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裏切りの騎士は初恋を手放さない

宇奈月香 / 著
篁ふみ / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2025/03/28

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内容紹介

命をかけて君を守り通す
「恨むなら、お前の婚約者だ」舞踏会からの帰り道、野盗に襲われたララは婚約者カイルの裏切りを知って衝撃を受ける。彼とは幼馴染だ。正義感が強く照れ屋な彼との結婚を夢見ていた。しかし王女付きの近衛騎士となってから、すっかり変わってしまった。彼は王女のお気に入りとなりララは孤独だった。だからといって、命を狙われるなんて……。なんとか助かったララは、保護を受けて身を隠して過ごしていた。そんなある日、護衛騎士としてやってきたのは、なんとカイル! ララを必死に探していたと言って、幸せだった頃のように優しく接してくる。それを拒絶するララ。本当に彼を信じていいの? すれ違う二人の思いは!?

立ち読み

 薄暗い夜道を一台の馬車が疾走している。
 その速度は、尋常でないほど速く、馬車を操る御者の表情は恐怖に染まっていた。
「もっと速く走れ! 追いつかれるぞ」
「やっていますよ!!」
 従者の怒声に、その隣に座っている御者も大声で応戦した。
 なにしろ、後方から馬に乗った夜盗が迫ってきているのだ。
 シャルー子爵令嬢ララは、飛び交う声を馬車の中で侍女と共に聞いていた。
(どうして夜盗なんて)
 今夜、仮面舞踏会が開かれたカスタニエ伯爵邸は王都でも治安のいい場所にある。
 そこからシャルー子爵邸までは、馬車で一時間ほど。シャルー子爵邸はやや郊外にあるが、これまで夜盗に襲われたことはない。
(いったい、なぜ)
 石畳の道を馬車が駆け抜ける音が、車内にけたたましく響く。不規則に上下左右に揺れる振動が、いっそうララの恐怖心を煽った。
「お嬢様、きっと……夫でござ――ますよ……っ」
 向かいの席で気丈に振る舞っている侍女のロミーの声も、騒音にかき消されてよく聞こえなかった。両手を踏ん張り、身体を支えるだけで精一杯だ。
 その次の瞬間。
「きゃあ!!」
 馬がいななき、ついに馬車が急停車した。
 その衝撃で身体が前につんのめる。
「お嬢様、危ない!」
 侍女の胸に飛び込む恰好で支えられると、外で男の悲鳴が上がった。
「ひ……っ!」
 痛みを滲ませた壮絶な声に、ララは震え上がった。
 金属がぶつかり合う音がし始める。今、まさにララたちは襲われているのだ。
(誰か、助けて。カイル――ッ!)
 がたがたと震えながら、ララは夢中になって婚約者の名を心の中で呼んだ。
 来るはずがないとわかっていても、一(いち)縷(る)の望みに縋らずにはいられない。
 バーロイ伯爵の次男カイルは、剣術の腕が立ち、現在は王女付きの近(この)衛(え)騎士だ。
 もし今夜、カイルと同伴して舞踏会に出席できていたのなら、きっと彼が夜盗を駆逐してくれていただろう。
 扉が開くと同時に、入ってきた夜盗がララから侍女を引き剥がした。
「お嬢様ッ!!」
「ロミー!!」
 手を伸ばす前で、夜盗の剣が侍女の身体を貫いた。
「ひ――ッ!」
 ララは生涯、この光景を忘れることはできないだろう。
 ララよりも五歳年上のロミーは、姉妹のいなかったララにとって、お姉さん的な存在だった。
(あぁ、そんな……嘘――)
 串刺しにされたロミーは目を見開き、ゆっくりと顔をララへと向けた。
「……嬢、――さ、……」
 彼女の薄茶色の瞳から、ゆっくりと生気が消えていく。
「あ、あぁ――っ」
 命が一つ、消える瞬間を見てしまった。
 自分も間もなくああなるのだ。硝子玉みたいになったロミーの瞳を見て覚えたのは、おびただしいほどの死への恐怖だった。
 夜盗は、息絶えたロミーを地面に放り投げると、彼女の血が纏わりつく剣をララへと向けた。月明かりに照らされ、夜盗がにたりと口の端を上げて笑うのが見えた。
「い……や」
 馬車の床にへたりこんだララは、大きな緑色の瞳をあらん限り見開き、突きつけられた剣先を見つめた。剣についたロミーの血が、ぽたり、ぽたりとドレスに滴(したた)り落ちてくる。
 逃げたいのに、身体が強ばって動けない。
 目を背けたいのに、視線がそらせない。
 腰が抜けて、足が動かない。
(死にたくない)
 たった今、起こった惨劇は本当に現実なのか。
 自分が夜盗に襲われていることも、ロミーが殺されてしまったことも、実は全部、悪い夢なのではないのか。目が覚めたら自室のベッドの上で、ロミーが「おはようございます」とモーニングティを持って現れて――。
 夢ならよかったのに。
 どれだけ現実逃避しても、夜盗も血まみれの剣も消えてはくれなかった。
「やめ――、殺さ……ない、で……」
 恐怖を顔に貼りつけながら切れ切れの声で懇願すると、夜盗が嬉々とした表情になった。まさにその言葉が聞きたかったと言わんばかりに「いいねぇ、ぞくぞくするぜ」と興奮した声を上げた。
 一瞬、許されたのかと思った直後だった。
「だが、恨むなら、お前の婚約者だ」
「――え……」
 息を呑む間もなく、胸に剣が突き刺さった。
(カイル……が、――な……に――?)
 剣に貫かれた衝撃に、思考が停止する。
 痛みはまだない。
 ただ刺された事実に呆然となった。
「――ッ」
 突如、こみ上げてきたものが口から吹き出す。真っ赤な血が咳と共に溢れてきた。
(私――死ぬ、の……?)
 カイルに殺されるの……か。



 南方が海に面したアダン国。海の玄関口であるセレンニア港を管理しているビヴァリー伯爵領には、断崖絶壁に古城がそびえ立っている。かつてアダン国王族の別邸として使われていたものだ。
 古城から突き出している円柱型をした塔は、海の見張り台として使われていた時代もあったが、現在はその役目を終え、古城はボールドウィン・ビヴァリー伯爵の別邸となっている。
 ララがビヴァリー伯爵の古城に身を隠すようになって、もうすぐ一年になろうとしていた。
(今日もいい天気ね)
 以前なら、天候の善し悪しに感動したりはしなかった。
 晴れているな、雨だな。
 その程度の感想だけだったが、命の危機を経験した今は、一日一日が尊くてたまらない。
 生きて、健康であることがどれほど恵まれていたのか。
 不自由な身になって、初めて実感できる幸せもあるのだと知った。
 一年前、ララは夜盗に襲われ瀕死の状態に陥った。
 一命を取り留めたのは、奇跡としか言いようがない、と医師に言われたほどだ。
 生き長らえることへの執念が、忍び寄る死を振り払った、というところだろうか。
 まだ完治はしていないものの、最近は杖で身体を支えながら歩けるようにもなった。
(綺麗ね)
 目の前に広がる海は、太陽の光を受けて水面がきらきらと輝いている。
 海からの南風に髪をそよがせながら、ララは古城で目覚めてからずっと付き添ってくれている大型犬ティフティフと一緒にバルコニーに出て、穏やかな風景を眺めていた。
「ララ、風の当たりすぎには気をつけて」
 そこへ、バルコニーのガラス窓を指で叩きながら、古城の主ボールドウィン・ビヴァリー伯爵が声をかけてきた。
「ボールドウィン様、お帰りなさい」
 顔を向ければ、彼の腕にはケープがかかっていた。
 前髪の一房だけ銀色な薄茶色の髪は派手だが、彼の端整な顔立ちと合わせればとても上品に見えるから不思議だ。
 切れ長の緑色をした瞳が、ララを見つめて優しく細まる。
「その様子だと、今日も調子がよさそうだね」
 よかった、と言って彼がララの肩にケープをかけた。
 軽くて肌触りのいいそれは、ララが古城で意識を取り戻してからずっと使っているものだ。
(ボールドウィン様が私を見つけてくださらなかったら、今ごろ生きていなかったわ)
 あの日、ララを窮地から救ってくれたのが、あの道を通りかかったボールドウィンだった。ボールドウィンが偶然通りかかってくれたからこそ、ララはとどめを刺されることなく命拾いをしたと言ってもいい。
『……かっ! しっかり……っ。生きろ!!』
 かすかに覚えているのは、薄れていく意識の中で必死に呼びかけてくるボールドウィンの声だ。
 ――生きろ。
 彼の言葉に、ララの中で消えかかっていた何かに火が灯った。
(私、まだ死にたくないっ)
 こんな意味のない死に方などしたくない。
 やりたいことだってたくさんある。
 ロミーと一緒にしていた刺繍は、あと少しで完成だったのに。
 来週に控えた養父の誕生日は、今年も盛大にお祝いするのだと、料理長に手伝ってもらってケーキを作る手はずだった。
 愛読している続きものの恋愛小説のラストだって知りたい。
 何より、カイルに問いたい。
 どうして私を殺すの、と。
 ちゃんと話してくれれば、ララは婚約解消だって頷いただろう。寂しいけれど、愛し合う者たちの仲を引き裂くようなお邪魔虫にはなりたくない。
 なのに、カイルは何も言わず命を刈り取ろうとしたのか。
 そんな卑怯なことを騎士道は許しているというのだろうか。
 痛みと熱で朦(もう)朧(ろう)としながら、ララはずっと夢を見ていた。
 真っ黒い場所に現れた大きな川を渡ろうとすると、「ララ、生きろ」「ララ、頑張って」と後ろから誰かの声がした。
 見知らぬ声に立ち止まり、また川の方へと歩く。
 そんな夢を繰り返し見ていると、ある日、ふと光が視界を煌(きら)めかせた。
『あぁ、よかった……。おはよう、ララ』
 そう言ったボールドウィンは、今みたいに緑色の瞳を細めて優しく笑っていた。ララが命の峠を越えた瞬間だった。
 隣に立つボールドウィンは、見上げるほど長身だ。
 洒落たジャケットに負けていないのは、彼が均整の取れた体躯と華やかな雰囲気の持ち主だからだ。
 まばたき一つ、風になびく髪をかき上げる仕草すら優雅だ。
(本当に綺麗な方ね)
 貴族という属性を完璧に身につけたボールドウィンは、ララが社交界にいたときから将来有望な独身貴族として有名だった。
 ビヴァリー伯爵領は、国の寄港地なこともあり、非常に豊かな領地である。
 かつ、ボールドウィンは王太子レノルドの側近だ。
 いずれは宰相になるだろうと噂されるほど、頭脳明晰で泰然自若とした姿は、彼もまた王族なのではと思わせる。加えてこの美貌だ。
 ぜがひでも、彼と縁続きになりたいと願う貴族たちから持ち込まれる縁談が後を絶たないらしいが、彼自身まったく結婚に関心がないというのは、社交界では有名な話だった。
 ララも、何度か彼を夜会で見かけたことがあったが、近づくことすらおこがましいと思ってしまうほど高潔な気品があった。
 けれど、まさかそんな人が今、自分の隣にいるなんて。
 近寄りがたい印象があったボールドウィンだが、話してみると意外と気さくで、コロコロと表情が変わる感情豊かな人だと知った。
「おかげさまで。何かあってもこの子が助けてくれますから」
 そう言って、ララはティフティフの頭を撫でた。
 短毛の毛触りは、いつ触っても気持ちいい。
 うっとりと目を細める飼い犬を、ボールドウィンが横目で見た。
「すっかり騎士気取りじゃないか。妬けてしまうよ」
「この子は女の子ですよ」
 茶目っ気たっぷりの口調で軽口を言うボールドウィンにくすくす笑うと、彼も釣られて頬を綻ばせた。
「それでも、一人で外には出ないこと。自由にしていいのは、城の中だけだ」
「わかっています」
 頷くと、ボールドウィンは「いい子だ」と目を細めた。


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