書籍詳細
王妃のプライド 2
ISBNコード | 978-4-86669-436-8 |
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サイズ | 四六判 |
定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2021/10/15 |
レーベル | ロイヤルキスDX |
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内容紹介
人物紹介
ティルダ
大国ローモンドの王女。ローモンドから独立したばかりのアシュケルドに、同盟の証として嫁ぐ。王妃として表に出ることなく国民のために尽くそうとする。
カーライル
複数の部族をまとめるアシュケルドの王。父をローモンドの王に殺された。ティルダを傷つけたことを深く反省し、王妃として妻として敬い愛す。
立ち読み
1 看病の日々
離れの館一階の広間に、機を織る規則正しい音が響く。この広間が公式の場として使われることがないため、一段高くなっている上座に機織り機が置かれ、アシュケルド王妃ティルダが毎日時間を見つけてはタペストリーを織っていた。
縦糸の間に杼を滑らせる、ほっそりとした白い指。椅子に座っているため、たおやかな腕にかかる垂れ袖は、優美な襞を作るスカートの上から床へと落ちている。ぴったりと上半身に沿うブリオーは、ティルダの豊かな胸を強調する。艶やかな亜麻色の髪は一本の三つ編みにされて左肩から垂れ下がる。アイスブルーの目はたっぷりとしたまつげに縁どられ、唇はふっくら紅く色づいている。一年前、十八歳のときは幼さの残る丸みを帯びた頬をしていたが、今は女性らしい曲線を描きながらすっきりした顔の輪郭になって、ますます母親の絵姿とそっくりになった。
タペストリーを織るティルダの耳に、身体の芯まで震わせるような低い声が届く。
「ティルダ、近隣諸国から届いた親書はどのようにすればよい?」
声の主は、アシュケルド王カーライルだ。その声に動揺しているのを悟られまいと、ティルダは振り向きもせず素っ気なく答えた。
「お読みになって返事をしたためられればよろしいでしょう」
あしらわれたというのに、カーライルはまるで気にせず訊ねてくる。
「どのような返事を書けばよいのだ?」
一国の王の言葉とは思えない。子どもじゃあるまいに、と文句を言いたいのをこらえて、ティルダは辛抱強く答えた。
「……王のよろしいように。この国のあらゆる決定権は王、貴方にあります。判断に迷うときは、族長たちに相談なさればよろしいかと」
「判断に迷うし、族長たちにどう切り出していいかわからん。そなたの意見を訊きたいのだ。親書に目を通してくれないか?」
ティルダは我慢ならずに振り返り、大きなため息を吐いた。
緩やかに波打つダークブロンドの髪。切れ長の目にヘーゼルの瞳。通った鼻は高く、髭は生やしていないが野性味のある精悍な顔立ちをしている。アシュケルドの民の中でも大柄なほうで、威風堂々とした彼だが、今は寝台の住人だ。この広間の入り口ほど近くに運び込まれた寝台で大きな枕を背もたれにして寝台の上に座り込んでいる。いつでも横になれるよう、生成りの生地で作られた簡素な夜着を身に着けていた。
ローモンドで大怪我をしたカーライルは、帰国してすぐまた寝台を離れられなくなった。無理を押して長旅をしたため、傷がまた開いてしまったのだ。ローモンド兵と反乱分子に見つかるわけにはいかないという緊張が、帰ってきて緩んだせいもあると思う。帰城し寝台に横になってすぐ熱が上がり、五、六日は昼も夜も看病を必要とした。熱が引いても開いた傷が再び閉じるまでに時間を要した。
その間も、王の務めは待ってくれない。かといって、王がいるのにティルダが代理を務めるわけにはいかない。
ティルダは先日まで、看病の傍らカーライルに裁可を仰ぎ、横になっている彼にできないことをこなしていった。
しっかり養生したことで、カーライルの腹の傷は塞がった。帰城して十日目、身体を起こせるようになったからには、ティルダが手助けする必要はなくなったはずだ。そのため、膝にかけた毛布の上には、書き物ができるよう低い台が置かれていた。
だというのに、カーライルはいちいちティルダを呼んで意見を求める。
おかげで、機織りに集中することができない。兄グリフィスに織りかけのものを壊された後、新たに縦糸をかけたが、それから三カ月が経つというのに、まだ絵柄を織り込むところまでいっていない。
そもそも、カーライルが静養している部屋に織り機があるのがいけないのだ。ティルダが同じ部屋にいるから、カーライルも安易に相談してくるに違いない。
ティルダはカーライルのほうへは向かわず、広間から出て行こうとした。
「どこへ行く?」
「人を呼んで織り機を二階に運ばせようと思います。わたくしがここにいるせいで、貴方の政務に支障をきたしているようですので」
嫌み交じりに答えてみたけれど、カーライルは気にした様子もなく、鷹揚な笑みを浮かべた。
「そんなことはないぞ。そなたのおかげでとてもはかどっている。今の俺は、そなたに逐一訊かなければ、何一つ決められぬからな」
「先ほども申し上げた通り、王の好きになさればよろしいのです」
冷ややかに言い返したティルダに、カーライルは苦笑した。
「俺の好きなようにするためにはどのようにしたらよいのか、その方法がわからぬのだ」
なぞなぞのような言葉に、ティルダは苛立つ。いい加減文句を言いかけたそのとき、カーライルはつらつらと語り出した。
「近隣諸国と友好的な関係を築きたい。可能であれば互いに助け合う協定を結びたい。但し、援助させられる一方という事態になるのを避けるために、その都度なんらかの見返りを得られるよう、相手国と話し合いたい。──望むことは数多くあるが、それらを実現するために必要な知恵がない。だから、そなたに是非とも知恵を貸してもらいたいのだ」
期待に煌めく目を向けられ、ティルダは無意識に息を呑んだ。
自尊心をくすぐられて、心が疼く。
しかし、カーライルは自身が言うほど政に疎いわけではない。それどころか、驚くほど知恵が回ることをティルダは知っている。
複雑な気持ちに囚われながら、ティルダはカーライルのそばへ引き返した。
期待に目を輝かせるカーライルから、親書を受け取って目を通す。
その途中で、ティルダはぽつりと訊いた。
「機織りの音がうるさくはないのですか?」
カーライルは嬉しそうに目を細めて答えた。
「いや。そなたの機の音は心地よい。聞いていると、子守歌を聴かされる赤子のように、心が安らいでいくのだ」
そういえば、熱が引いてからというもの寝台に縛りつけておくのが大変なカーライルだが、ティルダが機を織り出すといつの間にか眠っていたということがあった。
カーライルは、ティルダの機の音が子守歌に聞こえるのか。
何故か、ティルダの頬はじんわりと熱くなってくる。それをごまかすように、ティルダはつんと顎を反らして言った。
「でしたら、これからは遠慮なく織らせていただきます」
カーライルは、はははと楽しげに笑った。
「是非ともそうしてくれ」
それからティルダとカーライルは、親書についての意見を交換し合う。後は族長たちにも相談してからということになって、ティルダは親書を片づけ、カーライルの膝の上の机をどけた。
「休憩しましょう。横になってください」
「疲れてはおらぬ。寝ているのはもう飽き飽きだ」
駄々っ子のように言うカーライルを横にさせようと、上掛けに手を伸ばす。すると、カーライルはその手をいきなり掴んでティルダを引き寄せた。
「きゃ……!」
ティルダは小さな悲鳴を上げて、カーライルの上に倒れ込む。
カーライルはティルダが身体を起こす隙を与えず、逞しい腕の中に抱き込んだ。ティルダの細い顎を持ち上げると、すっと顔を近づけてくる。
唇が重なり、ティルダは驚きに目を見開く。信じられないほどの早業だった。しかも、唇の隙間から入り込んだ舌に口腔を甘く刺激される。
久しぶりの口づけは刺激が強すぎる。目がちかちかして、開けていられなくなった。
目をぎゅっと閉じた後、ティルダは首を左右に振ってキスから逃れる。
「だっ、駄目です!」
そう言って、カーライルを押し退けようとする。カーライルは再びティルダの顎を捉え、上向かせた。怒りを押し殺したヘーゼルの瞳が、ティルダを射貫くように見下ろしてくる。
「また俺を拒むのか?」
〝また〟の一言を強調され、カーライルが何を言わんとしているか察する。
その誤解に、ティルダは呆れため息を吐いた。
「違います。まだ傷口が閉じたばかりなのですから、もうしばらく安静にしていなければならないと申し上げたいのです」
カーライルがぽかんとするので、ティルダは彼の腹部に手のひらを滑らせ、傷口あたりをぐっと押した。
「──!」
カーライルは、歯を食いしばって苦悶の声をこらえる。その隙に、ティルダはさっさと彼の下から這い出した。
広間から出て行こうとすると、カーライルの声が追いかけてくる。
「ま、待て……どこに行く……?」
「やはり、織り機を居間に運ばせようと思うのです。わたくしがそばにいると、王は養生してくれないようなので」
「わ、わかった。養生する。だからそばにいてくれ。頼むから……」
思わぬ懇願を聞いて振り向けば、カーライルが脂汗を流しながら、食い入るようにティルダを見つめている。
「この通りだ。な?」
そう言って頭を下げるカーライルを見て、ティルダは仕方なくそばに戻った。
「横になって休んでください」
水差しの置かれた棚から布を取り、横になったカーライルの額から汗を拭う。痛みが和らいだようで、カーライルは調子に乗ってティルダに訊ねる。
「なあ、いつになったらいいのだ? 子ができておらぬからには、いつかまた睦み合わなければなるまい?」
「少なくとも、傷口が痛むうちは駄目です」
ぴしゃりと言い放ってやったけれど、カーライルは諦められないらしい。
「激しく動かなければ大丈夫だ。無理はしない。なんなら、そなたが上に乗ってくれてもよいぞ」
「は?」
ティルダがあっけにとられて呟くと、カーライルはすぐに謝罪した。
「すまん。調子に乗りすぎた。だが、ローモンドの地で瀕死の状態にあったときにも、思うのはそなたのことばかりだったのだ」
「──!」
ティルダの胸がどきんと跳ねる。が、すぐに冷静になり、ティルダは眉間にしわを寄せた。
「調子のよいことを仰らないで。王である貴方が、わたくしのことばかり考えていられたはずがないでしょう。敵のただ中にあってご自身と同行の者たちの安全を考えなければならなかったでしょうし、アシュケルドのことも案じていたはずです」
きっぱり否定したのに、カーライルはちょっと残念そうな笑みを浮かべただけだった。
「それはそうだが、常に仲間や国のことを考えてなければならなかったわけではない。特に、ローモンドの豪族に匿われてからは、絶体絶命のときに考えたことが繰り返し思い出されたものだ。──ただ、そなたに会いたいと。そなたに再び会うまでは死んでも死にきれないと。──そなたに会いたい一心で、俺はこうして帰ってきたのだ」
嘘に決まっている。カーライルが王の責務よりティルダを思うなんてありえない。──そう思うのに、頬がじんわりと熱くなってくる。赤くなったであろう顔を見られたくなくて、ティルダはカーライルから顔を背けた。
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