書籍詳細
落ちこぼれの魔法使い令嬢は、恋の媚薬で不能陛下を覚醒できますか?
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2022/12/23 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
「さあ、ピエリーナ、もう一度!」
母が苛(いら)立たしげな声を出す。
ピエリーナはテーブルの上に置かれた野菜とガラスのコップをじっと見つめ、息を詰めた。
くるくる巻き毛の銀髪にぱっちりした緑色の瞳、お人形さんのように整った愛らしい美貌が、緊張で強張っている。
ピエリーナは頭の中でイメージを膨らませ、思い切り魔力を送る。同時に息を大きく吸って、呪文を唱えた。
「ジュースになれ!(インジュイズ・モイ!)」
野菜はピクリとも変化しない。
本当はここで、コップになみなみと注がれた野菜ジュースが出現するはずなのに。
「——ごめんなさい……お母様」
ピエリーナはおずおずと傍らの母を見上げる。
母はがっくりと肩を落とした。
「はあ——ぜんぜんダメね。どうして、お前だけこうなのかしら。名門チェステ家の名折れだわ」
母の失望し切った声に、七歳のピエリーナの胸はずきずき痛んだ。
「お母様……お願い、もう一度だけ」
「今日の魔法の勉強はもうお終(しま)い。お外で遊んでらっしゃい」
母は煩わしげに手を振った。
ピエリーナはしょんぼりと部屋を出た。
屋敷の玄関ホールから、とぼとぼと外庭に出る。
「ようし、行くぞ! ファンダン・グイ(行け、火の球)」
「そら、来い! ライ・モイ(右へ)」
庭では五人の兄たちが、魔法を使って遊んでいた。熱のない火の球を出現させ、それを飛ばして互いにぶつけ合っている。雪合戦のように、球に当たった者が負けである。が、兄たちは飛んでくる火の球の方向を魔法で変えさせたり、風を起こして飛び散らせたりと巧みにかわす。兄たちは遊びに夢中で、小さなピエリーナには目もくれない。
ピエリーナはその様子を横目で見ながら、身を縮めるようにして裏木戸から出た。
屋敷の裏の緩やかな傾斜になっている小径を下りて行くと、大きな湖に出る。
湖のほとりに生えている大きな白(しら)樺(かば)の木の下が、ピエリーナのお気に入りの場所だ。この辺(あた)りはたまに釣り人が訪れるくらいで、めったに他の人がやってこない。一人になりたい時、ピエリーナはいつもここに来る。
木陰に座り込んで、膝を抱えた。
「なんで私だけできないんだろう……」
悲しくて目に涙が浮かんでくる。
ピエリーナの生まれたチェステ伯爵家は、代々ロベルティ皇国のお抱え魔法使いとして仕えていた。
魔法を駆使して貢献した数々の功績を皇帝に認められ、伯爵家の称号をいただいている。チェステ家の男子は魔法を使い軍略家として仕え、女子は皇帝の健康管理に魔法で奉仕する役目を負っている。
父も母も優れた魔法使いで、皇帝家に仕え、前皇帝陛下からお褒めの言葉とともに勲章をいくつもいただいているのだ。
五人の兄たちも、それぞれに秀でた魔法を会得し、将来、皇帝家やロベルティ皇国のために活躍することが大いに期待されている。
それなのに——。
末っ子で一人娘のピエリーナだけは、まったくと言っていいほど魔法の才能がなかった。
簡単な物を移動させる魔法も物質を変化させる魔法も、厳しくなんども母に教え込まれたのに、一度も成功したことがない。
チェステ家の子どもは、七歳頃までには基本的な魔法を習得できるのが普通で、ピエリーナのような落ちこぼれは稀(まれ)であった。
最近では、両親も兄たちもピエリーナの才能のなさには諦めムードである。
家族に見捨てられてしまったようで、繊細な心の持ち主であるピエリーナは辛くて悲しくてしかたない。
目の前の深く青い湖を見つめているうちに、
「湖に飛び込んで、死んじゃおうかな……」
と、ふと思ったりした。才能ゼロの、家の恥さらしな末娘がいなくなったって、チェステ家の誰も悲しんだりしない気がした。
と、一艘(そう)のボートがゆっくりと湖へ漕ぎ出すのが見えた。乗っているのはオールを握った黒ずくめの男二人と、少年のようだ。遠目にも少年の金髪が日差しにキラリと光るのがわかる。
その時、少年に目隠しがされているのに気がつき、ピエリーナはハッとした。
ふいに、黒ずくめの男たちが少年を抱え上げ、湖に投げ落とした。
「え?」
ピエリーナは一瞬なにが起こったのかわからなかった。
ボートは来た時と違い、ものすごい速度で向こう岸めがけて去って行く。
湖の中央でバシャバシャと水が跳ねている。
少年が溺れそうになってじたばたともがいているのだ。
「たいへん!」
ピエリーナはぱっと立ち上がると、スカートをからげて全速力で湖岸に走った。
「たす、けて——誰か、だれか——っ」
少年の途切れ途切れの声が聞こえてくる。彼は必死で水面を両手でかいているが、時々頭がごぽりと沈み、今にも溺れそうだ。
「ああ、待って、今誰か助けを——」
ピエリーナは屋敷に戻ろうとしたが、それでは間に合わないと思い返す。しかし、泳ぎのできないピエリーナが助けに水の中に飛び込むわけにもいかない。
「どうしよう、どうしたら……」
おろおろしていると、水面でもがいていた少年の目隠しがはらりと外れた。
「っ——」
一瞬、少年と目が合った。
ピエリーナの心臓がばくんと跳ねた。
少年の青い澄んだ瞳は絶望感に満ちていた。
彼の瞳が懇願していた。生きたい、助けてくれ、と。
「あ、あ、あ……」
ピエリーナの身体が、考えるより先に動いていた。
深呼吸し、少年の方に向けて小さな両手を精いっぱい伸ばした。そして、全身全霊を込めて呪文を唱える。
「ジャンフ・モイ!(浮かべ!) カモ・ヒアス・モイ!(こちらへ来い!)」
目をぎゅっと瞑(つむ)り、持てるだけの魔力を放出する。身体の奥底から、かあっと熱い活力が湧き出して、ものすごい勢いで放出された気がした。
直後、ざばっと大きな水音が立ったかと思うと、少年の身体が水面から持ち上がったのだ。
浮遊したまま、少年はまっすぐ湖岸に移動してくる。
びしょ濡れの少年が、ふわりとピエリーナの足元へ着地した。
少年は気絶してしまったのか、目を閉じてぴくりともせずに横たわっている。
「うそ、あ、魔法、できた……?」
ピエリーナ自身が驚いてしまう。だが呆然としている場合ではない。
跪(ひざまず)いて、少年の肩を掴(つか)んでそっと揺さぶる。
「あの、あなた。あなた、しっかり!」
真っ青な顔をしているが少年はハッとするほど気品に満ちた整った顔をしていた。歳は青年期に差し掛かる前という感じだろうか。手足がすらりと長く、シャツとトラウザーズ姿だが、着ているものもとても高価そうだ。首から精緻な造りの純金のロケットを下げている。どこかの身分の高い貴族の御曹司だろうか。
少年の半身を抱き起こし、背中をさする。息が止まっている。仮死状態だ。ピエリーナは全身の力を指先に集め、命の復活の呪文を唱えた。
「ゲードゥ(甦れ!)!! ゲードゥ(甦れ!)!」
ふいに少年が大きく嘔(え)吐(ず)いた。
「ごはっ、ぐ……はっ」
彼がこぽっと、呑んでいた水を吐き出す。苦しげだが、呼吸が戻った。
ピエリーナは心からほっとした。
「よかった、助かって。よかったぁ」
生まれて初めて魔法が成功した。それも人の命を助けたのだ。感動で泣けてくる。
「ううっ、ほんとうに、よかった……」
少年が目を瞬いて、ピエリーナの顔を見上げてきた。
「君、泣いているの?」
濡れて額に張り付いた金髪、潤んだ青い瞳、端正な面立ち——ピエリーナは急に心臓がドキドキしてきて、息が苦しくなった。
「……助けてくれて、ありがとう」
声変わり直後なのか少し掠(かす)れた声に、また心臓が飛び跳ねた。とにかく、ずぶ濡れの少年を介抱しよう。
「あの、手当てを……は、はくちゅん!」
濡れて冷えたのか、くしゃみが飛び出した。
「やだ、ごめんなさい……はくちゅん、くちゅん!」
焦ると、よけいにくしゃみが止まらない。恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。
「ふ——」
少年は目を丸くし、かすかに笑みを浮かべた。その美麗な笑顔に魅了され、ピエリーナのくしゃみすら止まってしまう。
「ああ! 殿下! ご無事ですか?」
慌てふためいた数名の男性が林の方からこちらに向かって走ってきた。全員軍服姿だ。兵隊さんだろうか。皆、鬼気迫る恐ろしい形相をしていた。
先頭の茶髪の若い男性が、ピエリーナを突き飛ばすようにして少年を抱きかかえた。その男性は、おいおい泣き始める。
「申し訳ありません! 護衛の隙を突かれました。申し訳ありません!」
男たちは少年を囲み跪いた。大の男たちが全員口惜しげに泣いている。
ピエリーナはぽかんとしてその様を見ていた。
「急ぎ、殿下を馬車へお運びしよう」
男たちは少年を丁重に抱き上げた。彼らは呆然としているピエリーナのことなど一顧だにしない。
一人、最初に少年を抱きかかえた茶髪の男だけが鋭い眼差しでピエリーナを睨(にら)み、
「娘、このことは他言無用!」
と怖い声で言い放った。言うことをきかなければ、その場で剣を抜いて切りかかってきそうな殺気に満ちていた。
ピエリーナは肝が冷えて、無言でこくこくとうなずく。
そのまま少年は抱き上げられて、いずこかへ運ばれて行く。
一瞬、少年がこちらを振り返った。
その表情には心からの感謝の気持ちが溢れていた。
ピエリーナは胸が熱くなり、眼差しで応えた。
あっという間に湖岸から林の中に、少年と男たちの姿は消えてしまった。
「……」
なにが起こったかわからないまま、ピエリーナはその場に立ち尽くしていた。
気がつくと、湖岸はいつもと変わらない静けさに包まれている。
「夢……?」
ぼうっとして、白昼夢でも見ていたのか。
でも、ドレスがぐっしょり濡れている。
ずぶ濡れの少年を抱きかかえたからだ。
なぜあの少年がボートから投げ落とされ、謎の大勢の男性たちが現れて風のように攫(さら)っていったのか。まったく見当もつかなかった。
ただ、わかるのは。
ピエリーナの魔法で少年を救ったということだ。
その少年がとても美しく気品に満ちていたということ。
そして、なぜかピエリーナの心臓はドキドキが止まらないままだということ。
ピエリーナは踵(きびす)を返すと、屋敷への小径を全速力で駆け戻った。
玄関ホールから居間へ飛び込むと、ちょうど母がソファに座って編み物をしていた。と言っても、自分の手は使わず魔法で編み棒を動かしているのだが。
「お母様、お母様!」
びしょ濡れで入ってきたピエリーナに、母は目を丸くする。
「どうしたの? そんなに濡れて」
「それよりお母様、見てください。私、魔法が使えるようになったのよ! 見て!」
ピエリーナは頬を紅潮させ、テーブルの上の花瓶に向かって手を差し出した。
「ジャンフ・モイ!(浮かべ!) カモ・ヒアス・モイ!(こちらへ来い!)」
少年を救助した時と、同じ呪文を唱えた。
目を輝かせて結果を待つ。
だが——花瓶はぴくりとも動かなかった。
「あれ……?」
ピエリーナはきょとんとする。そんな馬鹿な。
母が困惑気味に声をかけてきた。
「ピエリーナ、とにかく侍女に頼んで着替えてらっしゃい。風邪をひいてしまうわ」
「あの、お母様、さっきはできたの。ほんとうよ、信じて……」
しどろもどろで言い訳したが、母は編み物に気を取られてぞんざいに答えた。
「はいはい、早く着替えなさい」
ピエリーナはしょんぼりと居間を後にした。
自分の部屋で侍女たちに着替えをさせてもらいながら、ぼんやり考える。
なぜ、あの時だけ魔力が発動できたのだろう。
少年を救おうと必死だったからだろうか。
少年の面影を思い出すと、頬が熱く燃え再び脈動が速まった。
どこの誰だかもわからない、とても身分の高そうな人だった。なにか不穏ないきさつがあったようだ。警護の厳しさからしても、彼にはきっともう二度と会えないだろう。
胸がちくんと甘く痛む。
こんな気持ちは生まれて初めてだった。
かくして、ピエリーナは落ちこぼれの魔法使いのまま、歳を重ねた。
ごくごく簡単な魔法は、どうにか使えるようになったものの、何かの役に立つには程遠かった。
その間、皇帝家は、現皇帝陛下が病気で崩御され、新たな若い皇帝陛下アウグスト十七世が皇位に就いた。
魔法を極めた兄たちは次々に皇帝家に仕えることが決まり、帝都を始め各主要都市へ意気揚々と出向していった。
十五歳になる頃には、もはや両親は、ピエリーナには魔法使いとしての期待はせず、普通の伯爵令嬢として生きることをすすめた。ピエリーナも自分には魔法使いの才能はないと諦め始めていた。
両親の言うがままに、淑女としてのマナーや教養を学ぶことに専念するように心がけた。
でも、十歳の時に少年を救った魔法のことを思い出すと、せつなくてやるせない。あれが生涯にただ一度の奇跡だったのだろうか。あの時の高揚感や達成感を思い出すと、未練がましくなってしまい、魔法の勉強を完全には止めることができないままだった。
いつか、もしかしたら——と。
早春——十八歳を迎えたピエリーナに、思いもかけない知らせが届いた。
奇跡が再び起ころうとしていた。
第一章 不能の皇帝陛下に媚薬は効き目がありますか?
その朝、帝都の皇城に軍事計画補佐役として仕えている一番上の兄シャルルから、チェステ家に急ぎの手紙が伝書鳩で届いた。
ピエリーナは自分の部屋で、朝の身支度をしている最中だった。
侍女の一人があわてふためいた様子で部屋に入ってきた。
「ピエリーナ様、旦那様と奥様から、急ぎ書斎にいらっしゃるようにとのお達しです」
「え? 急ぎって?」
化粧係に髪を結ってもらっていたピエリーナは目を丸くする。
こんな朝から自分になんの用だろう。
取るものもとりあえず、書斎に向かった。
ノックをして扉を開く。
「ピエリーナです」
書斎に入ると、両親が窓際で難しい顔をしてなにやらひそひそ話をしている。
「どうなさったの? お父様、お母様。私は今朝はダンスのレッスンがあって……」
「それどころではありません」
母が怖い顔で言う。
「これは国家級の大事なお話です」
驚かされて、ピエリーナは目をパチクリさせた。
父が手招きした。ピエリーナが側に寄ると、父が声を落として話し出す。
「よいか、これから話すことをよく聞くのだ。今朝、皇城に上がっているシャルルから鳩で速達が届いたのだ」
「お兄様から——?」
「現皇帝陛下、アウグスト十七世陛下のことは、存じておろう?」
「はい。若くお美しく、文武両道で冷静沈着、公明正大、勤勉な方であられると伺っております」
「そのアウグスト陛下のことで、大変な問題が起きているのだ」
「問題? ですか?」
父はますます声を潜める。
「実は——陛下は、その——男性機能がまったく働かないとのことで——」
「は——い?」
初心(うぶ)なピエリーナは、父の言葉の意味が理解できず、きょとんとしてしまう。
「う、うむ、つまりな——」
厳格な父が、珍しく困ったような顔で口ごもる。父が助けを求めるように母を見た。
母がピエリーナに近づくと、さらりと言った。
「陛下は女性と子作りをする行為がおできにならない、ということです」
「子、作り……!」
さすがに男女の秘め事に無知なピエリーナでも、母の言うことは理解できた。わかったとたん、恥じらいに顔が赤らんだ。
「そ、そうなのですね」
父がうなずく。
「このままでは、陛下はご結婚もままならぬ。今後も皇帝陛下が後継ぎを作ることができなければ、我が国の存亡の危機になるやもしれぬ」
父の大仰な言葉に圧倒されたが、それでどうして自分が呼ばれたのか、ピエリーナはまだぴんとこなかった。
「あの……それで、私にどのようなご用が?」
母が真剣な表情で言う。
「陛下の臣下たちが協議をし、我がチェステ家に、魔法の媚薬を所望してきたのです」
「び、やく……?」
「要するに、男性を淫らな気持ちにさせ機能を奮い勃(た)たせる媚薬です」
「え——」
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