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媚薬から始まる10日間の恋は永遠か?

中山五月 / 著
すずくらはる / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2021/08/27

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内容紹介

僕はとっくにきみが好きだよ
家が没落し、メイドとして働くタニアに突然、王命が下される。それは、閨に恐怖心を抱く王女の結婚のために、媚薬の実験台になることだった。期間は10日間。王命のために処女を散らすと決めたタニアだが、仕事相手となった上級魔術師のエイヴリーからは、恋人のように甘やかされて…。「どれだけ僕を煽ってるか分かってる?」溺れてしまうような執拗な愛撫で、初心な乙女の身体に快楽を教え込まれる。いつしか彼に恋心が芽生えるようになるけれど、彼が優しいのは仕事だから…? 「ただ僕のことだけ考えていて」恋を諦めた元男爵令嬢×余裕たっぷりな魅惑の魔術師の媚薬から始まる初めての恋。

立ち読み



 タニア・テルミエリはその日、バッテの採取を手伝っていた。棘(とげ)がありがさがさと硬い表皮の枝を同僚達は嫌うから、彼女の他にやりたがるものはいない。
 いったん庭師と別れ納屋で防護用の上着を脱いでいるとき、外からタニアを探す声が聞こえた。後輩のミレイだ。髪を整えながら返事をして、戸を開ける。
「どうしたの? 艶出し用の蝋(ろう)なら棚の二段目に出したって朝……」
「違います、パーセルさんがお呼びです。奥方様のご用事だそうですよ」
「奥方様の?」
 タニアは一メイドだ。家政婦のパーセルが直接自分を名指しで呼ぶような用事など普段はない。ましてや奥方など。何があったのだろう。
「ええ。急ぎではないみたいですけど、でも今日の仕事は全部任せるようにともおっしゃってました。北館の客間だそうです」
「北館の? ……どういうことかしら」
 もう手伝いができないことを庭師へ伝えるよう頼み、困惑顔のミレイを置いてタニアは急ぎ足になった。
 本館と違い、北館は私的に使われることが多い。学術肌の奥方が薬草などを育てており彼女の書斎もあって、タニアはここへ踏み込むこともそうなかった。客間といってもごく親密な間柄の人物にしか開いていないはずで、だから余計に訝(いぶか)しい。
 北館では奥方付きの執事が待っていた。
「テルミエリさん。こちらです」
「ああバーンズさん、お呼びとお伺いしまして参りました。申し訳ありませんがバッテを採りに行っておりまして……このような格好でかまいませんでしょうか」
 途中で手だけは洗ってきたが、上から下までいつものお仕着せだ。タニアは客前に出る仕事はしていないから、フリルもリボンもない素っ気なさである。
 執事は鷹(おう)揚(よう)に頷(うなず)き、エプロンだけ取って中へ入るようにと促した。
 いつもの仕事とは違う種類の「ご用事」ということだ。
 つとめて深く呼吸をしながらエプロンを畳んで渡し、品よく扉を開いたバーンズの前を踏み出した。

「悪いわね、急に」
 客間には奥方であるマリーナと、タニアより少し上に思える見たことのない男性がいた。彼は柔和な笑みを浮かべている。家政婦は後ろに控えており、まさか来客の前に通されると思っていなかったタニアは動揺した。
「いえ、とんでもございません」
「こちら王宮魔術師のウォレス・ダーマドさん。ダーマドさん、メイドのタニアです」
 動揺はなんとか表に出さずにこらえた。廃(はい)嫡(ちゃく)したとはいえ男爵家でしっかりと仕込まれた礼をとって名乗り、こんなふうにお辞儀をするなど何年ぶりだろうかと思う。大丈夫だ、不意をつかれただけで平常心は保てている。
「どうかしらダーマドさん? お目にかなって?」
「そうですね、僕の方からは」
 不思議な言葉が交わされ、ダーマドは静かにタニアを見ている。頭から爪先までじっくり検分され、だんだん不安になってきた。
 奥方は彼の反応に納得したように頷き、パーセルへ退出するよう言った。
 家政婦を部屋から出す?
 これはなんの密談だ、さすがに雲行きが怪しいと心中ひそかに慄(おのの)くタニアに、奥方は一言告げた。
「タニア、あなたにお仕事があるの」
 こちらにかけなさいと言われたときには驚いた。メイドが主人や、ましてや客と同じ席につくなど考えられない。
 いいからと強引に手招きされおずおずとカウチソファに腰を下ろすと書類が出てきて、さらにタニアは驚かされることになった。
 契約書とある。
 書面に目を落として固まったタニアに、ダーマドが声をかける。こちらが動揺していることの方がおかしいような、ごく普通の調子だった。
「きみは読み書きはできるのかな」
「はい」
「ならよかった。まずこちらに目を通してほしい。分からないところがあったら聞いて」
 メイドの仕事を始めるときにもこんな書面は交わさなかった。えらく質のいい厚い紙の全面に薄く光る紋が入っていて、魔術の素養がないタニアにもこの契約書の厳重さはなんとなく分かる。
 一介のメイドに不釣り合いな重さだと訝しく思ったが、内容はもっと分からなかった。
 王宮魔術団とタニアの直接契約で、ある仕事に従事すること。
 期間は十日間であること。
 契約と仕事の内容は生涯にわたり、一切洩(も)らしてはならないこと。
 違反の暁には投獄されること。
 そして、内容を知る前に契約書にサインをすること。
 報酬額はタニアの給金二年間分ほどもあった。
「読んだかな」
「はい。……恐れ入りますが、こちらのエイヴリー・レフネゾル様という署名の方は」
「僕の上司だよ。今回の、まあ雇用主だね。契約は王宮魔術団ってなっているけれど、実質的には彼との契約になる。ここのところ多忙だから出てこられなくて、代理の僕で申し訳ない」
「いえ! いえ、そんな」
 そんなことはどうでもいいのだ。
 この、率直に言えば何をさせられるか分かったものではない怪しい契約書を読んで、それではいそうですかとサインをできようか。いくら主人に雇われている身であってもそうそう呑めるものではない。
 途方にくれた気配を察し、奥方が口を開いた。
「分からないわよね、そんななんにも言ってないのと同じ契約書なんか見せられたって。雑な仕事だわ」
「あなたはいつも手厳しいな。まあコレに関しては僕も同じ意見だけど」
 二人してため息をつく。依頼者側がなぜだ。
「私もね、詳しくは話せないのよ。それにサインをしてもらうまではね」
 何か考えるように窓の外を眺め、それからマリーナは眼鏡を取り出した。研究のときにはいつも眼鏡をかけていると聞いたことはあったが、実際にその姿を見るのは初めてだ。男性の来客の前でというのもタニアをひそかに驚かせる。
 実用一(いっ)辺(ぺん)倒(とう)の大きなレンズ越しに、マリーナの薄青い瞳がタニアを見つめた。
「……ずいぶん大人になったわ、タニア」
 あなたはここへ来たときいくつだったかしらと問われて、十五でしたと答える。
「そう、ああもう十年が経(た)ったのね。本当によく働いてくれて、……きれいになったわね」
 懐かしそうに言う奥方は、あの頃と変わらない。もう息子達を成人させたのに、初めて挨拶をさせてもらったときの姿のままに思えるほどだ。薬学に精通した学者でもあると知ったときに腑(ふ)に落ちた、思慮深く清廉な面(おも)差(ざ)し。
 テルミエリ家のつてを辿(たど)って辿ってここへ来たタニアが平民に交ざっても衝突なくやって来られたのは、屋敷を実質的に取り仕切るマリーナのおかげと言っていいだろう。家は主(あるじ)の色を示すものだ。
「王女様がヘルネラン陛下とご結婚なさるの」
「マリーナ」
 はっと息を詰め、遮ろうとしたダーマドを手で制してマリーナは続ける。
「可哀想だけれど、タニア、あなたにはこの仕事を断ることはできないわ。それに、せめて女の私から説明した方がまだいいでしょう」
 前半はタニアに、後半はダーマドに。かすかな憤りと無力感がその声音には潜んでいて、一度緩みかけた気持ちがぴんと張った。
「これは王命です。あなたの乙女が必要なの」

 タニアは客間を出てそのまま、ダーマドと同じ馬車に乗せられた。
 私物はまとめられており、小さなその鞄一つを持って王宮直轄の高い壁の中へと向かう。
 タニアの暮らす街は王都ではあるが、華たる王都と呼ばれるときはこの内側のみを指す。内側と言っても、威(い)容(よう)を示す石積みの擁壁は高く広大だ。内側だけで一つの街になっていて、大勢の人々が暮らしている。
 王族は勿論貴族や豪商も多く住み、自由に出入りできる場所ではない。検問では身分を問われるし、平民であっても身元のしっかりした者しか入れないのだ。生家の廃嫡で社交界へ出ることも叶わなかったからこそ、タニアには憧れがあった。一度入ってみたいものだと思ってはいたが、こんな形で実現するとは。
 タニアが請けた王都での仕事は、余裕を見て十五日間の期間を取ることになっている。その間屋敷に戻ることはない。しかし、あれこれ楽しく物(もの)見(み)遊(ゆ)山(さん)というわけにはいかないだろう。複雑な気持ちを抱えたまま、馬車の小窓からちらちらと見える外を眺めるばかりだった。
「あんまり緊張しないで」
「そう言われましても……」
「たしかに、それはそうだ。きみはあちら側は初めて?」
「はい」
「まあ、壁があるだけで普通の街だよ。ちょっと城が近いけれどね。着いたら案内をさせるよう手配をしてあるから」
 面白い店も多いから仕事のないときには出歩くといい。ダーマドは砕けた口調になって、タニアのこわばりをほぐすようにのんびりとそんな話をした。処女を散らせなどという話を聞かされた直後だとはとても思えない。

 軍の紋章が入った馬車は賓客用らしく、共に乗っているダーマドは勿論平然としたものだがタニアには緊張を強いた。分厚いクッションは柔らかく上質な手触りで、石畳を走る馬はそれなりの速度なのに衝撃もほとんどない。男爵家の娘だった頃はまだ幼くて、大人になったらこうした美しく気品のある馬車に乗って舞踏会へ出かけるのだと夢見ていたものだ。無(む)垢(く)な少女だった。
 少女はすっかり大人になった。家がなくなるなど考えてもいなかったが、市(し)井(せい)に交じってもなんとか働いてそれなりに周りともうまくやり、母は他界してしまったが離れて暮らす父と協力して借金も地道に返し続けている。だから年月が経つうちに悲しみと嘆きは水面下に沈んでいき、やがて風化していった。
 恋や結婚を夢見ることはもうとうに諦めていた。時折の手紙で父が書いてくるいい人をという言葉も、だんだん形だけのものになっていって久しい。
 どう転がるか、分からないものだ。この年齢になっても乙女であることが役に立つことがあるとは思わなかった。
 タニアは目を伏せる。ささくれるほどではないにせよ、貴族の末席にいたならとてもこうはならないという指先だ。
 乙女でなくなるには相手がなければならない。その相手は誰なのか、勿論話を聞いたときから気になっている。しかしそのあたりのことは上司から聞いてくれと言われ、ダーマドからは教えてはもらえなかった。
 重厚な装飾に呑まれそうになりながら、タニアは混乱を抱えて石畳の道を揺られていく。
?



 タニアの暮らすトリスタン王国の国王は、若くして国を継いだ。まだ子はいない。
 王には一人の妹と二人の異母弟がいる。王弟達はどちらもまだ社交界に出る年齢を迎えておらず、母親が違うこともあって国政の中枢からはやや遠い。王妹のロズレアはタニアと同じ二十五だった。この国で二十五というのは、子供が二、三人いてもおかしくない歳(とし)だ。
 ロズレアは運命に翻弄されたといってもいい、悲劇の姫である。
 トリスタン王国は十年ほど前まで、長く戦火に苦しんでいた。肥(ひ)沃(よく)な土地と豊かな海に恵まれた国土が仇(あだ)となり隣国のヘルネランと争いが絶えず、防衛のために発展した魔術は北に接するレジェイズから狙われた。
 その中に生まれた一人きりの王女は何度も拐(かどわ)かされ命を脅かされながら育って、十になった歳で国のために一度レジェイズへ嫁いでいる。自分の親よりも歳上の王に、実情は人質として。
 婚姻は長くは続かなかった。レジェイズがヘルネランに滅ぼされたからだ。
 しかし、戦が終わってのち、ロズレアが国に還(かえ)ってくるまでには五年の歳月を要した。ヘルネランに追い詰められたレジェイズはトリスタンに協力を要請し、その切り札として隠された彼女はそのまま行方知れずになってしまったのだ。和平協定を結んだヘルネランとトリスタンが協力体制を敷いて探すもなかなか見つからず、魔術で偽りの記憶を植え付けられ平民として暮らす彼女がやっと発見されたのが五年と少し前のこと。盛大なパレードを、姫の帰還を喜んだことをタニアは鮮明に覚えている。
 そのロズレア王女を望んだのが、一昨年に国を継いだヘルネラン陛下だという。今度は年の頃の釣り合う相手、しかし今回もまた人の楔(くさび)であるのかもしれない。
 そしてタニアの「仕事」は、ロズレアの輿(こし)入り、もっといえば初夜をつつがなく終えるための薬の実験台、だった。
 マリーナの、眼鏡越しの冷静な目を思い出す。
「……なぜ私なのでしょう」
 ダーマドへの問いだったが、とても顔を見られずに俯(うつむ)いてそう言ったタニアの言葉を引き取ったのは彼女だった。
「年齢と背格好と、それから乙女であることね」
 静かな部屋でずばりと言われ、タニアは顔が赤らむのを感じた。事務的なといってもいい口調で、学者の顔になった奥方は続ける。
「あなたはずっと焦げ茶に染めているけれど、元の髪は赤いでしょう? それも大きいわね。あの方と体質が似ているということだから。薬の効き方が近くなる条件の女性はあなたしかいなかったの。……ずいぶん探したのだけれど」
 この国はさほど性に堅くはない。貴族達は婚姻まで純潔を守るが、平民は体を重ねるところから関係を始めて夫婦になることも珍しくなく、だからタニアの年代で乙女であるという条件を満たしている者は少なかったのだろうと想像がついた。
「苦しかったり痛かったり、後遺症が残ることもない。その点は安心してほしい」
 マリーナの説明があらかた終わったあたりで、ダーマドが真面目な口調で付け加えた。
「ええ、そうね。まあそんなことになるような薬なんかあの方にお飲みいただけるわけがないし、これまでに何人かがもう協力してくれているから結果はある程度取れているの」
 それならなぜと思ったが、協力者は皆乙女ではなく、王宮会議で是(ぜ)を勝ち取るには弱いのだという。王女と近い条件であるタニアが、だからこそ求められるのだ。
「タニア、あなたの気持ちは無視することになってしまう。それは申し訳ないと思うわ」
 マリーナはタニアの目をじっと見て、親愛と憐(れん)憫(びん)のうっすらにじむ声でそう言う。
 ダーマドは気まずげに目を伏せていた。冷徹に引っ捕らえて有無を言わさず連れていってもいい立場だろうにと、場違いだがわずかに胸が温まる。
 王女に幸せになってほしいという思いは自分にもある。このまま一生を屋敷に仕えて生きるつもりだったのだ、好いた相手があるわけでも夢を見る歳でもない。この身を求められ、役立てられるならそれもいいだろうと、そう思った。


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