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復讐の騎士はいとしい妻にひざまずく

ナツ / 著
小路龍流 / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-730-7
サイズ 文庫本
定価 880円(税込)
発売日 2024/12/25

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内容紹介

私の妻は、生涯、あなただけだ

 

国王付き近衛騎士クライヴからの熱烈なアプローチを経て、彼と結婚したモニカ。両親を亡くし、公爵家に仕える侍女となったモニカには夢のような話だった。しかし国内の対立が激しくなる中、彼がある目的のために自分に近づいたことを知る。夫は仮初の妻を深く愛してしまい、非情になれないまま罪悪感に苦しんでいたのだ。「謝りたい。君を愛してしまったことを」いずれ彼が去ることを知った上でモニカは、愛し抜くことを決意する。別れの時まで幸せを共有し、身も心も捧げ愛を刻もうとするが――。

人物紹介

モニカ

わがまま公爵令嬢の侍女。社交界の憧れの的であるクライヴに求婚されて…

クライヴ

国王の懐刀と言われる筆頭近衛騎士。復讐を果たすためにモニカに近付く。

立ち読み

 プロローグ


 黒いコートを纏った長身の男が、白百合の花束を片手に提げ、広大な墓地を黙々と歩んでいく。
 男は、一番北の隅に建てられている慰霊碑の前で足を止めた。
 通常ならば墓碑に刻まれているはずの犠牲者の名は、どこにもない。
 墓地の中でも一際目立つ大きな御影石にさえ載せきれないほどの人が、死んだからだ。
 身元が判明した者も、損傷の激しさゆえに判明しなかった者も、あの日貧民街で焼死した者は皆等しく、この慰霊碑の下に埋葬された。
 男の家族も、ここに眠っている。
 雀の涙ほどの給金を得る為、毎日遅くまで波止場で荷下ろしの仕事をしていた父は、あの日たまたま風邪を引き、隙間だらけの粗末な家で寝込んでいたらしい。
 風邪さえ引かなければ、父だけでも生き残ってくれたはずだ。
 そんな考えても仕方のない『もしも』を思い浮かべた回数は数えきれない。
 母と妹の遺体は、父が寝ていたベッドのすぐ傍で見つかった。
 年々細くなっていく父を案じていた二人のことだ。ただの風邪だと分かっても、付きっ切りで看病していたに違いない。
 弟の遺体を見つけたのは、家から離れた井戸端だった。水汲みに出かけた先で炎に襲われたのだろう。熱さから逃れようとしたのか、井戸の中に上半身を突っ込んだまま事切れていた小さな身体は、男の網膜に焼きついている。
 十年近く前のことなのに、まるで昨日のことのようだ。
 男の周囲には、大勢の人がいた。家族や友人を探しにやってきた者たちは、皆半狂乱になっていた。
 泣き叫ぶ彼らを、事後処理の為に派遣された兵士が押しのけていく。
 兵士らは口元を布で覆い、集めた遺体を荷車に載せ始めた。
 男の腕から弟を奪い去ったのも、そんな兵士の一人だ。
『すげえ数だな、おい』
『黙って集めろ。まとめて墓地へ運ぶらしい』
 あちこちで飛び交っていた声は徐々に遠のいてゆき、やがて耳には何一つ入ってこなくなった。
 空恐ろしいほど静まり返った世界で、ガラクタのように運ばれていく家族を呆然と見送ったあの日、男の時間は止まった。
 全ての決着をつけるまで、再び時間が動き始めることはない。
「あと、もう少しだ」
 低く呟き、片膝をついて花束を墓碑に供える。
【我が愛しき民よ、安らかに眠れ】
 墓碑には、国王エドマンドの名と共にそんな台詞が刻まれている。
 瀟洒な飾り文字で彫られた追悼文に、男は冷えた右手を押し当てた。
 ――愛しき民、だと? 本当にそう思っていたのなら、なぜ殺した。
 ――死んだところで痛くも痒くもない下賤の民だと、そう思っていたのだろう?
 ――これで汚いスラムも、憎き異民族と共に一掃できる。お前はそう思ったからこそ、火を放つよう命じたのだろう?
 きつく握り込んだ拳に筋が浮く。
「……必ず報いは受けさせる。待っていてくれ」
 男は墓碑に囁くように語りかけ、その場を静かに離れた。




 一章 それはまるで夢のような

 
 華やかなワルツの調べが、眩いシャンデリアに照らされた大広間いっぱいに広がる。
 この場にいる者の視線を一身に集めているのは、ホールの中心で優雅なステップを踏んでいるアンジェリカ・ヘイウッド――フェアフィクス王国の宰相を務めるヘイウッド公爵の一人娘だ。
 去年デビューしたばかりのアンジェリカだが、まだ十九歳だとはとても思えない艶やかさに、多くの青年が熱を帯びた視線を送っている。
 社交界の女王と呼ぶにふさわしい彼女が出席したとあり、今夜の舞踏会は盛大な盛り上がりを見せていた。
 ダンスに参加しない者たちは豪勢な食事を堪能したり、グラスを片手に談笑したりと思い思いに楽しい時間を過ごしている。
 モニカ・シェルヴィは、そんな煌めいた社交の一幕を少し離れたところから眺めていた。
 両親をとうに亡くした元子爵令嬢で、美しいアンジェリカに仕える二十四歳の侍女――周囲を魅了する要素はまるでないモニカに、声をかける者は誰もいない。
 壁の花、とはよく言ったものだ。
誰にもダンスに誘われない女でも、きちんと化粧をし、それなりのドレスを纏っていれば「花」に見えないこともない。
(とはいえ、そろそろ壁を飾る仕事にも飽きてきたわね……)
 モニカは誰にも気づかれないよう、こっそり嘆息した。
 下手に着飾っているせいで、こうして立っていることしかできない。
『未婚令嬢はパーティーにおいて小食であるべき』という社交界のマナーのせいで、食事に専念することもできないのだから不便なものだ。
 こんなことなら、いつものシンプルなドレス姿でアンジェリカの世話を焼いている方がよほどいい。
 子爵令嬢だった頃ならまだしも、今のモニカには分不相応な装いだというのに、ヘイウッド公爵夫人であるメラニーは頑として引かなかった。
 夫人は、モニカがアンジェリカと共にどこかへ出かける度、実の娘と同じだけの手間と費用をかけてモニカを着飾らせる。
『――亡きシェルヴィ子爵に申し訳の立たない真似はできないわ。素敵な出会いがあるかもしれないんですもの、うんとおめかしして行かなくちゃ』
 メラニーは、正装したモニカを見て『とても綺麗よ』『その色、すごく似合ってるわ』と瞳を輝かせるのが常だった。
 今夜もそうだ。
 モニカの隣に並んだアンジェリカの目も眩まんばかりの立ち姿を視界に入れても、双方を心から平等に褒めたたえることができるのだから、感心せずにはいられない。
 人として尊敬できるだけでなく、メラニーとヘイウッド公爵はモニカの恩人でもあった。
 両親を亡くしたあと、居場所をなくして途方に暮れていたモニカに手を差し伸べてくれた公爵夫妻には一生の恩がある。
 モニカの両親が亡くなったのは、今から八年前。十六歳の冬だった。
 両親は『ラースネルの悲劇』に巻き込まれ、帰らぬ人となった。
 当時の騒動の詳細は、明らかにされていない。
 きっかけは、王都で起きたラースネル人による大規模なデモだった。
 ラースネルは元々、フェアフィクス王国の東隣に位置する小さな国家だ。
 だが数百年ほど前に起こった戦争に大敗し、人口の半数を失った上、フェアフィクス王国に統合された。敗戦以降、彼らはこの国で『準フェアフィクス人』という扱いを受けている。――それはつまり、フェアフィクス人ではない、ということ。
 ラースネル人たちは、生まれてすぐ手の甲にタトゥーを入れる文化を持っていた。お守り的な意味を持つそれを逆手にとったのが、当時のフェアフィクス国王だ。
 国王はタトゥーを義務化し、本来は子どもの明るい未来を祈る美しい文様を『準フェアフィクス人』の証へと変えた。
 ラースネル人は寒い冬の季節でも、手袋をしない。タトゥーを隠しているとみなされた時点で、幼子ですら親から引き離され、牢に叩き込まれるからだ。
 数百年にわたって、ラースネル人は蔑まれ、差別を受け続けてきた。しかも、フェアフィクス人との結婚は固く禁じられている為、混血によってこの国に溶け込むこともできなかった。
 あれから時代は進み、生まれによって人を差別するのは良くないことだ、という考えは世界的に広まっている。
 フェアフィクス王国でも、ラースネル人への不当な扱いを撤廃しようという動きはあったのだが、国粋主義を掲げるエドマンドが王位についてからは、ラースネル人に対する締めつけは更に厳しくなった。
 我慢の限界を迎えた彼らは密かに集会を重ね、大規模なデモを起こすに至ったのだろう。
 エドマンド王はただちに国王軍を動かし、容赦のない制圧を行った。
 追い立てられるように貧民街へ逃げ込んだラースネル人たちは、その一画に住む貧しいフェアフィクス人と共に炎に呑まれたそうだ。火を放つよう指示したのは国王だという噂もあるが、実際のところは分からない。
 不運にも外出先でデモに遭遇したモニカの母は、家族とはぐれて泣き叫ぶラースネルの幼い少女に手を差し伸べ、逃げ惑う人々に踏み殺された。
 そして、そんな母を庇おうとした父も、切れ同然の姿で発見されたらしい。
 全ての経緯を、モニカは叔父から聞かされた。
 その日、モニカは屋敷でのんびり読書をしていた。
 ロマンティックな戯曲の元になった物語を読み耽っている間、最愛の両親は結婚記念日に贈り合うプレゼントを探しに行き、そして無残に死んだ。
 知らせを聞いた時は、悪い冗談だと思った。もしくは、なかなか覚めない悪夢を見ているのだと。
 どちらにしろ、とても現実のものだとは思えなかった。
 二人の姿を見ていないせいも、過分にあっただろう。
 両親の遺体が収められた棺は固く閉じられ、中を見ることは許されなかった。
 お願いだから直接さよならを言わせて、と泣いて棺に縋るモニカを、叔父は恐ろしいほどの力で引き剥がし『見ない方がいい』と掠れた声で繰り返した。
 叔父もまた咽び泣いていた。
 いい年をした大人の男が泣いているのを見たのは、あれが初めてだ。
 双眸からとめどなく滴る彼の涙を見て、全身から力が抜けた。
(……そうか。これは『仕方のない』ことなんだ)
 しん、と静まり返った心をどこか遠くから眺めながら、地中に埋められる棺を呆然と見送ったあの日、モニカの一部は両親と共に埋葬されたのかもしれない。
 両親の死によって子爵令嬢という肩書を失ったモニカは、誰かの情けに縋らなければ生きていけない中途半端な身の上となった。
 将来についての明るい希望が消えたのと同時に、何につけても諦めが早くなった。
 今思えば、自己防衛の一種だったのだろう。
 初めから期待しなければ、傷つくこともない。
 葬儀のあと、生まれ育った屋敷を出ることになったのは、モニカのせいだ。
 新たなシェルヴィ子爵となった叔父も彼の妻も、一人残された娘をぞんざいに扱うような人間ではなかった。
 モニカが叔父との決別を選んだ理由は、彼が両親の死因を、単なる馬車の事故として処理したから。
『ラースネル人を助けようとして亡くなったというのは外聞が悪い』というのが、叔父の言い分だった。
 国王の不興を避けたい気持ちは分からないでもない。
 だが、モニカはどうしても許せなかった。
 母は助けようとした幼い少女に、モニカを重ねたのかもしれない。少女がフェアフィクス人であったなら美談になったのだろうと思うと、余計にやるせなさが募る。
 人命の価値をその生まれによって分けなかった母は、モニカの誇りだ。
 そして、妻と少女を勇敢に守ろうとした父も。
 その誇りをまっすぐ胸に持ち続ける為にも、叔父の世話になることはできなかった。
 家を出る為に職を探し始めたモニカに手を差し伸べたのが、父の旧友だというヘイウッド公爵だ。
 公爵夫妻には、真っ先に両親の本当の死因を打ち明けた。
 彼らの顔に失望や軽蔑の色が見えたなら、すぐに立ち去ろうと心に決めて。
 だが公爵夫妻は、全てを知った上で両親を心から悼んでくれた。
 当時十一歳だったアンジェリカは、何も言わず、ただ手をぎゅっと握ってくれた。
 すっかり高慢な振る舞いが板についた彼女にも、可愛い時期はあったのだ。
 小さな手の温もりがくれた励ましは、今も心の奥に大切にしまってある。
 モニカとしては、このままずっとヘイウッド公爵家で働き、忠実な使用人として生涯を終えたい。
 メラニーに直接希望を告げたこともあるのだが、彼女はそれを『遠慮』だと捉えた。
 ――『寂しいことを言わないで。色んな人と交流を重ねたあとで、やはり未婚のままでいたいというのなら構わない。でもあなたはまだ若くて、仕事以外の何も経験してないわ』
 悲しそうに瞳を潤ませ、モニカの頬をそっと撫でた夫人の優しさに、それ以上言うのは気が引けた。
 だからといって、急に結婚に乗り気になることもできない。
 今夜こそモニカにふさわしい相手を見つけようと張り切るメラニーからさりげなく離れ、大広間で一番目立たない場所にひっそりと佇んでいるのが現状だ。
 夫探しに積極的になれない理由は、他にもある。
 自分を妻に望む男性がいるとは、とても思えないから。
 ミルクココア色の髪はふわふわとしていて纏めにくいし、瞳はありふれたヘーゼルブラウン。不細工ではないと思うが、取り立てて美人とも呼べない。
 身分にしても、男性側に利があるものではない。
 シェルヴィ子爵家は叔父が継いでいる為、モニカと結婚したからといって爵位を手に入れることはできないのだ。父が生前相続で残してくれたささやかな持参金を欲しがる貴族がいるとも思えない。
 要は、女性としての自分に自信が持てないのだ。更には、現状に満足しきっている。
 寝て起きたら十年経っていたりしないだろうか。
 その年まで未婚なら、きっとメラニーも諦めてくれる。
「はぁ……」
 堪えきれなかった溜息が口から零れたその時。
「お、っと。失礼」
 近くまで来ていた青年が、モニカに軽くぶつかった。
 誰かを探していたのか、彼が唐突に身体の向きを変えた拍子の事故だ。
 青年が手に飲みかけのワイングラスを手にしていなかったら「すみません、レディ。大丈夫ですか?」「はい、大丈夫です。お気遣いなく」といった当たり障りのない応答で終わっただろう。
 だが実際は、彼の零したワインがモニカのドレスを台無しにしていた。
 淡いブルーのシフォンドレスの胸元からウエストにかけて、かなり悲惨なことになっている。
 濃い色のドレスを選んでおくのだった、と後悔しても、もう遅い。
「……っ! 私はなんということを――」
 青年の慌てた声が頭上から降ってくる。
 モニカはから取り出したハンカチで胸元を押さえながら「大丈夫です」と小声で答えた。
 声量を絞ったのは、騒ぎにしたくなかったから。
 みっともない恰好を、大勢の人に見られるのが恥ずかしかったのだ。
 こちらの気持ちに気づいたらしく、青年はモニカの前に立ち、周囲の視線を遮った。
 それからさりげなく上着を脱ぎ、モニカにかける。
 上着からふわりと立ち上った品のある香りと、洗練された一連の所作に、思わず顔を上げてしまう。
 真っ先に視界に飛び込んできたのは、こちらを心配そうに見つめている濃い茶色の瞳だった。
 切れ長の凛々しい瞳に、まるで吸い込まれるように見入ってしまう。
「本当に申し訳ない」
 柔らかな響きを帯びた低音に、ハッと我に返った。
 青年が身を屈めているせいで距離が近いのだと分かり、とっさにる。
 だが背後の壁はそうはさせまいと、モニカの踵を押し留めた。
「付き添いのご婦人はどなたですか? 事情を説明して、不注意をお詫びしなければ」
 彼はモニカが誰だか分かっていないようだが、モニカには相手の男がすぐに分かった。
 サラサラの黒髪と凛々しく整った容姿を持つ、国王の懐刀。
 精鋭揃いだと謳われる国王付き近衛騎士の中でも、ずば抜けた強さで筆頭の地位に立つ男。
 レンフィールド伯爵の嫡男、クライヴ・レンフィールドだ。
 社交界に疎いモニカですら、彼の名は知っている。
 令嬢たちの憧れの的である彼が、なぜこんな部屋の隅に――?


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