書籍詳細

悪役令嬢に転生して、運命回避のために破天荒令嬢を演じたら溺愛されました!
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2025/03/28 |
電子配信書店
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内容紹介
立ち読み
プロローグ
今宵もアルマン王国の貴族の館で行われているのは、煌(きら)びやかな衣装をまとった上流階級の面々による舞踏会だ。
女性はウエストから裾(すそ)までが大きくふくらんだ美しいドレス、男性は刺(し)繍(しゅう)のついた上着を着て、首元にはクラヴァットをおしゃれに結んでいた。
たくさんの男女が踊り、噂話に興じ、飲み物を飲んだり、軽食を摘まんだりしている。そんな舞踏場に、ミア・オーモンドは一人で乗り込んだ。
「ミア様がいらしたわ!」
「まあ、ミア様が! どちらにいらっしゃるの?」
「ああ、オーモンド子(し)爵(しゃく)令嬢のことか。今日はどんな格好をしているんだ?」
「そりゃあ、あの令嬢のことだから……とんでもない格好に決まってる」
そんな声が囁(ささや)かれる中、十八歳になったばかりのミアは堂々と舞踏室を横切っていく。その出(い)で立ちに、貴族の令嬢らしき面(おも)影(かげ)はどこにもなかった。
いや、貴族的ではある。
ただドレスは着ていない。ミアが身に着けているのは男性の衣装だからだ。それも今の流行とは違う奇抜なものだ。
膝(ひざ)まである長い上着は派手な赤で、同色の細身のズボンを穿(は)いている。首元を飾っているのは流行のシンプルなクラヴァットではなく白い繊細なレースで、それを大きな宝石がついたブローチでまとめてあった。ピンクブロンドの長い髪は赤いリボンで結んでいるものの、とにかく目立っている。
「ああ、今日も……」
「さすが破天荒令嬢だな」
そう。誰が呼んだか、ミアのあだ名は『破天荒令嬢』だった。
そんなミアの近くには男性は寄り付かない。ミアに群がるのは新しいものが好きな貴族の令嬢達ばかりだった。
「ミア様、なんて素敵なお召し物ですこと!」
「今日は男装なのですね。ぜひわたくしと踊ってくださいまし」
「わたくしとも! お願いします!」
「ミア様、お好きなレモネードをお持ちしました!」
「あちらにおいしそうなデザートがありましてよ。後でわたくしと参りましょう!」
「わたくしも……ミア様!」
ミアは青い瞳を彼女達に向けて、にっこりと微笑(ほほえ)んだ。すると、何故(なぜ)だかキャアと悲鳴が上がる。
彼女達は奥ゆかしい令嬢達だから、男性にはこんなふうに群がることはできない。ミアだから、こうして気軽に近づいてこられるのだ。だから、自分は人気者だとか、変な勘違いはしていないつもりだ。
ミアの目的は自分に男性が近づかないようにすること、なのだから。
舞踏会ではいつも男装しているわけではない。しかし、ドレスを着るとしても、それは普通のドレスではなかった。時代がかったドレスだとか、ドレスを造花だらけで飾ってみたり、髪に木製の小鳥をいくつもつけたり、なんなら鳥(とり)籠(かご)を頭の上に載せてみたりと、いつもまともではない格好をしてみんなの前に現れることにしていた。
もちろんミアがそんな真似をすることに、両親は反対しているのだが……。
舞踏会は男女の出会いの場だ。貴族は政略結婚が主ではあるが、それでも年頃の娘たちは未来の旦(だん)那(な)様に見(み)初(そ)めてもらうために着飾るものなのだ。そこで男性に見初められて、ダンスを申し込まれ、やがて交際、婚約へと発展することもある。
ミアの両親もそれを期待して、娘を舞踏会に送り出しているのだろうが、あいにくミアは今のところ結婚相手を探してはいなかった。
少なくとも、姉のリーベルが無事に結婚するまでは。
それまでは……この『破天荒令嬢』を続けていくつもりだ。
ミアは最初にダンスしてほしいと言ってくれた令嬢に向かって、胸のポケットに挿(さ)していた白(しろ)薔薇(ばら)を気取ったポーズで差し出した。
「ケイトリン嬢、わたくしと踊っていただけますか?」
すると、彼女は頬(ほお)を赤く染めて、その薔薇を受け取った。
「もちろんですとも!」
ミアは男性がやるように彼女をエスコートして、舞踏場の真ん中に連れていく。女性にしては背が高いほうのミアはすらりとしていて、男装するとかなり映えることを知っている。髪がピンクブロンドでなければ、そして顔立ちが可愛い系でなければ、もっと格好よくキマっていたことだろう。キリッとした表情のときはいいのだが、笑うとどうしても幼く見えてしまうのだ。
とはいえ、男性陣はミアには恐れをなして近づかない。年配の女性には眉(まゆ)をひそめられたものだが、最近は慣れてきたのか、容認してくれている気がする。女性の地位は高くないし、それをよく知っている年配の女性だからこそ、内心ではミアのすることを応援してくれているのだろう。
ミアは華麗なステップを踏み、ケイトリン嬢と踊った。このために男性パートを踊れるように侍女相手に特訓した。
うん。今日も目立っているわ、わたし。
隅のほうでひとつ年上の姉のリーベルがじっとこちらを見ている。銀色の髪に紫の瞳で、顔立ちは母そっくりだ。美しいけれど表情に乏しくて、顔だけでは何を考えているのか分かりにくい。
そして、その隣には彼女の婚約者カーティス。モントロール伯(はく)爵(しゃく)家の次男だ。赤毛に灰色の瞳で、銀髪紫瞳のリーベルの隣にいると平凡に見えてしまうが、なかなかの美形だ。ただし女癖は悪く、今もリーベルではなく、別の女性に話しかけている。
ミアはダンスが終わると、またもや気障(きざ)な仕草で頭を下げる。そして、またもや群がってきた令嬢達を引き連れて、軽食が用意されているコーナーに向かった。
ミアがこの舞踏会でするべきことはこれで終わりだ。令嬢達の婚活の邪魔にならないように、後はさり気なく姿を消そう。令嬢の一人からレモネードを受け取り、礼を言う。彼女達はみんな可愛らしい。
ふと見ると、カーティスがリーベルをほったらかしにして、別の女性と軽食コーナーに来ていた。家同士の都合で姉と婚約したカーティスが目移りするのも仕方ないかもしれないが、それでも婚約者と一緒に来ているときくらい、本能を抑えてほしい。たまにこちらを見て、肩をすくめ、嘲(あざ)笑(わら)っているところを見ると、きっとミアの悪口でも言っているに違いない。
そんな性格の悪いカーティスではあるが、リーベルは彼のことが好きらしい。『らしい』というのは、ミアの推測ではない。
だって『あの小説』では、そういう設定だったから。
そして、ミアは『姉の婚約者を誘惑し奪う性(しょう)悪(わる)な妹』という設定だった。
つまり――この世界は『性悪な妹に婚約者を奪われたけれど、婚約者の何万倍も素敵な侯(こう)爵(しゃく)様に溺(でき)愛(あい)される』というコンセプトの異世界恋愛小説そのままなのだ。
ヒロインはもちろんリーベル。
悪役は……このわたし。性悪妹のミア・オーモンド。もちろん真の悪役の末路は破滅一択だ。小説のストーリーではとんでもないことになる。
気がついたらこの世界に紛れ込んでいたミア――ではなく本(もと)宮(みや)礼(れ)亜(あ)は、破滅を避けるべく、カーティスどころか男性を一切近づけない立派な破天荒令嬢となった。
とにかくリーベルの婚約者を奪わないように。
奇抜な格好と言動。
こうして日夜努力しているのだった。
第一章 素敵な出会いではなかったけれど
「ミア……本当にあなたったらいったいどうしてしまったの?」
舞踏会の翌日、朝からミアは母から軽いお説教を食らっていた。
ここは家族が集(つど)う朝食室だ。東向きの広い窓から朝の光が入ってきて、心地いい。部屋の中央に大きなテーブルがあり、その上には朝食と共に可憐な花が飾ってある。
こうした貴族のお屋敷では、朝食を食べる時間が決まっていない家もあるそうなのだが、我がオーモンド子爵家では違う。可能な限り、揃って朝食を摂ることになっていた。もちろんミアの隣にはリーベルもいる。向かいの席には母、そして父は家長らしく暖(だん)炉(ろ)の前の席に座っていた。
父は濃い金髪に青灰色の瞳を持っている。四十五歳という年齢のわりにすらっとしていて口(くち)髭(ひげ)を生やした紳士だ。三十八歳の母はミアと同じピンクブロンドにリーベルと同じ紫の瞳で、上品で美しい貴婦人に見える。加えてリーベルは間違いなく美形で、ミアもそれなりに整った顔立ちをしている。
すなわち美形家族がこうして一堂に集い、朝食を摂(と)っているのだ。仲良し四人家族と言いたいところだが、実際には違っていた。
何故なら母はリーベルにはまったく関心を寄せないからだ。その理由はよく分からない。小説がそういう設定だからなのだろうか。
母はリーベルに顔立ちが似ている。しかし、似ているからこそ嫌うということもある。そうとしか思えないほど、母はミアには甘く、リーベルには冷たかった。父も以前は母と同じように姉妹に接していたが、ミアの努力によりずいぶん改善してきている。母のほうはまったく変わらず、今もリーベルのことはいないみたいに振る舞っている。
本当にどうしてなんだか……。
やはりリーベルが可哀想(かわいそう)な生い立ちの設定の小説だから可哀想な目に遭うのだろうか。
ミアが前世を思い出したのは八歳のときだった。少しはしゃぎすぎて転び、そのとき大理石の彫刻で頭を打ったのだ。そのときに、前世を思い出した。
ミアの前世である本宮礼亜は、今と同じお金持ちのお嬢様だった。が、礼亜はそれが嫌だった。贅(ぜい)沢(たく)な悩みだと思われるかもしれないが、物心ついたときには親に何もかも決められて、自分の自由になるものがなかったのだ。
服もおもちゃも友達さえも決められていた。もちろん習い事も学校もすべて自由にはならなかった。持ち物も好みや意見を聞いてくれることはなく、与えられたものだけの世界で生きていた。
でも、大学に入ってから知り合った友人を通して世界が変わった。友人は奇天烈なファッションに身を包んでいた。あとからゴスロリファッションと聞くが、それまで礼亜の世界では着ている人を見たことがなかったのだ。
でも……何故か心が惹(ひ)かれてしまって……。
『好きな服を着て何が悪い』と言い放つ彼女が眩(まぶ)しく見えて、礼亜は彼女の服を借りて身に着けてみた。すると、今までとは違う世界が見えてきた。
それからゴスロリファッションに目覚めたかというと、そこまでではなかったが、自分でバイトをして、好きな服を買い、好きな場所へ出かけるようになった。親は止めようとしたけれど、自分を押し通しているうちに何も言わなくなった。
今まで自分を縛っていたものはなんだったのだろう。親の言うことをそのまま受け入れていたのは自分自身だったのだ。
それに気づいたとき、自己主張の大切さに気がついた。
そして、それから好きなバンドができて、推(お)し活を始めた。趣味を通して友人が増え、その友人の一人は漫画や小説が好きで、彼女に勧められて何冊も読んだものだ。
あるときまた一冊の小説を勧められた。それが、かの『性悪妹に婚約者を奪われた姉』の異世界恋愛小説だったのだ。礼亜はその本をスマホで読んでいたが、その途中で事故に遭い、命を落とす羽目になった。いや、恐らくそうだったのだろうと思う。気がついたら、自分は八歳のミアで、頭を打った痛みを抱えながらベッドに寝ていたのだから。
目覚めた時は、自分が小説の世界の中にいるなんて気づかなかった。当然だ。そんな設定の漫画や小説は読んでいたが、自分が同じ境遇に陥るとは普通思いもしないだろう。
が、どうもそうだと気がついたのは、身支度をしようとして、自分のピンクブロンドの髪を見たときだった。
ピンクっぽいブロンドというより、ブロンドらしい輝きのあるピンク髪だ。染めたのでもなければ、こんな髪の人間は存在しない。サファイヤみたいな色の瞳にも驚いたが、一番驚いたのはリーベルを見たときだ。
銀色の輝く髪にアメジストみたいな色の瞳。そしてリーベルという名前。ミアなんて、礼亜と発音が似ているし、そんなに変だと思わなかったが、リーベルは礼亜が読んでいた小説のヒロインの名だ。しかも容姿が同じ。
貴族の屋敷みたいな内装の部屋にいるし、自分を心配してくれている親らしき人達も日本人ではない。傍(そば)に控えているメイド達もだ。
ああ……これって!
今までさんざん漫画や小説で読んできたことが自分の身に起こったのだと思うしかなかった。そして、しばらく驚きに口も利(き)けなかったが、やがてミアとしての記憶も甦(よみがえ)ってきた。
ミアはとにかく両親に可愛がられて、甘やかされてきた。特に母親は激甘だった。人としてダメになる教育をしているとしか思えないほどの甘やかしぶりだ。そして、父親はその母親の言いなりだった。
それなのに、何故か母はリーベルにつらく当たっていた。子供らしい可愛い服も着せてもらえない。上質ではあるけれど平凡で地味なドレスばかりで、髪も冴えないリボンをつけているだけ。子供らしさなどない部屋は暗い色調で、狭くて日当たりの悪いところに押し込められていた。
どんなときでも母はミアを優先し、ミアばかりを可愛がる。だから、母の言いなりの父も同じ扱いをしていたし、使用人もリーベルをなんとなく蔑(ないがし)ろにする。もちろんミアも勘違いして、この家では自分だけが可愛がられるべきだと思い込んでいたのだ。
だから、ミアは我(わが)儘(まま)放題だった。欲しいものはなんでも手に入れてきたし、そういうものだと思っていて、なんでも両親におねだりをしてきた。
つまらないものでもリーベルだけが手にしているものを見ると、欲しくてたまらなくなり、彼女にねだったことがある。リーベルは少し悲しそうな目をしていたけれど、ミアに渡してくれて、文句は言わなかった。
母はリーベルに言った。『姉なら妹を可愛がるのは当然よね』と。
ミアはなにも考えずに、母の言葉を受け入れた。リーベルも自分を可愛がってくれている。だから、自分に譲ってくれるのだ、と。
それから、この先の物語は――。
ミアはどんどん我儘になり、狡(こう)猾(かつ)にもなった。自分の可愛さを前面に出して人を操り、思うような結果に繋(つな)がるように策略を練る。欲しいものを手にするためには手段を選ばないようになるのだ。
その犠牲者はたくさんいるが、誰よりも被害に遭ったのはリーベルだ。そんな二人が年頃になったとき、とうとうミアはリーベルの婚約者を奪うことに成功し、そこから物語は始まるのだった。
婚約者を奪われたリーベルは理知的で優しい侯爵様に見初められて、二人の恋愛物語になるのだが、恐らくミアは悪役らしく破滅するはずだ。何しろ最後まで読んでいないから、よく分からないが、ミアの味方をした子爵家ごと没落しそうな気配があった。
マズイ……。このままでは、きっとわたしはひどい目に遭うことになるわ!
そう気づいてからは、状況の改善に努めることにした。ミアが前世を思い出した八歳時点では、まだ物語が始まっていない。つまり、今から態度を改め、リーベルに優しくすれば、破滅は防げるということだ。
ついでに、両親にもリーベルに優しくするように促せば、幸せ家族の出来上がりだ。これで子爵家が没落することもない。めでたし、めでたし。
しかし、そんなミアの行動はあまり実を結ばなかった。
だいたいリーベルの反応がおかしい。前世を思い出してすぐに、ミアは涙ながらに今までの我儘な言動をリーベルに謝った。しかし、彼女はわずかに頷(うなず)いただけで、何も言わなかったし、微笑みもしなかった。
え……小説の中のリーベルって、こういうキャラだったっけ?
少しクールなところはあったけれど、心優しきヒロインだったはずだ。草花や動物を愛し、子供や老人にも心を砕く。それでいながら、暴力には敢(かん)然(ぜん)と立ち向かう正義感も持っていたはず。だから、侯爵に好かれるのだが……。
現実のリーベルはとにかく超クールだ。無表情だし、そもそも話し声すらあまり聞いたことがない。笑ったところもほぼ見たことがない。確かにこれでは母が可愛げがないと言うのも分かる気がした。
でも……きっとこれは防御反応なんだわ。
ミアはそう思った。両親から愛されず、差別され続けたら、こうなるのも無理はない。だから、それからもミアは何かにつけてリーベルに話しかけたし、親切にもした。両親にもそうするように説得した。
しかし、父は少し改善したものの、母は変わらなかった。母はとにかくミアだけが可愛いのだ。どんなに努力しても変わらなかったから、ミアは諦(あきら)めた。これはきっと『小説の設定だから』変えられないのだ、と。
だけど、自分の意志で変えられるものはある。ミアは自分の言動を変えることに注力した。そもそもミアがリーベルの婚約者を奪わなければ、問題は何も起こらない。ミアも破滅から逃れられる。そういうことだ。
リーベルがカーティスと婚約したのは十七歳のときだ。カーティスは伯爵家の次男だから、オーモンド子爵家に婿(むこ)入りすることになったのだが、彼はまだ十六歳で、結婚するにはさすがにまだ早すぎる。ということで、結婚式は彼が二十歳になってからということになった。
二人の婚約が決まったとき、十六歳のミアは社交界にデビューを控えていた。カーティスは表情に乏しいリーベルより、ミアに興味を持っている様子で、何かと話しかけてくる。ミアはあくまで妹という立場で受け流していたが、このままではマズイと思った。
だって……わたしが奪わなくても、向こうがこっちに惚れてしまったらどうすればいいの?
前世では恋愛経験はなかった。箱入り娘のときは誰も声をかけてこなかったし、大学生になって自由を満喫するようになってからは推し活に忙しく、男性と縁はなかった。だから、言い寄ってくる男へのかわし方なんて知らない。
そこで、誰にも興味を持たれないようになれば、細かいことは考えずに済むと思った。そして、社交界デビューしたその日から、ミアは破天荒令嬢へと変身したのだ。
両親は嘆いたが、自分が破滅せず、家も没落しないなら、これが一番ではないかと思った。それに、破天荒令嬢とあだ名をつけられることになってからというもの、前世で味わった自由を取り戻した気がしたのだ。
貴族の令嬢という足(あし)枷(かせ)がなくなり、好きなように振る舞い、人を驚かせる。その快感に目覚めてしまったというか……。
母は嫁の貰(もら)い手がなくなると嘆いていたが、窮屈な思いをするくらいなら結婚なんてしなくてもいいと思っている。貴族の夫人という枠に押し込めようとする旦那様はいらない。
もし今の自分を認めてくれる人がいれば、そのときは結婚してもいいとは思っているが。
ともあれ、そんなわけで、今の『破天荒令嬢ミア』ができあがったのだった。
あれから二年経ったが、母は相変わらずミアに甘い。結局はどんな奇天烈な振る舞いも許しているのだから。今も朝食の席で愚痴を言いながらも、厳しく躾(しつ)ける気はないようだった。
「とにかく……ミア。もう少しおとなしくしないと、縁談が来ないわ。このままじゃ……」
ミアは母に笑顔を向けた。
「心配しないで、お母様。わたしは領地の一角に小さな家をもらったら、そこでおとなしく暮らすから」
ミアが思い描いているのは、田舎暮らしのスローライフだ。食べる分の野菜を作り、近隣の住民と仲良くなるのだ。そんなに上(う)手(ま)くいかないかもしれないが、ここ王都の屋敷にある庭園で庭師からいろいろ話を聞いて、今は植物の育て方を学んでいる。
「とんでもないわ! 貴族の娘はいいおうちに嫁ぐのが幸せになる道なのよ。ねえ、あなた」
ほとんどのことは母の言いなりになっている父は頷く。
「そうだな。……ただミアも大人だ。そのうち自分の振る舞いを改めるようになるのでは……」
父はたまにこういうふうにミアを庇(かば)ってくれることもある。だが、母にじっと見つめられると、何も言えなくなるのか、もごもごと言葉を濁してしまう。
この世界の夫婦は父親の実権が強いように感じるが、このオーモンド家では逆のようだ。
どちらにしても、結局は二人ともミアのやりたいようにさせてくれて、ミアはこの甘やかしを感謝しつつ利用していた。
「お父様もお母様もわたしのことを愛しているから、自由にさせてくれているのよね。本当にありがとう!」
少し大げさに表情を作ってみると、母は諦めたように溜(ため)息(いき)をつく。
「そうだったわ。あなたは自由が好きなのよね……」
「そうなの! でも、お母様のおっしゃることもちゃんと分かっているわ。これからすぐには変われないけど、少しずつ努力するから」
ミアが努力する方向は、もちろん母が言う『おとなしくする』ことなんかではなかったが、とりあえずいつもそれで治まるのだった。それは母も気づいているみたいだったが、しつこく小言を口にするのはやめにしたようだ。
「まあ仕方ないわよね。わたしもお父様もあなたが本当に大事だってことを分かってくれていれば……」
「もちろんよ!」
ミアは明るく笑った。
よし。これでこの話は終わりだ。
リーベルのほうをそっと窺(うかが)ってみる。相変わらず彼女は淡々とした様子で食べ物を口に運んでいる。まるで一人だけここにいないような顔をしていた。
本当に不思議な人だわ……。
彼女は物語のヒロインらしくない。小説みたいにミアに虐(いじ)められていないからだろうか。彼女は家庭でひどい目に遭いながらも、健(けな)気(げ)に頑張っていくはずだったのだが、どう見てもそうは見えない。
浮世離れしているというか、完全に現実逃避しているというか……。
だからといって、彼女が愚(ぐ)鈍(どん)かというと、決してそうではない。幼い頃からずっと同じ教師について勉強していたからよく知っている。彼女は優秀だし、立ち振る舞いも貴族の子女として完璧なのだ。
やっぱりわたしが性悪妹としての役目を果たしていないからなのかしら。
そう思うと、申し訳ない気持ちになってくるが、それでもやはりリーベルを虐める気にはなれない。自分が破滅したくないというのもあるが、彼女を虐める理由など思い当たらないからだ。
前世の記憶もないなら、甘やかされまくった妹として何かしでかしていた可能性はあるだろうが、記憶を取り戻した今では絶対に無理だ。子供のときでもプラス二十歳分の記憶はある。大人が子供を虐めるような真似はできない。
もっとも、リーベルを差別している母は、まさしく大人が子供を虐めているのだが、それこそ『小説の設定』の強制力で変えられないのかもしれない。実際、ミアがどんなに努力しても、そこだけはどうしても変えられなかったのだ。
やがて地獄の朝食会は終わり、ミアは自由になった。
今日は……街に繰り出すわよ!
ミアは侍女のニーナの手を借りて、貴族の令嬢風ドレスを脱いだ。
ニーナはミアより二歳年上のそばかすがある可愛い侍女だ。童顔だが、よく気が利いていて、何より髪をセットするのが上手だ。ミアからの無理難題にも応えられるテクニックの持ち主だった。ニーナが作り上げた斬(ざん)新(しん)な髪型がなければ、ミアもここまで破天荒令嬢として有名ではなかったかもしれないと思うほどだ。
「さあ次は……町娘に変身よ!」
「はい、お嬢様」
白いシフトドレスの上に前開きのボディスを身に着け、紐(ひも)をきっちり結ぶ。ペチコートとスカートを穿いてエプロンをつけ、これで立派な町娘だ。ピンクブロンドの髪はめずらしくて目立ちすぎるので、ウィッグで隠しておく。
「うん。これでいいわ!」
ニーナは慣れているので驚くことはないが、こんな格好をして喜んでいるミアのことを呆れた目で見ているみたいだ。
でも、いいの。わたしは破天荒令嬢だから。
なので、このオーモンド子爵邸ではミアがどんな格好をしていても、誰も何事もなかったかのように過ごしている。
母に見つかると小言が始まるので、こっそり玄関へ行く。そして、いつものように執事に申しつけておいた古びた馬車に乗り、街へと出かけた。
ここ王都では、主要道路はすべて石で舗(ほ)装(そう)されている。だから、田舎道に比べると汚れは少なく、清潔に見える。
貴族として街に出るときは、貴族御(ご)用(よう)達(たし)の高級店が並ぶ通りで馬車を停めるが、今日はお忍びで庶民の生活を肌で感じるのが目的なので、知り合いが絶対にいない場所――庶民で賑わう市場に至る道で馬車から降りた。
馬車に帰りの時間を告げると、ミアは賑わう人と同じように市場へ向かった。庶民と同じように手に籠を持つ。
貴族の世界とはまったく違う世界がここにはあった。前世では庶民育ちなのだから、こちらのほうが空気が合っているかもしれない。ところどころ不潔な場所もあるけれど、それでもこうした活気のある空間に身を置くのは、何か清々(すがすが)しい感じもした。
貴族がゆえ、生まれながら衣食住に困らない生活をしているから、そのありがたみが分からないのだと思われそうだが、やはり前世が庶民の自分はどうしても貴族としての生活に息苦しさを感じてしまうときがある。
ミアは市場の人の流れに身を任せながら、たくさんの食材や日用品を見て回った。ときどき初めて見るような品物も出ていて、思わず見入っていると、露店の店主から声をかけられた。
「娘さん、これはお買い得だよ。南の地方から仕入れた野菜なんだ」
見た目はバナナで大きさと形がさつまいもみたいなのだが、野菜だという。ミアはそれを手に取り、店主の中年男性に話しかけた。
「どうやって食べるの?」
「皮を剥(む)いて、それを蒸かすんだ。塩をつけて食べたら最高だから」
どうやら芋(いも)みたいなもののようだ。
「でも、やっぱりいらないわ」
「安くしとくから。ひとつ三ノリンで」
「三つで五ノリンだったらいいけど」
「そりゃあないよ。三つならせめて八はもらわないと」
「七でどうかしら」
店主は渋い顔で仕方なさそうに頷く。
「よし。三つで七ノリンだ」
ミアはエプロンの下につけている隠しポケットから小さな布の財布を取り出して、硬貨を渡した。そして、バナナみたいな野菜を三つ籠に入れる。店主は残念そうな顔をしているが、実は最初に吹っかけてきているので、恐らくこれでもけっこう利益が出るはずだ。
庶民ごっこしているとはいえ、そこは貴族だから、本物の庶民の生活を圧迫するような真似はできない。
「おじさん、ありがとう」
礼を言うと、向こうも笑顔になる。
「娘さん、これもおまけだよ」
店主はウィンクしながら籠に小さな果物を二つ入れてくれた。プラムみたいな味のするものだ。市場ではこういうやり取りがあるから好きなのだ。
しばらく歩いていると、花売りの女の子が道を歩いているのを見つけた。身体に比べて大きな籠を持っていて、それには紐でくくった小さな花束がたくさん入っている。服装は古びていて汚い。
「お花はいりませんか? 綺麗なお花です!」
彼女は道行く人に話しかけているが、無視されていた。年齢は六、七歳くらいか。こんなに小さな子供が働かなくてはならないということに、ミアは心を痛めた。
どうしたって貧困というものは存在する。それは前世の世界もそうだったが、この世界では顕著だ。王族や貴族、中産階級の人達は贅沢をし、それ以下はそれなりにしか生きられない。その中でも貧しい暮らしを強いられている人達もいる。
この世界にも医師はいるが、貧しければ医師の治療を受けることもできずに命を落とすこともめずらしくない。そして、親を亡くした子供達は誰かに引き取られたり、孤児院へ行くことになるが、いい扱いをされることは少ないという。
貧困階級に食べ物を配ったり、孤児院の慰(い)問(もん)といったボランティアに参加したことはある。しかし、それだけでは解決できるものではなかった。ミアはなんの力も持っていないし、子爵家の財産だって好きなように使えるわけではない。
それに……王都の問題を解決するのは貴族ではなく、王族のはずだ。少なくとも国王の指揮の下、解決していかなくてはならないと感じた。
ミアは少女に近づき、話しかけた。
「綺麗な花ね」
すると、少女はぱっと振り向き、籠に入っていた小さな花束を差し出してくる。明らかに野原で摘んできた花で半分萎(しお)れかけている。買うのはきっと彼女に同情した人だけだろう。
「半ノリンです」
「じゃあ、二つちょうだい」
ミアが一ノリンを差し出すと、少女は嬉しそうな笑顔で花束をくれた。このくらいのことではなんの解決にもならないかもしれないが、ミアには他にすべがない。
いっそのこと、すべての花を買い取ろうかと思ったが、こうした花売りには元締めみたいな人間がいると聞いている。今日は全部売れても、明日はひとつも売れないかもしれない。そのことで少女が責められるのは可哀想だ。
それでも、そのまま離れるのは忍びなく、ミアは屈(かが)んで話しかけた。
「ねえ、あなたの名前は?」
そんなことを客に聞かれるのは初めてなのか、少女は戸惑うようにまばたきをした。
「あの……モリーです」
「お父さんかお母さんに言われてお花を売っているの?」
「え……と、お父さんもお母さんもいません。おじさんが売ってこいって」
彼女は孤児なのだ。けれども、施設ではなく、親戚か知り合いに引き取られているのだろうか。もしくは、やはり子供を働かせている元締めみたいな人間に使われているだけかもしれない。
いずれにしても、花売りだけでは大して稼げない。彼女が成長したら、違った仕事をする場所に売られてしまうかもしれなかった。
たとえば、娼(しょう)館(かん)とか……。
想像をたくましくしているだけかもしれないと思いつつも、やはり心配になってくる。
どうしたら一番いいだろう。どうしたら彼女を救えるだろうか。いや、こんなふうに仕事をさせられている孤児は彼女だけではないだろうし、それならすべての孤児を救えるのかと言ったら、絶対にそうではない。一(いっ)介(かい)の令嬢でしかないミアには限界があった。
それでも、この小さなモリーのために何かしてあげたい。いっそ家に連れて帰ろうか。メイドとして働かせるには小さすぎるが、何か小間使いみたいなものをさせられるかもしれない。
そう思ったが、彼女は頭を下げて、ミアから離れていった。胸が痛むけれど、このまま見送ることしかできない。それに変に介入して、期待を抱かせるだけになる可能性の方が大きいからだ。
でも……。
ミアはその場で立ち尽くしながら、あれこれ頭を巡らせる。辺りを見回せば、働いている子供は少なからずいる。モリーほど汚い格好はしていないが、それでも子供らしい快活な様子は見られない。
助けを必要としている子供はモリーだけではないことは分かっている。それでも、やはりあの娘が気になる。自分を見上げたあの澄んだ瞳のために何か手助けしたい。
モリーが去っていった方向へ足を踏み出した。
確か向こうの角を曲がっていったはずだ。追っていき、角を曲がろうと足を踏み出したとき、急に怒鳴り声が聞こえてきて、ミアは身をすくめた。
「おまえはいったい何をやってるんだ! 惨めに泣いてみせるくらいの芸ができないのか! せっかくあの女、全部買ってくれそうだったのに」
さっと身を翻して、角に隠れる。そして、そっと怒鳴り声の主を見た。
大柄な中年の男がいて、小さなモリーの肩を掴んで脅かしている。男はきっとモリーみたいな幼い子供を働かせている元締めなのだろう。そして『あの女』とはミアのことだ。どうやらミアが彼女に同情をしていたところを見ていたのだ。
「いつも言ってるだろ。買ってくれそうな相手には、半ノリンじゃなくて、もっと高く売りつけろ。それから泣き落としをするんだ。いいか、こう言うんだ。『これが全部売れないと、怖い人に殴られるんです』ってな。実際そうだろ」
男はへらへら笑いながら、モリーの頭を乱暴に小(こ)突(づ)いた。
「なあ、もう殴られたくないだろ? さっきの女を探して、泣きついてこいよ。全部売れないと、今日は飯ナシだからな」
「で、でも……あのお姉さんだってそんなにお金ないんじゃ……」
「こんなちっぽけな野花を買ってくれるんだ。金はあるに決まってんだろ。いいから、行ってこい。全部売れるまで帰ってくるんじゃねーぞ!」
男はモリーの肩を押した。すると、か細い身体はそのまま倒れる。泣き声を上げた彼女に、男は苛(いら)立(だ)ったように拳を向けた。
「うるせえよ!」
ミアは黙って見ていられず、角から飛び出す。
「やめなさい!」
倒れたモリーに駆け寄り、抱き締めた。
「なんだ。見てたのか。こりゃあ探す手間が省けたな」
男はニヤニヤ笑いながら、モリーを抱き寄せて地面に膝をつくミアを見下ろしてくる。ミアは男から顔を近づけられて、思わず身を引いた。
護衛の一人くらい連れてくればよかった。だが、危険なことに首を突っ込むつもりはなかったし、市場のある大通りで楽しむだけのつもりだったのだ。
少し脇道に入っただけなのに、急に寂(さび)れていて人の気配がない。貴族の間では型破りな行動を繰り返しているミアでも、悪事を働いていそうな男に凄まれて怖くないわけがなかった。
「こいつを助けたいなら、花を買えよ。そうだな。全部で五十ノリンだ」
萎れかけている野花の束にそれだけの価値はない。それは分かっているが、相手は分かった上でふっかけてきているのだ。女一人と見て、逆らえないだろうと思っているのだ。
悔しいけれど、自分にはなんの力もない。それに、ここでモリーを見捨てるわけにはいかなかった。
「は、払うから、この子には何もしないと約束して」
せめてモリーの安全を図ろうとしたのだが、男に怒鳴りつけられてしまった。
「ガタガタ言ってんじゃねーよ! 払うのか、払わねえのか! どっちなんだ!」
ミアも怖いが、モリーは完全に身を竦(すく)ませている。とにかく彼女を守らなくてはと思い、財布を取り出した。
「お、持ってんじゃねーか」
男はミアの手から財布を取り上げ、勝手に中から硬貨を取り出そうとしている。そんなに大金が入っているわけではないが、五十ノリンと言ったくせにそれ以上を取ろうとしているので、思わず財布を取り返そうとした。
「返して!」
しかし、手は撥(は)ねのけられ、同時に蹴(け)られてしまった。悲鳴を上げながらも、モリーを庇いながら地面に倒れる。
なんてひどい……!
幼い子供を働かせたり、暴力を振るうような男だから、何をしてもおかしくないのかもしれないが、ミアとしては誰かに蹴られたのは生まれて初めてでショックだった。
「あいたたたっ!」
男の痛がる声が聞こえ、はっと顔を上げた。財布から金を強奪しようとしていた男は、別の若い男に腕を掴まれ、捻(ひね)り上げられている。
若い男は長身で体格がいい。がっちりしているわけではなく、やや細身だが筋肉質だ。だらしない体形の中年男は力でかないそうになかった。悲鳴を上げて許しを請う。
「やめてくれ! 頼むから!」
「なら、女子供に手を出すな」
「分かった! だからぁ……やめてくれえっ……腕が折れちまう!」
若い男は相手が痛がろうとも顔色も変えない。しばらく痛めつけた後、その腕を放した。すると、中年男は転びそうになりながらも恐ろしい勢いで逃げ去った。
若い男はそれを見送り、振り向く。彼は黒いシャツに黒いズボンを穿き、丈の長い灰色の上着を羽織っている。庶民らしく上質な布地ではないものの、身体にぴたりと合っていて、古着っぽくはなかった。
ミアはモリーを庇っていたが、元締めらしい男が去ったことでほっとして肩の力を抜く。腕の中のモリーも同様だった。
「あ……ありがとうございました。助かりました」
お礼を言って、立ち上がりかけたところで、若い男はズンズンとこちら近づいてきて、ミアを睨(にら)みつけてきた。
え……この人は助けてくれたんじゃなかったの?
わたし、何か悪いことをしたかしら。
彼が怒っている理由が分からず、ミアは戸惑った。
それにしても、近くで見ると、彼は目鼻立ちが整っている。少し長めの黒髪は整えられていないが艶(つや)がある。鋭い眼光を放つ琥(こ)珀(はく)色の瞳や引き結ばれた唇は、頑固そうに見えた。
「危険だろうが! どうしてあんな男に立ち向かったんだ!」
頭ごなしに怒鳴りつけられてムッとする。
「じゃあ、この子が痛めつけられていたのを黙って見ていればよかったと言うの? とてもじゃないけど、わたしはそんな真似はできないわ!」
この続きは「悪役令嬢に転生して、運命回避のために破天荒令嬢を演じたら溺愛されました!」でお楽しみください♪