書籍詳細
劣等聖女の汚名を着せられたら、美麗辺境伯様から溺愛されました
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2024/10/25 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
第一章 追放される聖女
今宵の舞踏会はいつになく盛況だ。王国中のほとんどの王侯貴族が集まっているのだろうか。かなりの広さを誇る王城の広間でさえ手狭に感じるほどに、多くのひとであふれ返っていた。
「――これほどの人数が集まる舞踏会は久々ですわね」
「ずっと戦争続きで、華やかな催しは自粛する傾向にありましたしね。終戦を迎えて、ようやくほっとできましたわ」
「戦果としては、あまり芳(かんば)しくなかった戦いでしたけれど……」
「しっ! そんなめったなことを言うものではないわ。王家の方に聞かれたら大変よ」
貴婦人たちは扇であわてて口元を覆い、怖々と周囲を見回す。幸いなことに近くの人々はこちらの会話に気づかなかったようで、仲間内で楽しげな笑い声を響かせていた。
それにほぅっと安堵の息をついてから、彼女たちはよりひそひそ声で会話を再開する。
「それより今宵は、この場で【花咲かせ試験】の結果発表があるのでしょう?」
「王太子殿下の花嫁を決める大事な試験ですものね。一ヶ月前には、殿下と年の釣り合いが取れる聖女たちに小ぶりな鉢植えが配られたそうですわ」
「その鉢植えの花をたくさん咲かせられた聖女が……」
「お世継ぎの君の花嫁になる。それが、我らがオルジウズ王国に代々伝わる【花咲かせ試験】の伝統ですから」
貴婦人たちは「問題なく、スムーズに選ばれるといいですわね」とほほ笑み合う。
「結果が拮(きっ)抗(こう)すると追加の試験が必要になりますもの。最後の一人に絞れるまで、長い時間がかかった例もいくつもありましたでしょう?」
「今回に限っては大丈夫でしょう。なにせ、歴代の聖女の中でも特に力が強いと言われる、ポーエストン侯爵家のセリーナ様が参加されていますもの!」
貴婦人の一人が弾んだ声を漏らす。彼女は両手を組んでうっとりした面(おも)持(も)ちになった。
「二年前にわたくしの領地で洪水が発生して、麦畑一帯が呑み込まれてしまったことがあるのです。その年は麦が実らずに終わるだろうと覚悟していましたが、王都神殿から派遣されたセリーナ様が三日ほど祈ると、麦はみるみるうちに回復して、なんと秋には半分がしっかり実ったのですよ。全滅してもおかしくなかったのに!」
「――お、もしやセリーナ様のお話ですか? 我が領地の危機も救っていただいたことがありますよ」
貴婦人の声が大きかったためか、通りかかった紳士の一団が会話に参加してきた。
「新しい作物の苗付けが上手くいかなくて、三年続けて不作かと嘆いていた時期がありましてね。セリーナ様の評判を聞いて、藁(わら)にもすがる思いで領地にお招きしたのです。――そしたら! 祈っていただいたその年は、しっかり作物が実ったのですよ。本当にありがたいことでした」
「戦時中も、敵軍の襲撃に遭った村が畑に塩をかれた撒(ま)かれたそうですが、それもセリーナ様が祈ることで、すっかり取りのぞくことができたとか。終戦した今では、村は復興のために開拓が進められているそうですわ」
「まぁ、戦場になった村にまで足を運んでいらしたなんて。セリーナ様は働き者ね」
一人の貴婦人が目を丸くすると、集まっていた人々は「本当に」とうなずき合った。
「王都神殿勤めの聖女の中には、地方まで足を向けない方も大勢いるのにね。地方のことは地方の神殿でどうにかしろと言って」
「その点、セリーナ様は祈りのお力はもちろん、心持ちも素晴らしいわ」
「まっこと。次代の王妃としてふさわしい方ですな」
貴婦人たちと紳士たちが口々に褒めそやしたときだ。
ラッパの音が高らかに鳴り響いて、王家の人々が広間に到着したことを報(しら)せてくる。貴族たちはいっせいに頭を下げて、開け放たれた扉から彼らが入場してくるのを見守った。
国王と王太子がゆったりした足取りで入室し、広間の奥の玉座へと向かう。王妃はすでに亡くなっているため、王家の人間はこの二人のみだ。
きらびやかな玉座の前に国王が、そのかたわらに王太子が立つと、ラッパの音が再び高らかに鳴らされて、あちこちに控えていた衛兵が槍(やり)を打ち鳴らした。
「――皆、面を上げよ」
国王の厳かな言葉を聞いて、全員がゆっくり顔を上げる。
国王は広間中を一度ぐるりと見渡してから、両腕を広げて話し出した。
「長く続いた戦争も無事に終結し、我が国には再び平穏な日々が戻ってきた。そして王太子マルコムもこの春に二十二歳を迎え、妃を娶(めと)るのにふさわしい歳になった。よって、余は国内の年頃の聖女三十名に鉢植えを渡し、【花咲かせ試験】を実施することに決めたのだ」
国王の厳かな言葉に全員が聞き入る。自分に集中する視線ににやりとほほ笑んでから、国王は再び話しはじめた。
「【花咲かせ試験】の内容は実に明快なものだ。鉢植えの花を一ヶ月かけて、たくさん咲かせる。これだけである。一番多くの花を咲かせた者が、もっとも力の強い聖女として、王国の繁栄のために王太子の花嫁となるのだ」
国王の堂々とした宣言に、集まった人々は拍手を送る。国王は満足げにうなずいた。
「すでに聖女たちは鉢植えを手に広間の外に集まっている。今宵、王太子の花嫁が決まることを切に願う」
国王はそう言い終えると、玉座にゆったりと腰かける。王太子は手をうしろで組み、その脇に控える形で立ち続けた。
「――それでは【花咲かせ試験】の結果を見ていきます。全国に約百人いる聖女の中から、今回は王太子殿下と年の近い、十七歳から二十二歳の聖女を対象に鉢植えを送りました」
国王に代わって説明をはじめたのは、玉座があるひな壇のすぐ足下に控えていた宰(さい)相(しょう)である。集まった人々を見渡しながら、老齢の宰相は年齢にそぐわない張りのある声で説明した。
「鉢植えには、たくさんの花が咲く種類の木が植えられています。王城の庭で栽培されたもので、聖女たちに配った時点では、まだつぼみもついていませんでした。聖女たちには一ヶ月、祈りの力を吹き込んで、枝にたくさんの花を咲かせるように説明しています」
「祈りによってたくさんの花を咲かせた者こそ、王太子の花嫁にふさわしいということだ」
国王が朗々とした声で補足する。宰相もうなずき、扉に向けて声を張り上げた。
「それでは、聖女たちは全員、鉢植えを手にここへ整列しなさい!」
閉ざされていた扉が左右に大きく開け放たれる。
そこに集まっていたのは、聖女の制服とも言うべき白いローブを着込んだ、三十人の年若い娘たちだ。皆、白い布をかぶせた鉢植えを手にしており、緊張の面持ちで広間へと入ってくる。
全員がひな壇の前に並ぶと、国王は重々しく「布を取り去れぃ」と命じた。
聖女たちは手のひらに収まるほどの小さな鉢にかぶせていた布をそろそろと外す。完全に外す前に、すでにたくさんの花が咲いているのが見える鉢もあれば、花が二、三輪しか咲いていない鉢もあった。
国王は全員の鉢をゆっくり眺めていたが、ふとなにかに気づいた様子で目を瞠(みは)る。
「――ポーエストン侯爵家のセリーナはどこにいる」
集まった人々も怪(け)訝(げん)そうに聖女たちを見やる。
ポーエストン侯爵家出身の聖女セリーナは、王太子殿下の花嫁候補の筆頭だ。当然、鉢植えにたくさんの花を咲かせてくるだろうと、誰もが期待していたのに。
やがて、聖女たちの列の中から一人がおずおずと進み出てくる。キャラメル色のふんわりした髪に、ぱっちりと大きな緑の目をした可愛らしい少女だ。
だがその顔色は冴えない。もっと言えば、その手に収められた鉢植えの花は、ぽつぽつと数えるほどしか咲いていなかった。
「……っ」
そのため、広間は一気に驚きと困惑の空気に包まれる。
聖女の中には数え切れぬほどの花を咲かせた者もいたのに、一番祈りの力が強いと評判で、一番王太子妃の座に近いと言われていた彼女――ポーエストン侯爵令嬢セリーナが、まさかあれっぽっちしか花を咲かせられていないなんて。
「……これは、どういうことだ……!? セリーナ! そなたは幼い頃より祈りの力が強く、どんな花や野菜でも育てられると評判だったはずだ。祈りにより涸(か)れた井戸や泉を復活させたことも数知れずというのに……!!」
それだけに、国王も彼女こそ王太子の花嫁だと目をかけていたのだろう。期待外れの結果を提示されて、今にもセリーナに掴(つか)みかからんばかりに憤怒の面持ちになっていた。
「セリーナ、そなた、わざと手を抜いたな!? そうでなければ、そなたが花をそれっぽっちしか咲かせられぬなど考えられぬ!」
玉座の肘掛けをドンッと叩いて詰問する国王に、鉢植えをぎゅっと握った聖女セリーナは、ようやく顔を上げた。
「――手を抜いたつもりはありません。時間があるときにはしっかり祈りを捧げました。ですがその時間が、そもそもあまりに足りなかったのです」
セリーナの声は緊張でわずかに震えていたが、国王をまっすぐ見つめる緑色の瞳にはせっぱ詰まった光があった。
「なんだと? 時間が足りない……?」
「恐れながら、国王陛下は今、王都神殿がどのような状態にあるかご存じですか?」
一歩前に出たセリーナは必死の思いで尋ねた。
「どのような状態にあるかだと?」
「はい。今や神殿の広間や祈りの間は、多くの怪我人や病人の収容所になっています。彼らは戦場で大怪我を負い、再び兵士や騎士として働くことは不可能だからと、病院に治療を断られた人々です」
セリーナの言葉に集まった人々がざわっと動揺を見せる。国王は顔をしかめたが、セリーナはかまわず続けた。
「神殿では開戦した五年前からそのような方々をお世話してきました。わたしに限らず、神殿に勤める多くの聖女が、彼らの手当てに奔(ほん)走(そう)していました。とてもではありませんが……鉢に祈りを捧げている時間はなかったのです。あまりに怪我人の数が多くて」
セリーナの言葉に聖女の何人かはうなずき、何人かは沈痛な面持ちで国王を見やる。
彼女たちが持つ鉢植えもほとんど花が咲いていない。中には枯れかけているものすらあった。
彼女たちも鉢に祈りを捧げている暇がないほど、怪我人の包帯を交換したり、薬草をすりつぶして薬を作ったりと、寝る間を惜しんで働いていたのだ。
しかし、必死の面持ちで訴えるセリーナたちを、一部の聖女たちは「なんて無礼な」と唾(だ)棄(き)するように非難した。
「エメリア……」
「上手く花を咲かせられなかったからと言って見苦しいわよ、セリーナ。その証拠に、ほら、わたしたちの鉢植えはこの通り満開だわ」
エメリアと呼ばれた聖女と、その側(そば)にいた三人の聖女は、得意顔で鉢植えを掲げてみせる。
彼女たちの言う通り、鉢植えから伸びる硬い枝には、真っ白で小さい花が数え切れないほど咲き誇っていた。
だがセリーナはむっとくちびるを引き結び、エメリアたちに正面から対(たい)峙(じ)する。
「それはあなたたちが患者さんたちの世話を放り出して、ずっと部屋に籠(こ)もって鉢に祈りを捧げていたからだわ。怪我人の包帯を替えるどころか普段の当番も放り出して、部屋に食事まで運ばせて……! 聖女の務めは女神様の加護を国と民に還元することにあるのに!」
「王太子の花嫁を決める【花咲かせ試験】を放り出すほうがよっぽど不実だわ! 王家に真正面から楯(たて)突(つ)いているという自覚はないの!?」
一歩も引かずににらみ合う聖女たちに対し「ええい、うるさい!」と叫んだのは国王だった。
「神殿のことなど知るものか! 再び戦場に出向くことのできない兵士など、治療などせず捨て置けばいいのだ」
「そんな……! 国のために戦った者たちに対して、それはあんまりなお言葉です!」
セリーナは信じられない思いで叫ぶ。
しかし国王の言葉を受けてか、成り行きを見守っていた人々はいっせいにセリーナに非難の目を向けはじめた。
「確かに、いくら患者が待っていようが、【花咲かせ試験】が行われているあいだは鉢植えの生長に力を注ぐべきだったはずだ」
「患者たちのせいで鉢植えの世話ができなかったと言っているようにも聞こえたわ」
「なんということだ。自分の努力不足を怪我人たちのせいにするなんて」
セリーナは驚いて、思わず声を張り上げる。
「実際の患者を見れば、そのような悠長なことを言っている場合ではないとおわかりいただけるはずです! こうしているあいだにも彼らは感染症や痛みにさいなまれて、生死の境をさまよっているのですよ!?」
しかしきらびやかに着飾った貴族たちは、よけいにいやそうに顔をしかめていく。
「いやだわ、王城での舞踏会という華やかな場で怪我人の話なんて。不吉にもほどがあるでしょう」
「ましてここまで大規模な舞踏会は本当に久々だというのに、水を差すようなことを言うなんて。聖女として以前に、貴族令嬢としての心構えがなっていないわ」
集まった人々が口々につぶやくのを聞いて、セリーナはぐっと奥歯を噛み締める。
一方のエメリアたちは得意げにほほ笑んでいた。
「ほぉら、わたしの言った通り。聖女としての務め以前に【花咲かせ試験】をなおざりにするほうが、よっぽど罪深いことなのよ。その上で国王陛下に意見するなんて。いくら侯爵家の生まれと言っても許されることではなくってよ」
自身は伯爵家の生まれであるエメリアは、もともとセリーナのことをライバル視して、なにかと突っかかってくることが多かった。
だがここまではっきりと敵意を向けられたのははじめてで、セリーナは不覚にも気(け)圧(お)されてしまう。
そしてセリーナがひるんだのを見た途端に、エメリアはにやりと笑う。彼女はすかさず一歩前に出て、哀願を含んだ面持ちで国王に声をかけた。
「国王陛下、発言をお許しいただけますか? セリーナに関してお話ししておきたいことがあるのです」
「うむ、許そう」
「ありがとうございます。セリーナは先ほど患者の世話に奔走していると言っていましたが……実は、回復してきた怪我人たちと個室に籠もって、いかがわしい『行為』に励んでいるのですわ!」
「なっ……」
セリーナは驚きのあまり、あんぐりと口を開けて固まってしまった。
反論したのはセリーナではなく、彼女とともに怪我人の世話に従事していたほかの聖女たちだ。
「エメリア、いいかげんなことを言わないで! セリーナがそんなことをするはずがないでしょう!?」
「あら! セリーナが動けるようになった男たちを引き連れて、個室に入って行くのをあなたたちも見ていたはずよ! おまけに湯殿にも彼らを引き入れていたじゃない……!」
我に返ったセリーナは猛然と反論した。
「あなたが言う個室というのは調薬室のこと? そこに彼らを連れて行ったのは力仕事を頼むためよ。毎日どれだけの薬草を煎じていると思っているの? 女の力ではたいした数を作れないから、彼らに頼んで痛み止めや化(か)膿(のう)止めをたくさん作ってもらっていたの。湯殿に連れて行くのも治療の一環よ。身体を清潔に保つことは感染症を防ぐために必要なことで……!」
しかしセリーナの反論は、国王の「そなたに発言を許した覚えはない!」という言葉にさえぎられた。
「も、申し訳ありません……しかし」
「くどいぞ、セリーナ! 真実がどこにあろうと、王太子の花嫁候補と目されていながら、男どもと湯殿に向かうなど言語道断だ!」
玉座の肘掛けを再び拳(こぶし)で叩いて、国王は口角泡を飛ばしながら断じた。
すると、それまで黙っていた王太子マルコムがすっと一歩前に出てくる。
「なるほど。事前にエメリアからその話を聞いたときは、なにかの間違いかと思ったものだけど、まさか本当に男と湯殿に行っていた……なんてね。失望したよ、セリーナ」
「マルコム王太子殿下……」
セリーナは用心深く王太子を見やる。
幼い頃から聖女としての力を買われ、将来は王太子の花嫁に選ばれるに違いないと言われてきたセリーナだが……当の王太子マルコムと会話したことは数えるほどしかない。
気取った雰囲気が強いマルコムのことをセリーナは苦手としていたし、マルコムのほうもセリーナを頭のお堅い聖女と嫌(けん)厭(えん)している節があった。
その証拠に、セリーナが追い詰められている今の状況が楽しいのか、マルコムは美麗な面持ちにニヤニヤとした笑みを浮かべてくる。
「確かに我が国は性愛には寛容な文化を築いている。それもこれも我が国を創造なさった『繁栄の女神』様が、多くの土地神と肉体的に交わることで山を築き、水をあふれさせ、豊穣の大地を人間に与えたといわれているからだ。このため我が国では男女の性交は尊いものとされ、婚前交渉も当たり前のように認められている。――しかし、だ」
目元をゆがめていやらしい笑みを浮かべながら、マルコムは肩をすくめた。
「君はその祈りの力の強さゆえに、僕の花嫁として幼い頃から名を挙げられていた。それならば当然、僕に嫁ぐまで貞操を守るべきだったんだよ。市(し)井(せい)の者と違い、父親が誰かもわからぬ子供を産むわけにはいかないのだから。それなのに、二度と戦場に出られぬような兵士や騎士と交わり、楽しんでいたなんて。さすがの僕もちょっと看過できないな」
「――ですから! わたしは回復した患者たちとそのようなことをしておりません! そこにいる聖女たちも証言してくれているではないですか!」
「いずれも【花咲かせ試験】に真剣に取り組んだ様子のない聖女たちだね。それっぽっちしか花を咲かせられない力の弱い聖女たちの言葉に、力があると思っているのかい?」
冷たく言い捨てられ、セリーナは信じがたい思いに愕(がく)然(ぜん)と目を見開いた。
「彼女たちもまた、わたしと同じく患者たちの世話に明け暮れていたのです……! そんな言い方はあんまりですわ!」
「ええい、黙れ! もうそなたの声は聞きたくもないわ」
国王が我慢ならないといった面持ちで、顔の前にきたハエを叩き落とすように手を払った。
「聖女セリーナ! 王太子妃候補の筆頭でありながら【花咲かせ試験】への取り組みを怠(おこた)った罰として、王都からの追放を命じる!」
「なっ……」
「王都からの追放!?」
これには周りの聖女たちもぎょっと目を瞠って驚いていた。
通常、聖女が追放を言い渡されるのはなにかしらの罪を犯したときのみだ。ただ聖女は貴重な存在ゆえに、よほどの罪がない限りそのような憂き目に遭うことはない。
「当然よ。大切な【試験】に真剣に取り組まなかったのだから」
エメリアが勝ち誇った顔でふんっと鼻を鳴らす。
だが王都追放はさすがに重い罰だと感じられたのか、広間に集まった貴族たちもざわざわと不安そうな顔を見合わせていた。
「……ええい、余の決定に異を唱える者がおるのか!? 不届き者めが! そなたらも同じく王城への出入りを禁止してやるぞ!?」
国王がわめくと、貴族たちはあわてて口をつぐんだ。
「ポーエストン侯爵はいるか!?」
「――はい、陛下、ここに」
国王の呼びかけに応えて出てきたのは、神経質そうな顔つきの紳士だ。セリーナは思わず「お父様」と呼びかけるが、紳士のほうは彼女に目も向けない。
「親として責任を持って、その娘を地方へ連れて行け! すぐにでも実行しなければ、そなたも罪人として娘と同等の罰を与える!」
肘掛けを何度も叩きながら激(げっ)昂(こう)する国王に対し、ポーエストン侯爵は表情一つ変えずに一礼する。
「ご安心ください、陛下。わたしは娘に『国王陛下のご期待に応えるべく、将来の王太子妃にふさわしい聖女になれ』と教育してまいりました。その道が絶たれた今、この娘に親としてかけてやる恩情はございません」
「お父様……?」
「おまえのことは勘当だ、セリーナ。地方の神殿に送り届けたのち、親子の縁を切る」
「……!」
冷たく言い切られて、セリーナは息を呑む。
もともと父との仲は冷え切っていた。父侯爵は娘を将来の王太子妃にするべく、母を亡くしたばかりで憔(しょう)悴(すい)する当時五歳のセリーナを、問答無用で王都神殿に放り込んだのだ。
心細さと悲しさで泣くセリーナをうるさいと罵(ののし)り、ときには手を上げられた。聖女として一定の成果を上げなければ、母の墓参りに向かうことも許されなかったほどだ。
それだけに、勘当と言われても意外性はなかったけれど……。
(とことん娘を出世の道具としか思っていなかったということね)
今にはじまったことではないとはいえ、娘に味方する気はいっさいないという態度を取られて、さすがに胸の奥がズキリと痛む。
父が無表情に腕を掴んで、セリーナのことを引きずって行こうとした。
だがセリーナはまだ国王に言いたいことがある。必死に踏ん張った彼女は、国王に向けて声を張り上げた。
「お願いですから、神殿で苦しむ怪我人たちに心を砕いてさし上げてください! 彼らは国のために戦って傷ついた者たちです! 再び戦場に出られないなら用済みだとばかりに捨て置かないでください――!」
「この期に及んで見苦しくわめくな」
「いっ……!」
父が爪が食い込むほどにぎゅっと腕を握ってきた。容赦ない力に思わず涙が浮かぶ。
エメリアがいい気味だとばかりにこちらを見てせせら笑っている。貴族たちもまるで演劇でも見ているような楽しげな面持ちだ。
セリーナとともに怪我人の看病に当たっていた聖女たちだけが「セリーナ様!」「そんな、本当に追放なんて……!」と悲嘆に満ちた声を上げている。何人かこちらに手を伸ばすそぶりも見せたが、自分たちも同罪になることを恐れて立ちすくむばかりだ。
(なんとか国王陛下に神殿の現状をわかっていただきたかったのに……!)
お怒りを買うことは覚悟の上とはいえ、伝えたいことの半分も伝えられていない。
だが必死に踏ん張るセリーナを、王太子マルコムが「やれやれ」と困った様子で見つめてきた。
「清(せい)廉(れん)潔白を絵に描いたような君が、まさか男を引き入れて楽しむ好き者だったとはね。君のような見た目と中身がまったく違う悪女を妃にすることがなくなって、本当によかったと思うよ。心底ね」
軽蔑と嘲笑に満ち満ちた言葉に、さしものセリーナも頭が沸騰するほどの怒りを覚えたが……。
――突如、ガンッ! と硬いものがぶつかるような音が響き渡る。
その場にいた全員がびくっと肩を揺らして音の出所を振り返った。セリーナも驚いてそちらに目をやる。
そこには軍服を着込んだ一人の男性がたたずんでいた。
彼は自身の持ち物とおぼしき剣の柄を両手でしっかり握りしめて、鞘に収められた剣先を床に打ちつけた姿勢で止まっている。会場中が息を呑む気配を感じてか、彼はゆっくり顔を上げると、高らかに宣言した。
「ならば、聖女セリーナはこのわたしがもらい受ける!! こんな最悪な場所に、彼女を一分一秒たりとも置いておけるものか!!」
空気を振るわすほどの怒声に、会場中にいた全員が再び気圧されて首を縮こまらせた。
「む――き、貴様、ロエッツェイク辺境伯ではないか!」
貴族たちと同じように腰を引かせながらも、玉座にいた国王がいち早く気づいて男性の名前を呼ぶ。
国王に呼びかけられたら胸に手を当て頭を下げて挨拶するのが慣例だが、剣を手にした男性は構うことなく、広間の奥からこちらへとずんずん歩いてきた。
最初こそ怖々とした視線を彼に送っていた貴族たちだが、その正体が『ロエッツェイク辺境伯』とわかって、たちまち色めきだった声を漏らす。
「本当だわ、ロエッツェイク辺境伯様……!」
「戦場では常に前線に立って、敵軍の首級を二桁も挙げた英雄よ」
貴族たちはもちろん、聖女たちも何人か浮き足だった様子を見せる。
それも仕方がないだろう。こちらにまっすぐ歩み寄ってくるロエッツェイク辺境伯は、さらりとした金の髪に長身の、大変美麗な人物だった。
彫(ほ)りの深い顔立ちはもちろん、長い睫(まつ)毛(げ)に縁取られた紫色の瞳は、見つめていると吸い込まれそうなきれいな色をしている。
だがその表情は険しい。くちびるはぎゅっと結ばれているし、足取りからもいらだちが感じられる。厚みのある全身から立ち上る怒りの気配に、人々はあわてて彼に道を譲る有様だった。
かくいうポーエストン侯爵も肝を冷やしたようで、セリーナの腕を掴む手から力が抜ける。セリーナはあわてて父の手を振り払った。
「い、いきなり無礼ではないか、ロエッツェイク辺境伯よ。おまけに、その娘をもらい受けるだと?」
玉座の上で縮こまった国王がつっけんどんに尋ねる。辺境伯はそれに対して謝るどころか、真正面から国王をにらみつけた。
「ひっ……」
「その通り。彼女を王都から追放し、父親もまた彼女を勘当すると言うなら、聖女セリーナ殿はこのわたしがもらい受ける」
この場の誰よりも堂々と胸を張って、辺境伯は力強く宣言した。
そしてセリーナの手を取ると、なんとその場に膝をついて胸に手を当てる。驚きのあまり息を呑むセリーナに対し、辺境伯はこちらをまっすぐ見つめてきた。
その紫の瞳に吸い込まれそうな気持ちになった瞬間、彼は朗々とした声で問いかける。
「聖女セリーナ殿、このわたし、ロエッツェイク辺境伯アイヴァンと結婚していただけませんか?」
「けっこん……!?」
ひっくり返った声を上げたのはセリーナではなくエメリアだ。あんぐりと口を開けて、セリーナと辺境伯を交互に見やる。
セリーナも声を出せないほど驚いて、思わずまじまじと辺境伯を見つめてしまった。
「け、結婚ですか。わたしと……」
「はい。セリーナ殿にはわたしの花嫁として、辺境伯領に是非お越しいただきたい」
きっぱりと言い切られて、セリーナは大いにうろたえた。
「ありがたいお申し出ですが、その……」
先の戦争の英雄である彼が、追放を言い渡された自分を花嫁として引き取るなど、貧乏くじを引くようなものではないだろうか?
その懸念からうなずけないセリーナに対し、彼は彼女にだけ聞こえる声でささやいた。
「どうかうなずいてくれ。決して、あなたを悪いようにはしない」
セリーナはハッと息を呑み、辺境伯の紫色の瞳をじっと見つめた。
辺境伯のほうも目を逸らすことなく、真(しん)摯(し)な面持ちで言葉を重ねてくる。
「神殿に行き着いた怪我人たちを必死に世話していたあなたが、こんな言いがかりをつけられて追い出されるなんて。わたしにはとても耐えられないのだ。こんな場所に、これ以上あなたを置いておきたくない。うなずいてくれ。頼む」
彼はセリーナの手を握りしめながら深く頭を下げてくる。手袋越しにも伝わってくる彼の手の熱さに、セリーナは驚くと同時に、年頃の娘らしくドキドキしてしまった。
顔を合わせたばかりの彼を頼ってもいいのだろうかという気持ちはあったが……それ以上に、ここまで懇願してくる相手を無下にしたくないという思いも湧き上がってくる。
(それにわたし自身、こんな場所からは早く退場したいわ)
彼の申し出を断ったところで、針のむしろであるこの状況は変わりない。いや、きっと「辺境伯からのせっかくの求婚を断った」とさらに悪く言われかねないだろう。
そんな少しの打算を交えながらも、セリーナはぐっと彼の手を握り返した。
「……わかりました! わたし、聖女セリーナは、ロエッツェイク辺境伯様と結婚いたします!」
誰にも口を挟ませるものかという思いから堂々と返答すると、成り行きを見守っていた人々は困惑とも驚きともつかない声を上げる。
セリーナに味方してくれた聖女たちは黄色い歓声を上げ、祝福の拍手を送ってくれた。
「どうせ地方に行くのですもの。大切にしてくださる殿方に嫁ぐのが一番幸せだわ」
「おめでとうございます、セリーナ様!」
一方でエメリアは呆然と目を見開き、ありえないと震える声でつぶやく。
あっけにとられた様子の国王もじわじわと怒りを取り戻して、玉座の肘掛けをまたまた拳で叩いた。
「な、か、勝手なことを……! ロエッツェイク辺境伯! 余の許可もなく勝手なことをするでない! 余は認めぬぞ!」
だが怒り心頭に発する国王も、戦場であまたの敵将を屠(ほふ)った英雄には怖くもなんともないようだ。立ち上がった辺境伯は正面から国王をにらみつけた。
「では、彼女を報賞としていただくことにしよう。【花咲かせ試験】の結果が出たあとで勲章の授与式があったはずだ。そこでわたしは、武功を上げた者として褒美をいただく予定だったからな。その褒美として彼女との結婚の権利をいただく!」
「んな、な、なっ……!」
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