書籍詳細
死神魔導士様を即落ちさせてしまいました
定価 | 1,320円(税込) |
---|---|
発売日 | 2022/12/23 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
プロローグ
早朝。少女は職場である『アルカイネ魔導研究所』の中庭を歩いていた。夜を徹しての書類作業が終わり、これから帰宅をする所なのだ。足早に歩く少女は、ほんの少し緊張をしている。
原因は、背後からジリジリと突き刺さる視線。しかし少女はそれに気づかないフリをする。
中庭に差しかかる前から視線に気づいているものの、少女はそれをおくびにも出さない。
振り返る事なく、ただ真っ直ぐに前を見て歩き続けて行く。
「おはよう、リセロット。こんな時間までお疲れ様」
どうやら視線の送り主は焦(じ)れたらしい。直接、声をかけて来た。少女は驚き、ビクッとした風を装いながら背後を振り返った。そこに立っていたのは予想通りの人物。クルクルとした巻き癖のある水色髪に珍しい橙(だいだい)色の瞳。色気のあふれる泣きボクロ。
纏(まと)っている長いローブには、高位魔術師である事を表す〝巻き角の黒馬〟が刺(し)繍(しゅう)されている。
「おはようございますバルレト様。バルレト様こそ、毎日泊まり込みでお仕事をなさっているのでしょう? お身体は少し休まりましたか? もしかして今日はもうお帰りですか?」
自身に向かって近づいて来る男に、少女リセロット・オーヴェレームは丁寧に挨拶を返した。
男はその目の前でピタリと立ち止まる。近い。男が長身ゆえに、あまり近づかれるとリセロットには男の胸元しか見えない。さり気なく足を引いて距離を保ちながら、リセロットはどうしました? というように首をかしげて見せた。
「……」
男は何も言わない。しかしリセロットにはもうわかっている。
自分は昨夜、所長に頼まれ地下で作業をしていた。だから午前中に一度出会って以来、その姿を見かけてはいなかった。が、男は連日職場に泊まり込んで魔法試技を繰り返している。
今は少し休んでいるだけで、今日もおそらく完全に帰宅するつもりはないのだろう。
そんな時、帰ろうとしている自分を見かけた。だから今、自分を朝食に誘おうとしている。
なぜなら、この無表情で不愛想で『死神魔導士』という子供向けのお芝居に出て来そうな通り名をつけられているこの男は。
──この男は、一週間も経たない内に他国のスパイである自分に骨抜きになってしまっているのだから。攻略に一年はかかると踏んだから、こんなに早くから潜り込んだというのに。
まさかこんなにチョロいとは思いもよらなかった。おまけに、今回の最大の目的でもある目の前の男、アンヘル・セリア・バルレトの編み出した魔法の術式を見つける事にもあっさりと成功した。何の事はない。ベッドの上で、普通に聞いたら教えてくれたというだけだ。
正直、この国にもう用はない。だから今すぐにでも国に帰りたい。知り得た情報も一刻も早く上司に伝えなければならない。魔術の術式には魔力がこめられている。だから手紙も魔術文言を使って書かなければならないのだ。
「朝食はとりましたか? まだなら俺と一緒に行きませんか? それと、二人きりのときは名前で呼ぶように言いませんでしたか?」
アンへルは無表情で見下ろしている。と、見せかけておいて実は物凄く喜びながら照れている。そして、先ほど気配に気づかなかった事に対して若干拗(す)ねている。
あまりのわかりやすさに、リセロットは内心で苦笑いを浮かべながらほんの少し恥ずかしげに笑ってみせた。
「申し訳ございません、バルレト様。普段はいつも定時に帰っていますから、なかなか夜を徹しての作業に慣れなくて少し疲れてしまいました。眠くて仕方がないので、今日はこのまま帰るつもりなのです。それと……」
リセロットは声を潜め、アンヘルにそっと囁(ささや)いた。
「それとお名前の件ですが、ここはまだ研究所の敷地内です。 誰が聞いているかも分かりません。バルレト様は国内外で名の知られた御方です。もし、もしその、私ごときがバルレト様の〝特別〟だと思われでもしたら困ります。いえ、困るというのはバルレト様に迷惑がかかるという意味ですよ? 万が一、人質になりでもしたら私ではなかなかこれと言った抵抗も……」
リセロットの言葉を聞いた途端、アンヘルはあからさまに顔色を変えた。そしてリセロットの肩を掴み、ぶんぶんと首を左右に振る。
「そんな事にはさせません。貴女は俺が守ります。ただ、そうですね、俺を色仕掛けで落として魔法式を盗み出そうとか、そういった鬱陶(うっとう)しい輩(やから)は一定数いますからね。確かに、貴女との交際をおおっぴらにするには時期尚(しょう)早(そう)かもしれません」
その〝鬱陶しい輩〟は正に目の前にいますが、とリセロットは顔を引き攣(つ)らせた。しかし同時に安堵もした。自分はこの国から脱出しなければいけないのだ。アンヘルとの関係は、他の研究所員達には知られない方が良いに決まっている。そのアンヘルはリセロットの思惑に気づく事もなく、自らの顎(あご)に手をあて何やら考え込んでいた。その隙に、とそろそろと後退するリセロットの肩が再びガッチリと掴まれた。頭一つ以上高い上から、見下ろして来る橙色の瞳。
その瞳に、みるみる内に熱が籠(こも)って行く。早朝に見るには熱過ぎるソレに、リセロットは叫びだしたいのをすんでの所で堪(こら)えた。
「リセロット、なぜ離れるのですか? あぁ、俺の可愛いマンダリーナ。必ず守りますから、あんまり俺を不安にさせないで……?」
「き、気をつけます……」
切なげな声と共に強く抱き締められ、リセロットは何も見えなくなってしまった。
しかし肌にチリ、と魔力の奔(ほん)流(りゅう)を感じる。アンヘルが転移魔法を使っているのだとすぐにわかった。そして、これからどこに転移するのかも。
「俺の家で、もう少し疲れてみましょうか。そうすればきっと、気持ち良くぐっすりと深く眠る事が出来ると思いますよ? 俺も、しばらく貴女に触れていないので我慢が利かなくなっています」
そう言葉を発しながら、首筋に押し当てられる熱い唇。同時にお腹の辺りに感じる、硬い質感。それらが意味するものを悟り、リセロットは男の胸に顔を埋めたまま遠い目になった。
国ではまさか、こんな事態に陥っているとは夢にも思っていないだろう。
あの『死神魔導士』の攻略が拍子抜けするほどあっさりと終わり、スパイであるリセロットの現在最大の目的がすでに「帰国」になっている事など考えてもいないに違いない。
そして、その帰国を妨げる最大の障害が『死神魔導士』アンヘル・セリア・バルレトの溺愛執着による束縛である事など知りもしないだろう。まず、何と言ってもこの窮状を知らせる為の手紙すら出せない状況なのだ。だが、リセロットは何としても国に帰らなければならない。
その為には身体だろうがなんだろうが、使えるものは使わなければと思っていた。
「行きますよ? もっと俺にしっかり掴まって下さい」
「は、はい、バルレト様」
──転移の魔力が身体を包む。同時にフワリ、と身体が宙に浮く感覚がする。気を抜くと咳(せ)き込みそうなほどに強い力で抱き締められているのに、まだこれ以上しっかり掴まれなどと言う。
この男のこういう所が、本当に怖い。昨日と同様、目の下の隈は消えていないというのに身体を重ねる気力があるのもすごい。
こんな空気の読めない束縛男からさっさと離れて、一刻も早く国に帰りたい。
いいや、帰るのだ。必ず。リセロットはきつく目を閉じ、内に秘めた強い決意を表すかのように、アンヘルのローブを両手で強く握り締めた。
第一章・与えられた任務
一ヶ月前。リセロットは母国トゥルプの魔導研究所の所長室にいた。研究所に勤務するようになってからまだ半年足らずの新入所員。そんな自分に、所長自らが何の用だろうか。そう不安に駆られながら、豪(ごう)奢(しゃ)な椅(い)子(す)にどっかりと座る美しい女所長を黙って見つめていた。
ヒルベルタ・エルメリンス。父親の後を継ぎ、二十六歳でエルメリンス魔導研究所の所長の座についた。階級は十五級。最上級の十七級まであと二階級という凄腕の魔術師。この所長は魔術師としての腕前もさながら、美貌でも名を馳(は)せているのだ。
混じりけのない黄金の髪に紅(こう)玉(ぎょく)の瞳。常に浮かべている穏やかな笑顔。その紅(あか)い宝石をリセロットに向け、ヒルベルタ所長は艶(えん)然(ぜん)と微(ほほ)笑(え)んだ。
「急にお呼びたてしてごめんなさいね?」
「いいえ、とんでもございません」
リセロットは恐縮し、ただ身体を竦(すく)める。ヒルベルタはそんなリセロットから視線を外し、手元の紙を見つめた。
「リセロット・オーヴェレーム。十九歳。花葉(かよう)術師。階級は十級。うん、その年にしてはすごいですわね。おまけにクラベル語とリーリエ語が話せる。花葉の資格取得には二か国以上の言語学習が義務づけられているとはいえ、日常会話を無理なくこなせるレベルなのは本当に素晴らしいですわ」
個人情報の書いてある書類を眺めながら、ヒルベルタは感心したように頷(うなず)いた。魔法使いの階級は魔力値と行使出来る魔法の強さ以外にも、『職業』もある程度の基準になる。
「炎・雷・水・風・地・聖・闇・光」の八属性の術師は高めの階級値で計算されるが、「花葉・氷・星」の術師はそれより低めに見積もられる。さらに「毒・蟲・幻」の術師などはむしろ軽んじられる傾向にあるのだ。
花葉術師の場合、十七級として認定されているのは遠く離れた東の島国『咲羅(サクラ)』の魔術師長ヤグルマ・タカアキのみ。現在八十六歳のヤグルマも、十七級になったのは三十代後半の時だったと言う。そもそも十五級以上の花葉術師は数えるほどしかいないのだ。その状況から考えると、リセロットの十九歳で十級というのは、魔術師としてかなり有望と見られていると言っても良い。
「見た目も合格。魔法の腕も確か。語学も堪能。これならきっと上手くいきますわ」
ヒルベルタは書類からリセロットに目を移した。リセロットの背に、再び緊張が走る。
ヒルベルタは美しく微笑みながら言った。
「貴女に、クラベルへ潜入していただきたいと思っているの」
「クラベルですか!?」
潜入? しかも、なぜそんな遠い国に?
リセロットは思いもよらない命令に困惑した。するとヒルベルタの背後に控えていた秘書のアンドレ・ストラウクが前に進み出て、一枚の紙きれを差し出して来た。リセロットは反射的にそれを受け取る。
『各国の王室認定魔導研究所諸君に告ぐ。我が国テューダーローズの第一王子ルーシャンへ捧げる〝専用魔法〟を募集する。期限は一年。ルーシャン王子六歳の生誕祭まで』
ザッと流し読みをしただけで意味を理解したリセロットは、顔色を変えた。
「こ、これ……!」
「えぇ。二十年ぶりに〝国紋〟を持つ王子が誕生していたみたいですわ。こんなギリギリまで黙っているなんて性格が悪いとしか言いようがないですが、各国の魔導研究所がこれで目の色を変える事になりますわね」
〝国紋〟とは文字通り国の紋章である。そしてその〝国紋〟は遥か古代に各国を守護する精霊が作ったとされ、それが刻印された衣装や装飾品を身に着けられるのは純粋な王族の血統のみとされている。
さらに王家の中でごく稀に、身体のどこかに〝国紋〟が痣(あざ)となって生まれて来る者がいる。
痣のある者は正妃から生まれようが側妃から生まれようが、そして男女の区別なく王位継承権第一位になる。
そして国紋持ちの王子や姫には『専用魔法』が与えられる。国紋様の痣の上で完成した魔法を展開し、それが根付いたその時から本人以外は使う事が出来ない専用魔法。
その専用魔法の開発に取り組めというお達しが出たのだ。
リセロットはなるほど、と一人納得をした。この状況でのクラベルへの潜入命令。何となく、話の方向性が見えた気がした。
「それにしても、なぜ王子が五歳になるまで黙っていたのでしょうか。本来は、王子ご誕生の際に発せられるはずですのに」
ヒルベルタは苦笑していた。彼女も同じ疑問を抱いたのだろう。
「そうですわね、例えば王子が五歳までご存命でいられるかどうか、という状況だったのかもしれませんわ。けれど、テューダーローズの現宰(さい)相(しょう)のサーストンは性格の悪い男として有名ですもの。ただ単に、各国の魔導研究所を焦らせたかったと考えるのが妥当ではないかしら」
確かに、とリセロットも頷く。魔導研究所は各国にいくつか存在するが、王室認定が得られるのは一ヶ所のみと決まっている。その条件は厳しく、新規に開発した魔法を協会に提出した上で十二級以上の所員が三名以上在籍していないといけない。そしてその三名は全て異なる系統である事が求められる。
けれど、そこまでの厳しい条件を課せられる分、国からかなりの額の補助金が出るのだ。
だから施設も研究も常に最先端でいられる。テューダーローズも歴史ある自国の王子が国紋持ちという事で、専用魔法の募集を王室認定の魔導研究所に限ったのだろう。
「まぁその辺りはどうでも良いですわ。けれど、王子の専用魔法を我がトゥルプ国の王室認定であるエルメリンス研究所から選んでいただく。それが叶えば、大変な名誉を得られるのですわ。そこは、おわかりですわよね?」
「はい。でもなぜ潜入先がクラベルなのですか? 魔法開発に熱心なのはリーリエ、咲羅、ワルドの三国です。潜入するならこのいずれかの方が……」
ヒルベルタは秘書ストラウクと顔を見合わせ、嬉しそうに笑った。リセロットが命令の意味を正確に汲(く)んでいた事に気づいたからだ。
「貴女を選んで良かった……いいえ、貴女のような方が〝条件〟に合って良かったですわ。そうですわね、クラベルの魔導研究所の主任を務めているアンヘル・セリア・バルレトはご存知?」
「はい。もちろんです」
──アンヘル・セリア・バルレト。
弱冠二十四歳で魔法使いの最高階級十七級の幻術師。職業的な不利も跳(は)ねのけ、世界的に類を見ない若さで十人にも満たない十七級の階級を持つ天才魔導士。同じ魔法使いであるのにも関わらず、「魔術師」ではなく「魔導士」と呼ばれ、さらに十五級以上など夢のまた夢な『毒・蟲・幻』の術師達から尊敬の眼差しを一身に浴びているのだ。
一方で『バルレトが十七級昇級の際に披露した魔法があまりに恐ろしく、禁術認定されたらしい』という真偽の程が定かではない噂が流れ、彼は『死神魔導士』とも呼ばれている。
「先だってこのアンヘルが、新たな魔法を開発したという情報を得ましたの。貴女にはその魔法式を盗んで来ていただきたいと思っています。アンヘルの開発した魔法であれば、その魔法式の基盤は王子の専用魔法開発にきっと役立つ。なんでしたらそのままテューダーローズ側に渡しても良いと思っていますわ。この際〝卑怯〟などと言ってはいられないんですの。おわかり?」
リセロットは神妙に頷いた。元より、魔法の研究というのは各国での足の引っ張り合いも含まれる。決して美しく崇高なだけの世界ではないのだ。
リセロットは己の役割を理解した。しかし一つ疑問があった。なぜクラベル潜入に自分が選ばれたのだろう。
花葉魔法には強力な攻撃魔法も強固な防御魔法もない。花葉の専用魔法は追跡・探索魔法なのだ。その他はリセロットが父から学んだ中位の治癒術と同じく中位の隠(いん)蔽(ぺい)魔法。
それと双子の弟から伝授された初期の雷撃魔法だけ。しかし、厳しい魔導研究所の警備を突破出来るレベルのものではない。行使出来る魔法で選ばれたとは思えなかった。
「所長。一つお聞きしたい事があります。なぜ、私を選ばれたのですか?」
ヒルベルタはその疑問に、楽しげな笑みと共に答えた。
「アンへルは蜜柑好きで派手な外見を持った年上の巨乳好き。その割には、処女至上主義者なんですの」
「はい……?」
予想外の返答に、リセロットは固まってしまった。蜜柑? 巨乳? 処女?
「魔導研究所の警備が厳しいのは当然わかっていますわ。このお触れが出た今、なおさらでしょう。ですからアンへル本人を誘惑して落とし、本人から聞き出していただきたいの」
「……ゆ、誘惑!?」
リセロットは慌てた。今、上司は事もなげに言ったが要は色仕掛けをしろという事なのだろう。だが、そうなると余計に訳がわからない。
「貴女の髪は蜜柑色。瞳は葉っぱの緑色。肌は白くみずみずしく、眺めているだけで美味しそうですわ?」
この続きは「死神魔導士様を即落ちさせてしまいました」でお楽しみください♪