書籍詳細
憧れの上司が××だった件 御曹司の情事のヒミツは大きすぎて暴けません!
定価 | 1,320円(税込) |
---|---|
発売日 | 2021/09/24 |
お取り扱い店
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
憧れの上司が××だった件
第一章 叶わぬ恋をしている?
「——悪いけど、君とは付き合えない。好きな人がいるんだ」
突然聞こえてきたその言葉に、本(ほん)田(だ)伊(い)織(おり)は動揺を隠せなかった。
自分が彼に想いを告げたらどうなるか、幾度となく妄想し想定していた返事そのままを、偶然にも現実の彼が口にしたのだ。
ただし、彼が今向き合っている相手は自分ではない別の人で、この場での伊織はただの傍観者にすぎない。
「そんな……じゃあ恋人がいないって嘘だったんですね」
どうやらまずい現場に居合わせてしまったようだ。伊織はかけようとした声を止めて、後ろに数歩下がる。
上司である彼が、自分で資料を取りに行くと部屋を出ていったのは十五分ほど前。なかなか戻ってこなかったので、ここまで探しにやってきたのだが……資料室手前の、ひとけのない廊下の片隅で、女性社員に捕まっていた。
上司の名は椎(しい)名(な)和(かず)馬(ま)。この会社の社長の一人息子で副社長でもある。
その彼と向き合っているのは総務部の女性社員、北(きた)見(み)だ。北見のほうから告白をして、和馬からの返事が先ほどのものだったらしい。
伊織は二人に気付かれる前に、柱の陰に隠れた。
和馬は脇に青いファイルを抱えている。目的の資料が見つからなかったわけではなさそうだから、本当ならこの場からそっと立ち去るべきだった。でも、伊織の足はその場に縫い止められてしまったかのように動かない。
盗み聞きなんていけないことだとわかっているが、どうしても気になってしかたなかった。自分もまた、和馬に想いを寄せる一人だったから。
彼の秘書になってもうすぐ三年。不相応だとわかっていながら、長い間和馬のことを想っている伊織だが、片思いでも毎日は充実していた。
好きな人の側にいて、その人の笑顔を見ることができたら絶好調。褒めてもらえたら、最高にハッピーな一日になる。
密かに、恋人になれた日を想像することも楽しい。それが叶うことがないだろう夢だとわかっているが、想像するだけなら自由だ。
伊織は片思いを楽しんでいた。二十三歳で出会った人との距離は、二十六歳になった今でも変わらない。だからこそ気持ちは穏やかで安定していた。
告白する勇気がない伊織は、この恋が成就しなくとも、せめてこんな日が続いていけばいいと願っていた。
しかしそれが、こんな形で終わってしまうなんて。
「ずっと恋人がいないのは本当だ。でも片思いしてる人がいる」
「副社長が片思い? そんなことあるんですか?」
想いを告げてくれた相手に真面目に応えなければならないと思ったのか、和馬はそれに答える。
「その人の恋人になれない事情があるんだ。俺のような人間は相応(ふさわ)しくないんだよ。俺は……ずっと片思いでいいと思っている」
「そんなの不毛です! それなら私、二番目でもいいです。努力しますから!」
北見も真剣だった。彼女の気持ちも理解できる。
心の底から二番目でいいと思っているわけではないはずだ。少しでもただの社員以外の立場になりたくて、そしていつか振り向かせたい。そんな必死さが伝わってくる。
和馬は、理想の王子様みたいな人だ。背が高く、容姿端麗で、社長の息子なのに偉ぶっていなくて、何より優しい。
友人に彼のことを話すと「そんな完璧な人いるわけない」と言うが、実際にいるのだ。もし和馬のような男性から言い寄られたら、誰だって恋に落ちてしまう。
だから、ずっと恋人がいないというのは驚きだし、片思いをしているというのはさらに驚きだった。
なかなか引き下がってくれない北見に困惑しているのか、和馬の小さいため息が聞こえてくる。
「その人のことを考えているだけで、俺は幸せで……その人は俺にとって特別なんだ」
見知らぬ相手への熱い想いが耳に届いてしまい、伊織はその場にしゃがみこんで思わずうなだれる。直接言われた北見もまた、言葉を失っていた。
「付き合えないからと言って、ほかの人に簡単に乗り換えることはできない。……だから君とは付き合えない」
ショックではある。でも、同時になぜか感動してしまった。
やっぱり和馬は本物の王子様だ。モテるのに一(いち)途(ず)なんて……どこまで完璧なのだろう。
そんな彼が想いを寄せる相手は北見ではないし、もちろん告白すらできない傍観者の伊織でもない。
こんな素敵な男性に想われているなんて、誰だかわからない人が羨(うらや)ましいし、正直憎たらしいと、伊織は思ってしまった。
「さあ、そろそろ仕事に戻ろう。北見さんは総務での対応が丁寧で仕事も早いと評判を聞いている。これからも期待しているから」
おそらく彼なりの配慮なのだろう。真剣に告げた口調を改めて、明るい雰囲気で北見を褒めつつ、仕事に戻るように彼女を促す。
「は、はい! ……お時間いただきありがとうございました」
北見はすっかりただの社員の態度に戻り、二人の話は終わりになった。
ヒールの靴が奏でる足音が近付いてきたので、伊織はそのまま息を潜めて通り過ぎていくのを待つ。
耳を澄まし、遅れて届いたもうひとつの足音が消えていったことも確認し、伊織はそれまで我慢していたものを思わず吐き出した。
「……つらいなぁ」
好きな人に、好きな人がいた。
もともと一社員の自分が和馬のような完璧な人とどうにかなれるとは思っていない。でも、この気持ちは特別だった。
和馬は、伊織が人生で躓(つまず)いて、どうしようもない時に手を差し伸べてくれた人だ。恋をしないほうが無理だった。
彼に振り向いて欲しくて、地味でおしゃれなんて知らなかった自分を変えようと、必死に努力もした。
でも無駄だった。どんなにがんばってもそれは表面的な取り繕いにすぎない。彼の好きな人に敵(かな)うわけない。そして伊織は、北見のように想いを告げることさえできないままだった。
(だめだ、立ち上がらなくちゃ……。恋に破れたら、私には仕事しかないんだから)
このあと、仕事で和馬と顔を合わせなければならない伊織は、化粧室にいたと言い訳できる五分間だけ、気持ちを整える時間にした。
§
伊織の勤め先である「椎名照明」は、その名の通り照明器具メーカーである。アットホームな社風ではあるものの、普段なら就業時間帯にさっきのような色恋沙汰が展開されることはない。それなのに今週は、北見だけではなく、ほかの女子社員も和馬に突撃し撃沈している。
告白週間のようになってしまったのには、理由があった。それは週のはじまりの月曜日の出来事だ。
和馬の父である社長の椎名賢(けん)造(ぞう)は、月初の全体朝礼で会社の業績が好調であることから社員にねぎらいの言葉をかけた。
「これも皆の努力のおかげだ。これからもよろしく頼むよ。今期特によかったのはFFE事業部だね。事業部長、それに部のメンバーはよくやってくれた」
直接声をかけられた事業部長は嬉しそうにしながらも、謙遜する。
「いえいえ、もともとは副社長が進めた事業が実を結んだものですから」
FFE事業部は、ホテルの照明器具をデザインから受け持つ仕事をしている。そして、和馬が副社長就任前に統括していた部署であり、事業拡大は和馬の功績と言っても大(おお)袈(げ)裟(さ)ではない。
そこで社長は自慢の息子について、本人の目の前で語り出した。
「頼りにしているよ。あとは、息子が結婚してくれたら私も一安心なんだがなあ、誰かいい人がいないものか」
二十九歳独身の息子に対して、冗談交じりに願望を吐露する。これはただの軽口として、社員達の笑いを誘った。今の時代、結婚をしなければ一人前ではないなどといった古い考えを持つ人間は少なく、ただ社長が孫の顔が見たいだけなのだろうということが伝わったからだ。
「社長、やめてください」
少し嫌そうな顔で、それ以上話題を引っ張るのを止めていたのは和馬本人だった。しかし、社長はガハハと笑いながら続ける。
「どうして恋人がいないのか、不思議だと思わないか? 私に似てかなりの男前だと思うんだが」
——恋人がいない。
社長から飛び出した思いもよらない情報にざわついたのは、女性社員達だ。和馬があきらかに社長夫人似であるとか、社長が男前かどうかとか、細かい部分はこの際どうでもいい。
確かに秘書をしている伊織でさえ、和馬から恋人の気配を感じたことはない。それは公私をしっかり分けているだけで、きっとほかが入り込める余地のない、完璧な恋人がいるのだと思っていた。
しかし社長はこの日、「いない」とはっきり言ったのだ。
「息子を好いてくれる人なら誰でも大歓迎だ。常に恋人募集中。いい人がいたらぜひ紹介してくれたまえ」
「社長! いい加減にしてください」
さすがの和馬も不機嫌な顔になり話を止めてきたが、それでも社長の発言自体は否定しなかった。
(恋人が、……いない?)
伊織を含めた彼に憧れる女性社員達の心に、火がついた瞬間だった。
それから当日に一人、そして火曜日に一人、さらに今日水曜日に一人と少なくとも三人が和馬に告白をしている。伊織自身も、チャンスがあれば……と考えないでもなかった。ただ、美人と評判のほかのキラキラした女性社員達がだめだったのに、平均よりいいのは記憶力くらいの、平凡な自分がOKしてもらえるはずはないと尻込みしていた。
いっそ想いを断ち切るために告白するのも選択肢のひとつだが、仕事で一緒にいる時間が長いだけに、慎重になってしまう。
和馬の「好きな人がいる」という発言を陰で聞いてしまってからきっちり五分、伊織はじわりと溢(あふ)れてしまった涙をひっこめて、自分がいるべき場所へ戻った。
役員秘書である伊織のデスクは、秘書室にある。役員室とはガラスの壁とブラインドで区切られた専用のスペースになっている。
伊織は、先輩にあたる男性秘書の佐(さ)竹(たけ)に「化粧室に行っていた」などと言い訳しながら席に着いた。この会社で秘書の肩書きを持つのは佐竹と伊織の二人だ。
佐竹は三十半ば、眼鏡がトレードマークの穏やかな男性で、社長の秘書として動くことが多い。この日、社長は運転手だけを伴ってゴルフコンペに参加していたので、佐竹はまったりとお茶をすすりながら雑務をこなしていた。
「あれ? 佐竹さん……副社長は、まだお戻りではないですか?」
てっきり和馬は先に戻ってきていると思っていたが、今、ブラインドが下ろされていない隣の役員室に、その姿はない。
「うん、本田さんが探しに行ったあと戻ってきてないよ。どこかですれ違ってしまったかな」
本当は一度見つけているのだが、佐竹には言えない。
「もう少したっても戻らなければ、また探しに行ってきますね」
そう言いつつ、もしかしたらまたどこかで女性社員から告白でもされているかもしれないと考えてしまい、腰は上がりそうになかった。
今日は急ぎの予定もないから……と、頭の中にしっかり刻まれているスケジュールから、探しに行かない理由を見つけ、今後の仕事のデータを整理しはじめた。しかし、どうにも仕事に集中できない。伊織の頭を占拠しているのは先ほどの和馬の言葉だった。
どうして和馬は好きな人と付き合えないのだろう。もし一方的に好意を持っていたとして、それを諦めなければならない理由はなんだろう。
一番気になっているのは、「俺のような人間は相応しくない」と言っていた部分だ。和馬ほどの人が、自分を卑下しなければならない理由がわからない。
「……佐竹さん。たとえばの話ですよ? 片思いをしていたとして、絶対に恋が実らない相手ってどんな人だと思いますか?」
一人では答えが出ないので、隣のデスクにいる佐竹に思い切って尋ねてみる。すると彼は頭を掻(か)きながら言う。
「いやぁ……僕は非モテ属性の人間だから、恋愛のことはよくわからないけれど……何か、泣くようなことがあったのかな?」
まだ目が赤かったのだろうか。やんわりとした指摘に、伊織はあわてて目を隠した。
佐竹は気遣うように微笑み、ハンカチを差し出してくれる。未使用の予備だというそれは、かわいい美少女アニメキャラクターが描かれていた。エメラルドグリーンの髪で、杖を持っているからおそらく魔法使いだろう。
「……かわいいハンカチですね。これは、佐竹さんのコレクションでしょう? 申し訳なくて使えません」
佐竹のこういうところが伊織にとっては気楽なのだが、確かに本人の言う通り非モテ属性なのだろう。ハンカチは受け取らず自分のものを取り出し、軽く目頭を押さえた。
「何があったのかわからないけれど、そんなに落ち込む必要はないよ。本田さんの好きな人はれっきとした独身でしょう? ほらたとえばなんだっけ? あの流行の胸クソドラマみたいなことにならなければ、問題ない」
「……ドラマ? 『クズ恋』のことですか?」
「そう、それ! 本田さんはそういうのとは無縁でしょ?」
佐竹が言ったドラマとは、「屑(くず)の恋」というタイトルの深夜ドラマだ。通称「クズ恋」と呼ばれている。
登場人物が不倫、浮気、復(ふく)讐(しゅう)、結婚詐欺、DVなどを繰り広げるストーリーで、そのあまりの胸クソぶりが癖になると話題になっている。
特に話題なのが、それまでクールな二枚目で売っていた大人気俳優が、好感度ゼロのクズを演じていることだ。
全員不幸になる第一期が一年前に放送されたが、俳優の今までの役柄とのギャップが、新鮮だと評判になり、この秋から第二期がはじまった。伊織も毎週リアルタイムで視聴してしまっている。
クズ恋のヒーローはろくでなしだ。遊び人でだらしなくて野蛮、でもなぜかヒロインのことだけは一途に想っている。ヒロインはヒーローのことが気になりつつ、先に婚約していた真っ当な男性との婚姻を選ぶ。
しかし結婚してみたら夫の知らなかった一面が発覚し、思い悩んでいく。そして、再会したヒーローと不倫関係に陥る話だ。
(あれ、待って……もしかして、副社長の恋はまさにクズ恋状態なのかもしれない……)
そのクズ恋のヒーローが一期で放った言葉が、さっきの和馬と被(かぶ)っている。「俺はあなたと二人で堂々と歩けない。でも諦めることなんてできない」と。
「そうだ、クズ恋ですよ! きっとそう」
和馬の深刻そうな声。とても悩んでいることが伝わってきた。それだけ重たいものを抱えているのだ。
「もしもーし、本田さん?」
一人で納得しかけている伊織の顔を、佐竹が不思議そうに覗(のぞ)き込んできた。彼の中では話が繋(つな)がらないのは当然だ。説明しようと口を開きかけた伊織だが、あわてて口を噤(つぐ)む。
(だめだ。……言えない。副社長が人妻に横(よこ)恋(れん)慕(ぼ)しているかもしれないなんて!)
もし片思いの相手が、すでに結婚しているのだとしたら、確かにいくら和馬でも厳しい。彼は、道ならぬ恋に身を焦がしているのだろうか。
想いを寄せる既婚女性にぐいぐい迫る和馬。女性は言葉では抵抗しつつも抗(あらが)いきれず……。
(あ、……ありえる!)
ドラマのヒーローを和馬に置き換えて、ドロドロな妄想をはじめたその時、佐竹のほうを向いていた伊織の視界の片隅に、ダークネイビーのスーツが映る。
「あっ……副社長、お帰りなさいませ。資料大丈夫でしたか?」
伊織はあわてて立ち上がり、無言で秘書室に入ってきた和馬に向かって声をかけた。
役員室へは、この秘書室の中を通らなくても前の通路から入ることができる。しかし和馬はこの秘書室を通過して、内扉で役員室に入る経路を選ぶことが多い。それはもちろん、伊織と仕事のやりとりをするためだ。
「ああ、すぐに見つかった。遅くなったのは、別件で……ちょっと」
別件を濁してきたが、伊織はもちろん追及しない。
「ならよかったです。……副社長? どうかなさいました?」
てっきり、そのまま仕事の指示があると思っていたのに、和馬は気難しい顔をしている。社長の発言からはじまった一連の騒動にうんざりしているのかと思ったが、なぜかその視線は、熱心に佐竹のほうに向かっている。
その時佐竹は、出したままだった美少女アニメのハンカチをこそこそと自分のポケットにしまっていた。漫画大好きの伊織の前では、勝手に似たもの同士扱いで堂々とアニメの話をする佐竹だが、ほかの人に対しては隠す気があるらしい。
和馬はそんな佐竹の行動を不審に思ったのだろう。しかし、結局は「いや、なんでもない」と、追及してくることはなかった。
それからは、佐竹にも手伝ってもらい、和馬が出した来期の事業戦略草案に関連したデータを収集していく時間となった。
役員室と秘書室を繋ぐ扉を常に開けた状態で、頻繁に行き来しながら業務をこなしていく。
伊織は、データの収集や整理などがわりと得意だ。もともと別の会社に勤めていた時に和馬と知り合い、いろいろあってこの会社に誘われ、和馬に今の居場所を与えてもらった。
(がんばらなきゃ。私から仕事を取ったら、本当に何もなくなるもの)
数字や情報と向き合っていると、雑念が入りにくくなる。それでも彼の顔を見るたびに、失恋の傷がちくりと痛む。……間違っても告白なんてしなくてよかった。そんなことをしていたら、明日から合わせる顔がなかった。
それから三人で黙々と仕事をしていると、いつの間にか定時になっていた。
「もう今日は終わりにしようか」
和馬が一番先に気付いてそう声をかけてきたので、伊織と佐竹は集めた資料の整理をはじめ、帰宅の準備をする。
「それじゃ、また明日」
先に仕度を終えて秘書室を出ていったのは佐竹だ。それから数分後、伊織は秘書室の照明を消す前に、隣の部屋の和馬に挨拶をした。
「副社長、私もお先に失礼します」
和馬は、伊織達に帰宅を促していたものの、自分はまだパソコンの画面と向き合っていた。だが、残業しなければならない急ぎの仕事がなければ、遠慮なく上司より先に帰ってもいいというルールがこの会社には存在している。伊織は二つの部屋を繋ぐ扉の前でお辞儀をして、挨拶をする。
「本田さん、少し待って」
もう身体は帰宅の方向に向かっていたが、意外にも和馬が呼び止めてきた。
「はい。どうかなさいましたか?」
たった今、急な仕事でもできたのだろうか。和馬のほうに向かって歩き出すと、彼も立ち上がり近付いてきた。二人きりの部屋でこうして和馬と向き合うと、どうにも落ち着かない。
「……さっき、佐竹さんと何を話していたのかな?」
「さっき?」
「俺が戻ってきた時。話を中断させてしまっていたら悪かったなと思って」
もしかして、不在の間に自分の愚痴を披露されていたのかと、疑われてしまっただろうか?
伊織は早く誤解を解きたくて、言い訳をはじめた。
「えっと、変なことではなくて、その……ドラマの話です」
「何のドラマ?」
少し拗(す)ねたような表情は、自分だけ話題からのけ者にされたからなのだろうか。一緒に他愛ない話をしたかったと言われているようで嬉しくもある。
「それは……『屑の恋』というドラマです。ご存じですか? 深夜枠なんですけど」
「ああ、タイトルだけは。その話で盛り上がっていたんだ?」
「そ、そうなんです! 今二期が放送中なのですが、面白いので副社長もよかったらぜひ」
本当はあなたに失恋したからですなんて言えず、ドラマネタで話を逸(そ)らしてみる。ごまかしで言ったことだが、「クズ恋」を勧めるのは、彼の言う「恋人にはなれない事情」を突き止めるためのいいアイデアかもしれない。
(あれを見て、副社長はどう思うのかな?)
ドラマの一期に救いはない。報われない恋に苦しみ、誰一人幸せになれない結末が待っている。もし和馬が背徳的な恋をしているのだとしたら、そのストーリーをどんなふうに捉えるのだろう。
今まで彼の恋愛観を知る機会がなかったから、物語の解釈や感想を通して、その心(しん)内(ない)を知ることができたらいいと考えた。
「配信もしてるかな? 俺も見てみようかな?」
「ぜひ! ぜひそうしてください。できれば感想を聞かせてください」
和馬が興味を持ってくれたことで伊織は興奮し、つい前のめりになりながら胸の前で力強く拳をつくっていた。
「本田さん、本当にそのドラマが好きなんだね。わかった、今度感想会をしよう」
何気ない話の流れからではあったが、「感想会」なんて個人的な約束みたいだ。内容が不倫ドロドロなのはどうかと思うが、それでも本当に二人でそんな話ができる日を想像して、伊織の心は弾み出す。
来週か、再来週か? ドラマは一期だけで十話もあるから、もしかしたら数ヵ月先かもしれない。でも和馬の人柄からして約束したことはいつか本当に実行してくれるはずだ。
和馬が無事、不倫からの救いのない結末に辿(たど)り着いてくれることを祈りながら、伊織はこの日、失恋したことを忘れて軽い足取りで会社をあとにした。
しかし帰宅してからすぐに今日の失恋の痛手が舞い戻ってきて、単純な自分に落ち込んだ。それでも自分を奮い立たせる。もし彼が不毛な恋心を抱えているのだとしたら、「クズ恋」効果でまだチャンスはあるかもしれない。
この続きは「憧れの上司が××だった件 御曹司の情事のヒミツは大きすぎて暴けません!」でお楽しみください♪