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暴君社長はノラ猫を溺愛する

柊あまる / 著
天路ゆうつづ / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2019/03/29

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内容紹介

孤独なノラ猫の、愛人契約——
「対価はお前の処女だ……。」
天涯孤独のミキは養護施設を出た後、住み込みバイトの出勤初日に事故に遭ってしまう。加害者の雇い主は、フジワラブループの御曹司・貴裕。彼が怪我とその後の生活の責任を取ると言ってくれるが、施しを受ける理由がないと保護を断るミキに、貴裕は愛人契約を迫ってきて!?断る術もなく、愛人となることに!?退院後、不思議な同棲生活が始まり、甘やかな日々を過ごすけど、契約のはずなのに、触れ合うたび、彼に愛されているのではないかと錯覚してしまい…。オレ様御曹司×孤独なノラ猫の溺愛ラブ

立ち読み

第1章 暴君、ノラ猫を拾う


 ある春の日の夕方。都心にある巨大な繁華街のスクランブル交差点。
 その時の私は、とても急いでいた。
 ようやく迎えた初出勤の日。
 仕事でなければ決して身に着けない、ぴっちりタイトなスカートに7センチのピンヒールは走りにくいこと、この上ない。
(支度に時間かけ過ぎちゃった)
 それだけじゃない。素顔が分かりにくいよう厚くした化粧に、纏(まと)わりつく違和感だらけのストッキング。
 そのすべてが、私には慣れないものばかり――
 日が落ちて視界が悪くなるにつれ、街は溢れんばかりの人々で埋め尽くされていく。
「きゃっ!」
 交差点を渡る途中で、ピンヒールをアスファルトの溝に引っかけた。
 急に足を取られてバランスを崩し、私は心の中で舌打ちする。
(もうっ! 急いでるのに!)
 ――点滅する信号。
 簡単に取れると思ったサンダルのかかとは引っかかったままだ。
 懸命に足をバタつかせるのに動けない。背中にじっとりした汗が浮き、焦りがいや増していく。
(やだ、どうしよう……)
 歩行者信号が赤に変わった。
 こうなっては、色々構っていられない。
 私は、しゃがんでサンダルのストラップを外すと、まず足を自由にした。ヒールが溝に挟まった状態のサンダルを手で掴み、力任せに引っ張る。
 ヒールは意外と簡単に抜け、私はそれを手に持ったまま立ち上がり、横断歩道を一目散に逆走した。
 日が沈む直前の、宵闇(よいやみ)が迫る時刻。
 目の前にカッと光が差し、甲高いブレーキ音に身体が竦(すく)んだ。その直後、強い衝撃が全身に走る。
 そして無音――
 私はその時、黒いワンピースを着ていた。
 後から聞いた話によれば、運転手は歩行者がいないのをちゃんと確認してから左折したのに、私が急に目の前に現れたのだという。
 ――そう、私は18年間生きてきて、初めて車に撥(は)ねられたのだ。

   *

 目を覚ましたら、懐かしい匂いがした。
 高校時代、私は休み時間にしょっちゅう保健室のベッドにもぐり込んでいた。
 教室には自分の居場所なんか、どこにもない気がして――
 独身の保健教諭は、隣町の高校から異動してきたイケメンの体育教師を目当てに、休み時間の間はずっと職員室に入り浸っていた。だから勝手に入り込むのは、わりと容易だったのだ。
 もし見つかれば当然追い出される。そんな時限付きの隠れ場所。
 誰かが入ってくる気配にじっと耳を澄ませながら、誰にも見つからないよう身体を小さく丸め、息を殺した。
 嗅ぎ慣れた消毒液の匂いがして、条件反射で身体を丸めようとした途端、足に激痛が走った。
「いっ……!」
(痛い痛い痛いっ!! なにこれ……なんで?)
 ハンパない痛み。左半身が引きつれ、特に腰から腿までが、まるで火に焼かれているようだ。
「うっぐ……っ」
 なんとかこれ以上悪化しないように、少しでも痛みを逃がそうとして、全身が緊張に固まる。新たな痛みに対する恐怖で、身動きもできない。
「はっ、はぁっ、くっ……」
 短く浅い呼吸に、冷や汗が溢れ出る。
「目が覚めたのか」
 ふいに足下から、低く色艶のある男性の声が響いた。
 聞き覚えのない声に恐怖を感じ、反射的に身構える。その拍子に再び左半身が布団に擦れ、激痛が走った。
「うぁっ!」
「痛むのか。もう少し我慢しろ。今、看護師が来る」
(看護師……? ここ、病院?)
 痛みに呻(うめ)き、朦朧(もうろう)とする意識の中で、その人の声だけはクリアに耳へ届いた。
 目をうっすらと開け、白い天井とベッドサイドに立つ人影を視界に捉える。
 焦点を合わせて見れば、スラリとしたスーツ姿の男性が一人だけ、そこにいた。
 やけに整った、少しキツい印象を与えるその顔に、見覚えはない。
「あんた、誰……」
「どうされました?」
 その時、部屋に飛び込んできた白衣の女性に質問を遮(さえぎ)られる。
「もう麻酔が切れる時間ですから、痛むでしょう。先生に鎮痛剤増やしてもらえるか確認しますね。あなた、喘息とかの持病はあります?」
「……ない、……ぐぅっ!」
 首を振ろうとして、またもや激痛が走った。
「お名前をお聞きしていいかしら? あなた交通事故でここに運ばれたのよ。覚えている?」
 痛みから私の気を逸らそうとしているのか、単に職務上必要だからなのか。看護師は口元に笑みを浮かべつつも、真剣な目で話しかけてくる。
「名前、は……木暮(こぐれ)、ミキ。木に日が暮れるで、ミキはカタカナ」
「木暮さんね。生年月日は?」
〝生年月日〟――
 私は自嘲し、顔を歪めた。
「さあ……よくわからない。捨てられて施設で育ったから。でも戸籍上の歳は18」
 看護師の女性は戸惑いを見せ、その後ろに立っていた見目の良いスーツ男も、揃って眉根を寄せた。
「ごめん。私……家もお金もない。18になったから三日前に施設を出されて、住み込みで働くつもりだったの。その店に向かう途中で……こうなっちゃった」
 やっぱり私って、とことんツイてない。
 せっかく入った高校も、傷害事件を起こして中退した。
 いつも一人でいたから、簡単にヤレるとでも思ったのか、校内で同級生数人に輪姦されそうになったのだ。無我夢中でポケットに入れていたシャーペンを振りまわしたら、相手の目元を傷つけてしまい、いつの間にか血が大量に流れていた。
 それを見てビビったあいつらが大騒ぎして、強姦そのものは未遂に終わった。
 でもしばらく休学し、気付いたら、なぜか私は高校を退学させられていたのだ。
 理由は相手に傷を負わせたこと――
 あいつらがどうなったのかは、何も知らない。相手の怪我がどうなったのかも。
 おかげで私は、中卒の施設出身者。  
 身寄りも学歴も資格もなく、まともな職になんか就けるわけがない。
 でも18で独り立ちしなきゃいけないのは、法律とやらで決まってる。
 同じ施設を出た先輩の部屋に数日世話になった。でも先輩は、明らかに迷惑そうな顔。
 勧められた仕事は、住み込みの部屋付き風俗店だった。表向きはキャバクラでも本番がないだけで、あとはなんでもアリの店だ。
(出勤初日に事故とか――)
 手持ちの現金はあとわずか。店に出るための衣装と化粧品代に使い、あとはひと月分の食費くらいしか残ってない。
「治療費とか出せないから。……悪いけど、これ外して」
 そう言って腕に刺さった点滴の針を見る。
 ちょっと動くだけで全身に激痛が走った。でも、ここに寝てるだけで借金が嵩(かさ)んでいくなんて、考えただけで気分が悪い。
(身体を売るのだけは嫌だ)
 私には、それしか残っていないのに。それだけは、最後の最後まで諦めたくない。
 でも、高級クラブやキャバクラでも、上客とは寝ないとお金にならないと聞いていた。
 なによりまず、客が付くまでが大変なのだ。着飾って営業かけて、自分にそこそこ投資できなきゃ、客の目にも留まらない。
 中卒の自分が、この御時世に金を持ってる客とお喋りだけして気に入ってもらうだなんて、どう考えてもあり得なかった。
(やっぱり風俗しかないのかな)
 そう思っていたら、あの店を紹介してもらえたのだ。実態は風俗でも「本番はない」と聞かされ、入店を決めた。
「店、行かなきゃ……」
 痛みに呻きながら呟くと、看護師は困った顔をし、スーツ男はいかにも呆れたようにため息を吐いた。
「治療費の心配はするな。店が心配ならそれも手配しておく。お前のケガは酷い。まともに動くことも無理な状態だ。まずは治すことだけ考えろ」
 ――本当にうっとりするような、いい声。
 声だけじゃなく見た目もとびきりだ。さぞかしモテることだろう。
 こんなときに、そんなことを考えて私は笑った。痛みに歪んで、とても笑ったようには見えなかっただろうけれど。
「誰だか知らないけど、お兄さんが出してくれんの? ……じゃあ、お願いしよっかな」
 意識が遠のいていく。
 痛みの限界がきたせいなのか、それとも安心して気が抜けたのか――
「おいっ……!」
「木暮さん? あ、先生っ」
 複数の人の気配とざわめきを感じながら、私は再び意識を手放した。

   *

 目を覚ましたとき、病室にいたのは艶声(つやごえ)の美形男ではなく、黒縁メガネの無愛想男だった。
「誰?」
 前回目覚めたときに学習した私は、極力身体を動かさないよう、慎重に視線だけを彼に向ける。
「沼(ぬま)田(た)と申します。木暮ミキさん。この度は私どもの雇った運転手が、大変ご迷惑をおかけいたしました。慎んでお詫び申し上げます」
 きっかり45度のお辞儀をした無愛想男――沼田さんは、ベッドの端にススッと寄ってきた。
 部屋の隅にいられると、目を向けるのがしんどかったから、ありがたい。
 彼はキチンとし過ぎなくらいカッチリしたスーツに身を包み、いかにも堅物な印象の黒縁メガネをかけている。言葉遣いのわりに、まだ若い印象だった。
「沼田さんて、年いくつ?」
 聞くと彼は、ほんの少しだけ間を置いてから答えた。
「……26ですが」
 表情は変わらないけど、言葉尻には戸惑いが感じられる。
「まだ若いのに、おっさんみたいなしゃべり方だね。運転手の人は……捕まった?」
 沼田さんが、今度はハッキリ困惑の表情を浮かべた。
「死なせた訳ではありませんので。今は自宅にいると思いますよ」
「その人、クビ?」
「え?」
 怪訝(けげん)な顔でこちらを見る彼に、私は苦笑いしてみせる。
「悪いことしちゃった。横断歩道の途中でピンヒールが引っかかったの。しゃがんでたし、もう暗かったから、その人のせいじゃないよ」
「木暮さん……」
「ミキでいいよ。あと敬語も止めて。年上の人に使われてもむず痒いから」
 呆気に取られている沼田さんに、私は頼んだ。
「あの人に伝えて。できれば運転手さんのクビを取り消して欲しいって。私のせいで職を失ったとか、寝覚め悪いもん」
「……あの人?」
「キレイでちょっとだけ恐い顔した男の人。最初に目が覚めたとき、ここにいたでしょ」
 沼田さんは目を丸くする。
「なぜあの方に?」
 私は笑った。
「沼田さんの雇い主って、あの人でしょ。治療費出してくれるって言ってたし。妙にエラそうだったしさ」
 彼は一瞬呆けた顔をした後、思わずといった感じでフッと笑った。

 着替えや洗面用具、箸や湯呑みにテレビカード。そして小銭まで。
 およそ入院中に必要だと思われるものは全て、沼田さんが置いていってくれた。
(なんて気が利く人なんだろ)
 そんな彼が従うボスなら、あの人もさぞかし有能な人なんだろう。――美形に美声で有能なお金持ち。
(いいな……天から二物も三物も与えられた人は)
 車に撥ねられたのはいただけないけど、おかげで風俗デビューが少し延びたし、ここにいる間はお金の心配なくご飯が食べられる。
 正直、ものすごくありがたかった。
 後で沼田さんから聞いた話によれば、あの店は本番なしと謳(うた)いながらも、実際はウリをメインにしたデートクラブだったらしい。
(遅かれ早かれ、本番をやらされてた)
 目をつむり、小さくため息を漏らす。
 私みたいな女が一人で生きていく方法は、やっぱり風俗しかないんだろうか――
「やだなぁ……」
「何がだ? 何か足りないものでもあったか」
 独り言のつもりだったのに、頭上から返事が降ってきて驚いた。低く艶やかな美声。
「わっ! って、痛ぁっ!」
 反射的に身動きした私は、またもや激痛に叫んだ。
「おい」
 少し焦った様子で、美声の主はベッドサイドにあるナースコールを押す。
「落ち着け。何もしない」
「違っ……そんな、ううっ……」
 そんなこと思ってない。単に驚いただけだ。
「力を抜け。大丈夫だから」
「だって……痛い……」
 あまりの痛みに泣き言を吐いたら、美声の主は大きな手で私の頭を撫でた。
「大丈夫だ。ゆっくり息を吐いて……力を抜け」
 甘い声――
 予想外に柔らかい彼の声音に、少しだけドキドキした。



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