書籍詳細

営業部の永瀬くんと上坂さん ~絶倫同僚の執愛~
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2025/03/28 |
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内容紹介
立ち読み
◆第一章:彼女が恋に落ちた理由
ちゃんとした出会いは営業一課にそれぞれ配属された日のことだった。
内定式や入社式、研修で顔は知っていたけど、永(なが)瀬(せ)将(しょう)吾(ご)をちゃんと真正面から見たのはその日が初めてだった。
……かっこいい人。
上(かみ)坂(さか)ゆりは、ぽかんと背の高いその人を見上げた。ゆりは百六十センチあるのだが、それでも見上げるほどに背の高い人だった。
百八十センチは優に超えてそうなその人は、私を見下ろし、ニカッと太陽のような笑顔を見せた。
わあ。
「上坂さんだよな。今日からよろしく」
「あ、永瀬くん。よろしくね。他の二人は?」
「チームが違うっぽい。俺らは足(あ)立(だち)さんっていう先輩が教育係らしい。一課の中でAチームとBチームで分かれてるみたいで、俺らはAチーム」
「なるほど。じゃあ、これからしばらくよろしくね。一緒に頑張ろう」
またニカッと笑う。まぶしい。
笑顔のまぶしい人。今まで大きく挫折することもなく、立ち止まることもない。
人と比べて大きく落ち込んだこともなく、道のど真ん中を歩いてきた人。
ゆりは勝手な当たりをつけた。そして、永瀬将吾にぽうっと視線を向けた。まるでクリスマスのイルミネーションでも見るみたいに。
営業一課に配属されたのは、ゆりと将吾の他に、同期が二人いたけれど、その二人はBチームらしく、少し離れた場所で先輩からの話を聞いている。
誰が見ても一年目だと分かるリクルートスーツを着ている四人だ。
本配属の今日はいくらか緊張していたけど、「俺の席ってどこだろ」と将吾が気楽にしているので、ゆりも肩の力が抜けた。
だが、Aチームは鬼門だったのだ。
教育係の足立や、そのさらに先輩の仁(に)川(かわ)も、仁川と同期の小(こ)嶋(じま)も、みんな、みんな、仕事に厳しく、仕事に熱かった。
「上坂ぁ! ロープレするぞ!」
「はい!」
足立に声を掛けられて、会議室へと向かう。
オフィスでこそこそと、「出た足立の鬼ロープレ」「上坂さん泣いて出てくるんじゃね」と噂(うわさ)をされている。
ゆりはもう数度目のロールプレイング研修で、足立のしごきには慣れてきたが、辛(つら)いものは辛い。
「上坂! そんな喋(しゃべ)りでお客様が納得すると思うのか? 向こうは金を出すんだぞ!?」
「上坂のやり方は知識を並べているだけだろうが! そうじゃなくて、向こうが何を求めてるのか理解しようとしているか!?」
「はい、その言い回しアウト。他社を引き合いに出すのはいいけど、その言い方だと角が立つだろ」
たっぷり一時間が経(た)ち、ようやく解放されてオフィスに戻ってきた時には気力がゼロに衰えていた。
ああ。やばい、死ねる。窓が開いてたら飛び込んでたかもしれないぞ。今すぐそうできたらどれだけ楽になるだろう。
泣きはしなかったが、心の中でゆりは戦地で倒れ、息も絶え絶えになっていた。
「次! 永瀬ぇ! 会議室!」
足立の怒鳴り声に近い声が響き、反射的にビクッと肩が揺れる。
呼ばれた将吾が通り過ぎる際、ポンッと肩に手を置いて行った。見上げると安心させるようにニッと笑っている。
うわー。かっこつけだな永瀬将吾。かっこつけ永瀬。
「足立、超張り切ってる」
「初の教育係だから、やる気だしてんだよ」
クスクスと笑い声。またこそこそと足立の噂話。
(社内で若干足立さんの熱さが馬鹿にされている感じあるけど、まあでも足立さんの言っていることは間違ってないんだよね。営業成績もすごくいいみたいだし、私は本気で見習いたい)
さっきのロープレを思い返して、ゆりは己の営業技術を素直に反省した。
「ぐすっ……、ずっ…………」
一時間半ほど経って、洟(はな)をすすった永瀬将吾が会議室から出てきた。
オフィスの皆が唖(あ)然(ぜん)とした顔で見ている。足立が後ろから出てきて、「永瀬、明日もやるぞ」と声を掛けている。
「わー、泣いて出てきたの永瀬の方だったー」
「こら、言うなって」
楽し気に笑う先輩たちに、はぁとため息を吐(つ)いて、ゆりは立ち上がった。
自販機でコーヒーを買って、将吾の席にポンと置く。
目元が赤くなった将吾がコーヒーに目をやってから、ゆりを見上げた。
「上坂さんありがと。でも俺、……ブラック飲めない」
「ぐっ」
「え、今の喉が詰まったみたいな音なに? ぶ、ふふっ、やばすぎない? ふははははっ」
「ちょ、笑いすぎだから。永瀬くん、あんまり笑うと」
ゆりが両手を揺らしてあわあわしていると、
「永瀬ぇ! 上坂ぁ! 油売ってる暇あったら、仕事覚えろぉ!」と足立から檄(げき)が飛んできて、二人で「すみませーん」と返事をした。
Aチームの悲劇はこれだけでは終わらなかった。
「おっし。仕事終わり! 永瀬ぇ、上坂ぁ! 飲み行くぞ!」
足立がもうすでに鞄(かばん)を持って、ウキウキした声でゆりと将吾に声を掛けている。
なぜいつも怒鳴り声なのだろう。ゆりは疑問に思いながら、小さくため息を吐いて立ち上がる。
将吾と二人で目を合わせて、うんうんと頷(うなず)きあう。将吾と言葉を交わさなくても分かる。考えていることは同じだろう。
結局Aチームの先輩、仁川と小嶋も合流して、五人で飲みに行くことになった。
「二日前も同じメンツで飲んだよね。またかよ」
「ほんとそれ。飲み会多すぎるよね」
「足立さん、めっちゃ楽しそう。しかも酒強いんだよなーあの人たち」
「飲み会大好きだよね。今日は頑張って早めに帰ろう」
「おう」
居酒屋までの道中、自然と将吾と二人で会話をした。
Aチームの一番下っ端同士、仲良くなるのは必然だった。
そして、その日の飲み会も荒れた。上の三人は揃(そろ)いも揃って酒豪なのだ。ゆりも将吾も弱い方ではないが、先輩がお酒をおかわりするタイミングに合わせて飲むのはなかなかしんどい。
ザルのように飲むのについていくのは大変で、この日のゆりは体調がすぐれなかったのもあって、解散する頃にはフラフラになっていた。
「俺、上坂さん送って行きます」
「永瀬、悪いな。頼むわ」
「はい、大丈夫っす」
「おーい。上坂、大丈夫か? 飲ませすぎたか? 俺ペース早いからよ、悪かったな」
足立がゆりを覗(のぞ)き込むようにして心配してくれる。
悪い人ではないのだ。猪(ちょ)突(とつ)猛(もう)進(しん)のイノシシのような人なのだ。「お前ら疲れただろ! 飲めよ!」が口癖の悪気ゼロパーセントの人なのだ。
「全然大丈夫です。永瀬くんごめん。駅まで」
「うん。じゃあ、皆さんお疲れ様です。ご馳走様でした。また明日です!」
「ういーお疲れー」と三人から声が掛かり、駅前までのガヤガヤした道を将吾に支えられながら歩く。
途中の自販機で、将吾が買ってくれたひんやりしたペットボトルのお茶を頬にあてる。
発火しそうな頬が冷やされて、ほうっと息が漏れた。
「だいぶ私の代わりにピッチ上げて飲んでくれたよね。ありがとう」
「あー全然。今日、酔うの早くなかった? 体調悪かった?」
「あ、うん、まあ」
「えー、早く言ってよ。気付かなかった。風邪?」
「いや、その、昨日生理になっちゃって」
酔いもあって、取り繕うことなく“生理”というワードを出したにもかかわらず、将吾は引くことなく、ゆりからおもむろにペットボトルを取り上げた。
ヒヤッとしていたペットボトルがいきなり手元からなくなり、ぽかんとする。
「え?」
「ごめん、俺。こんな冷たいの渡して」
「え? いや、ありがとう?」
「そういう日は冷たいもの駄目でしょ」
「そ、そう?」
「それでなくてもあんな酒飲まされたのに。身体温めないと。あ、頭痛薬も持ってるよ。飲む? あ、酒飲んで頭痛薬は駄目か。とりあえずそこのベンチに座ろう」
あれよあれよと駅前のベンチに座らされて、「ちょっと待ってて」と将吾は駆けて行った。
なぜかなかなか帰ってこなかったが、五月の夜風は涼しくて、頬の火照りを冷ましてくれた。
五分ほどして、びっくりするほど息を荒くした将吾はものすごく遠くから走って帰ってきた。しかも有名なファストフード店の袋を手に提げている。
「はあはあ、ごめん、なかなかなくて」
スーツの男がはあはあ言っている姿が色っぽいと思うなんて生まれて初めてだ。
「え? なにが? あ、頭痛薬? いいのに」
「ちが、薬じゃなくて、はあ、温かい飲み物」
「え?」
「いや、なんかそういう日ってお腹冷やしたら駄目でしょ。温かい飲み物ってこの季節、自販機にないとこ多いんだな。コーヒーはあったんだけどそれ以外全然なくて、途方に暮れてたら目の前に救世主がいた」
そう言って、将吾はニカッとして手に持っていたビニール袋を掲げた。
器用な手つきで袋を開けて、中からドリンクを出してくる。茶葉の紐がぶら下がっているからどうやら紅茶のようだ。
「温かい飲み物、コーヒー系か紅茶しかなくてさ、カフェインない方がいいと思ったんだけど、ないからちょっとでもマシな紅茶にした。飲める?」
「うん」
「茶葉入れてもらったからもうできてるわ。砂糖入れる?」
「ううん、いい」
「じゃあ、これでいけるかな。飲んで。あ、熱いからやけど気を付けて」
目の前でイケメンが紅茶にふうーっふうーっと息を吹きかけている。
それから、手に持つだけで温かさの分かる飲み物を渡される。
手にぬくもりを感じると同時に、ゆりは胸の奥がぎゅっと締まるのを感じた。
ああ、ああ。この感覚っておぼえがある。恋に落ちる前の淡いときめきだ。だめなやつ。
ダージリンの香りが、酔いを醒(さ)ますようで、ゆっくり唇をつけた。
「あったかい、癒やされる」
「まじ? 良かった。まだ終電余裕だしちょっと酔い醒まして帰ろう」
そう言って、将吾は隣に腰かけて、星一つない夜空を見上げた。それから思い出したように、鞄を探って、りんご味の飴を手渡してくれる。
「ありがとう」と言って受け取る。「糖分少し取った方がいいよ」とかいがいしい。
なんだか介抱に慣れているような感じがする。
ゆりは不思議に思って尋ねてみた。
「永瀬くん、ほんとにありがとう。なんでそんな女の子の事情、詳しいの? 姉妹いる?」
「いや、彼女がさ、いつもその日は死んでて、よく使いっ走りさせられるから」
低い声がさらりと告げた“彼女”というフレーズ。
当たり前のように言われた慣れた響きに胸がぎゅっと締まった。
「あーなるほどぉ。そういう」
「そう、最初分からんくて、ポカリとかゼリーとか買って行ったら風邪じゃないんだぞって言われて、そのうち学習したって感じで」
「へえー優しいねー」
ゆりは気のない返事をしながら紅茶を飲んだ。
頭の中に浮かんだ感想は、“なんだか面白くない”だった。
彼のエピソードが、姉か妹だったらもっともっと楽しく返事ができたのに、今は鉛でも飲んだよう。
だって、すごくときめいたから。
飲み会中も庇(かば)って飲んでくれているのが分かったし、帰り道で支える力強い腕も、気遣う優しさも、同僚のために必死に走り回る姿も。
ファストフード店のビニール袋を目の前に掲げて、ニカッと笑うあの欠けのない笑顔も。
全部彼女のためにやって、彼女のために覚えたことだったか。
(私ならポカリでもゼリーでも買ってきてくれたら嬉しいけどな。絶対怒ったりしない)
言ってはいけないことが頭に浮かび、下唇を噛(か)んでこらえる。
「いやーでもマジ足立さんたちキツイな。飲みもそうだし、ロープレも鬼畜すぎない? 俺らの一つ上の人たちがAチームにいないのって、しごきにやられて異動したり退職したせいらしいんだよな」
「……そうなんだ。なるほど」
「いや俺も正直挫(くじ)けそうっていうか、Bチームの楽しそうなの見てるとうらやましくて。Bチームは上の人が下戸だから飲み会もほとんどないらしい」
「確かに飲み会がしょっちゅうあって、プライベート時間減るしね」
「そうだろー上坂さんもこうやって潰れるほど飲まされてるわけだしな。仕事も――」
「でも――」
将吾とゆりの声が重なって、「あ、いいよ言って」と将吾が促す。
ゆりはホットティーをまた一口飲んで、口を開いた。
「私は結構Aチームで良かったなって思ってて」
「え? 本気で言ってる? 俺ら墓場行きとか社内で噂されてんだけど」
「そうなんだ。ふふ、でも足立さんたち言ってることはキツイんだけど正論なんだよね。痛いところ突かれるっていうか、見えてなかった弱点を教えてもらえるっていうか、仕事はすごくできる人だよね。結構尊敬してて。ロープレで恥かくほうがいいもん、何度でもやってほしい。営業先で恥かくと、売上に直結するでしょ。それは怖いんだよね。それに私は飲みニケーションっていうの? 体調が悪い時はしんどいなって思うこともあるけど、なんだかんだで嫌いじゃなくて。お酒好きだし、一人暮らしだから家帰っても一人だと味気ないし、みんなでワイワイ楽しいよ」
ゆりが長々と語ると、将吾はぽかんというか、唖然というか、宇宙人にでも遭遇したというような表情で固まった。
その顔があんまり見ない表情で思わず笑った。
「めちゃくちゃ引いてるね」
「うん、どん引き」
「はははっ」
「へ――、しかし、そんな風に考えるんだな。なんか上坂さんって俺とは違う人間」
「まぁそうだよね。何が言いたいかってさ。Aチームで頑張って行こうよ」
「ぶはっ、あ、なるほど、言いたいのそこだったの? 着地そこ? 飛び方下手すぎない?」
「うん。口説くの下手ですまん」
「いや、下手では無い。俺がすごくダサいこと言ってるのに気付いたから。ありがとう」
将吾は素直に頭を下げて、やっぱりニカッと笑ったのだった。
それから将吾と取り留めもない話をした。終電近くまで駅前のベンチに座りながら。
ゆりは生理痛の痛みも、酔いもすっかりなくなった頃、ふわふわとした高揚だけが身体に残った。
その日、ゆりと将吾は足立と一緒に取引先の会社を出た。生まれて初めて取引先への謝罪を終えたところだった。夕暮れ時をとうに過ぎて、初夏だというのに辺りは暗くなり始めていた。
ミスの発覚は足立の雄(お)叫(たけ)びだった。
「おい! これ日程間違えてないか!? おい! 上坂ぁ! 永瀬ぇ!」
「「はいいい!」」
二人は足立の怒鳴り声にビクンと肩を揺らした。いつも大声の足立だが、今日はいつもより相当ボリュームがあったからだ。関係のない社員たちも複数ビクンと震えていた。
二人は一瞬顔を見合わせ、それから小走りでオフィス内を駆け、足立のデスクまで向かった。
「お前らがやってるこの案件さ、ウェブ広告開始は六月十日じゃないか? 七月十日開始で予約してあるけど、先方のメール見たら六月十日でお願いしますって書いてあるぞ? どうなってる?」
ゆりはサーっと血の気が引いた。心臓がバクバクと音を立てうるさいほどだった。口の中がカラカラになり、手の指先が意思に反してブルブルと震えた。
「えっと……」
ゆりは喉が詰まって声が出ない。将吾も同じように固まっていた。
「黙ってないで答えろ。確認しろ!」
足立の言葉に、将吾は「すぐ確認します」とデスクに戻って行った。
「おい、上坂。大丈夫か」
余程様子がおかしかったのだろうか。椅子に腰かけたままの足立がゆりの顔を見上げ、眉をひそめている。
「はい、すみません。私も確認します」
身体がふらつきそうになりながらも、ゆりもデスクに戻り、先方とのメールのやり取り、ウェブへの予約状況などを念入りに調べた。
結局、やはり足立の言う通り、ゆりと将吾のミスだった。ウェブ広告をネット媒体に掲載する日程を指定されていたのに、その日程を一ヵ月間違えていたのだ。しかも今日は六月十一日だ。今すぐスタートさせたとしてもすでに一日遅れている。
ゆりは足を小鹿のように震わせながら足立の元へと戻った。
「足立さん、申し訳ありません。私が勘違いしていたみたいで、まだ広告スタートできてません」
「…………説教は後だ。まず上坂は今すぐ広告をスタートさせろ。こういう時は焦ってミスが重なるからスタートさせたら見せろ。チェックする。今から俺は先方に電話する」
「はい……。本当にすみません」
「いいから。とっととしろ」
ゆりは急いでデスクへと戻り、来月で設定していた予約を破棄し、今すぐスタートするよう申請した。将吾もゆりのデスクへと来て、一緒に確認してくれている。これ以上ミスすれば大事だ。二人は丹念にチェックをし、六月十一日の十五時に広告を開始した。
「将吾、ごめんね」
「いや、俺も確認していなかったし、俺もごめん」
「ううん」
二人は研修中のため、セットで行動している。この頃には、お互いをゆり、将吾と呼び合うようになり、新卒の同志として打ち解けていた。
仕事に関しては、足立も一緒に会議に参加したり、フォローをしてくれてたりしているのだが、すべて見れているわけじゃない。今日も足立が二人の新卒の仕事ぶりをチェックしてくれなかったらさらに発覚が遅れたかもしれない。ゆりはゾッとした。それに、向こうが先にミスに気付くのと、こちらが先に気付くのでは印象も異なる。
ゆりは立ち上がって、足立の元へと向かった。
「足立さん、広告開始しました。確認していただけますか?」
「今見るわ。それから、電話したら、少し立腹していたようだが、十八時から会ってくれることになった。あとで先方の会社まで行く。俺は今日他の会社と飲み会だから、先方の会社まで行った後は直帰する。お前らも直帰予定で、準備しろ。それから謝罪までに駅前の和菓子屋で菓子折り買ってくるように」
「はい。本当にすみませんでした。足立さんが気付いてくれなかったらどうなっていたか」
「あー、俺も昨日チェックしておけばなー。くそぉ。上坂ぁ! 永瀬ぇ! ミスがどれほど怖いか分かったか? どれだけ仕事が増えても自分の仕事を振り返って確認する。めちゃくちゃ大事だからしっかりやれ!」
「はい、すみません!」
二人はそれぞれ足立に深く頭を下げて、デスクに戻った。足立はいくつも案件を抱えているが、ゆりと将吾はまだ数件しか関わっていない。しかも相互チェックができるように二人で行動もしている。それなのにゆりは両手で顔を覆って、深く、深く息を吐いた。
先方への謝罪は初めてだったが、向こうの怒りに対する足立の如才なさと、懐への入り方、丁寧な謝罪。すべてに感心し、ひれ伏したいほど感動した。話し合いが終わる頃には向こうは上機嫌になり、広告が遅れたのにもかかわらず、金額の補填に関しても追及されずに済んだ。長年の付き合いもあるが、足立の話術がかなり大きい。
今までの構築してきた関係も大いにあるだろう。足立がずっと担当をやってきた会社なので、やはり足立のおかげだ。
向こうの会社を出る頃には十九時を回っていた。
「足立さん、ありがとうございました」
「うい。謝罪に関して、社内で俺に勝つ者はいないな! 見たか!」
鼻高々な足立にゆりはようやく口元を緩めることができた。将吾も頭を下げて、「マジで助かりました。すみませんでした」と謝罪している。
「俺がどうしてこんなに謝罪が上手いか分かるか?」
ゆりと将吾は足立に向かって首を横に振った。
「俺が人一倍ミスしたからだよ! お前らみたいなしょうもないミスとは桁違いの百万単位の補填を会社にしてもらったミスもした! お前ら、今日の死にたい気持ちになったこと覚えておけよ。確認したらミスは防げる。十分反省しているようだから説教はもういい! それは建前で、俺は接待の飲み会に遅刻している! じゃあな! お疲れ!」
足立はまくしたてるように話すと、焦ったように走り出した。ゆりと将吾は「ありがとうございました!」と足立の背中に声を張り上げた。
足立が去り、帰宅ラッシュの人波を見ながら、ゆりと将吾はようやく息を吐いた。
「お疲れ」
ゆりが言うと、将吾はゆりの肩を叩いて、「お疲れー」と返事をくれた。今日は火曜日だった。明日も仕事だがこのまま帰るのは寂しい気持ちがあった。
「将吾、今から飲みに行かない? なんか飲みたい気分で」
ゆりが笑顔で提案すると、将吾が困ったように眉を寄せた。
「あー、……ごめん。めちゃくちゃ行きたいんだけど」
「あ、予定入ってた? 全然大丈夫だよ!」
ゆりは慌てて取り繕うように手を振って、うんうんと頷く。将吾はこめかみ辺りをポリポリ掻(か)いて、ため息を吐いた。
「めちゃくちゃ行きたいなー。でも悪い。今日彼女と記念日で」
「あ、ああ! それはすぐ行ってあげないと! ほら、もう遅刻なんじゃない? 行って行って!」
ゆりは心臓に楔(くさび)が刺さったように痛んだが、全くなんでもない素振りを装って、将吾を急(せ)かした。それができるほどには大人だった。
「別に一年記念とかじゃなくて、まだ三ヵ月なんだけどな。毎月会ってお祝いしたいって言うから」
ゆりの胸はさらに粉々に砕かれた。彼女の可愛いお願いに面倒くさそうにしながらも応えてあげているんだと思うと、うらやましくて仕方なくなる。ケーキを食べるのだろうか。いつもよりいいお店で食事をするのだろうか。これからもよろしくねと笑う二人の笑みまで浮かんでくる。ああ、もう。己の無駄な想像力が嫌になる。
「それだけ将吾のこと好きなんだよ。可愛いよ」
ゆりは渾(こん)身(しん)の力を振り絞って返事をした。
どうして自分が恋敵のフォローをしているのだろう。
「うーん。あ、そうだ。明日、水曜日ノー残業デーだろ? 明日飲みに行こうよ」
将吾が名案を思い付いたというようにパッと明るい顔で誘ってくる。
(ああ……好き。どうしようもなく好き)
ゆりは苦笑いをして、それから振り切ったように笑顔で頷いた。
「うん、そうしよう。今日はじゃあお疲れ! 行ってらっしゃい」
「おう、お疲れ! 気を付けてな!」
将吾がスーツ姿で颯(さっ)爽(そう)と都会の街並みの中に駆けだして行く。ゆりは見えなくなるまで将吾の背中を見送っていた。
次の日の水曜日、二人の飲み会は開催された。会社から徒歩三分の居酒屋で、チェーン店でもなく、料理上手な店主が黙々と料理を作っている創作料理のお店だ。
二人とも初めて入ったが、雰囲気が良く気に入った。
「お疲れさま!」
「はあー! お疲れ! 昨日は大変だったな!」
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