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疎まれ皇女は異国の地で運命の愛を知る

イチニ / 著
天路ゆうつづ / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-754-3
サイズ 文庫本
ページ数 328ページ
定価 880円(税込)
発売日 2025/03/25

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内容紹介

壮絶で純粋。究極の愛の物語。

 

マリーアは“冷たく暗い目をした黒髪の男”に、獣のごとく組み敷かれていた。自分がこの男に抱かれるのは、彼からすべてを奪った贖罪のためか? それともこれが愛?

父帝にとってマリーアの価値は、王族の血だけだった。当然初恋など実らぬまま、ただ父の駒として二度の結婚を強いられた。そして二人の夫を失ったあと、すべてに絶望したマリーアは、国を逃げ出すことを決意する。心に浮かぶのは、初恋の男と一夜だけの夫。皇女が逃げた先で待ち受ける、運命の分かれ目。

人物紹介

マリーア

父帝に疎まれ、二度の不幸な結婚を強いられた皇女。

???

黒髪で冷たい目をした男の正体は!?

立ち読み

   序章

 幼い頃、犬の交尾を見たことがあった。
 父の飼っている狩猟犬の血統を残すため、雌犬が連れて来られて交配していたのだ。
 庭を散歩していて、偶然目にしてしまったその行為は不可思議で、マリーアは隣にいた黒髪の男に「あれはなに?」と訊ねた。
 男は冷たげな視線でマリーアを見下ろした。そして……。
 ――彼は……交尾ですと言った……けれど、交尾が何かわからなくて……さらに訊ねたら、子作りしているのだと教えてくれた……。
 ハッハッと荒い息を吐きながら、背後から重なり、忙しなく尻尾を振る。子作りのためには、あのような真似をしなければならないのだと知り、マリーアは驚いた。
 ――教えてくれる人が、他にいなかったから……。
 あれが正しい子の作り方で、人間もあのような格好で子を作らねばならないのだと、マリーアはずっと信じ込んでいた。
 けれど……犬と人の交尾は違うのだと、そう教えてくれた人がいた。
 彼の穏やかで優しげな眼差しを、マリーアは思い出す。
「あっ……あっ、んっ……はっ」
 人と獣は違う。
 しかし今の自分はどうであろう。まるで獣ではないか。
 四つん這いになり、背後にいる男の熱を感じながらマリーアは思った。
 半開きになった口から涎を流しながら、荒い息を吐いている。背後にいる男も、まるであの日見た犬のように、ハッハッと荒く息をしていた。
「あっ……んんっ……やっ」
 肌と肌がぶつかる音と、水気を帯びた音。
 淫音が激しくなり、身体の奥が熱くなる。
 マリーアは悦びに身を震わせ、敷布に爪を立てた。
「ひっ……んん」
 そうして何度か荒く揺さぶられたあと、マリーアの身体の中を穿っていた硬いものが抜かれ、尻にピシャリと粘ついたものがかかった。
 子種だ。
 身体の中でなく肌に子種を出されるのは、これが子作りではない証のようであった。
 ――なら、この交わりは何なのだろう……快楽のため……? それとも……。
 男のかさついた大きな手がマリーアの腰を掴んだ。
 身体を返され、仰向けになる。
 端整な顔立ちの男が、黒髪の隙間からじっとマリーアを見下ろしていた。
 無表情の男の顔をぼんやりと見返していると、ポツポツという水音が聞こえてくる。
 視線を窓に移すと、ガラスに雨の滴がいくつもできていた。
 性交に夢中で気づかなかったけれど、かなり前から雨が降っていたらしい。
 ――あの日も雨だった。そして、あのときも……雨だった……。
 マリーアは父に命じられ、隣国の王太子に嫁いだときのことを思い出す。
 厳かな神殿で行われた婚儀。優しい眼差しをした一夜だけの夫。
 己の身に何の価値もなかったと知ったとき、冷たい雨がマリーアの肌を濡らし、赤い火が揺れていた。
 そして二度目の結婚で夫を失ったあとも、雨の中、赤い火が揺れているのを見た。
 火は雨により、次第に弱まっていき、頼りなげな煙が風で揺らぐだけになった。
 マリーアはその白い煙に自身を重ね合わせ、己の身を哀れんだのだ。
 男の手がマリーアの頬を撫でる。
 男は何か言いたげに唇を開くが、言葉を発することなく唇を閉じた。
 マリーアもまた開きかけた唇を閉じ、言葉を呑む。
 訊きたいことがある。伝えたいこともあった。言わねばならないこともある。
 けれど言葉にすれば、この幻のような逢瀬が煙のごとく消えてしまう気がして、何も言えなかった。
 ――彼も私と同じ気持ちなのだろうか……。
 マリーアは頬に触れた男の手に、自身の手を重ねた。



   一章 婚姻

 コウル皇国からラトバーン王国への移動は、想像していたよりも過酷であった。
 舗装されていない山道を越えねばならないため馬車は使えず、移動中はずっと馬の上。長旅用の鞍を用意してもらってはいたが、尻と腰の痛みは、日に日に増していった。
 手綱が引かれ、マリーアたちの乗っている馬が歩調を緩め、止まる。
 帯同していた後方の馬が、横に並んだ。
「マリーア様、ラトバーンの王城が見えてきました。もう少しの辛抱です」
 その馬に騎乗していたアンナが、マリーアを励ますように言う。
 アンナは三十人余りいる一行の中で、マリーア以外では唯一の女性だった。
 異国で暮らすことになる娘のために、父が付けてくれた侍女だったが、旅の初日に会ったばかりなので彼女のことは名と顔以外知らない。
 侍女になり日が浅いのか、「慣れていなくてすみません」とよく謝罪の言葉を口にしていた。
 ぼんやりと見返していると、アンナは苦笑し、マリーアの背後を指差した。
「あちらです」
 指し示された方角に目をやる。
 白い尖塔がそびえたっており、木々の合間からは石造りの巨大な城門が見えた。
 ラトバーン王国の王城。マリーアたちの目的地だ。
 もうすぐ過酷な旅が終わる。
 疲れや尻の痛みから解放される喜びは一瞬で、すぐに胸の奥がじくじくと痛み始め、マリーアは陰鬱な気分になった。
「ゲルト様。そろそろ交代いたしましょう」
「……そうだな」
 アンナの言葉に、マリーアの背後にいた男が答えた。
 マリーアは一人では馬に乗れない。そのため男は旅の間ずっと、マリーアを自分の馬に騎乗させていた。
 男は先に馬から降りると、マリーアの手を取り腰を支えた。
 マリーアは自身の立場を理解していた。
 立場上、同乗するのは女性のほうがよいのもわかっている。
 けれど理性と感情は別で、男の体温が離れるのを寂しいと感じてしまう。もう少しだけ、彼といたいと思ってしまった。
 ――このまま一生、旅を続けていられたら。いっそのこと攫ってくれたら。
「……ありがとうございます」
 馬から降りたマリーアは、想いを胸に隠し、男を見上げて辿々しく感謝の言葉を告げた。
 漆黒の髪に闇色の瞳。精悍で冷たげな顔立ち。体格はいかにも軍人といった風で、背は見上げるほどに高く、体つきは逞しい。
 ゲルト・キストラー。
 マリーアより六歳年上の彼は侯爵家の次男で、三年前まで皇宮の護衛兵士を務めていた。
 一見冷たそうだけれど、思いやりのある優しい人だ。マリーアは少女の頃から、ゲルトに対し淡い恋心を抱いていた。
「こちらへ、マリーア様」
 低い声で、ゲルトが言う。
 マリーアはゲルトの手を借り、アンナの馬に乗った。
 ゲルトの大きな手には、剣だこがいくつもできていて、硬くかさついていた。マリーアは温かなその手が好きだった。
 彼の手を離すとき、闇色の瞳と目が合った。
 一瞬だけ交わった視線はすぐに外され、触れていた手もあっさりと離れる。
 ――もしかしたら、彼も私のことを想ってくれているのでは……。
 浅ましい期待をしてしまったのを恥じ、マリーアは心の中で自嘲した。

 マリーアはコウル皇国を治めるリードレ家の第一皇女である。しかし皇女ではあるものの、皇帝の前妻の子であるため、マリーアは複雑な立場にあった。
 マリーアが二歳の頃に病死した母は、我が儘で矜持が高い、鼻持ちならない女性だったという。
 政略結婚である父との仲は冷え切っていて、母が亡くなったとき、父は大層喜んだらしい。
 父は母の死後すぐ新たな妻を娶り、空いていた皇妃の座を埋めた。そして一年後、待望の嫡子が、その二年後には華のように麗しい姫が産まれた。
 他国からは血気盛んで残酷な君主と畏れられている皇帝だったが、皇妃や皇太子、第二皇女の前では、愛妻家で子煩悩な父親なのだという。
 厳格で冷ややかな姿しか知らないマリーアは、子煩悩な父の姿は想像もできなかった。
 マリーアは物心ついた頃から、皇宮の一室でひっそりと暮らしていた。
 父はマリーアの存在など頭の片隅にもないのか、常にいない者として扱っていた。
 皇妃になった人は、会えば「健やかに暮らしていますか?」と声をかけてはくるものの、マリーアを見下ろす双眸は冷たかった。
 母の実家である伯爵家は、父の目を気にしてだろう。後ろ盾になるどころか、父と同調するようにマリーアの存在を無視した。
 侍女たちはマリーアの世話をひと通りはしてくれるが、極力関わりを持ちたくないようだった。
 淑女としての教育を受けていたが、皇族としての行事に呼ばれたことは一度もなく、建国日も皇族の誕生祝いの夜会も、マリーアは自室で過ごした。
 寂しいとは思わなかった。それがマリーアにとっては普通だったからだ。
 誰にも気にかけてもらえないのは当然だと、己の境遇を受け入れていた。
 着飾った心のない人形のように、マリーアはただぼんやりと日々を過ごしていたのだ。
 そんなマリーアに淡い感情が生まれたのは、十二歳のときだ。
 マリーアは皇宮の護衛兵士をしていたゲルトと出会った。
 ゲルトは誰からも相手にされない陰気な皇女を哀れんだのか、護衛を買って出て、部屋から連れ出してくれた。
 連れ出すといっても、皇宮の外へ行くわけではない。庭を散歩するだけだ。
 ゲルトは必要以上の会話はしないし、マリーアも『お喋り』ではない。けれども二人で黙って花を愛でながら庭を歩いていると、心が満たされ、温かな気持ちになれた。
 皇女という恵まれた立場にありながらも、幼い頃から孤独であったマリーアにとって、ゲルトはたった一人の、特別な存在になっていった。
 ゲルトに寄せる自身の思慕が、臣下に対する信頼ではなく、甘やかな恋情を伴うものだと気づいたのは、彼が皇宮の警備隊から、第一正規軍に配属され、顔を合わす機会がなくなってからだ。
 ゲルトは凜々しい顔立ちもあって、数いる優秀な兵士の中でも注目の的で、侍女たちの噂に上ることも多い。マリーアは侍女たちの会話に聞き耳を立て、ゲルトの話が出てくると興味のないふりをしながら、胸を高鳴らせた。
 皇宮の窓から外を眺めていると、父や弟の後ろに控えているゲルトの姿を見かけた。
 嬉しいけれど切なくて、寂しくなった。
 ――私はゲルトに恋をしている……。
 自覚したからといって、想いが報われるわけではない。
 けれど報われないとわかっていても、初めての恋心を捨て去ることはできず、マリーアは会えない相手に対し、悶々と想いを深めていった。
 十七歳になった頃。
 三歳年下の異母弟ヨハンがマリーアに会いに来るようになった。
 それと同時に、弟を通じてゲルトと顔を合わす機会が増えた。
 ゲルトは正規軍に所属しているが、ヨハンの護衛も受け持っていた。
 ヨハンは不遇だと噂されている異母姉を哀れんだのか、会いに来るだけでなく、花や髪飾り、ハンカチーフなど、贈り物もしてくれた。
 ゲルトがその品を部屋まで届けてくれることもあり、使い走りをしている彼に申し訳なさを感じた。
 けれども第一皇女でありながら立場の弱いマリーアとは違い、ヨハンは皇太子である。ヨハンに気に入られているのは、ゲルトにとって有益に違いない。
 マリーアは国や父だけでなくゲルトにとっても、価値のある異母弟が羨ましかった。
 そして五歳年下の第二皇女クリスティーネのことも――仕方ないと理解していても、マリーアは羨んでしまう。
 自身に面影がよく似たクリスティーネを、父は目に入れても痛くないくらい可愛がっているという。
 父だけでなく、可憐で華やかな彼女は、侍女たちからも人気があった。
 そのクリスティーネが、ゲルトを大層気に入っていて、自分専属の護衛にするのだという噂を耳にしたこともあった。
 結局、ヨハンが反対し、彼女の希望は叶わなかったが、『欲しい』と簡単に口にできる異母妹に妬ましさを覚えた。
 クリスティーネは頻繁に孤児院や病院などに慰問に行っていて、奉仕活動に熱心な皇女として、民からの人気も高いと聞く。
 一方マリーアは、奉仕活動の経験がない。外出を禁じられていたからである。
 役立たずな皇女と、民たちからはそう揶揄されているらしい。侍女たちが面白おかしく自分の話をしているのを、マリーアは偶然耳にした。
 自分は父にとっても国にとっても、価値のない人間なのだ。
 そんな風に思っていたのだが……一か月前、マリーアに転機が訪れた。
 十八歳になったばかりのある日、マリーアの元に、父である皇帝が訪ねて来たのだ。
 父の来訪を侍女に告げられたマリーアは、震えながら深く頭を下げ、礼をとった。
「そなたの嫁ぎ先が決まったぞ。数日後に王都を発つのだ」
 畏縮し怯えるマリーアに、父は機嫌よく声を弾ませて命じた。
「我が娘として、皇女としての務めを果たせ」
 マリーアが驚いて顔を上げると、父の背後には背の高い黒髪の男……ゲルトが控えていた。
 
 マリーアは隣国、ラトバーン王国の王太子に嫁ぐこととなった。
 今や大陸一の軍事力を有するコウル皇国だが歴史はそう長くない。地下資源の発見により、この百年ほどの間に繁栄を極めた国であった。
 対するラトバーン王国は長い歴史を持つ国だったが、ここ数年、災害が続き、民たちは困窮していた。民を見殺しにしていると、王家への不満も溜まっているという。
 縁談はコウル皇国からの援助欲しさに、ラトバーン側から持ちかけられたものらしい。
 ――いつかは父の、皇帝の命じた相手と結婚するのだろうとは思っていたけれど。
 たとえ父に疎まれていようとも、マリーアは第一皇女だ。マリーア自身に価値はなくとも、この身体に流れる皇族の血には多少なりとも価値はある。
 そのため、いつかはコウル皇国の、父にとって有益な貴族の元に降嫁するのだろうとは思っていた。
 しかし命じられた結婚は、隣国の王太子妃になることで……想像していた以上に重大な役目だった。
 今までいない者として自分を扱い続けた父に、皇女として、娘として認められたことは嬉しい。大役を与えられたことを誇らしくも思う。
 外交の役に立つことや、同盟の橋渡しができること、父のためになれることを喜ばしいと思うのだ。
 けれど――。
 ――どうして彼が護衛だったのだろう。彼以外の人ならばよかったのに……。


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