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片想いのはずが、スピード婚!? 年の差恋愛を勢いだけで乗り越えます!!

橘柚葉 / 著
小路龍流 / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2024/11/29

電子配信書店

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内容紹介

もっと、かわいい声を聞かせて――
食品会社OLの由良が片想いしているのは、男の魅力あふれる憧れの上司・宗方。勇気を出して告白するも、見事に玉砕してしまう。夢を叶えるため仕事も恋も努力してきたから、簡単には宗方を忘れられない由良。ヤケ酒の勢いでマッチングアプリを使い、悲しさを誤魔化そうとしていると、なぜか宗方から引き止められて!? 優しく押し倒され、情熱的な愛撫に抗えなくて快楽を享受してしまう。恋は終わったはずなのに……、これってもしかして憧れの上司とセフレの関係!? イケメンだけど不器用な上司と一途な乙女の極甘年の差ラブ!!

立ち読み

プロローグ


 ――どうして、こんなことになってしまったんだろう……。
 ここは、とあるシティーホテルの一室。現在、私はバスローブに身を包んでソワソワしているところだ。
 つい先程までシャワーを浴びていたため、まだ髪は少し濡れていてしっとりとしている。
「ゆっくりドライヤーで乾かせばいい」と宗(むな)方(かた)さんに言われたが、気もそぞろになってしまい、それどころではなくて慌ててバスルームから逃げ出してきたのだけど……。
 心臓があり得ないほどバクバクと音を立てていて、今にも壊れてしまいそうだと心配になる。
「ダメだ。心臓が破裂しちゃいそう……っ!」
 意図せずに呼吸が浅くなってしまう。かなり緊張しているのが、自分でもわかった。
 キングサイズのベッドに腰をかけて意味もなくバスローブの裾を指で弄(いじ)ってみるが、どうしたってシャワーの音が気になってしまう。
 誰に咎(とが)められる訳でもないのに、こっそりと水音がするバスルームの方を見る。
 ベッドルームは照明を落として薄暗くしているので、差し込んでくるバスルームの明かりが否(いや)応(おう)なしに目につく。
 それがまた、現在私が置かれている状況をありありと表しているように感じられて緊張感が増していった。
 今、宗方さんがシャワーを浴びている。これから私と男女の睦(むつ)み合いをするからだ。
 音のする方に意識が持っていかれてしまい、目を泳がせること数回。
 再び「どうしてこんなことになったのか」と自問自答し始める。
 しかし、当事者であるはずなのに、この状況に陥った経緯があまりよく見えてこない。
 わかっていることは、ただ、一つ。ずっと憧れていて、ずっとずっと大好きだった人とこれから性交渉をする。それだけだ。
 これからのことを考えると、恥ずかしくて堪(たま)らなくなる。
 居ても立ってもいられなくなって、真っ赤になっているであろう顔を両手で隠す。
 顔と目は隠れても、耳は無防備のままだ。シャワーの水音がひっきりなしに聞こえてきて、そのたびに胸の鼓動が高鳴っていく。
 やはり気になって指の隙間からバスルームの方を見てしまう。
 あの水音が止まれば、彼はこのベッドへとやってくる。そのとき、私はどんな顔をして彼を見ればいいのだろうか。
 つい先程まで、私は友人の結婚式の二次会に参加していた。そこで自棄(やけ)になって、お酒をいっぱい飲んで、それで……?
「あぁ、ダメだ! 頭が混乱してるっ!」
 頭をかきむしり、髪の毛がボサボサになってしまう。
 慌てて手ぐしで直していると、シャワーの音が止まった。途端に胸がドキッと大きく跳ね上がる。
 心臓の鼓動が大きすぎて、他には何も聞こえない。だが、どうしたって意識はバスルームから出てくる宗方さんに向けられる。
 バスルームの扉が開け放たれて、こちらにやってくる足音が聞こえた。
 スリッパの音と、おそらくタオルで髪の毛を拭いている音が近づいてくる。
 結局俯(うつむ)き加減で硬直することしかできないでいると、視界に宗方さんの足が見えた。
 今からこの部屋で、このベッドで――私は、宗方さんに抱かれる。
 夢にまで見たシチュエーションだ。だが、当初描いていた夢とはかなりかけ離れているのが悲しい。
 彼は私に同情して抱いてくれるだけ。危なっかしい部下を放っておけなくて、情けをかけてくれているだけだ。
 勘違いしてはいけない。わかっている。だけど――。
「由(ゆ)良(ら)――」
 愛の言葉はない。ただ、お互いの体温を分け合うだけの行為を、私はずっと大好きで憧れていた人とする。
「宗方さん……」
 私は、彼の逞(たくま)しい腕に導かれるように身体を近づけた。
 私たちの関係性が、今から変わる。
 上司と部下という間柄だけだったけれど、今夜からはセックスフレンド――セフレとなるのだ。
 この選択が正しいのか、正しくないのかはわからない。だけど、ただ……彼に一人の女性として見てもらいたかったのだ。
 近づく彼の唇。その感触を想像しながら、私は目を瞑(つぶ)った。


1 大好きなあの人は、今日もつれない


「あ、あの! 宗方部長っ!」
 ピョンピョンと跳ねて、人の壁の向こうにいる宗方さんに声をかける。
 だが、彼にはきっと私の声は届いていない。それほど彼の周りには人がたくさんいるからだ。
 飛び上がった一瞬だけ見える、そのご尊顔は相変わらず誰もがため息をついてしまうほど魅力的である。
 何度跳んでも人だかりの中心にいる彼には、小柄な私の姿は見えないだろう。
 跳び疲れた私は、胸の内で歯ぎしりをして人の群れを不服顔で見つめる。
 花(はな)岡(おか)由良、二十四歳。あとひと月もすれば、二十五歳になる。
 百五十五センチの小柄な身体だが、エネルギッシュだとはよく言われている。
 しかし、裏を返せば落ち着きがないということなのだと思う。気をつけなくては。
 心を落ち着かせるため、頬にかかっていた髪を耳にかけ直す。
 肩につくぐらいのセミロングの髪は、この間美容院で綺麗なオリーブブラウンにカラーリングしたばかりだ。自分的には気に入っている。
 大学卒業後、株式会社Malutaに勤め始めて、早三年目だ。
 Malutaは外食チェーンをいくつも展開している会社で、私は本社にある企画部に所属している。
 企画部はお客様のニーズに応えるべく市場調査などのデータを元に、日々色々なメニューを考案している部署だ。
 メニューの企画が通ると、商品開発部と連携を取りつつ、商品化に向けて試行錯誤していく。
 私が担当しているのはカフェ部門で、ドリンクはもちろん軽食やケーキなどを考案している。
 大学生のときにカフェでバイトをしていたことがあるのだが、マスターと相談して新メニューを作っていた。その経験を生かせて嬉しく思っている。
 勉強の日々だが、仕事が楽しくて仕方がない。
 現在、会議が終わったばかり。それなのに、どうして彼――宗方久(く)遠(おん)部長の周りにはこんなにも人がたくさんいるのか。
 その大半は仕事の判断を仰ぐためにこの場にいる人だが、残りの人間は彼とお近づきになりたくてウズウズしているのが見てわかる。
「宗方部長、今回の会議で議題としてあがった件ですが――」
「ああ、それは工場長に問い合わせを。ライン生産の場合、今のままだとかなり時間がかかる。簡易的にならないかを現場とすり合わせる必要があるから。まずは、工場長にアポを取って」
「先程指摘された改善点なのですが、工場の方に聞いて指示を仰いだ方がいいですか?」
「そうだな。だが、今回のリニューアルに伴って原材料の変更を余儀なくされる可能性がある。まずは原材料の価格変化の推移を――」
 宗方さんは次から次に投げかけられる質問に答えて、アドバイスをしていく。
 そんなふうに瞬時に反応できることが本当にすごいのだ。
 クールかつ厳しめな表情で、的確な答えを出していく。それらを聞いた周りの人間は、「なるほど」と頷(うなず)いては彼に羨(せん)望(ぼう)の眼差しを向ける。
 仕事の件で彼に話しかけていた人たちは、すぐにその場をあとにして仕事場へと向かっていった。
 だが、まだ宗方さんの周りには人が残っている。今度は彼を“男”として見ている女性たちの番だ。
 ここぞとばかりに彼女たちはアプローチを仕掛けていく。こんな場でもなければ、部長である宗方さんを捕まえる手段がないからだろう。
 他部署の人間からしたら、こうした合同会議が唯一堂々と彼に近づけるチャンスだ。
 なんとか自分をアピールしようと必死になっている様子を見て、胸の奥がジリジリと焦げていくのがわかる。
 私より綺麗で魅力的且(か)つ大人な女性たちが、宗方さんを取り囲んでいる。見慣れた光景だけれど、何度見てもジェラシーを感じてしまう。
 クールに躱(かわ)す宗方さんだけれども、「そういうところがまたかっこいい!」と彼女たちの彼への想いがますますヒートアップしていく。
 かえって逆効果なんじゃ……、と思わなくもない。かといって愛想よくして誘いを受けているのを見るのは耐えられないだろう。
 その辺りは、ほら……難しい女心というやつだ。
「これはちょっと……。話しかけるのは無理かなぁ」
 急ぎの仕事ではないが、彼に直接伝えておきたかったのに無理そうだ。
 本当はこの機会に少しでも話すことができたらな、という下心がある。
 結局は、現在彼を取り囲んでいる女性陣とさほど変わりはないということだ。
 小さく嘆(たん)息(そく)したあと、人だかりをもう一度見つめる。
 ――あとでメールをして伝えることにしよう。
 バインダーをギュッと抱きしめ、この場から離れようとしたときだ。
 花岡、と私を呼ぶ声が聞こえて慌てて立ち止まった。
 振り返ると、「ちょっと待っていて」と言って宗方部長が手を上げて私を引き留めてくる。
 今もまだ彼にアプローチをしようとしている女性たちに「悪いが仕事中だ。プライベートのことは答えない」と言ったあと、彼女らの壁をかき分け、こちらに近づいてくる。
 あれだけ彼女たちの声は大きかったのに、私の声が聞こえていたのだろうか。
 ビックリしすぎて硬直していると、彼はニコリともせずに問いかけてくる。
「何かあったか、花岡」
 その声でようやく我に返り、慌てて持っていたバインダーを手渡す。
「あの、この前うちの部署に来たときにお願いされていた資料です。データとしても見ることができるようにあとでメールさせていただきます」
 私が渡した資料をパラパラとめくったあと、彼はバインダーを閉じた。
「ああ、ありがとう。助かった」
 それだけ言うと彼はバインダーを持ち直し、私に背を向けて離れていく。
 そして、彼はその足で私の直属の上司でもある企画部の部長、青(あお)木(き)さんの元へと行ってしまった。
 こうなったら誰も邪魔はできないということは、皆が皆暗黙のルールとして心得ているのだろう。
 これ以上ここにいても成果はないと判断した女性たちは、蜘蛛(くも)の子を散らすように退散していった。
 その様子を唖(あ)然(ぜん)として見つめたあと、誰にも聞かれないような小さな声で呟(つぶや)く。
「……つれない。つれなさすぎるよぉ」
 昔と比べれば、会う回数は増えたはずなのに。どうしてこうも距離が縮まらないのだろうか。
 各部署の合同会議が終わり、後ろ髪を引かれる思いで会議室を出ようとする。
 気になるあの人――宗方さんの姿に視線を向けたが、彼はこちらを見向きもしない。ガックリときてしまう。
 少しぐらい気にしてくれてもいいのに。そんな愚痴を言いたくなってしまうのも仕方がない。
 彼と私はこの会社で出会った訳ではなく、違う場所で出会っていて知人という間柄なのだから。
 だが、彼はそんな昔のことなどすっかり忘れたように接してくる。あまりに素っ気ない。
 それがものすごく寂しくて切なくなってしまうのだ。
 今も青木部長と真剣な顔で先程終わった会議内容を煮詰めていて、首を突っ込む隙など見当たらない。
 下っ端である私は、もうお呼びではないのだ。
 そのことに落胆しながら、スゴスゴと会議室をあとにする。
 しかし、今日も宗方部長は素敵だった。素敵すぎた。
 いつもは遠くで見つめるだけしかできないのに、今日は間近で、それも直接声をかけられたのだ。なんてラッキーだろうか。
 思わず鼻歌でも歌いたくなるほど浮き立ってしまう。
 宗方久遠さん、三十八歳。商品開発部の部長で、私の想い人でもある。
 精(せい)悍(かん)で男らしい顔つき、スラリとした体躯。耳が恋してしまうほどの美声。
 どのパーツを取っても完璧だと言わしめるほどの男性だ。
 二十四歳の私とは十四歳差あり、一回り以上年上ではある。だが、そんな年齢差など吹き飛ばしてしまうぐらい魅力溢れる人だ。
 男の色気ダダ漏れなイケオジである宗方さんは、社内の女性社員たちの憧れの的。
 そんな彼は未だに独身で、結婚歴はない。だからこそ、彼を狙う女性があとを絶たない状況が続いている。
 今年入社したばかりの女性社員たちが「宗方部長、素敵!」と口を揃えて言っていたのを聞いている。
 噂によると、かなり本気で狙いにいこうとしている新入社員がいるらしい。
 新卒の女子も虜(とりこ)にしてしまうなんて、宗方さんは本当に罪作りな人である。
 だが、それも仕方がない。あんなに素敵で大人な男性が目の前にいれば、誰だって夢を見てしまうだろう。
 仕事ができて、容姿も抜群。ビジネスの場ではとても厳しいけれど、部下のフォローはすかかさずしてくれる。
 クールだが、面倒見がいい。そんな優しさを秘めている宗方さんのことを好きになってしまうのは必然だろう。
 もちろん私より年上の女性社員たちも、彼の妻の座を虎(こ)視(し)眈(たん)々(たん)と狙っている。
 彼に告白をする人が続出中だが、その分だけ彼に振られたという話もよく耳に入ってくる。
 どれほどの美人でも、才女でも、名家のお嬢様でも振られるというのだから驚きだ。
 彼の女性に対する理想は高いのかもしれない。そんな噂も絶えず流れている状況である。
 それがわかっていて、自分の気持ちを告げることなどできない。
 尻込みをし続けて、早四年目に突入。私は今も宗方さんに片想い続行中だ。
「なんか一生告白ができない気がしてきた……」
 魅力的な大人の男性で引く手あまたな宗方さん。対して私は特に秀でた能力がある訳でもない、ごく普通のOL。
 仕事は頑張っているので、それなりの評価はもらっていると思う。
 だけど、プライベートの自分は結構危なっかしく落ち着きがないと言われてしまうことが多い。
 もっと落ち着いた大人な女性になって、宗方さんの隣に立ってもおかしくない人間になりたい。
 そう願うのだけど、年の差が十四ある時点で、その希望はもろくも崩れ去ってしまう。
 自分は彼に似合わないのだと現実を突きつけられるのだ。
 そんな堂々巡りな考えに囚(とら)われてしまい、手も足も出ない自分がいる。
“私なんか”というネガティブな言葉は大嫌いで、極力使わないようにしていたい。
 でも、宗方さんの件に関してだけは、どうしてもこの言葉が出てしまう。
 結局、私は意気地なしなのだ。
 彼に自分の気持ちを告げて振られてしまったら、今までの関係性まですべてなくなってしまうかもしれない。
 それを想像したら、どうしたって二の足を踏んでしまう。
 一度足を止め、今し方出てきた会議室を見つめる。
 通路に出てきたので、もう彼の姿を見ることはできない。だが、扉は開けっぱなしのままなので、彼の声が微かに聞こえてくる。
 その魅力的な低い声を聞き、また胸がトクンと一つ大きく鳴った。同時に切なくなって胸が苦しくなる。
 痛む胸を労るように手で触れ、盛大にため息をつく。
 企画部のオフィスに向かおうと思っていたが、予定変更だ。
 休憩を入れようとリフレッシュルームへと向かう。
 今日中にやらなければならない仕事がある。新たな課題を指摘されたので修正作業をしなければならないのだ。
 しかし、こんなふうに心がザワザワしたままでは、仕事にはならないだろう。休憩が必要だ。
 リフレッシュルームにやってくると、何人かの社員が利用していた。
 人がいない隅っこのカウンターへと近づくと、スツールに腰かける。
 社屋の建物と工場の間には、目にも優しい緑が生い茂っていた。
 少し前までは桜の花びらがはらりはらりと舞い散っていたが、今はもう桜のピンクは見当たらない。
 すっかり葉桜になってしまった木々を見つめて、季節が着実に夏へと向かっているのを実感する。
 昨夜から降り続いていた雨は葉を濡らし、梅雨のわずかな晴れ間の光を浴びてキラキラと輝いていた。
 カウンターで頬杖をつき、誰にも気づかれないようにこっそりと息を吐き出す。
 仕事はとても充実していて、何一つ文句などない。
 職場環境にも恵まれているし、希望していた部署に配属もされた。
 思い描いていた社会人生活を全うできていると言ってもいいだろう。しかし――。
 私は再び息を吐き出した。今度は人目も気にせず大きなため息をつく。
「仕事は順調そのものだけど、ラブがねぇ……」
 恋愛に関してはなかなか進展していかない。それどころか、後退している気がしてならないのだ。
 現実を知れば知るほど尻込みしてしまう現状にため息しか出てこない。
 私の想い人である宗方さんとは、大学生の頃にバイト先のカフェで知り合った。
 カフェのマスターと友人関係である宗方さん、そしてそのカフェで働くバイトの私。
 不定期でしか宗方さんに会えなかった頃を考えると、今は努力をすれば姿を見ることはできる。
 しかし、残念ながら見るだけで話しかけられないのだけど……。
 物理的な距離は、あの頃と比べればぐんと近づいたと言えるだろう。
 だが、心の距離が遠ざかってしまったように思えてならない。
 それも仕方がないのだとは思う。この会社にいる間は、私と宗方さんは上司と部下という関係だ。
 配属されている部署も違うし、接点は限りなく少ない。先程のような定期的に行う合同会議ぐらいだろう。
 そのときに顔を合わせることはできるが、プライベートな話をする時間もなければそんな雰囲気でもない。
 心と心の距離が遠い。それを実感して、どうしようもなく悲しくなってしまう。
 カフェでバイトをしていた頃と比べたら、本当に距離ができてしまった。
「同じ会社に就職できたって知ったときは、すごく嬉しかったのになぁ」
 現実はとっても世知辛い。私はもう一度深くため息を零(こぼ)しながら、宗方さんと出会った大学生の頃からここまでのことを思い出した。


2 好意が恋に変わるのは運命


 大学三年生の冬。私は大変困った事態に追い込まれていた。大学の同級生に交際をしつこく迫られているのだ。
 その男性――矢(や)満(ま)田(だ)くんは私の姿を見かけると、走って近づいてきては口説いてくる。そのことに辟(へき)易(えき)していた。
 しっかりと断っているのだが、彼はなかなか諦めてくれないのだ。
 今日の昼、サークルの書類を提出するために大学に行ってきたのだが、そこでも矢満田くんに見つかってしまい散々な目にあった。
 同じサークル仲間として穏便に断ったのだけど、ここまでしつこく迫られるのならば何か対策をしなければならないかもしれない。
 彼への対応にほとほと困りながらも、なんとか振り切ってきたのだけど……。
 大学を飛び出し、最寄り駅から地下鉄に乗り込む。そして、午後三時からシフトが入っているためバイト先のカフェにやってきた。
 このカフェでバイトをし始めたのは、ちょうど一年前ぐらい。大学二年生の頃だ。
 基本は接客をしているけれど、時折マスターと一緒になって新メニューの開発にも携わっている。
 それがとても楽しくて、将来は食品関係の会社へ就職して商品開発とか企画をしたいと思っているのだ。
「お疲れさまです、マスター。遅くなってすみません」
「いやいや大丈夫。まだ、シフト前だよ。それより悪いね、急にバイト頼んじゃって」
「大丈夫ですよ! すぐに準備してきますね」
 いつもより到着が遅めになってしまったのは、矢満田くんのせいだ。
 彼が私にしつこく付きまとってきたから、彼を巻くのに時間がかかりすぎてしまった。
 彼に対して悪態をつきながら、すぐさま更衣室で制服に着替える。
 なんとかシフトの時間に間に合ったことにホッと安(あん)堵(ど)しつつ、いつも通り仕事に勤しむ。
「バナナがなくなってしまったから、すぐそこのスーパーに買い出しに行きたいんだけど。由良ちゃん、店番を頼めるかい?」
 スーパーは、このカフェから徒歩五分の場所にある。それぐらいの時間なら一人で店番をしていても大丈夫だろう。
「はい、大丈夫です」
「すぐに戻ってくるから。何かあったら連絡ちょうだい」
 そう言ってマスターは手にしていたスマホを私に見せてきた。
 了解です、と笑うと、マスターはエプロンを外して裏口から出て行く。
 マスターを見送ったあと、シンクに溜まっていた洗い物を片付け始めた。
 しかし、ふとした瞬間、どうしても思い出してしまうのは矢満田くんのことだ。
 仕事をすることで気を紛らわせていたのだが、脳裏にチラついて思わずため息が出てしまう。
 それを払(ふっ)拭(しょく)するために頭を振っていると、ドアベルの音がした。
 私はいつものように来店したお客様に元気よく声をかける。
「いらっしゃいませ……っ」
 だが、すぐに息を呑んだ。予期せぬ来客が現れたからだ。


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