書籍詳細
推しを産みたいのに相手が誰かわかりません!
定価 | 1,320円(税込) |
---|---|
発売日 | 2023/05/26 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
第一章 プラチナブロンドじゃない
皇都より随分と北にあるこの辺境伯領はもうじき厳しい冬がくる。
ただでさえ慣れない環境の上、防寒対策の整っていないこの世界の冬はそれは身も凍える寒さだろう。
想像しただけで震える体を抱きながら、窓の外をじっと眺める。
ガラス越しにはもう見慣れたワインレッドの髪と瞳が憂(ゆう)鬱(うつ)げに映るだけで、今日も目当ての馬車は門前に現れそうもない。
「……旦那様は、いつ頃お帰りになるのかしら」
口から溢(こぼ)れそうになった溜め息を飲み込み、傍(そば)に控えている侍女を振り返る。
聞いたところで返答は毎度同じだ。
「本日もお帰りになるかは不明かと」
「そう、よね。お忙しいものね……」
今度こそ、溜め息が出るのを我慢できそうにない。
はあ、と小さく溢した吐息が白くなるのも時間の問題だ。
暖房もなくヒーターもないこの世界じゃ寒さに慣れない私にとっては部屋の中でさえ、油断できないのだから。
まあそれこそがこの辺境伯領に送られた私の罰なんだけど。さすがに寒すぎて文句くらいは言いたくもなる。
「それなら今日も一人で過ごしたいから、もう下がって大丈夫よ」
「かしこまりました」
渋る様子もなく足早に部屋を去る使用人達も慣れたものだ。
最初こそ仕事もせずに退室を促されることに躊躇(ためら)っていたものの、食事や掃除、身の回りの雑務の全てを私一人でこなせることに気付いてからは素直に応じてくれている。
彼らにとっても私みたいな酷(ひど)い噂(うわさ)の悪役令嬢なんて面倒を見たくもないだろう。
我ながら損な立ち回りをしたものだなあ。でもそれもこれも、たった一人の推しのため。
そっとお腹を撫でながら、まだ見ぬ──だけどしっかり容姿を想像できる未来の我が子を思う。
「エヴァン、早く貴方(あなた)に会いたい……」
そう、最愛の推し、エヴァン。
『罪は恋の試(し)煉(れん)』シリーズの続編に出てくる隠し攻略キャラでいて、前作の悪役令嬢が産んだ子供だという設定である。
つまり、私の子。まだ旦那の顔も拝めてないけど。
ここが前世でやり込んでいた乙女ゲーム『罪は恋の試煉』の世界だと理解したのは物心ついた時だった。
言葉を覚えだした私の耳に入ってくる単語が全て聞き覚えのあるものだったり、行ったこともない皇都の町並みを知ってたり、登場キャラのプロフィールを熟知してたりと、それはもう察するには充分だ。
舞台となるザイレン国といえば、『罪は恋の試煉』略して『罪恋』の音読みという安直なネーミングセンスの国名であり、乙女ゲームのヒロインは平民ながらに次々と攻略対象キャラであるイケメン達と出会っていく。
その全てのルートでヒロインなり攻略対象キャラが『罪』を被(かぶ)り、その『試煉』を乗り越えてこそ『恋』が芽生えていくというストーリーだ。
そしてその『試煉』の一つとして『私』が登場するのが、皇太子殿下のルートである。
ああ、私って、転生したんだ。パチリとピースが嵌(は)まる音がして、それから自分の姿と名前を改めて思い出す。
アリア・セルゼンカ。それがヒロインの恋敵であり、皇太子の婚約者であり、散々ヒロインを苛(いじ)めて悪事を働いたのちに婚約破棄をされて辺境に飛ばされる悪役令嬢キャラだということを。
(こんなに可愛いのに、性格はもったいないのよね……)
生まれも育ちもいい公爵令嬢のくせに、恋に溺れて婚約者の皇太子に捨てられた少女。
登場キャラにもプレイヤーにも嫌われていたアリアがまさか続編に出てくるエヴァンの母親になっているとは誰も予想できなかった。
まあ、『罪恋』の続編は前作のキャラ達の子世代の話になっていたし、エヴァンは母親の恨み辛(つら)みを聞いて育ったから前作のヒロインの子供である主人公に復讐するために近付くんだけど。
幸せを全て奪われて育ったエヴァンが主人公の優しさと愛しさに揺らぎ、次第に心を開いていくのが最高だった……。特にエヴァンルートのラストは泣きながらクリアしたっけ。
なんて、今は遠い記憶を胸に私はここまで来たのだ。
そう、悪役令嬢アリア・セルゼンカとして皇太子の婚約者に上り詰め、ヒロインが現れたと知るや悪行の限りを尽くしましたとも。
全てはシナリオ通りに。私が推しを産むために。
──なのに、だ。
(北の辺境に飛ばされるまではいいとして、既婚者になっちゃったのが間違いだったのかなぁ……)
最後には皇太子に顔も見たくないと辺境に追いやられ、二度と皇都にも実家にも戻れぬ身となったアリア。
ゲームではそれ以降の詳しいことは語られていなかったが、今のアリアである私は家族の元では良い子にしてたからか、憐(あわ)れんだ両親が陛下に嘆願して見知らぬ辺境伯との婚姻を結んでもらうこととなったのだ。
北の国境の守護を担う辺境伯は朝から晩まで忙しいようで、いつ邸(やしき)に戻っているのかも定かではない。
というか、追放された手前、結婚式などあげるわけにもいかなかったのでこの地に来て半月ほど経っても顔合わせもまだの状態だ。本当に私の嫁入りを受け入れてくれたのかも疑わしい。
でもまあ、陛下の命令なら断れないよなあ。この遠い北部にまで轟(とどろ)く悪評を耳にしていれば、嫌々迎えた私と一生顔を合わせずにいたい気持ちもわかる。
が、しかし、それだとものすごく私が困る。
「このままだと、一生エヴァンに会えないじゃない……」
それはダメだ。私の活力源なのに。推しを産むために今まで頑張ってきたのに。
ゲームにも出てこない辺境伯の容姿など知る由もないが、こうしてアリアが強制的に結婚させられた相手だ。
私が悪役令嬢としての道を歩まされたように、この世界のシナリオの強制力からしてエヴァンは彼との子供に違いないだろう。
それなのに子供どころかまだ処女膜すら破られていないことを嘆きながら溜め息をつく。
とにかく、一夜だけでもいいから旦那様との情事を企(くわだ)てなくては。
(……まあ、そもそも会えないのだから無理な話よね)
未だに私に宛てがわれているのは客室で、私の行動範囲も旦那様の許可がないからと制限されたままだ。
一応メイドや執事達からは奥方様と呼ばれているにもかかわらず、旦那の寝室はおろか書斎や執務室にも立ち入りは拒まれている。
行ける所といえば食堂や庭くらいなものだ。馬車に乗って町まで行くにも許可が必要で、入り用なものは言えば用意してくれるとのこと。
至れり尽くせりというよりは、ほぼ軟禁と言ってもいいんじゃないだろうか。
歩く公害扱いされてたんじゃ邸から出したくないのもわかるけど。それでもいち早く推しに会いたい私はどうすればいいのよ!
「今日は、待ってみようかしら……」
国境の視察や会合で本邸に帰るより近くの別荘で過ごすことがほとんどだと聞いた辺境伯も、今日こそは遥(はる)々(ばる)来た嫁に挨拶してくれるかもしれない。
そして一目で恋に落ちて激しい夜を過ごすかもしれないし、そのまま妊娠してエヴァンを産むことができるかもしれないのだ。
可能性はゼロじゃない。目指せ、一発着床。推しを育てるハッピーライフ!
…………なんて、夢のまた夢かもしれない。
どっぷりと日が沈んで月が浮かんだ空を白けた目で窓から眺める。
誰だ、今日こそは帰ってくるかもしれないなんて思った奴は。正門がよく見える窓辺の席で一日中お茶をしながら待っていても、得られたものといえば庭師の見事な働きぶりくらいだった。
私の今日唯一の娯楽となってくれた庭師に心からお礼をして、座りっぱなしで痛むお尻を庇(かば)いながら席を立つ。
あーあ、今日も寂しく独り寝かぁ。いつになったら旦那様にお目見えできるんだか……。
嘆いていても仕方ない。ゲームなのでなんちゃって中世でも湯(ゆ)槽(ぶね)とシャワーがある世界で手早くお風呂を済ませ、ネグリジェでベッドに潜る。
うとうとと訪れる眠気に身を委ねながら、ふと思った。
どうしよう。あまりに口にしてなさすぎて自分の旦那の名前を思い出せない。
「…………たか、…………もない……」
「……ますか」
「……、……い、下がれ」
「かしこまりました」
やばいまずいと内心焦っていたそんな時、遠くから聞こえてきたのは二人の話し声で。
「お休みなさいませ、旦那様」と続いた執事の言葉にハッと跳ね起きた私は無我夢中でベッドから飛び出した。
「っ旦那様!!」
バン! と扉を開いた先で男性が驚いて固まった様子で私を見る。
そりゃそうだ、すでに新婚夫婦の二人がたった今初対面を迎えたのだ。
いなくなっていた執事のおかげで二人っきりではあったが、そこにムードなんてものは存在しなかった。
──だって、違う。私が考えていた相手はこの人じゃない。
「……貴方が、ルヴィン・アルステラ辺境伯ですか?」
どうか嘘だと言ってくれ。じゃないと、おかしいのに。
願うように思い出した旦那の名前を口にする。目の前の彼は、はしたない登場をした私相手でも恭しく胸に手を当てて一礼をした。
「いかにも、私がルヴィン・アルステラと申します。このようなご挨拶となり申し訳ありません、セルゼンカ公爵令嬢」
低すぎず、少し掠(かす)れたバリトンボイス。藍色を基調として白と金で装飾された貴族服を纏(まと)う姿はすらりと高く凛(り)々(り)しい。
二十代後半くらいだろうか、顔立ちも整っていて、色素の薄い碧(へき)眼(がん)はじっと私を見つめて美しく輝いている。
こんな美丈夫が夫となると聞けば誰だって両手をあげて喜ぶだろう。私だって前世だったらそうする。
だけど、ダメなんだ。今の私の相手は違う人だ。
だって、この人の髪は黒髪で──プラチナブロンドじゃない。
「ごめんなさい。私達、離婚しましょう」
新婚夫婦なのに初対面で離婚宣言。
色々とおかしいことは百も承知だが私の望みはこの世界に生まれた時から一つだけ。
推し(プラチナブロンドでワインレッドの瞳の超絶イケメン、エヴァン)を産んで育てたいだけなんです!
**
「俺の目は母上の目だ」
画面越しのエヴァンが苦しげに呟く。
ワインレッドの瞳に滲(にじ)むのはどこまでも暗い憎しみで、綺麗なプラチナブロンドの髪もいつもは深く被った帽子で隠されている。
しかしその帽子を取った彼の顔立ちがスチルではっきりとわかった瞬間、プレイヤーは阿(あ)鼻(び)叫(きょう)喚(かん)するのだ。
そんな画面の向こうのことなどお構いなしにエヴァンは冷たく言い放つ。
「君の笑顔なんて見たくない。幸せな君なんて見たくない。恋する君なんて見たくない」
『罪は恋の試煉』シリーズでは必ずどのルートでもヒロインか攻略キャラがなんらかの罪を背負うことになる。
冤(えん)罪(ざい)で投獄されるケースもあれば、濡れ衣(ぎぬ)を着せられバッドエンドで処刑されることもあった。
そのたびに出てくるモブキャラの監守がエヴァンであり、彼こそがシークレットの攻略対象キャラだと気付いた時にはもう遅い。
処刑されるのがヒロインの場合、彼はとても穏やかに微笑んでこう言うのだ。
「君の存在こそが罪だ」と。
いや〜〜あそこで私は落ちましたね。本当の恋ってやつに。
攻略サイトもなかったのでエヴァンルートが開放されるまで必死にフラグを探したし、全員攻略した後もいつ分岐するかも手探りの状態でエヴァンルートに行けたのは努力の結果だろう。
まさか序盤から国家転覆ストーリーが始まって、前作ヒロインの母親とその子供のヒロインが投獄されるバッドエンドコースがエヴァンルートに繋がるとは思いもよらなかった。
ヒロインの幸せを許せなかったエヴァンが最初から絶望しているヒロインに苛(いら)立(だ)って、些(さ)細(さい)なことで嬉しそうに笑うヒロインに戸惑って、朝が来るたびに独房で泣くヒロインに胸が苦しくなっていくのがもう、本当に、最高だった。
複雑な心境に感情を揺さぶられる推し、とても推せる。
好感度マックスだと最後にはヒロインを脱獄させて、二人で全て捨てて逃げた罪を背負って生きていくのがまたいいんだよなあ。
その時は寒い北部を目指さず、暖かい南部を目指したのも北部に彼の母親がいたからだ。
──前作の悪役令嬢であり、エヴァンの母親、アリア・セルゼンカが。
「ううっ……エヴァン……幸せになって……」
ぐすぐすと枕を濡らすのもこれで何度目だろう。今はもう記憶の中にしかいない推しを思い出すたびに泣けてくる。
幸せになるどころか、私が産まないと存在すらできないなんて。
この世界に転生してからというもの、早く成長して大人になることだけを願ってきた。
ヒロインが皇太子殿下ルートを選ばなければ何らかの罪を被って皇太子との婚約を破棄し、北部に追放されなければならなかったが、幸いこの世界のヒロインは皇太子殿下とのフラグを立ててくれた。
あとはシナリオ通りに嫉妬に狂った悪役令嬢のふりをしてヒロインを苛め、皇太子に嫌われて婚約破棄されてもおかしくない状況を作り出すだけ。
そのために言いたくないことを何度も言った。
したくないことを何回もしてきたんだ。
悪女と言われようとも、誰かに憎まれようとも、なるべくエヴァンが生まれてくる次作に繋がるシナリオから逸(そ)れず、壊さずに生きてきたつもりだ。
その結果、数ヶ月前のパーティーの席でヒロインを見せつけるようにして皇太子に婚約破棄を言い捨てられたのには、思わず心の中でガッツポーズをしてしまった。
もちろん表情は悔しさを滲ませながら。
「婚約破棄? 皇帝陛下は了承したのですか?」
「無論だ。陛下には貴様の爵位剥奪を願ったが北部への追放で見逃せとのことだ。随分と軽い罰だが、やむを得まい。辺境領は皇都と違って華やかさに欠けるからな、貴様には身の丈に合った暮らしができるだろう」
「そんな……」
ありありとショックを受ける演技をすれば、皇太子はフフンと鼻を高くして私を見下す。
防衛の要となる辺境領を華やかな皇都と比べるなんて皇太子としてどうかなんて口にする必要はない。
皇太子の傍らにいるヒロインは愛らしい表情を曇らせて心配そうに私を見ていたので、少しだけ微笑んでから逃げるように踵(きびす)を返す。
「今さら後悔してももう遅いぞ、アリア・セルゼンカ!」
この時は後悔どころか満足しかしていなかった。
人々の嫌悪に染まった視線も、ついて回る悪評も、蔑みも妬みも嫉(そね)みも全部、推しの誕生に比べたら些細なことだ。
北部への追放も無事叶い、後は相手を見つけてなるべく早く子宝に恵まれて、エヴァンを産んで幸せに育てるだけ。
そう、思っていたのに。
私はどうしてこの人と結婚してしまったんだろうか。
「おはようございます、セルゼンカ公爵令嬢」
明るい部屋で、窓の外の日を浴びる彼の髪はやっぱり黒髪でしかない。
プラチナブロンドのエヴァンとは程遠いその髪色に、昨夜のことは夢でもなんでもないのだとまた絶望して、朝の挨拶を絞り出す。
一晩寝かせても私の考えは変わりそうになかった。
「……その様子だと、あの言葉を訂正する気はないようですね」
溜め息混じりにルヴィンが呟(つぶや)く。
昨夜は夜も遅く、私の姿もあられもなかったのでそれとなく部屋に戻されてしまったのだ。
「明日は邸にいるから、その時また落ち着いて話しましょう」と。
否応もなく従った私は不安で眠れるわけもなく、推しを想って枕を濡らして今に至る。
泣き腫らした目はもうどうしようもない。
「私の噂はご存知でしょう。貴方にとっても嬉しい話じゃありませんか」
「申し訳ありませんが、離婚には応じられません。陛下との信頼もありますので」
「では半年か一年後でどうでしょう。その頃には陛下も納得なさるはずです」
朝食を前に随分とヘビーな話だが致し方ない。私の推しのためだ。
ここで綺麗に別れを告げて、プラチナブロンドのお相手を探すことに専念しなければいつエヴァンを産めるかもわからない。
悪評名高い私を切り捨てるのに遠慮なんて必要ない。手回しと手切れ金さえいただけたら変装すればどこでも生きていけるだろう。平民暮らし万歳。
「……それほどまでに嫌がられるとは思いもよりませんでした。貴女(あなた)が受け入れられないのはこの地ですか? それとも、この邸と……私ですか」
悲しんでいる様子は一切ない。淡々と、真意を探るようにルヴィンは私を見つめている。
ルヴィンにとってはただ厄介者を押し付けられただけなのに、ちゃんと話を聞いてくれるんだなあ。
私にはもったいないくらいのいい人なんだろうな。そこに愛なんてないのに、申し訳なさに胸が痛む。
「私の都合です。この地にもこの邸にも貴方にも問題は何一つありません。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「謝罪は結構です。それより、そちらの都合というのは?」
「……それは、」
「聞かせていただけませんか?」
推しを産むために別の男が必要だなんて言えるわけがない。
北部に行けば必然的にエヴァンを産むための相手がいるだろうとシナリオの強制力を信じた私が愚かだったのだ。
黒髪のルヴィンとワインレッドの髪の私からプラチナブロンドのエヴァンが産まれるとは到底思えない。
目を逸らせば、銀のスプーンに反射した私が居心地悪そうに顔を歪(ゆが)ませていた。
「……言えないわけがあるようですね」
「すみません……」
「いえ、聞いたとしても、私が提案できることは一つしかありませんでしたから」
「え?」
使用人達は下がっている。二人きりの食堂で、木々のざわめきと小鳥の鳴き声だけが聞こえる。
言葉を続ける彼の口が開くのを、ただじっと見ていた。
「私との子を作り、その後すぐに亡くなったことにすればよいのです」
この続きは「推しを産みたいのに相手が誰かわかりません!」でお楽しみください♪