書籍詳細
初恋の人と結婚することになりましたが、英雄となった彼は五年後に離婚するつもりらしい ―王女と軍神―
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2024/11/29 |
内容紹介
立ち読み
序章 出会い
恋の始まりは、十歳の時だった。
当時、リスティアは退屈の中に生きていた。
生まれつき体が弱いため、一日の大半はベッドの上で過ごさなければならない。
外の空気が吸いたくても、部屋の中を歩くだけで息切れをしてしまうから散歩も難しい。
室内でできる娯楽といえば編み物や読書くらいで、それさえもすぐに疲れてしまう。
父のエディアルトや兄のアドルフは、時間を見つけては顔を見に来てくれるけれど、国王と王太子である彼らと共に過ごせるのは日に一度がやっと。家族と過ごす時間はとても楽しい反面、二人がいなくなった後は寂しくてたまらなくなる。
(……どうして私はこうなんだろう)
礼儀作法や国の歴史、語学に音楽。王女として必要な教育は全てベッドの上で受けている。
でも、どれだけ勉強したところでこんな体ではなんの役にも立たない。
寝て、起きて、寝て……の繰り返し。
物語を読んでいる時だけはどこまでも自由に旅ができるのに、現実のリスティアは籠(かご)の中の鳥のように狭い世界の中で漫然とした日々を送っている。
しかしある日、そんな退屈な日々は終わりを告げた。
「お、王女様にご挨拶申し上げます。コンラッド商会長、ロバート・コンラッドの息子のジルと申します!」
それが、ジルとの出会いだ。
侍女に連れられてやってきたジルの第一印象は、真っ黒な男の子。
当時のリスティアの知る異性といえば父や兄、従兄弟くらいのもので、彼らはそろって金色の髪や、緑や琥珀色などの鮮やかな瞳をしていた。
だからだろうか。
髪も瞳も夜空のように真っ黒な少年を前に、リスティアはまじまじと見入ってしまった。
「綺麗……」
そんな賛辞が口をついて出るくらい、少年の姿は十歳の少女の目に魅力的に映ったのだ。しかしその直後、ただでさえ全身を強張らせていた少年の顔は一気に真っ赤に染まった。
「きれっ……!?」
「あ……ごめんなさい、男の子に『綺麗』なんて失礼でしたね」
謝罪すると、少年は一転して青ざめ「王女様に謝罪させてしまった……」と体を小刻みに震わせ始めた。あまりに忙(せわ)しないその様子にリスティアは侍女に椅子を用意するように頼んだが、今度は「王女様の目の前に座るなんてとんでもない」と頑なに座ろうとしない。
(このままだと倒れてしまいそうだし……)
リスティアは悩んだ末にあえてこう言った。
「私は気にしないので座ってください。ええと……これは命令、です」
命令。
これに少年はビクッと体を震わせ、慌てたように腰を下ろした。その動きが猫のように俊敏なものだから、リスティアはつい噴き出してしまった。
当時十歳の王女は知らなかったが、コンラッド商会は代々ガインブルグ王室御用達も務める国一番の大商会で、二代前の当主は一代貴族として貴族大鑑にも名を連ねていた名家である。
加えてジルの父親のロバートはエディアルトと同い年で、学生時代は身分を超えた友人同士だった。
今でも二人の付き合いは「国王」と「商人」として続いており、コンラッド商会は月に一度の頻度で王宮を訪問していた。
それまではロバートと数人の従者だけであったが、この度、一人息子のジルが正式に王都の店で見習いになることが決まった。
今後は後継ぎとしての勉学と経験のため、ジルもロバートと共に王宮に上がることになったのだ……と教えてくれたのは、ジルをリスティアのもとに連れてきた侍女だった。
「陛下と父がお話している間、俺――じゃない、私は王女様のもとへ行くようにと命じられました。私は、幼い頃より祖父に連れられて大陸中を旅してきました。それをお聞きになった陛下が、王女様のお話し相手を務めるように……と」
こういった場には慣れていないのか、ガチガチに緊張して慣れない敬語や一人称を使おうとする姿に自然とリスティアの表情は綻んだ。明らかに自分より年上の男の子が一生懸命な姿を見ていると、微(ほほ)笑(え)ましい気持ちになったのだ。
「すみません……こういうのは初めてで、その、うまく話せなくて……」
今にも卒倒しそうな少年に、幼いリスティアはそっと助け舟を出すことにした。
「甘いものはお好きですか?」
「え……?」
「それとも、お嫌い?」
「いえっ、あの、好きです!」
「それならよかった。そろそろお茶の時間にしようと思っていたんです。よかったら一緒にケーキを食べながらお話しませんか?」
「へ……?」
「私は王宮から出たことがないので、あなたさえよければお話を聞かせてください」
「俺が、王女様と、お茶……?」
ぽかんと惚ける姿はどこか幼く見えて、リスティアは耐えきれずにクスッと笑ってしまった。緊張と驚きでもはや敬語も畏まった一人称も忘れた少年に、たまらなく心をくすぐられたのだ。
初めはケーキが喉を通らない様子だったジルも、時間が経つにつれて緊張がほぐれていったようで、言葉を選びながらも王女の話し相手を務めてくれた。
その中で、リスティアはジルについて色々なことを知った。
彼が三歳年上の十三歳であること。
今までは前商会長の祖父と「仕入れ」という名のもと大陸中を旅してきたこと。
これからは王都の商会本部に常駐する父のもとで、一人前の商人になるべく見習いになることが決まったこと――。
話を聞きながら、リスティアはあることに気づいた。
ジルからは、リスティアが憧れてやまない「外」の匂いがする。
彼の迎えがやってきたのは、話し始めてから一時間ほど経った頃だった。
「――それではこれで失礼します」
「待ってください」
退出しようとする彼を呼び止め、リスティアは言った。
「また遊びに来てくれますか?」
「それ、は……」
「父には私からお願いします。ですから、今度はあなたの旅の話を聞かせてください」
幼いながらもリスティアは確信していた。
――彼との出会いは自分の何かを変えるだろう、と。
何より、もっと知りたいと思ったのだ。
夜空のように美しい色を持つ少年の口から語られる、自分の知らない外の世界を。
「だめ……ですか?」
その声があまりに必死だったからだろう。
ジルは目を見開いたのち、小さく微笑んだ。
「……俺なんかの話でよければ、喜んで」
その晩、リスティアは彼のことを考えてなかなか眠りにつくことができなかった。
これが、のちに英雄と呼ばれることになる少年とリスティアの初めての出会いである。
一章 傭兵王の帰還
至上の宝と称される王女がいた。
リスティア・ローヴェ・ガインブルグ。
ガインブルグ国王が掌中の珠のごとく溺愛する王女。
そして、絶世の美女として大陸中に名を轟(とどろ)かせる娘の名でもある。
ガインブルグ国王に娘がいることは知られていたが、その姿を見たことがある者はごくわずかに限られた。王女は幼い頃から病弱であり、国王がことさら大切に扱っていたからだ。
その存在が広く世に知られるきっかけとなったのは、今から五年前。十七歳で成人を迎えたリスティアが、自身の誕生パーティーで初めて公式の場に姿を現した時である。
パーティーに出席した外国の大使はリスティアを女神に例え、「彼女を前に目を奪われない者がいるのなら、その者は人の心を持たないのだ」とまで言ってのけた。
事実、彼女は美しかった。
艶やかな白銀の髪、雪のように白く滑らかな肌。澄んだ菫(すみれ)色の瞳。
すっと通った鼻筋に、紅を差さずとも赤く色づくぷっくりとした唇。精巧な人形のように完璧な配置をした顔。そして、細身ながらも女性らしいまろみを帯びた体。
初めてリスティアを見た者は例外なく金縛りにあったように目を見張り、熱を帯びた視線を向ける。
リスティアは初め、その視線に恐怖を抱いた。しかし、そう時を経ずして恐怖は無関心に変わった。
(見たければいくらでも見ればいいわ。減るようなものではないもの)
そのような境地に至るほどに、成人後のリスティアは常に注目を浴びていたのだ。
容姿を称賛される度にリスティアは思った。
(……美しさが何になるというの)
綺麗な顔では空腹は満たせないし、怪我は癒せない。
お腹が空いた時に必要なのは食料で、傷病者に必要なのは適切な治療だ。
そして国民がそれらを必要とした時、リスティアは彼らを救えない。
王族は国や国民のために存在するにもかかわらずだ。
王女の名に恥じない教養を身につけた自負はある。
民の中でも特に弱い立場にある孤児や未婚の妊婦のために、私財を投じて孤児院や救貧院も建設した。
可能な限り慰問や視察にも赴いている。
それでも、国王としての重責を担う父や、次代を継ぐ王太子の兄には遠く及ばない。
リスティアが他人より秀でているのは外見だけだ。
そして、それを手に入れたいと望む男は多くいた。
政略結婚こそが自分が唯一国のためにできることだと思っていた。
しかし、縁談は国内外から数多来ているにもかかわらず、亡き妻によく似た娘を溺愛する父王はそれらをことごとくはね除けた。
リスティアは、今年二十二歳になった。
兄のアドルフ王太子が十七歳の頃には、すでに西の隣国ウィールの王女との結婚が決まっていたことを思えば、リスティアに婚約者がいないのは不自然すぎた。
「そなたの結婚が決まった」
だからこそ父である国王からそう告げられた時、「ついにその時が来たか」と思った。
ようやく自分も王女としての務めを果たせると、肩の荷が下りた気さえした。
「お相手はどなたですか?」
内々に国王の執務室に呼び出されたリスティアは笑顔と共に問う。
すると、淡い金髪を撫で付け琥(こ)珀(はく)色の瞳をした壮年の男――ガインブルグ国王エディアルトは目を見張り、娘を見返した。
「驚かないのか?」
「むしろ、やっとその時が来たと安堵しております」
素直な感想を述べると、エディアルトは眉を下げて黙り込む。まるで娘を憐れむような表情にリスティアは目を瞬かせた。
(言うのをためらうような人なのかしら?)
口が重いエディアルトの様子を見る限り、喜ばしい相手ではなさそうだ。
父のその気遣いは嬉しく思うが、それはリスティアにとっては不要なものだ。
――心は、すでに「彼」に捧げた。
過去も未来も、リスティアはただ一人の男以外は愛せない。
(彼以外なら、誰が相手でも同じだもの)
だからこそ、結婚するのであれば政略結婚がいいと常々思っていた。
初めから互いに愛がないとわかっていれば、夫に対して罪悪感を抱かずに済む。
「どなたが相手でも受け入れる覚悟はできております」
笑みを浮かべる娘にエディアルトは重い口を開いた。
「そなたの相手は貴族ではない。平民の男だ」
「え……?」
誰でもかまわないとは思っていたが、仮にも王女である自分の相手が平民なのは予想外だった。
ガインブルグの長い歴史を紐解いても、過去、直系の王女で平民と結婚した例は一度もなかったはず。
「結婚相手の名前は、ジル。――噂に聞こえた傭兵王だ」
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