書籍詳細
社畜OL、マッチョの世界で愛人契約!
定価 | 1,320円(税込) |
---|---|
発売日 | 2021/12/24 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
【1】
気がつけば、見覚えのない道に座り込んでいた。
地平線が見える広い土地の真ん中に、土のまま舗装されていない細道が、真っ直ぐ伸びている。
辺りには、他に何もない。
なんとも奇妙な光景である。
東(とう)京(きょう)にこんなところがあったんだ。自然いっぱいで穏やかな気持ちになる。
なんて、観光客よろしく寛(くつろ)いでいる場合じゃない。
というか絶対ここ、東京じゃないよね。
じゃあ、どこ?
「あ、夢とか!」
もしかしたら、という希望を含めて呟(つぶや)いてみる。
だが、この現実感は、どう考えても夢じゃないだろう。
ここへ来る前の記憶を思い出そうとしたが、曖(あい)昧(まい)だった。
多分、残業の途中でうとうとしてそのままデスクに突っ伏して眠ってしまった——と、思う。
あの職場ブラックだからなぁ。
残業途中で寝ちゃった私を、外に放り出したのかも。
それは犯罪だからありえない、って言いたいところだけど、人を人と思ってないようなあの会社ならやりかねない。
二十五歳という年齢で中途採用に受かったのはいいけど、やはりというか、本格的なブラックなんだよね。
心身が疲れていたせいか、ぼへっと立ち尽くしてしまう。
もっと慌てたほうがいいよ私、と心のなかの私が言うけれど、もうどうでもいいじゃん、と言う声のほうが大きい。
ふと。
ガタンゴトンと、遠くで荷物が揺れる音がした。
軽トラックかもしれない、と振り返った私は、荷馬車がこちらに向かっているのを見て、思ったより田舎であることに驚いた。
とはいえ、人が通りかかったのは有り難い。
日の高さからして昼前くらいだろう。
早く出勤しないとクビになってしまう、帰らないと。
「すみませーん!」
荷馬車に向けて手をあげ、声をかけた。
かなり大柄なシルエットから察するに、若い男の人だろう。
気づいてくれたらしく、やや馬を急がせている。
慌てなくてもいいのに……わぁ!
「大丈夫かいね、お嬢ちゃん!」
荷馬車に乗っていたのは、しわくちゃな顔をしたおじいさんだった。
「ボディービルダーですか?」
「何を言っとんね! はよ乗りぃな!」
思わず口にしてしまった通り、その老人はなんと、ムキムキマッチョだった。
テレビでしか見たことのないマッチョなおじいさんに驚いている間に、私に駆け寄ってきたおじいさんにひょいと抱きかかえられて、荷馬車に乗せられる。
「こんね身体なっちょって。病気かんね?」
「びょ、え、あの」
「王都むかっちょろ? 連れてっちゃるよ」
どこの方言?
そもそも病気じゃないんだけど、と言おうとした瞬間、もの凄(すご)い速さで荷馬車が動き始めた。しゃべったら舌を噛んでしまうほど速い。
よく見ると、おじいさんが操縦(?)している馬は、凄(すさ)まじい肉付きをしている。身体も大きく、なんというか……マッチョだった。
荷馬車にしがみついているうちに、オウトへ到着したらしい。
ねぇ、オウトってなに? まさか、王に都って書いて、王都じゃないよね。
おじいさんは荷馬車でぐったりしている私を見て、慌てて門番の人たちに説明してくれた。
「大変ね、お嬢ちゃんが途中の道で倒れとっと。ああ、こないぐったりしてぇ」
ぐったりしているのは荷馬車にしがみついて体力を消耗したからです。
そう言おうとしたが、おじいさんに失礼になると気づいて言えなかった。だが、それがいけなかったらしい。
覗(のぞ)き込んできた軍服姿のゴリマッチョ二人が、私を見るなり悲鳴をあげたのだ。
「大変だ、すぐに医者を呼ぼう!」
「待て、俺が担いでいく。そっちのほうが早い!」
片方の男が私をおもちゃのように持ち上げると、すたこらと駆け出した。すれ違う人たちが私を見て、心配そうな顔をしている。
全員がマッチョだ。
女性も、老人も、子どもまで、マッチョ。
実は薄々感じていたことがある。
——ここ、日本じゃないのかもしれない
だって、みんな髪の色が違うし、顔立ちも西洋的だ。
何より全員、やたらめったら筋肉もりもりなのである。
神隠しにあったのか。じゃあここは、幽(かくり)世(よ)という場所だろうか。
まさか異世界転移じゃないよね。
何にしても、私は別の世界へ来てしまったようである。
■□■□
そこは、二階建ての大きな病院だった。
ここへ来る途中、マッチョな人々に心配されながらもさりげなく辺りを見ていた私は、気づいたことがある。
この世界、車がない。
電信柱もないし、テレビも携帯電話もない。
電気が存在しないようだ。
だから当然、医者に診てもらうときにパソコンなんてものはなく、レントゲンやらの機械もない。
何かの試薬を使った検査と触診、視診、打診、聴診だ。
一通り診察が終わるころには門番さんは帰っていて、門番さんが呼んだらしいスーツ姿のマッチョがいた。
スーツといっても、装飾のない燕(えん)尾(び)服(ふく)といった感じだろうか。
彼は、役場の者だと名乗った。
「この娘の疾患を国に登録せねばなりません。場合によっては補助金が下りるため、医療費は全額免除になるかと」
「ふぅむ」
ゴリマッチョの、おばあちゃん医者が唸(うな)る。
私を軽々と抱き上げて移動させたり、服を剥いて触診しまくったおばあちゃん医者が、腕を組んだ。
門番さんとの会話を聞いていたところ、どうやらかなりの名医とのこと。
そんな名医が、私を診て唸っている。
「この娘は、健康体そのものだよ。病気も何もない。あえて言うなら、猫背気味だね」
「そんな。こんなに痩せているのに健康体、ですと!?」
「だねぇ。うーん、それにしても、髪も目も黒いなんて珍しい。それに、顔のつくりが、こう、のぺっとしている」
「はっ、確かに」
マッチョ二人から見つめられて、私はひっと身をすくめた。
ここまで口を挟む隙がなくて流されてしまっていたが、今ならば言える。
「あのっ、実は私——」
こうして、私はなんとか、おそらく異世界から来たよ、ということを伝えることができたのだった。
■□■□
生まれて初めて見る本物の王様は、大きな宝石をいくつもつけた王冠を被り、真紅のマントを纏(まと)った、壮年のゴリマッチョでした。
いわゆる謁見の間に連れてこられた私は、ぽつんと用意された椅子に座っていた。
正面のひな壇には三人掛けソファほど大きな玉座があって、ゴリマッチョ王様が鎮座している。謁見の間の壁際には、ずらっ、と偉い身分だろうマッチョたちが並んでいた。
私は椅子にちょこんと座ったまま、小さくなる。
身長百五十センチの私は、この世界の人たちと比べるとかなり小柄に見えた。
「異世界から来たなど、信じられるでしょうか。何かの病ではないのですか?」
「だが、ヤン婆も侍医も健康体だと言っておるぞ」
「ありえん、こんなひょろひょろで健康体など」
「ふぅむ。確かに、どれだけ筋トレをさぼってもこうはなるまい」
私がマッチョじゃないから心配されている、というのは気づいていた。
いきなり知らない世界に来たのは私のせいじゃないけれど、ここにいる人たちの責任でもない。
なんだか、騒がせてひたすら申し訳ないよ。
そういえば、あんなふうに人に心配されたのは久しぶりだなぁと、荷馬車のおじいさんや門番さんを思い出して、瞳を潤ませた。
朝起きて仕事へ行き、帰ってシャワーを浴びて寝る。それの繰り返しのなかで、人の優しさというものを忘れていたのだ。
「——異世界から来たという娘よ」
初めて王様が口を開いた。
その凜(りん)とした声に、私は勢いよく顔をあげる。それだけの威圧感というか、カリスマ性が、王様にはあったのだ。
「随分と悲しんでいるようだが、そなたの世界に戻る方法はあるのか」
「あ、あの……わかりません」
「気づけばこの世界にいた、という話だが、まことか」
「はい」
「そなたの話では、そなたの世界の者たちは、皆、そなたのようにひょろひょろだと言うが、それもまことか」
「ほとんどの人はそうです。私は標準で、もっと太い人や細い人がいて、えっと、ここにいる皆さんのような身体つきの人も、少数ですがいます。特別に身体を鍛えている人とか」
辺りがざわりとする。
あれで標準だと、と驚きの声があがるのだ。
「……そういえば、名前を聞いておらなんだな。そなた、名はなんという?」
「ナコです」
「ニャンコか。歳はいくつだ」
人から猫になってしまった。
だが王様に対し、それは違うと指摘しづらいので、さらりと流す。
「二十五です」
途端に、王様が驚きで椅子から立ち上がった。
周囲の人々も、これまでより遙(はる)かにざわつき始める。
日本人は若く見られるというから、仕方がないね。
「てっきり、十歳くらいだと思っておったが」
それはさすがに幼すぎる気がするけど……え、本当にそれくらいに見えてるの?
だったら、荷馬車のおじいさんや門番さんの焦り具合も納得できるかもしれない。
「いや、まて、そなたの世界で二十五歳というのは、子どもなのではないか」
「大人です」
「なんと。……ふむ、どうしたものか。帰るすべがわからんのならば、王立孤児院に預けようと思っておったのだが、あそこは十五までしか入れんのだ。誰か、ニャンコが我が国で安心して暮らせるよい案はなかろうか」
あれはどうだ、これはどうだ、と皆で私の今後について話し合ってくれる。
ニャンコではなくナコだけど、そんなことどうでもよくなるくらい優しい人たちで、私はまた彼らの優しさに瞳を潤ませた。というか泣いた。
ハンカチで涙を拭っていると、そんな私を見た王様が「そうだ」と頷(うなず)く。
「ニャンコを客人として城でもてなすというのはどうだ?」
「恐れながら陛下、期間が未定となりますと……今後の立場もあやふやになってしまいますし、本人も居づらいのでは」
「確かに、城では肩身が狭かろうな。ならば、誰かの屋敷に置いてやってもらえんか」
「でしたら、我が甥(おい)の屋敷などいかがでしょう」
「おお! ヴィンディ・ナーガか。あの男ならば、安心して任せられようぞ」
どうやら話が決まったらしいが、今の流れからして、そのヴィンディ・ナーガという人が私というお荷物を背負うことになるのではないだろうか。
「あ、あの!」
思わず声をあげた。
いくら優しい人たちばかりでも、ここで甘えてしまうわけにはいかない。
私はもう大人なのだから、人様におんぶに抱っこされずに一人で立たなければ。
「人を一人住まわせるとか、ものすごく大変だと思うんです。その方の了承なく、お世話になれません。私、大丈夫です。仕事を探して、一人で生きていきます!」
元の世界に戻る方法があれば試すけれど、もう、なくてもいいと思いかけていた。
ブラック会社に勤めるだけの日々だ。
身内には従姉妹がいるけれど、彼女が結婚してからは連絡をとっていない。両親はすでに他界しているし、友達だった人たちとも何年も音信不通状態なのだ。
言葉が通じるのだから、どこにいても同じ。
一人で生きる決意をした私は、ぐっと顔をあげた。
「そなたがそういうのならば、よかろう」といった言葉を期待するが、私を見る王様はなぜかよりいっそう同情的で哀れみを宿した目をしている。
挙げ句に、うう、と唸って目頭を押さえ始めた。
「なんと健(けな)気(げ)なことか……よいよい、そなたのことはヴィンディ・ナーガに預ける。あやつは領主だ、人一人養うなど造作もない。多少気性が荒い部分はあるが、よい男だぞ」
私の決死の覚悟は、王様の同情を引いてしまう結果となった。
こうして、私は、優しいが拒否権のない王様の命令で、ヴィンディ・ナーガなる者の屋敷でお世話になることに決まったのである。
【2】
そのお屋敷は、王都から馬車で三日の場所にあった。
王都とは規模こそ比べものにならないものの、治安のよい活気づいた街を中心に、遠くに見える森までがヴィンディ・ナーガが治める領地らしい。
教えてくれたのは、王様から付き添いを命じられた女官さんだった。
ゲームの世界みたいだなぁっていうのが、この世界を見た私の感想だ。
でも、女官さんに聞いたところによると、ファンタジーの世界というよりも、中世あたりの西洋文化に似ている感じかな。有り難いことに、魔法や魔物は存在しないという。これにはかなりほっとした。
魔法には胸をときめかせるものがあるけど、魔法使い全員が善人とは限らないし、色々怖い部分もある。
この歳になると、そういった価値観の違いに慣れるのはとても難しいんだよね。
とはいえ、永住するかもしれない世界なのだから、元いた世界との違いにも、慣れないといけない。
私は一人で、案内された客間のソファに座っていた。
長旅に同行してくれた女官さんは、出迎えてくれた使用人に門前で追い返されてしまったのだ。
なんでも、屋敷の主であるヴィンディ・ナーガの命令だとか。どうやらヴィンディ・ナーガという者は、極力他人を屋敷にあげたくないのだそうだ。
女官は予想していたのだろう。手短に挨拶をして私を託すと、馬車ごと王都へ引き返していった。
ゆえに今、私は一人なのだ。
まごうことなき、ぼっちだよ。
客間のドア付近には、従者やメイドだろう使用人が、ずらっと四人。
皆一様に、背筋を伸ばして立ち、無言を貫いている。
背が高いから、圧迫感が凄い。
そしてやはり、なかなかのマッチョだった。
私が筋肉フェチさんならよかったのにな。
筋肉フェチさんなら、たまらない状況じゃないの、これ。
例えば右側の使用人は、筋肉がやたらこんもりしているのに、隣の使用人はそれほど筋肉が盛り上がっていない——だが、そちらの人のほうが、力持ちに見える。
よくわからないけれど、質やら差があるのだろう。
そんななか、私だけがへにょんとしているのだから、来客という以外の意味でもアウェイ感でいっぱいだ。
暫(しばら)くして、ノックもなしにドアが開いた。
はっ、と顔をあげた私は、その瞬間、固まる。
最初に目についたのは、腰まで長いさらさらと綺麗な金髪だった。
随分と巨体で、二メートル近く……いや、それ以上あるかもしれない身長。赤と紫と黒のコントラストが美しい燕尾服に漆黒のマントを羽織ったその男は、ハリウッド俳優のように整った顔立ちをしていた。
こんな端正な顔の人は、この世界に来て——いや、元の世界でも会ったことがない。
テレビの向こうでも、そうそう見ない美丈夫が、目の前にいる。
年齢は、二十代半ばから三十代半ばほどかな。
かなり幅広い推測だけど、推理が苦手な私にはこれが精一杯だ。
それにしても。
この人は、別世界の人だ。
いろんな意味で、私とは住む世界の違う人。
間違いなく彼が、例のヴィンディ・ナーガだ。
嫌味のない自然に身についただろう自信に溢れた姿は、まさに貴族。まさに領主。
彼もマッチョだけれど、他の人たちとは明らかに一線を画していた。究極体マッチョ、という言葉が浮かぶ。
私は改めて、ヴィンディ・ナーガの身体を見た。
燕尾服の上からでも、かなり均整のとれた筋肉が全身を覆っていることがわかる。
長身だからか、逆三角形でもなければ、やたら膨らんだ筋肉でもない。
造形的にも美しい、と思う。
燕尾服を着ていても、素人の私でさえ圧倒される美しさだ。
ヴィンディ・ナーガは、私の全身を眺めるとこれ以上ないほど眉をひそめた。
大股で、私のすぐ手前まで歩み寄ってくる。
近くで見ると、思っていたより背が高い。
体躯も大きい。
岩、ううん、火山みたいだ。
ぬぅ! って言って力を込めたら、シャツが破けるかもしれない。
ヴィンディ・ナーガは、私を睨(にら)むように見下ろした。
その瞳には、これまで関わってきた人たちのようなぬくもりがない。
「はっきり言っておこう。王命だが、私は何もしない居候など預かる気はない」
この続きは「社畜OL、マッチョの世界で愛人契約!」でお楽しみください♪