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落ちこぼれ王女の王命婚 ~初恋の騎士は内気な姫を離さない~

なかゆんきなこ / 著
カトーナオ / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2024/12/20

内容紹介

やっと捕まえた。私の姫君
植物栽培が得意なカティーナは、王女に相応しくない自分に引け目を感じていた。想い人の近衛騎士レナルドにも話しかける勇気はなく、陰から見守るばかり。ある日舞踏会でカティーナは休憩用のベッドで眠るレナルドを見つける。引き寄せられるように近づいた彼女は、なぜかレナルドにベッドへと引き込まれ、心地好さにそのままうっかり眠ってしまう。その姿を発見され、責任を取れという王命によりレナルドとカティーナは結婚することに。しかしレナルドには、以前から想う相手がいるという噂があった。「あなたが愛おしくてならない」レナルドにとって望まぬ結婚のはずなのに、毎日甘く愛されて……。策士な初恋の騎士×内気な王女の溺愛包囲網。

立ち読み

     一


「今日は絶好の畑仕事日和(びより)ね」
 袖をまくった腕を目の上にかざし、爽やかに晴れ渡った空を見上げ、カティーナはにっこりと微笑んだ。
 時は初夏の昼下がり。この季節にしては少々気温が高いものの、時折吹く風が暑さを和(やわ)らげてくれる。また空には雲一つ見当たらず、急な雨に悩まされることもないはず。
 まさに、畑仕事にはうってつけの好天であった。
「さて。お空のご機嫌が良いうちに作業を終わらせなくっちゃ」
 カティーナの足元には、ふかふかに耕された黒土が広がっている。
「今日からは、ここがあなた達の新しい寝床よ」
 彼女はその場にしゃがみ込み、傍(かたわ)らに置かれた苗達に話しかけた。
(こちらとは気候の違う国の植物だし、ちゃんと育てられるか心配だったけれど、無事にここまで成長してくれてよかったわ)
 ようやく畑に植え替えられるまでに育った苗達は、カティーナが採種から携わり、世話してきた薬草だ。青々とした葉を茂らせた彼らは、これから畑の土に根を張り、さらに成長していくことだろう。
 そしていずれは薬となり、多くの人々の助けとなる。
 その一端を担えることを、カティーナは心から誇らしく思っていた。
 ここは大陸の南東に位置するメイスフィールド王国の中心、王宮の裏手にある薬草園である。メイスフィールド王国は自然に恵まれ、実り多い大地と交易の要(かなめ)たる港を有した豊かな国だ。また近年になって医術や薬学の研究に力を入れ、多くの成果を上げていた。
 それを象徴する広大な薬草園は、王宮の後背にそびえる山の斜面を利用して造られている。
 ここで生み出された薬草をもとに多くの薬が作られ、人々の傷や病を癒(いや)していた。
 緩(ゆる)やかな勾(こう)配(ばい)に沿って多種多様な薬草が植えられている王宮の薬草園では、野良着姿の専属庭師達が働いている。
 そんな彼らに交じって畑仕事に勤しむカティーナも、動きやすさを重視した簡素な深緑色のエプロンドレスを身にまとっていた。少し癖のある長い黒髪は作業の邪魔にならないよう一つに結いまとめ、日よけの麦わら帽子を被っている。
「ふふふっ。このまるっとした葉っぱ、なんて可愛いのかしら」
 帽子のつばが作る影の下、澄んだ水面を思わせる青い瞳は喜びに輝き、薬草の苗を愛おしげに見つめる。わずかに上気した頬はほんのり桃色に色づいており、彼女の愛らしい顔立ちに花を添えていた。
「こんなに可愛らしい上に、煎じれば副作用の少ない痛み止めの薬になるんだもの。あなたはとっても素敵な子だわ」
 カティーナは柔らかな薬草の葉を撫(な)で、語りかけながら、苗を畑に植えていく。
 根を傷つけないように、そっと。その手付きは、熟練の庭師のごとく危なげない。
 そうして一列ほど苗を植え付けたところで、カティーナは「ふう」と小さく息を吐いた。
 南向きの斜面には、燦(さん)燦(さん)と日の光が降り注いでいる。
 麦わら帽子で日差しを遮ってはいるものの、ずっとしゃがんで作業をしていると熱が籠(こも)り、じんわりと汗ばむ。カティーナの白い頬にも、つうっと汗が伝った。
 彼女は土に汚れた手の甲で、汗をぐいっと拭う。
 土のついた手で触ったせいで顔も汚れたが、カティーナは気にせず再びスコップを握り、苗を植える穴をせっせと掘り始めた。
 もし事情を知らない人間が彼女を見たら、メイスフィールド王国では女性も庭師として働いているのかと驚くだろう。
 しかし男ばかりの庭師達に交じって畑仕事をしているカティーナは、庭師ではない。
 彼女のフルネームはカティーナ・エルル・メイスフィールド。国名と同じ姓を持つ、この国の第三王女だ。
 カティーナは二人の兄と二人の姉を持つ五人兄妹の末っ子で、先月の初めに十八歳になったばかり。兄妹の中で一人だけ母親が違い、兄姉達は王妃の子だが、カティーナは国王の愛(あい)妾(しょう)が生んだ娘である。
 元々は王宮で下(げ)女(じょ)として働いていた平民の母は、その可憐な美しさと優しく穏やかな気性を国王に見(み)初(そ)められ、愛妾に迎えられた。しかしカティーナが三つの年に流行り病に罹(かか)り、若くして亡くなっている。
 母親の死後、カティーナは王妃のもとで養育された。王妃は夫が愛妾に産ませた娘を厭(いと)うことなく、実の子達と分け隔てなく愛情をもって育ててくれたので、カティーナも義母である王妃のことをもう一人の母と慕っている。また腹違いの兄姉達も、末っ子のカティーナをとても可愛がってくれた。
 だが、平民の血を引く第三王女を蔑(さげす)む貴族は多い。
 そういった者達の厳しい視線や心無い陰口に晒(さら)されて育ったカティーナは、元々の内気で引っ込み思案な性格と相まって、人前に出ることを苦手としていた。
 そんな気性もまた王女らしからぬと非難されたが、誰よりもカティーナ自身が、自分は王家の姫として相応(ふさわ)しくないと思っている。
 とても優秀で、かつ王妃に似た華のある美形揃いの兄姉達と比べると、自分の容姿はひどく地味に思えるし、能力も平凡だ。
 いや、平凡どころか何につけ不器用で、女性のたしなみである裁縫も楽器の演奏もダンスも上手くこなせず、社交も大の苦手である。また、すぐに顔が赤くなってしまうのも、コンプレックスに感じていた。
 しかしそんな彼女にも、たった一つだけ特技と誇れるものがある。
 それは、『植物を育てること』だ。
 カティーナが植物栽培の楽しさを知ったのは、六歳のころ。
 当時、彼女はとある出来事が原因でとても沈んでいた。その件で元々あった赤面恐怖症と引っ込み思案に拍車がかかったカティーナは、人前に出ることをさらに怖がり、自室に引き籠って泣いてばかりいた。
 すると打ちひしがれる義娘(むすめ)を見かねた王妃が、花の種をプレゼントしてくれたのだ。綺麗な花を見れば心が明るくなるし、植物の世話をすることで気も紛れるだろう、と。
 一緒に贈られた植木鉢は可愛らしく、カティーナの興味をそそった。
 また王妃は、この種がなんという花のものなのか教えてくれなかった。
『育ててみてからのお楽しみよ。花が咲いたら、自分で調べて、花の名前を当ててみなさい』
 そして、こうも言った。『あなたが世話をしなければ、この種は花を咲かせることなく枯れてしまうでしょう』と。
 幼いカティーナは、この名も知らぬ花を枯らしたくないと思った。綺麗に咲かせてやりたい。そのために、毎日ちゃんと世話をすると王妃に誓った。
 植物を、それも種から育てるなんて初めての経験だったので、本を読んで勉強をしたり、王宮の庭師達に話を聞いて回ったりもした。
 そのころにはもう涙も引っ込み、自室に籠ることもなくなっていた。王妃の思(おも)惑(わく)通り花の世話に夢中で、落ち込むどころではなくなっていたのだ。
 そして数ヶ月が経ち、成長した種はとても綺麗なオレンジ色の花を咲かせる。
『わああ……』
 まるで太陽のような花だと、カティーナは思った。暗く沈みがちな心を照らしてくれる、温かな花だと。
 この時の、全身がわっと湧き立つような感動を、カティーナは今でも鮮明に覚えている。
 オレンジ色の花を咲かせたこの植物の名は、カレンデュラ。カティーナは図鑑をひもとき、自分が育てた花の名と薬効を知った。
 カレンデュラの花は古くから皮膚の疾患に効くとされ、薬用のクリームやオイルの材料に用いられてきた。なんでもカレンデュラを使ったクリームには、軽い傷や火傷、虫刺されや打撲、皮膚の炎症を癒す力があるのだという。
『すごい……』
 不器用な自分でも、こんなに綺麗な花を咲かせることができた。
 そしてこの花はただ美しいだけでなく、優れた薬効を持っている。
 そこに小さな自信と大きな喜びを感じたカティーナは以後、植物――とりわけ薬草の栽培にのめり込んでいく。
 植物を育てるのは楽しい。時に失敗することもあったが、こちらが手をかければかけただけ、応えてくれる。同じ種を育てても、土の質や与える水の量、日照条件によって成長に違いが出るのも面白かった。
 また、ダンスや楽器演奏のように人前で披露しなくていいという点も、恥ずかしがり屋のカティーナにはぴったりだった。
 そうして彼女は今も、自分の趣味が少しでも人の役に立てるようにと、薬草の栽培に力を入れている。
 高貴な姫君でありながら土いじりや畑仕事を好むカティーナのことを、やはり「これだから平民の血を引く娘は」と馬鹿にする者もいるけれど、幸いにして家族は末娘の趣味を理解し、自由にさせてくれていた。
 王宮の裏手にあるこの薬草園も、元は国王が愛(まな)娘(むすめ)のために造らせた小さな薬草畑が始まりだ。
 薬草畑を与えられたカティーナはますます植物の栽培に打ち込み、熱心に学び、研究し、優れた才能を発揮していく。
 人工的に育てるのは難しいと言われていた希少な薬草の栽培方法をいくつも確立させ、薬草畑の規模を拡大させていったのだ。
 実を言うと、メイスフィールド王国が近年になって医術や薬学の研究を発展させてきた背景には、彼女の生み出す薬草が大きく関わっている。
 だからこそ王家は、カティーナが年頃になってもこれまでと変わらず、土にまみれて薬草を育てることを容認しているのだ。いや、むしろ推奨していると言ってもいい。
 薬学や医術の研究者は、カティーナが育てた薬草の出来を口々に誉めそやし、彼女の才能を讃(たた)える。また両親や兄姉も、カティーナはこの国の宝だと言ってくれた。
 しかし本人にそこまで大それたことをしている自覚はなく、薬草の大量栽培に成功したのは手を貸してくれた庭師達の功績であり、自分の力は微々たるものだと思っている。
 そして、微力ながら自分が唯一誇れる特技で、家族やこの国の役に立てることを嬉しく感じていた。
 それに、美しいドレスで自身を飾り立てて苦手な社交の場に出るより、こうして土に触れ、大好きな植物達と接している方がずっと楽しいし、やりがいがある。
(土いじりが唯一の趣味だなんて、我ながら、本当に王女らしくないわね)
 口さがない者達が、自分を馬鹿にする気持ちもわかる。
(私は王女ではなく、農民の娘に生まれるべきだったのかもしれないわ)
 これまで何度、そう思ったかわからない。
 けれど、らしからぬとはいえ王女だからこそ、王宮の薬草園に出入りすることを許されているのだと思えば、王族として、せめて少しでも人の役に立たねばと気持ちも引き締まる。
 そんなわけで、彼女は今日もせっせと薬草の育成に励むのだった。
「――姫様ぁ~! カティーナ姫様~!」
 あと少しで用意していた苗を全て植え替え終わるというころ、薬草園に第三王女付きの侍(じ)女(じょ)コニーが駆け込んできた。
 茶色い髪に同色の瞳、愛(あい)嬌(きょう)のある顔立ちをした彼女はカティーナと同じ十八歳で、ケアード男爵家の三女。十二の歳から傍(そば)付(づ)きとして仕えてくれている、カティーナにとっては幼馴染のような存在だ。
「そろそろ近衛(このえ)騎士団の公開訓練が始まりますよ~! お支(し)度(たく)のことを考えたら、もうあまり時間がありませんよ~」
「あっ」
 言われて、カティーナは思っていたより時間が過ぎていたことに気づき、はっとする。
 予定ではもっと早くに作業を終え、自室に戻っているはずだったのだ。
 急がないと、公開訓練に間に合わなくなってしまう。
「ごめんなさい、コニー。ちょっと待っていて」
 カティーナは他の場所で作業をしていた庭師のもとへ急ぐ。
 そして申し訳ないけれど……と、彼に残りの植え替え作業と後片付けを頼んだ。
「はいはい、承知しました、カティーナ姫様」
 もう何年もこの薬草園で働いている老齢の庭師は、日に焼けた顔をにっと笑ませ、快く請け負ってくれる。
 ついで、彼はからかいまじりにこう言った。
「今日こそは、例の御(ご)仁(じん)と話せるといいですなぁ」
「ぁ……っ」
 とたん、カティーナの頬がみるみる赤く染まっていく。
 そんな彼女のなんとも初(うい)々(うい)しい様子を、他の庭師達も微笑ましげな顔で見ていた。
 老庭師、いや、彼に限らず薬草園で共に働く者達は全員、カティーナが近衛騎士団の公開訓練を見に行きたがる理由を知っているのだ。
「大丈夫。カティーナ姫様から声をかければ、例の御仁とてイチコロですぞ」
「そうそう。こう、にっこり微笑みかけなされ」
 他の庭師達からも激励の言葉が飛び、カティーナはますます顔を赤くした。
「も、もう。みんな、からかわないで」
 ここで働く庭師達にとって、カティーナは植物に関して自分達以上の知識と技術を持つ育成の名手であると同時に、幼いころから成長を見守ってきた可愛い姫様でもある。
 親しみを持っているからこそ、今みたいにからかってくることも珍しくなかった。
 カティーナにそれを不敬だと咎(とが)める気持ちはまったくないが、恥ずかしいし、居(い)た堪(たま)れない。また、赤くなってしまった顔を見られるのも嫌だった。
 彼女は庭師達の激励から逃げるように、そそくさと薬草園を後にした。

 自室に戻ったカティーナは、コニーを始めとする侍女達の手を借りて湯を浴び、汗と土汚れを洗い流す。侍女達は慣れたもので、爪の間に挟まった土も綺麗に落としてくれた。
 毎日畑仕事をしている割にカティーナの肌が白く保たれているのも、主(あるじ)の世話に余念がない彼女達のおかげだ。
 そうしてさっぱりとした身体にまとったのは、カティーナの黒髪がよく映える、淡いクリーム色のドレス。
 カティーナ本人が選んだものであるが、コニーは「うーん」と首を傾げる。
「これはこれで可愛らしいですしお似合いですが、ちょっと地味すぎでは?」
 他にもっと良いドレスがいっぱいあると、コニーや他の侍女達は勧めてくる。
 確かに、今着ているものはとてもシンプルなデザインで、フリルやレースの飾りも最小限。これから人前に出るのだから、もう少し華やかなドレスの方が相応しいとコニー達が思うのも無理はない。
 しかしカティーナは、首を縦に振らなかった。
「いいの。だって、あまり目立ちたくないもの……」
 恥ずかしがり屋のカティーナは、人に注目されることが大の苦手だ。
 目には見えない空気のように場に溶け込んでいたいと、常々思っている。
 だからこの地味なドレスでいいのだと押し切って、髪を整えてもらう。
 もちろん、派手で目立つような髪型にはけっしてしないようにと言いつけて。
「姫様は着飾らせ甲斐(がい)のある容姿をされておりますのに、残念です~」
 コニーは不満そうにブツブツ文句を言いつつも、ドレスと共(とも)布(ぎれ)のリボンを使ってシンプルに結いまとめてくれた。彼女は手先が器用で、侍女達の中で一番髪結いが上手い。
「ありがとう、コニー」
 カティーナは笑みを浮かべ、注文通りの髪型にしてくれたコニーにお礼を言った。
「じゃあ、行きましょうか」
 身だしなみを整えたカティーナは、コニー一人を連れて、近衛騎士団の訓練場へと向かう。
 近衛騎士団は王宮の左翼部分に本部を構えており、公開訓練に使われる訓練場もその一角にあった。
 ここでは週に一度、近衛騎士達の訓練を観覧することができる。
 王族の護衛として公の場に出ることも多い近衛騎士団は、秀でた容姿も入団条件の一つだ。そのため近衛騎士達は美形揃いで、公開訓練のある日には美しい騎士達の雄姿を一目見ようと、多くの令嬢や貴婦人達が訪れる。
 カティーナが見学席に足を踏み入れた時にはもう試合形式の訓練が始まっており、すでにたくさんの女性達で賑(にぎ)わっていた。
 彼女らは目当ての騎士が剣(けん)戟(げき)を振るう度(たび)、「きゃあ~!」と歓声を上げては、熱の籠った声援を送る。それほどに、近衛騎士達は人気が高いのだ。
「ひゃあ~、今日もすごいですねぇ~」
「ええ……」
(私も、彼女達くらい華やかで自信があれば、あんな風に……)
 積極的な女性達のことを、カティーナは羨(うらや)ましく思う。
 もし自分が王妃の生んだ娘だったなら。あるいは兄姉達に並ぶほど優れた容姿と才能の持ち主であれば、少しは違っていたのだろうか。
「…………」
 考えても詮(せん)無(な)いことを思い浮かべてしまったと、カティーナは苦笑を零(こぼ)す。
 そしてコニーを連れ、女性達の熱気からやや離れた見学席の片隅へと移動した。
 騎士達と距離が近く、彼らの姿が見やすい場所は、すでに高位貴族の令嬢や貴婦人達によって埋められている。
 この中で一番身分の高い女性は王女であるカティーナで、彼女が望めばいくらでも良い席を取れるのだが、カティーナには他の女性達を押しのける気などなかった。
 むしろ人(ひと)気(け)の少ない場所の方が落ち着くとばかりに、率先して隅っこへ向かう。
 それに遠目ではあるが、端からでも十分『彼』の姿を窺(うかが)うことはできるのだ。
 カティーナは胸の前でそっと両手を組み、目当ての人物に視線を向ける。
(レナルド……)
「きゃあ~! レナルド様~!」
「こちらを向いてくださいませ~!」
「レナルド様~!」
 うら若き乙女達の声援を浴び、試合相手に苛(か)烈(れつ)な一撃を放つのは、輝くような金色の髪をなびかせる麗しき騎士、レナルド・クロムウェル。クロムウェル伯爵家の三男で、二十三歳という若さで近衛騎士団の部隊長を任される優秀な人物だ。
 また彼はカティーナの長兄である王太子からの信頼も厚く、側近として遇されている。
「うわ~、今日もレナルド様は格好良いですね、姫様」
「え、ええ」
 剣を構え、試合相手を見澄ます瞳は新緑を思わせる鮮やかな緑。やや垂れ目がちで、右目の下には泣きぼくろがあり、華やかな容姿に匂い立つような色(いろ)香(か)を湛(たた)えている。
 美形揃いの近衛騎士団の中でも一、二を争う美(び)貌(ぼう)の持ち主で剣の腕も立ち、かつ将来有望なレナルドの人気は高く、彼に恋焦がれる女性はとても多かった。
 そしてカティーナもまた、レナルドに想いを寄せる乙女の一人である。
(レナルド、頑張って……)
 カティーナは組んだ手にぎゅっと力を籠め、心の中で彼の勝利を祈る。
 そんな彼女の視線の先で、レナルドは試合相手の剣を華麗にかわし、ついには相手の喉元に剣先を突きつけた。
「……参りました」
「勝者、レナルド・クロムウェル!」
 相手が負けを認め、審判が彼の勝利を宣言すると、観戦していた女性達がわっと歓声を上げる。カティーナもそれに混じって小さく手を叩き、レナルドの勝利を心から喜んだ。
(すごい! すごいわ、レナルド!)
 剣術に詳しくないカティーナの目にも、彼の実力は抜きん出て見えた。
「うーん、終始余裕って感じでしたねぇ。近衛騎士団でレナルド様に勝てるのは団長と副団長くらいしかいないって噂、本当かもしれませんね」
「まあ、そんな噂があるの?」
「はい。先日ウォーレンから聞きました」
 ウォーレンはコニーの婚約者で、レナルドと同じ近衛騎士団に在籍する騎士だ。そのため、コニー経由で彼からレナルドの話を教えてもらうことも多かった。
(そういえばあの時も、レナルドはとっても強かったわ)
 カティーナの脳裏に、在りし日の彼の姿が浮かぶ。
 あの時自分に向けられた、温かな眼差(まなざ)し。優しい声……。
『――あなたが無事でよかった』
(あの日から私は、レナルドを……)
 王女であるカティーナと、近衛騎士であるレナルドが初めて言葉を交わしたのは、今から約四年前の、春の暮れのこと。
 当時十四歳だったカティーナは、公務の一環で王都郊外にある孤児院を慰問していた。
 そこからの帰り道、彼女を乗せた馬車が賊の急襲を受ける。
 カティーナには護衛の近衛騎士達がついていたが、賊は彼らの隙(すき)をついて彼女を連れ出すと、そのまま自分達の馬車に攫(さら)い、逃げた。
 戦闘の心得などない王女になすすべはなく、縄で拘束されたカティーナは泣き、震えることしかできなかった。
(ああ……)
 賊らに斬(き)られた護衛の騎士達は無事だろうか。
 主を渡すまいと抵抗し、賊に突き飛ばされた侍女のコニーは、怪(け)我(が)をしていないだろうか。
(私のせいで……。ごめんなさい……、ごめんなさい……っ)
 自分はこれからどうなってしまうのだろう。
 そもそも、どうしてこんなことになってしまったのか。
 賊らは『大人しく姫を渡せ』と言っていたから、カティーナの身分を承知の上で攫ったのだ。
 けれど、何のために?
 身代金目当てか、他に目的があるのか。
 今のところ、賊らはカティーナに暴力を振るうつもりはないらしいが、いつ、どんな風に害されるかわかったものではない。
(怖い……。誰か……、誰か、助けて……)
 恐怖のあまり声も出ず、心の中でひたすら助けを求めたカティーナに救いの手が差し伸べられたのは、それから間もなくのことだった。
 カティーナを乗せた馬車は森の中にある旧街道をひた走っていた。そこへ、王女誘拐の知らせを受けて後を追った近衛騎士達の部隊が追いついたのである。
 馬車が突然ガタンと大きく揺れて急停止したかと思うと、賊らが外へ飛び出して、騎士達と戦闘になった。
 だが劣(れっ)勢(せい)と悟るやいなや、賊の一人がカティーナを盾にし、騎士達に撤退を迫る。
『このお姫様の命が惜しかったら、お前ら全員、今すぐ武器を捨てろ!』
『く……っ』
 王女を人質にされた近衛騎士達は、言われるがまま剣を捨てた。
 すると賊は丸腰になった騎士達を斬り殺さんと、自分の剣を振り上げる。
『……っ!』
 いけない。このままでは、自分のせいで彼らが殺されてしまう。
 これ以上、自分のために誰かが傷つくのは耐えられない……!
 カティーナはなけなしの勇気を奮い立たせ、自分を拘束する賊の足を思いっきり踏みつけた。
『ぐあっ! てめえっ、この……っ』
 たったそれだけの抵抗でも隙を作るには十分で、足を踏まれて激高した賊がカティーナを殴ろうとした瞬間、一人の騎士が間に割り込み、賊の拳(こぶし)を止める。
 そして彼はカティーナを庇(かば)い、続けて振るわれた賊の剣に左腕を斬りつけられた。
『きゃああああっ』
 飛び散る鮮血に、カティーナはたまらず悲鳴を上げる。
 しかし斬られた騎士は怯(ひる)まず、剣を握る賊の手を掴んで武器を奪い取った。
 そして奪った剣の柄(え)で賊の頭を殴り、意識を刈り取る。
『がっ……!』
『今だ! 一斉にかかれ!』
 彼の動きに呼応して他の近衛騎士達もすぐ反撃に転じたため、賊は全て捕(ほ)縛(ばく)された。
(た、助かった……の……?)
『救出が遅れて申し訳ありません、カティーナ殿下』
 カティーナを縛る縄を解くと、騎士はすぐさま王女の前に跪(ひざまず)く。
『お怪我はありませんか?』
『わ、私は、大丈夫です……。でも、あなたが……』
 斬られた左腕は制服の袖が破れ、血が滴(したた)っている。
(早く手当てしないと……)
 とにかく何かをせずにいられなかったカティーナは、ポケットからハンカチを取り出し、そっと騎士の傷に当てた。
『ごめんなさい。私のせいで……』
 自分が人質にとられたりしなければ、彼がこんな傷を負うこともなかったろう。
 カティーナの青い瞳に、またじわじわと涙が浮かぶ。
 怖かった。こんなにも身の危険を感じたことはなかったし、目の前で人の血が流れるのを見るのだって、これが初めてだった。
 まして一歩間違えれば、騎士達は全員殺されていたかもしれないのだ。
 自分のせいで、誰かが傷つく。それがこれほど恐ろしいことだなんて、知らなかった。
『カティーナ殿下……』
『ごめんなさい、ごめんなさい……っ』
『これくらいの傷、なんともありませんよ』
 本当はとても痛いだろうに、騎士はカティーナの頬を伝う涙をそっと指先で拭い、微笑む。
『あ……っ』
 この時初めて、彼女は自分を助けた騎士の目が鮮やかな緑色であることに気づいた。
 カティーナが大好きな薬草と同じ、優しい色。その瞳の、なんと美しいこと。
 そして綺麗なのは、なにも目の色だけではない。輝くような金色の髪に、甘く色気のある顔立ち。騎士らしく鍛(きた)え抜かれ、均整のとれた身体。
 騎士は、美形揃いの家族に囲まれて育ったカティーナですら見(み)惚(ほ)れるほど見(み)目(め)麗(うるわ)しい青年だった。
『あなたが無事でよかった』
『……っ』
 労(いた)わりに満ちた優しい声をかけられた瞬間、カティーナの胸がきゅうっと締め付けられる。さらにはどうしてだか胸がざわざわと騒ぎ、騎士の顔を直視することができない。
(わ、私、いったいどうしてしまったのかしら……)
 ぱっと目を逸(そ)らしてしまったカティーナは、自分の心に生じた初めての感情に戸惑う。
 思えばこの時、自分はかの騎士――レナルドに恋をしたのだろう。


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