書籍詳細
巻き戻りの断罪の皇女はひっそり隠居したいのに、敵国王弟がグイグイ迫ってきます
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2024/02/22 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
序章
バルテン王国の王妃コンスタンティナは二十歳。すらりとした肢体と、燃えるような赤い髪、エメラルド色の緑目、整いすぎて冷たくすら見える美貌の持ち主であった。
だが今は、ボロボロの囚人服に身を包み、自慢の髪は短く刈り込まれ、目は落ち窪みやつれ果て、見る影もない。
そして、彼女は処刑台に上ろうとしている。
バルテンの首都の大広場には、処刑台が組まれてあった。その周囲を、立錐の余地もないほどの群衆がひしめいていた。彼らはコンスタンティナの公開処刑を、今や遅しと待ち侘びているのだ。
後ろ手に縄で括られたコンスタンティナは、処刑台へ階段を一歩一歩上っていく。
「裏切り者!」「ダヤンのメス犬!」「お前のせいでバルテン王国は滅んだのだ!」人々が口々に罵声を浴びせる。
コンスタンティナはぐっと顎を反らせた。
自分に恥じるところは何もない。
だから胸を張って最後まで王妃らしく堂々と死のうと決意していた。
だが、ひとつだけ大きな心残りがあった。
愛する王弟アントワーヌを失ってしまったことだ。
ひと月前、突如バルテン王国に、隣国のスベニア国軍が攻め込んできた。同時に国内のあちこちで反乱軍が決起した。
王城はスベニア国軍と反乱軍に取り囲まれたが、堅牢な城はそうそう容易(たやす)くは落ちないはずだった。籠城し、外部からの援軍の到着を待つつもりであった。
だが、内部の何者かの裏切りで、門が開かれてしまったのだ。敵軍が一気に雪(な)崩(だ)れ込んできた。
コンスタンティナの夫であるバルテン国王は愛人と共に、真っ先に秘密の抜け道から城外へ逃れてしまった。
武人である王弟アントワーヌは、自軍を指揮して果敢に戦った。
しかし、一番手薄な西門が破られ、敵兵が一気に雪崩れ込んだ。
彼はなかなか脱出しようとしないコンスタンティナの腕を掴み、強引に抜け道の扉の内側に押し込もうとした。
「王妃! あなただけでも早く逃げるんだ!」
コンスタンティナは泣きながら首を振る。
「だめです、王弟殿下、あなたも一緒に!」
アントワーヌは血糊で曇った剣を構え直し、爽やかに笑った。
「私はここを片付けて、後から必ず行く。だからあなたは——」
彼がコンスタンティナを促そうとした時、背後に敵の槍部隊が迫ってきた。
「危ないっ、殿下!」
コンスタンティナが叫ぶのと、アントワーヌの脇腹を敵の槍が貫くのはほとんど同時であった。彼はものも言わずその場にどさりと倒れた。
「きゃあああ、殿下っ!」
コンスタンティナは悲鳴を上げて、血まみれのアントワーヌにしがみついた。アントワーヌはまだかすかに息があり、虚ろな眼差しでコンスタンティナを見上げ、何か言いたそうに唇を動かした。
「え? 殿下? 何ですか? 何と……?」
アントワーヌの顔に耳を寄せて、聞き取ろうとした刹那、コンスタンティナは敵兵たちに取り押さえられてしまった。
「王弟は始末したぞ。王妃を引っ立てよ!」
コンスタンティナは乱暴に両腕を掴まれ、アントワーヌから引き剥がされた。
「ああっ、いやあっ、殿下、殿下ぁ!」
コンスタンティナは泣き喚いて抵抗しようとしたが、兵士の一人に腹を殴られ、そのまま気絶してしまった。
気がつくと、薄暗く狭い牢屋に閉じ込められていた。欠席裁判で身に覚えのない内通者に仕立て上げられて、すでに死刑が確定されていたのだ。
処刑台の階段の最後の一段を上り切る。
そこに置かれた台の上に立った。
処刑人が無表情に、コンスタンティナの細い首に輪っかにした縄を掛けた。
コンスタンティナは空を仰いだ。
抜けるように青い空だった。
最期の瞬間、コンスタンティナは心底思う。
アントワーヌともう一度会いたい。心から愛している。
初めて出会った時から、アントワーヌだけを愛していた。だが現世では、彼と結ばれることはなかった。人生をやり直して、アントワーヌと再会したい。
アントワーヌ、アントワーヌ、アントワーヌ——最期の瞬間まで愛する人の名を胸の中で呼び続けた。
処刑人が、足元の台を思い切り蹴った。身体が宙に浮く。
そして——意識が真っ暗になった——。
第一章 巻き戻りの皇女と美貌の王弟
「皇女様、コンスタンティナ皇女様」
遠くで誰かが呼んでいる。
「ん……」
甘い花の香りが鼻を擽(くすぐ)る。頬に優しい日差しの感触がする。柔らかな草むらの上に仰向けに横たわっているようだ。
「皇女様、ジュリアナ女帝陛下がお呼びですよ」
低く落ち着いた声は、コンスタンティナの護衛のベニートのものだ。鼻先にぺとりと冷たいものが押し付けられた。
瞼(まぶた)が重く頭の中がぼんやりしている。
寝ていたのか? 夢を見ていたのか?
恐る恐る目を開くと、髭面でがっちりした体型のベニートと、彼の愛犬で番犬でもある大型犬のロイが顔を覗き込むようにして見下ろしていた。仔牛くらいの大きさで、全身真っ黒の毛に覆われ、尖った耳と鋭い牙を持ったロイは、見るからに獰(どう)猛(もう)そうだ。実際、熊を噛み殺せるほどの強さを持っている。しかし、ベニートやコンスタンティナには、忠実で優しい犬である。
ロイは心配そうにきゅんきゅんと鼻を鳴らし、長い鼻面を押し付けてきた。さっきひやりとしたのは、ロイの濡れた鼻が押し付けられたからだった。
「お目覚めですか?」
「ここ、は……?」
視線を泳がせると、ベニートが目を丸くする。
「ダヤン城の中庭でございますよ。皇女様は日向ぼっこをなさっているうちに、寝てしまわれたのですね?」
「ダヤン城……皇女……?」
ふいに頭の中がはっきりし、コンスタンティナはガバッと起き上がると、ベニートの胸元を掴んで揺さぶった。
「ベニート、今は何年なのっ?」
血相を変えているコンスタンティナに、ベニートは目を丸くしたが、即座に答えた。
「は、ダヤン歴二百五十年でございますが——」
「ダヤン歴二百五十年……!?」
コンスタンティナは呆然として声を失う。
自分が処刑されたのは、ダヤン歴二百五十二年のことだ。
なぜか、二年の時間が巻き戻り、十八歳の自分に戻っている。
まだ皇女としてダヤン城に暮らしていた頃だ。信じられない事態に、頭がくらくらした。
「ど、どうなされました? ご気分でもお悪いですか?」
挙動不審なコンスタンティナに、ベニートが心配そうに聞いてくる。
「い、いいえ、大丈夫よ。ね、寝ぼけていただけ……」
コンスタンティナはずきずき痛む頭を押さえた。
では、処刑されたのは夢だったのか? だが、首元にざらざらした太い縄の感触が、まだ生々しく残っていた。
ふいにロイが低く喉の奥で唸(うな)った。
振り返ると、
「あら、ここにいたの? ティナ」
大勢の侍女を引き連れて、ジュリアナ女帝がその場に姿を現した。彼女は今年七歳になる皇太子フランソワと手を繋(つな)いでいた。
「お義母(かあ)様、フランソワ」
コンスタンティナは慌てて居住まいを正す。
ジュリアナはちらりとロイの方を見て、顔を顰(しか)めた。
「そこの侍従、その犬をしっかり押さえておれ。私は犬が苦手なのよ」
「ははっ」
ベニートはロイの首輪を引くと後ろに伏せさせ、跪(ひざまず)いて頭を垂れた。
ジュリアナは、亡きコンスタンティナの母の妹である。
母王妃はコンスタンティナを生んですぐに亡くなってしまった。その後、父皇帝はジュリアナと再婚した。父皇帝は数年後、亡き母の後を追うように病没してしまった。父皇帝とジュリアナの間には、皇太子フランソワが生まれていたが、皇位を継ぐにはまだ幼かった。そのため、ジュリアナが中継ぎの女帝としてダヤン帝国を治めているのである。
ジュリアナはにこやかに声をかける。
「明日はいよいよ、バルテン国王陛下との婚約式ね。国王陛下はあいにくご都合が悪くて、代理の王弟殿下と大臣が手続きにおいでになるけれど、粗相のないようにして、無事婚約を済ませるのよ」
「王弟殿下」と聞いて、コンスタンティナは心臓がどきりと跳ね上がったが、面に出さないように努めた。
「わかりました、お義母様」
「お義姉(ねえ)様、おめでとうございます。でも、お嫁に行かれたら、少し寂しいなあ」
フランソワが無邪気に言う。腹違いの弟であるフランソワは、実の弟のようにコンスタンティナになついていた。
「では、明日に備えて、今日は早くお休みなさいね。さ、フランソワ行きましょう」
ジュリアナはフランソワを促し、お供たちと中庭を去っていった。
姿が見えなくなると、ロイが再び不穏そうに唸る。ベニートがきつい声で叱った。
「ロイ、黙るんだ。皇女様、すみません、どうもロイはジュリアナ陛下とそりが合わないようで——」
「仕方ないわ。お義母様は犬嫌いだから、ロイはそれを感じ取ってしまうんでしょう。ところで、私……疲れたみたい。少し部屋で休むわ、ベニート」
コンスタンティナが小声で言うと、
「承知しました。おい」
ベニートは、庭の隅に控えていたコンスタンティナ付きの侍女に合図した。
「皇女様をお部屋へ。婚約式のためにも、充分に休息をお取りください」
「ええ、そうするわ」
侍女に手を引かれ、コンスタンティナは城内の自分の部屋に戻った。ベニートは部屋の前に陣取って、いつものように護衛を務める。彼の側にはロイが伏せ、周囲に目を光らせた。
「ちょっと、一人にしてちょうだい」
そう侍女たちに言い置いて、コンスタンティナは居間のソファに深くもたれ、考えをまとめようとした。
処刑台に上がるまでの人生の記憶は鮮明にある。
確かに自分は一回死んだのだ。
だがどういうわけか死んだ直後に、十八歳の自分に時間が巻き戻ってしまったようだ。
生を得た嬉しさに胸が躍る。しかし、この先の自分の人生の行く末を考えると、喜んでばかりはいられなかった。
このまま前のように生きていれば、行き着く先は処刑台だ。同じ終末を繰り返すのだけは断じて嫌だ。
「落ち着いて、落ち着くのよ、ティナ……よく考えて」
コンスタンティナはこれまでの自分の人生をじっくりと辿った。
ダヤン帝国と、国境の東で隣接しているバルテン王国は、長い間敵対国として戦争や小競り合いを繰り返してきた。
両国は争いに疲弊し、ジュリアナ女帝と現バルテン国王の時代になると、両国で友好を結ぼうということになった。そこで、皇女コンスタンティナとバルテン国王との間に婚姻話が持ち上がったのである。いわるゆる政略結婚だ。
まだ恋も知らなかった純情なコンスタンティナは、両国の和平のために我が身を犠牲にして敵国に嫁ごうと、悲壮な覚悟を決めた。
しかし、婚約式の日にバルテン国王の代理人として訪れた王弟アントワーヌは、とても魅力的な人物であった。コンスタンティナは一目で彼に恋をしてしまったのだ。
しかし、バルテン国王との結婚は不可避であった。コンスタンティナは初恋を諦め、両国の和平のために嫁いだ。
そして、そこで知る事実に愕(がく)然(ぜん)とした。
バルテン国王には、すでに長年の愛人ソフィがいたのだ。バルテン国王は形式だけの結婚式を挙げると、コンスタンティナのことを完全に無視し、一指も触れてこなかった。
敵対国の皇女ということで、バルテン城の者たちの態度も冷淡であった。コンスタンティナはお飾りの王妃として、純潔のまま城で孤独に暮らしていく。
そんな中で、王弟アントワーヌだけは親切で優しく、忙しい公務の隙をみてはなにくれと気にかけてくれた。コンスタンティナの胸の奥で、彼への恋心がどんどん大きくなっていった。
こうして密かに恋心を募らせていたコンスタンティナが、二十歳の時である。
バルテン王国建国五百年の記念の日、六月六日のことだ。
お祝いに国中が沸き立ち、バルテン城内でも酒宴が張られ賑やかにお祝いをした。
その深夜だ。
隣国のスベニア国軍が、突如の侵攻を開始する。祝賀気分で油断をしていたバルテン国軍は、不意を突かれて敗退を続け、あっという間に首都の王城が敵軍に取り囲まれてしまった。
バルテン国王は愛人ソフィと共に、城を捨て秘密の抜け道から真っ先に逃げ出してしまった。コンスタンティナは、アントワーヌと共に城に止(とど)まることを選ぶ。アントワーヌはコンスタンティナに脱出を強く勧めたが、王妃として自国から逃げることはできないと、固辞した。本心は、愛する彼のもとを一刻でも離れたくなかったからだ。
名だたる軍人でもあったアントワーヌは、自軍を率いて勇猛果敢に戦った。獅子奮迅の戦いぶりに、敵兵たちもたじたじであった。アントワーヌは籠城を続け、同盟国でありコンスタンティナの祖国ダヤン帝国や他の国々の援軍を待つ作戦だった。
しかし、何者かの裏切りのせいで西の城門が外から開けられてしまった。敵軍が一気に襲ってきて、自軍は壊滅されてしまった。
アントワーヌは最期まで勇猛果敢に戦い抜き、コンスタンティナの目の前で戦死してしまう。コンスタンティナは捕虜として捕えられた。
バルテン国王も結局、逃亡の途中で捕縛され、愛人と共にその場で討ち取られてしまう。そして、内偵者の濡れ衣を着せられたコンスタンティナも、死刑に処せられた。
——これが、コンスタンティナの一生であった。
あまりに悲劇的すぎる一生だ。
コンスタンティナは、もう二度と繰り返したくないと思った。
神の御意思か奇跡か、婚約前の十八歳の人生に時間が巻き戻った。
もう波乱万丈な人生などこりごりだ。
すべての不幸の始まりは、バルテン国王との結婚だと思った。
明日の婚約をなんとか解消しよう。前の人生では、唯一王弟アントワーヌへの恋心だけが、幸せな思い出だった。だが、結局はそれも叶わない恋だった。目の前で愛する人を失うことなど、もうたくさんだ。二度と、恋愛も結婚もしたくない。生涯独身のまま、ひっそりとどこかで隠遁生活を送りたい。
だが、どうやってバルテン国王との結婚を破談にすればいいのだろう。
コンスタンティナは必死で頭を巡らせる。
相手が結婚を渋るような条件を出せばいい。
しかし、なかなかいい知恵が浮かばない。
その時、扉の外から遠慮がちに侍女に声をかけられた。
「皇女様、ご気分がすぐれないようだというので、ベニートがバイエ医師を呼びました。診ていただきましょうか?」
コンスタンティナは思考を妨げられ、苛立たしげに断ろうとして、はた、と思い至った。
そっと背中に触れてみる。
そこに古い傷跡の感触があった。
「これだわ」
コンスタンティナは五歳の時、避暑地の森で熊に襲われて背中に大怪我を負った。幼くて記憶は定かではないのだが、その時にたまたま通りがかった猟師であったベニートと猟犬のロイが熊を討ち取り、瀕死のコンスタンティナを助けてくれたという。ベニートとロイはそれ以来、コンスタンティナの忠実な護衛役として召し上げられたのだ。怪我は回復したが、背中には大きな傷跡が残っていた。バイエ医師とは、その怪我の治療以来の付き合いである。
「侍医に入るように言いなさい」
コンスタンティナは急いでチェストの一番下の引き出しから、お気に入りの宝石や装飾品を収めてある宝石箱を取り出した。
「失礼します、皇女様。ご気分はいかがですか?」
バイエ医師が鞄を手に入ってきた。もう六十に手が届こうという年齢だが、まだまだ矍(かく)鑠(しゃく)としている。彼は気のいい人物で、コンスタンティナは普段から懇意にしていた。
「よく来たわ。気分は悪くないの。でも、あなたにぜひ、折り入って相談があるのよ」
「なんでございましょう?」
「あのね、私は子どもができない身体であるという診断書を書いてほしいのよ」
バイエ医師は皺(しわ)に囲まれた目を見開く。
「なんですと!? 皇女様は今はいたって健康なお身体で、お子を産むことにも何の問題もなく——」
「お願い! こんなこと、あなたにしか頼めない。これを全部上げるわ」
コンスタンティナは必死の形相で、宝石箱を侍医の手に押し付けた。
「あなた、そろそろ隠居してどこか南の方に移住したいって、言ってたでしょう? これだけあれば、一生困らずに暮らしていけるわ」
バイエ医師は宝石箱を開き、高価な宝石類を見て唖然とした顔になる。
「こんなもの、受け取れません」
「いいえ、お願いだから。私のこれからの人生がかかっているの。あなたに迷惑は掛けないわ。診断書を書いたら、これを持ってすぐにお城を出ていきなさい」
コンスタンティナは縋(すが)るような眼差しでまっすぐバイエ医師を見つめた。聡(さと)いバイエ医師は、考え深そうな顔で言う。
「皇女様——なにか、深い事情があるのですね?」
「ええ、どうか、一生のお願いよ」
バイエ医師はしばらくコンスタンティナの顔を見ていたが、静かに頷いた。
「承知しました。皇女様は実の孫娘のような存在でした。私の最後のご奉公をしましょう」
バイエ医師は鞄から一枚の書類を取り出すと、テーブルの上に広げてそこにあった羽ペンをさらさらと走らせた。
書き終わると、その書類をコンスタンティナに差し出す。
「これをどうぞ——昔の大怪我の後遺症で、子どもができにくい身体になってしまったと、書いてあります。これがお役に立ちますか?」
「ああ、ありがとう!」
コンスタンティナは書類を受け取ると、そっとバイエ医師の肩を抱いた。
「どうかお元気で。いつかどこかで再会できるといいわね」
「皇女様も、どうぞお元気で。では、私は早々に出立します。この宝石箱は、一応お預かりしておきます。皇女様に神のご加護があらんことを」
バイエ医師は鞄に宝石箱を仕舞うと、深々と一礼し素早く部屋を出ていった。
扉が閉まると、コンスタンティナは診断書を読み直し、深いため息をついた。
「これで、なんとか明日の婚約を解消してみせるわ」
巻き戻しの人生を、新たにやり直すのだ。
ただ、明日顔を合わせる予定の王弟アントワーヌのことだけが、心残りだ。まさか彼は、出会う前からコンスタンティナが彼に恋しているなんて、思いもよらないだろう。
もし婚約が破談になれば、アントワーヌの顔を見るのも明日が最後になるかもしれない。
出会った途端に終わる恋になる。でも、婚約解消はアントワーヌの将来を救うためでもあるのだ。
彼の面影だけは、しっかりと心に焼き付けようと思った。
翌日。
コンスタンティナは化粧室で身支度を整えた。
婚約式のためにあらかじめ準備されたドレスではなく、背中の大きく開いたデザインのドレスを選び、それを着付けるように侍女たちに言った。これまで、背中の傷を隠すため、そのようなドレスは着たことがない。侍女たちは明らかに戸惑っていたが、命令には従った。ただ年(とし)嵩(かさ)の侍女は、背中を隠すためにショールを羽織るように勧めた。あまり固辞しては侍女たちに不審に思われるので、ショールは羽織ることにした。
身支度を整え、謁見の間に赴いた。
そこで、バルテン国王との婚約式の手続きが執り行われるのだ。
バルテン国王は執務が忙しくて足を運べないので代理人を寄越すということだったが、今のコンスタンティナにはそれが嘘であるとわかっている。
すでに愛人がいるバルテン国王は、コンスタンティナとの結婚になんの興味もないのだ。
それでもいい。
バルテン国王と結婚する気は毛頭ない。
「コンスタンティナ皇女殿下の御成です」
謁見の間の扉前で、侍従が声をかけた。
内側から扉が開く。コンスタンティナは深呼吸すると、侍女に導かれてゆっくりと中へ足を踏み入れた。
大きなテーブルのこちら側にジュリアナと臣下たちが座り、向かいにバルテン王国からの代理人たちが腰を下ろしていた。遠目に、その中にアントワーヌがいるのを確認した。バルテン王国の人々は、コンスタンティナが入場してくると、素早く立ち上がり、恭しく頭を下げた。
ジュリアナは機嫌よく声をかけた。
「おお来たな。これが義理の娘、皇女コンスタンティナですわ」
コンスタンティナはしずしずと自分の席に向かって進んでいく。
向かいのバルテン王国の代理人たちは頭を下げているので、顔がよく見えないが、濃紺の軍服に身を包んだひときわ長身の金髪の男性が、アントワーヌであることはわかっていた。彼の姿を見ると、コンスタンティナの心臓は甘くときめいた。
侍従が引いた椅子に腰を下ろし、コンスタンティナは儀礼的な声で挨拶した。
「バルテン王国の方々、遠路はるばる、ようこそ我が国においでくださいました。コンスタンティナ・ブノワです。どうぞ、面をお上げください」
すると、アントワーヌがゆっくりと顔を上げる。
「お初にお目にかかります。バルテン国王の代理で参りました、王弟のアントワーヌ・ルブランでございます。皇女殿下におかれましては、ご機嫌麗しく——」
アントワーヌは、低く響きのいい声で澱(よど)みなく挨拶した。その艶っぽい声を聞いただけで、コンスタンティナは胸がいっぱいになってしまう。
ああ、生きている彼ともう一度会うことができるなんて——。
彼の切れ長の青い目が、まっすぐにこちらを見た。
「っ……」
彼をひと目見た途端、コンスタンティナは懐かしさと喜びに息が止まりそうだった。
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