼女であれば、その子どもは、陛下の御(み)子(こ)であるのです。王家の御子をお守りする重要な仕事になりましょう」
機転のきくジェロームは、取りなすように言う。
「む――それはそうだが」
セドリックは言葉を濁した。
彼は女性に対しての目が、非常に厳しいところがある。
一夜の契りだったとは言え、既婚の国王と軽々しく褥(しとね)をともにするような娘だ。
きっと尻軽女だろう。
思いもかけず国王の子どもを宿し、恐れをなして城から逃げ出したに違いない。
もし赤子を生んでいたとしても、きちんと育てているかも疑わしい。
ヴィクトリアという娘に対して、偏見と不快感が拭えない。
ずっと胸の奥でもやもやした感情が拭えないままでいたのだ。
「あっ、騎士団長。あそこに見える臙(えん)脂(じ)色の屋根の屋敷が、オードラン男爵家の屋敷に間違いありませんよ」
背後でジェロームが声を上げた。
物思いに耽(ふけ)っていたセドリックは、ハッと視線を上げる。
くすんだ臙脂色の屋根の屋敷がすぐそこに見えた。
かつては立派な豪邸だったようだが、あちこち壁が崩れ落ち全体に薄汚れている。いかにも零落した家という雰囲気だ。こんな屋敷で、国王の落とし子が育てられているのか。
セドリックは屋敷の門(もん)扉(ぴ)の手前で、ひらりと馬を下りた。
「ジェローム、馬を頼む。私が先に屋敷を訪(おとの)うてみる」
セドリックは手綱をジェロームに預け、金具が外れかけている門扉を押して、屋敷の前庭に入った。
屋敷のどこからか、細い歌声が聞こえてくる。
「大きな木の下で、クマさんが木の実を拾ってた
そこにウサギがやってきて、一緒に拾っていいですかと聞いた
クマさんはいいよ、と答えた
二人で木の実を拾っていると、そこにリスがやってきて、一緒に拾っていいですかと聞いた」
セドリックも幼い頃母から聞かされたことのある、わらべ歌だ。
鈴を振るような澄んだ美しい声だ。
セドリックは思わず足を止め、その歌に聞き入ってしまった。
と、屋敷の玄関の扉がゆっくりと開いた。
簡素なグレーのドレスに身を包んだ一人の娘が、おくるみに包まれた小さな赤子を抱いて出てきた。
長い金髪を無造作に束ね、遠目からでも化粧気がまったくないのがわかる。
彼女の白い横顔は、抱いた赤子を一心に見下ろしている。
「そこに小鳥が来て、一緒に拾っていいですかと聞いた」
娘は歌いながら、前庭に出てきた。
降り注ぐ日差しの中で、娘の金髪が後光のように輝いた。
セドリックはやっと我に返った。
軽く咳(せき)払いをし、前に進み出る。
「失礼だが――ヴィクトリア・オードラン嬢であられるか?」
突然声をかけられた娘は、驚いたようにパッとこちらに顔を向けた。
美しい緑色の瞳が、まっすぐセドリックに向けられる。
化粧気がまったくない、色白の染みひとつない肌に薔薇色の頬、長いまつ毛に縁取られたぱっちりした緑の目、形のいい鼻(び)梁(りょう)、少しぷっくりした赤い唇。
まだあどけなさの残る、繊細な美貌だった。
「っ――」
その瞬間、セドリックは自分の周囲から音が消え、時間が止まったような気がした。
娘は警戒した表情で答える。
「ここはオードラン男爵家ですが、どちら様ですか?」
セドリックが答えようとした直後、娘の腕の中の赤子が、火がついたように泣き出した。
「ああ、よしよしジョルジュ、泣かないのよ」
娘がそっと赤子を揺すり優しくあやす。
すると赤子はぴたりと泣き止み、にこにこと微笑んだ。
娘も嬉(うれ)しげに笑みを浮かべる。
慈愛に満ちた表情は、聖母のように清らかだった。
セドリックは娘に見(み)惚(と)れていた自分に、しばらく気がつかないでいた。
第一章 忘れ形見を育てて
「失礼だが――ヴィクトリア・オードラン嬢であられるか?」
突然聞こえてきた深みのあるコントラバスの声に、ヴィヴィアンヌは驚いて顔を上げた。
上背のあるがっちりした体格の男が門扉のあたりに立っている。
青色の騎士の服装をしていた。
艶(つや)やかな茶髪を短く刈り上げ、鋭い青い目に彫りの深い男らしい美貌。肩幅が広く筋肉質で、見るからに腕っ節が強そうだ。腰に下げた剣はいわゆる剛剣と呼ばれる重厚な剣で、長さが一メートルほどもあってずっしりと重そうだ。並みの男性ではとても扱えないだろう。
颯(さっ)爽(そう)として美麗な騎士だ。
こんな田舎町に似つかわしくない立派な騎士の登場に、ヴィヴィアンヌは一瞬、見惚れてしまう。
騎士は大股で近づいてきた。
近くで見ると、見上げるような巨漢で威圧感がある。警戒しながら答えた。
「ここはオードラン男爵家ですが、どちら様ですか?」
騎士が口を開こうとした瞬間、何かの気配を感じたのか、腕の中のジョルジュが大声で泣きだした。
優しくあやしてやると、すぐに機嫌を直してくれた。
騎士はジョルジュの顔を穴があくほど見つめている。胸騒ぎがしたヴィヴィアンヌは、一歩戸口に後ずさった。すると、騎士は逃すまいとするかのようにさっと前に進み出る。
「私は騎士団の長を務めるセドリック・フォンテーヌ伯爵と申します。国王陛下の直命で、あなたを探していた。こう言えば、私がここに来た理由がおわかりであろう?」
ヴィヴィアンヌは黙り込んだ。
国王陛下の直命で――。
心当たりがないわけではなかった。
だが安易に口を開くのは禁物だと自重した。
無言でいるヴィヴィアンヌに、セドリックは少し苛(いら)立(だ)たしげに言う。
「その赤子は、陛下の御子であるな?」
ヴィヴィアンヌは息を呑んだ。
この男は何かを誤解している。
確かに、ジョルジュの淡い金髪と水色の目は、国王陛下と同じだ。だが――。
「あの、私は――」
ヴィヴィアンヌが答えようとした時だ。
「ヴィー、どうしたのだ? お客様か?」
裏庭の方から、中年の肥満気味の男がのっそりと姿を現した。叔父のジャン=クロード男爵であった。
彼は早世した父オードラン男爵の弟である。近隣の屋敷に住んでいて、たびたびヴィヴィアンヌを訪ねてくるのだ。
「あ、叔父様……実は騎士団長というお方が――」
叔父はセドリックを見ると、顔色を変えた。
「その青い制服は――国王陛下直属の騎士団の方であられますな? こんな鄙(ひな)びた町に、何のご用事でしょうか?」
おもねるような口調になった叔父を、セドリックはじろりと見下ろす。
「私が用があるのは、彼女と赤子だ」
圧のある言い方に、ヴィヴィアンヌはますます身構える。
叔父は取りなすように言う。
「まあまあ騎士殿、私はこの娘の叔父に当たり、亡き兄から後見人を頼まれておりまして、いわば彼女の保護者同様でございます。立ち話もなんですから、どうぞ中でゆっくりお話をうかがわせてください」
セドリックがわずかに表情を緩める。
「では、失礼して――陛下の意向をお伝えしよう」
叔父がヴィヴィアンヌに目配せした。
「そら、ヴィー、騎士様を応接室へご案内するんだ」
「はい……」
叔父に促され、ヴィヴィアンヌは玄関の扉を開けるため、ジョルジュを片手で抱こうとした。すると、セドリックが素早く前に出て、自分でドアノブに手をかけた。
「赤子を取り落としたりしたら大変だ。私がドアを開けてよろしいか?」
ぶっきらぼうな言い方だが、ジョルジュに気配りしてくれた彼の言動が心に響いた。思ったより思いやりのある人なのかもしれない。
「ありがとうございます。お願いします」
セドリックはうなずき、扉をゆっくり押し開いた。古びて歪(ゆが)んだ扉が、軋(きし)んだ耳障りな音を立てる。
「どうぞ――玄関ホールを入って右手の扉が応接室です」
ヴィヴィアンヌは屋敷の中へ彼を通すことが、少しだけ恥ずかしかった。
両親が事故で早世して以来、オードラン男爵家は落ちぶれる一方だった。叔父が後見人になってくれたが、父は膨大な借金を抱えていたということで、使用人はほとんど解雇することとなり、男爵家の領地も田畑も、家屋敷の金目のものまで次々売り払われてしまった。
屋敷に手を入れる余裕もなく、できる限り掃除をして清潔に保とうとしていたが、今は幼い赤子を抱えて、家事などに到底手が回らない。
屋敷の中はあちこちに埃が溜まり、雑然としている。
セドリックは頓着する様子もなく、まっすぐ応接室に歩いていく。
「この部屋であるか?」
「は、はい」
「では、失礼して私は先に着席してお待ちする」
セドリックは扉を開け、さっさと応接室に入ってしまった。
追うようにやってきた叔父が、ヴィヴィアンヌを急き立てる。
「私が騎士殿のお相手をしているから、お茶の用意をしなさい」
「はい……」
セドリックの用向きが気になって仕方ないが、叔父に促され台所へ向かった。
背負い紐(ひも)でジョルジュをおんぶすると、手慣れた動きで茶器を取り出し、調理台の上に並べた。
今は侍女を雇う余裕もない。自ら竃(かまど)で湯を沸かしお茶の準備をする。
時々、ぐずるジョルジュを揺すってあやしながらお茶を淹(い)れた。
作業をしながら、ぼんやりとセドリックのことを考えていた。
突然現れた、絵に描いたようなハンサムで立派な騎士のことが気になってしかたない。
ヴィヴィアンヌは今年十八歳になるが、叔父と年取った庭師以外、異性というものに接した経験がほとんどなかった。
そのせいだろうか、セドリックのことを考えると胸がドキドキして、気持ちが落ち着かないのだ。
お茶を載せたワゴンを押し、応接室に向かう。
叔父がきちんと閉めなかったのか、扉が半開きになっていた。中から、叔父の少し甲高い声が聞こえてくる。
「なるほど、そういうわけでしたか。すべて了解しましたぞ」
叔父はひどく機嫌が良さそうだ。
「失礼します」
ヴィヴィアンヌはノックして、応接室に入って行った。
古ぼけたテーブルを挟んで、叔父とセドリックがソファに向かい合って座っている。
肥満気味の叔父は、ソファに深くもたれだらしなく両足を開いているが、セドリックは背筋をまっすぐ伸ばし、揃えた両膝にきちんと両手を置いていた。いかにも質実剛健で清廉そうだ。
「お茶をどうぞ」
ヴィヴィアンヌがテーブルの上に茶器を並べると、セドリックは軽く会釈した。
「幼子のいるあなたに、お手数をおかけした。気が回らず、すまない」
堅苦しく謝罪され、ヴィヴィアンヌはなぜか頬に血が上るのを感じた。ぺこりとお辞儀をして、応接室を退出しようとすると、セドリックが少し強い口調で言う。
「待ちなさい。私はあなたに話があって参上したのだ。同席してほしい」
なんの話があるというのだろう。ヴィヴィアンヌはびくりと肩を竦(すく)ませ、その場に立ち竦む。
「まあまあ、ヴィー、ここに座って話を聞きなさい」
叔父に促され、ヴィヴィアンヌはセドリックの向かいのソファに浅く腰を下ろした。そして、背中からジョルジュを下ろし、膝の上で抱いた。先ほど台所でミルクを飲ませたので、ジョルジュは機嫌よく抱かれている。
セドリックが口を開く前に、叔父が口早に説明する。
「ヴィー、この騎士団長殿のお話では、国王陛下がお前とジョルジュを庇(ひ)護(ご)してくださると言うのだ。もちろん、ジョルジュの養育費も相当額支払ってくださるそうだよ」
「え……? 国王陛下が……なぜ?」
ヴィヴィアンヌが戸惑っていると、セドリックが口を挟む。
「私が、陛下の落とし子と母であるあなたを全力で護衛いたします」
ヴィヴィアンヌはますます頭が混乱した。
「母って……」
セドリックが威圧的に言う。
「無論、国王陛下のお申し出を断ることなどないでしょうな?」
セドリックの口調には有無を言わせぬ迫力があり、ヴィヴィアンヌは怯(おび)えて声を呑んだ。
「騎士団長殿、ヴィーはとても控えめな性格なのです。どうでしょう、私とヴィーだけで、少し話をさせてくれませんか? 突然のことで、姪は戸惑っておるのです」
叔父が取りなすように言った。
セドリックは生真面目な表情でうなずく。
「承知した。私は屋敷の外で待機しよう。話がまとまったら、呼んでください」
彼はすくっと立ち上がり、きびきびした歩調で応接室を出て行った。
ヴィヴィアンヌは知らず知らず、目の端で彼の背中を追ってしまう。
扉が閉まるや否や、叔父が口早に切り出した。
「ヴィー、よく聞くんだ。あの騎士団長は、お前を双子の姉のヴィクトリアと間違えているのだ」
ヴィヴィアンヌは緑色の目を見開く。
「お姉様と……?」
「そうだ。そして、ヴィクトリアの息子のジョルジュを国王陛下の御子と思い込んでいるのだ」
「国王陛下の……そんな……!」
「まあ、ヴィクトリアは国王陛下付きの小間使いをしていたからな、その可能性は無きにしも非(あら)ずだが。陛下の情婦だったかもしれぬ」
ヴィヴィアンヌは頭に血が上るのを感じた。
「叔父様、姉上はそんな人ではありません!」
叔父はふんと鼻で笑った。
「父親が誰かはわからぬではないか」
「……」
言い返せないヴィヴィアンヌに、叔父は意気込んで言う。
「よいか、ヴィー。可能性があるのなら、ここはジョルジュは国王陛下の落とし胤(だね)ということにするんだ。そして、お前はヴィクトリアになりすますんだ。お前たちは瓜二つだ。誰にもバレないだろう」
ヴィヴィアンヌは驚(きょう)愕(がく)した。
「叔父様、何をおっしゃるの? あの騎士団長や国王陛下を欺けというの? そんなこと、できません!」
叔父が身を乗り出し、怖い顔になる。
「だが、養育費が手に入る。ヴィー、これから先、落ちぶれた屋敷で女手一つで、ジョルジュを育てていけるのか? 私だって、支援する金に限りはある。充分な養育費が手に入れば、ジョルジュによい生活をさせ、よい教育を受けさせることができる。いいか、ヴィクトリアの形見の子どものためなのだぞ」
「ジョルジュのため……」
その言葉はヴィヴィアンヌの胸に響いた。
そして、突然故郷に戻ってきた姉のヴィクトリアのことを思い出す。
双子の姉のヴィクトリアは、とても優しく妹想いの人だった。
彼女は貧窮するオードラン家のために、貴族の身分を隠して、首都の王城の侍女の仕事を得た。ヴィクトリアは住み込みで働き、たびたび仕送りをしてくれた。
田舎の屋敷に残ったヴィヴィアンヌは、一人で屋敷を切り盛りし、姉の仕送りで負債を少しずつ返済した。
ヴィヴィアンヌは、いつか借金がすべて片付いたら、ヴィクトリアを屋敷に呼び戻し、姉妹で慎ましく穏やかに暮らそうと夢見ていた。
姉妹はしきりに手紙をやりとりし、互いの近況を知らせ合った。
ヴィクトリアは二年前に国王付きの小間使いに取り立てられ、給金が格段によくなったと喜んでいた。手紙には、仕事に励む姉の様子が綴られていた。
だが一年と少し前。
突然、ヴィクトリアが屋敷に戻ってきたのだ。
ヴィヴィアンヌは驚いて事情をたずねたが、姉は理由を話そうとしなかった。
それよりヴィヴィアンヌが衝撃を受けたのは、ヴィクトリアが身籠っていたということだ。父親のことに関しても、彼女はひと言も話さない。
ただ、真摯な表情でヴィヴィアンヌに訴えた。
「お願い、ヴィヴィアンヌ。私、この子をどうしても産みたいの。どうか、力を貸してちょうだい。どうか、お願い!」
幼い頃から、姉と肩を寄せて生きてきたヴィヴィアンヌは、姉がまっすぐで純真な人だとわかっていた。
なにか言えない深い事情があるのだ。
「わかったわ、お姉様。私にできることなら、なんでもするわ。無事に出産して、一緒に赤ちゃんを育てましょう」
ヴィクトリアの手を握り、きっぱりと言った。
「ありがとう、ヴィヴィアンヌ。あなただけが頼りよ」
ヴィクトリアは嬉し涙を浮かべた。ヴィヴィアンヌは何があっても姉の力になろうと決意した。
それから、二人で屋敷での出産に備えた。
後見人である叔父は、父なし子を宿したヴィクトリアに激怒し、外聞が悪いので屋敷から追い出せと迫ってきた。だがヴィヴィアンヌは必死でなだめたのだ。決して叔父の迷惑にはならぬようにすると、訴えた。
ヴィヴィアンヌには甘いところがある叔父は、しぶしぶ了承した。だが、ヴィクトリアの妊娠出産の件は、極秘にするよう厳命された。
古ぼけた屋敷の中に閉じこもるようにして暮らしたヴィクトリアは、やがて産み月を迎えた。
叔父にきつく言われていたので、産婆を呼ぶこともかなわない。
ヴィヴィアンヌは本や子持ちの町の女性たちから得た知識だけで、ヴィクトリアの出産を手伝った。
貧しい生活で栄養が行き渡らなかったせいか、ヴィクトリアは難産だった。
ヴィヴィアンヌが必死で介助し、どうにか無事男の赤子が産み落とされた。
だが、それと引き換えのように、出産直後、ヴィクトリアは息を引き取ってしまったのだ。
ヴィヴィアンヌの嘆きはひと通りではなかった。
叔父の意向で、姉は密葬され、弔(とむら)う者はヴィヴィアンヌただ一人だった。
生まれたばかりの赤子を抱いて、ヴィヴィアンヌは呆然として姉の墓前に佇(たたず)んだ。
「お気の毒なお姉様。でも、心配しないで。この子は私が立派に育てるわ。だから、安心して天国に行ってくださいね」
幸薄い姉の人生を悼(いた)み、ヴィヴィアンヌは心に強く誓うのだった。
その日から、ヴィヴィアンヌは慣れない育児に全力で取り組んだ。
近所の農家から、母乳代わりにヤギの乳を分けてもらった。そして、子どもを二人育て上げた庭師の女房に、色々な助言をもらった。
幸い、生まれた赤子はとても健康で丈夫で、すくすくと成長した。
ヴィヴィアンヌは赤子に亡き父の名前から、ジョルジュと名付け、ありったけの愛情を注いで育てた。
いつしか、ジョルジュは我が子同然の存在となり、ヴィヴィアンヌの唯一の生きがいになったのだ。
ヴィヴィアンヌはぼんやりこれまでのことを思い出していた。
「どうだ、わかってくれたか?」
叔父が返答を迫ってくる。
ヴィヴィアンヌは深く息を吸うと、小声で答えた。
「わかりました……ジョルジュのためなら、私、なんでもします」
叔父がぱっと表情を明るくする。
「おおそうか! よかったよかった。これで、我らにも運が向いてきたぞ。早速、あの騎士殿に返答をしてこよう。いいか、お前は余計なことは言わず、おとなしくしているんだぞ。すべて、叔父である私にまかせておけばよいのだ」
叔父はいそいそと応接室を出て行った。
ヴィヴィアンヌは眠ってしまったジョルジュを抱っこして、足音を忍ばせて窓際に寄り、こっそり玄関前を見(み)遣(や)った。
セドリックとその部下らしい黒髪の騎士に、叔父がしきりに話しかけている。
叔父の話にセドリックは何度かうなずいた。そして、部下に向かってなにか命令した。その部下は、すぐさま馬止めに繋いであった手綱を解くと、馬に乗って走り去っていった。
きっと首都の国王陛下に報告をしに行ったのだろう。
ヴィヴィアンヌは端整なセドリックの横顔を、後ろめたく見つめていた。
叔父が踵(きびす)を返して応接室に戻ってきたので、ヴィヴィアンヌは急いでソファに戻って腰を下ろす。
叔父はノックもせずに扉を開け、興奮気味に話しかけてきた。
「万事話がまとまった。あの騎士たちはここにとどまり、屋敷の護衛に当たるそうだ。そして、子どもの養育費として月千ダガーいただけることになった。これだけあれば、養育費はおろかオードラン家の負債も返していける。ヴィヴィアンヌ、万々歳だ」
もともとがめついところがある叔父は、大金が手に入ることに喜んでいる。肝心のジョルジュには無関心だ。
嘘をつくことに慣れていないヴィヴィアンヌは、痛む心をなだめるのに精いっぱいだ。
「しつこいようだが、あの騎士どもに余計な口をきくのではないぞ。いいな」
叔父は何度もヴィヴィアンヌに念を押し、屋敷を後にした。
ヴィヴィアンヌはジョルジュをベビーベッドに寝かしつけると、茶器を片し、夕食の用意に取り掛かった。
生後九ヶ月を過ぎたジョルジュは、離乳食をもりもり食べる。手づかみなら一人で食事ができるようになっていた。
ジョルジュの大好きなパンケーキを焼き、柔らかく煮込んだジャガイモのスープを作ろう。
黄昏(たそがれ)時になって、外は暗くなってきた。
「そう言えば、護衛をするとおっしゃっていたけれど、あの騎士様はどこでお休みになるのかしら」
ヴィヴィアンヌははたと思い当たり、ジョルジュを抱っこすると中庭に出て行った。
庭の隅に焚(た)き火の灯りが見え、その前にしゃがんでいるセドリックの大きな背中が見えた。
ヴィヴィアンヌはおずおずと近づく。
叔父にきつく言われていたが、話しかけてみたい気持ちに勝てなかった。
「あの……」
小声で話しかけると、セドリックがふっと振り返る。鋭い青い瞳と目が合い、心臓がドキンと跳ね上がった。
「なにかご用であるか? ご令嬢」
セドリックはすくっと立ち上がり、堅苦しく答える。上背のある彼が立つと、小柄なヴィヴィアンヌは威圧感を覚え、気後れしてしまう。
「え、あの……騎士様は……」
「セドリックで結構です」
「セ、セドリック様――どこでお休みになるのですか?」
セドリックは庭の隅に転がしてある寝袋を指差した。
「そこで休みます」
「えっ? 屋外で?」
「そうです。陛下の御子と同じ屋根の下で休むのは、不敬ですし、屋敷の周りの警護もしますから」
「で、でも、雨が降ったりしたら……」
「その時は、玄関先の軒をお借りします」
「そんな……」
申し訳なさに心がズキズキ痛む。
「――お食事は?」
セドリックは焚き火に掛けてある小さな鍋を指差す。
「携行食を湯で戻して食べます」
「それだけ……」
「栄養は足りています」
味も素っ気もない食事だ。
ここまでして国王陛下の命令を忠実に守ろうとしている彼の姿勢に、ヴィヴィアンヌは罪悪感が募った。
「あの……夕食を一緒に召し上がりませんか? いつも多めに作ってしまうので。ささやかなものですが、味には自信があります。そのくらいなら、よろしいでしょう?」
セドリックが目を瞬いた。
出すぎただろうか?
だが、地位の高い騎士に自分たちの護衛で野営をさせるのが、なんとも心苦しかった。
「私もずっと一人で食事をしてきたので、誰かと一緒に食べたいんです――その方がずっと美味しいし」
「それは、命令ですか?」
セドリックが硬い声で言う。
ヴィヴィアンヌは首を振る。
「いいえ、お願い、です」
セドリックの表情が緩み、声にわずかに感情がこもった。
「お願いですか――淑女のお願いでは、騎士としては断れない」
セドリックが笑みのようなものを浮かべた。
「ご相伴にあずかります」
ヴィヴィアンヌの脈動が速まった。
「ああよかったわ。どうぞ、中へお入りになって」
ジョルジュを抱いて玄関へ向かおうとすると、セドリックが素早く先に立った。
「階段がある。赤子を抱いていては危ない。私が先導しよう」
彼は守るように片手をヴィヴィアンヌの背後に回した。背中に触れぬように気遣いながら、彼は玄関の扉を開ける。
背中に大きな掌の温かみを感じて、ヴィヴィアンヌは胸が熱くなった。
「あの、その先の廊下を右に入ると、台所と食堂です」
「了解した。扉は僭(せん)越(えつ)だが、私が開こう」
食堂に入ると、ヴィヴィアンヌはジョルジュを子ども用の椅子に座らせ、安全ベルトを締めた。よだれかけの紐を首の後ろで結んでやる。
「セドリック様は、適当に座っていてくださいね。先にジョルジュにご飯を出しますから」
セドリックに声をかけ、ジョルジュの前に木の食器を並べた。
食事と悟ったジョルジュが、嬉しそうに声を上げる。
「あー、あー。まー、まー」
「はいはい、まんまよ、今すぐに上げますから」
台所で手早くパンケーキを焼き、ジャガイモのスープを人肌に冷まして運ぶ。
「いい子で食べていてね」
ジョルジュの前に配膳すると、彼はむんずと手づかみでパンケーキを掴み、はむはむと食べ始めた。
一番端の席に座っていたセドリックが、目を丸くしている。
「自分で食べることを覚える時期なの。手づかみでも、驚かないでくださいね」
「ふむ――まだスプーンなどは使えぬのだな」
セドリックは感心したような声を出す。赤子が珍しいのかじっと見ている。
あんなに美男子で身分も高い騎士だから、すでに既婚者で子どもの一人や二人はいるだろうと思っていたが、違うのだろうか。だが、セドリックの私生活に踏み入ることはあまりに失礼で、そんなことは聞けなかった。
ヴィヴィアンヌは新たにパンケーキを焼き、スープとともに食器によそってセドリックの前に並べた。
「さあ、温かいうちに召し上がってください」
セドリックは胸の前で両手を組んだ。節が高く無骨な指だが、男らしくてとても色っぽいと思った。
「神よ、今日の糧に感謝します」
こんな慎ましい食事なのに、きちんと礼儀を尽くすセドリックの態度に、ヴィヴィアンヌは胸がとくんと甘く震えるのを感じた。
セドリックはナイフとフォークを手にして食べ始める。
ヴィヴィアンヌも席に着いたが、彼が料理を口にするまでじっと待っていた。パンケーキの一片を頬張ったセドリックが、目を丸くする。
「これは――たいそう美味だ」
ヴィヴィアンヌはほっと胸を撫(な)で下ろした。
「バターとハチミツをもっとどうぞ。バターは私の手作りで、ハチミツは庭師がうちで飼っている蜜蜂から取ったものです。シロツメクサの花の蜜で、とても爽やかな口当たりですよ」
「うむ。このスープも絶品だ。あなたはとても料理上手なのだな」
セドリックが感心したように言うので、ヴィヴィアンヌは顔が赤らんだ。
「たいした料理ではありませんが」
「いや、こんな美味い食事は久しぶりだ」
セドリックは旺盛な食欲を見せる。ほれぼれするような健(けん)啖(たん)ぶりだ。
「あの――お代わりはいくらでもありますから、遠慮なく言ってくださいね」
「ありがたい。朝から馬を飛ばしてきたので、腹がぺこぺこだったのだ」
セドリックが笑みを浮かべる。笑うと、厳しく強(こわ)面(もて)だった雰囲気が少年のような瑞(みず)々(みず)しいものに変わった。
ヴィヴィアンヌはきゅんと心臓が震えた。
ジョルジュは見知らぬ男がもくもくと料理を平らげていくのを、ぽかんとして見ている。
「さあジョルジュももっと食べましょうね」
ヴィヴィアンヌは冷ましたスープを木のスプーンに掬(すく)い、ジョルジュの口元へあてがった。
直後、ふいにジョルジュが自分の前の食器を掴(つか)んでなぎ払ったのだ。
ミルクの入ったカップとスープ皿がひっくり返り、ばしゃっとヴィヴィアンヌにかかった。
「あっ」
「うわぁああぁああん」
ジョルジュは火がついたように泣き出した。
「ご令嬢! 火傷(やけど)などしていないか?」
セドリックが椅子を蹴立てて立ち上がる。
ヴィヴィアンヌはスープだらけの顔をエプロンで拭いながら首を振る。
「大丈夫です、赤ん坊向けに冷ましてあったので――ああ、テーブルがびしょびしょに」
ヴィヴィアンヌが慌てて布巾でテーブルを拭こうとすると、セドリックがさっと手を差し出した。
一瞬、右手と右手が触れ合った。
ヴィヴィアンヌはとっさに手を引っ込める。セドリックは気にする風もなく、さっさとテーブルを拭き始める。
「私が食卓を片付けよう。あなたは着替えてきなさい。それに赤子も泣いている」
「あ、はい。すみませんが、しばらくだけ、ここをお願いします」
ヴィヴィアンヌは弾かれたようにジョルジュを抱き上げると、私室へ向かった。
ジョルジュは大声で泣き続けている。
「どうしたのジョルジュ、何が気に入らなかったの?」
着替える間だけベビーベッドに寝かしつけようとしたが、ジョルジュは両手両足をばたばたさせて暴れた。
こんなに興奮したのは初めてで、ヴィヴィアンヌは途方に暮れる。
もしかしたら、セドリックの存在に人見知りしているのかもしれない。これまで、叔父と庭師以外の男性を知らないのだから。
この続きは「カタブツ騎士団長の初めての純愛 ~バージン・ママとベビーを最強の愛で守ります!~」でお楽しみください♪